仏力を談ず─真仮分別

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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御開山には『大経』の往生の三願について『六三法門』という願海真仮論がある。いわゆる三願の真実願と仮なる願を分判し、それぞれの願に対する考察である。
浄土教において、初めて本願に着目した曇鸞大師(476-542)の『往生論註』の三願的証に第十八願が挙げられているように、第十八願による一願建立が浄土真宗のご法義である。しかるに御開山が見ておられた真実の弥陀観をもたないゆえに仮の願に迷う輩は、御開山の「化身土巻」の「三願転入の文」によって第十八願へのプロセスとして第十九願、第二十願を理解しようとする。
仏願の生起という言葉は知っていても、その根底を知らないゆえの簡非(けんぴ)暫用(ざんゆう)の混乱である。
いまここで、深川倫雄和上の『仏力を談ず』の真仮分別 によって、三願の真仮の分別を窺い講讃してみよう。

仏力を談ず─真仮分別

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