日本人に全く新しい仏教があることを示して下さったのは法然聖人である。
一心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故(一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるが故に)というシナの善導大師の「散善義」の「順彼仏願故」の文に邂逅した法然聖人によって開創されたのが日本浄土教である。
天台大師は『法華玄義』で、《教》とは「聖人、下にかむらしむ言(ことば)なり」(大正蔵三三、六八四頁))といわれたそうだが、そのような意味で法然聖人は、聖人なのである。だから御開山は法然聖人とお呼びし、その弟子も法然聖人とお呼びしてきたのである。あの一宗を立てようと画策した覚如上人でさえ御開山の呼称を上人と呼んだり聖人と呼んだりのゆれがあるのだが、法然聖人については常に聖人である。江戸時代に入って宗派根性から法然聖人を法然上人と呼称するようになったのだが、これは御開山の意図と逸脱しているとしか思えん。
ともあれ、真摯に法然聖人の回心の原点に帰ってみることも必要だと、なんまんだぶ育ちの門徒は思ふ。
そもそも、釈尊は浄土思想を説かなかったし、所依の大乗経典そのものが釈尊金口の説法ではない。しかし、仏教とは仏になる教えであるから、仏を生み出さないなら看板倒れである。そのような意味で法然聖人は、越前の田舎の愚昧な浄土門の門徒である林遊にとっては、なんまんだぶを教えて下さった日本が産んだ仏陀であり、御開山親鸞聖人もまた、なんまんだぶのご信心を教えて下さった仏陀である。
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智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ
とにかく、御開山がおっしゃるように、浄土真宗(教法名)の元祖は法然聖人である。であるから、本当の御開山親鸞聖人を理解する為には、法然聖人の教学を窺うことが大切であると思ふ。というわけでちょっと難しいが、入手が困難な梯實圓和上の名著『法然教学の研究』から、第二篇 法然教学の諸問題の「第三章 法然聖人の信心論」の一部をUPした。元の本には読下し文がないので、長い漢文は適宜読み下し分を追記しておいた。
また、参考文献にはリンクを張っておいたので重層的・立体的に法然聖人の信心論を窺うことができるであろう。(元々林遊の勉強用のWikiではあるのだが……)
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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