在家仏教

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗は在家仏教である。
言葉を代えて言うなら、門徒が個々の家々に集まって仏法を聴くことが主体の仏教であった。
これを講というのだが、やがて門徒の集まる場として協力して道場を作った。しこうして、正確に教えを領解する為には文字も読めなければいけないし、お聖教を読む字力も必要であり、現実に対応する葬儀などの儀礼なども必要であった。
しかし、日々の生活に追われている門徒にはそのような学文する暇はない。そこで講の中から代表を決めて、あんたは生産活動に携わらんでもいい。わし等があんたの生活の面倒の一切をみるから、その代わり、あんたは勉強して、わし等に出家せずとも済度されるという御開山のみ教えを伝えてくれ、というのが在家仏教の嚆矢ではあった。
これが、大谷本願寺が叡山の衆徒に破却されて、捨て身となった蓮如さんの凄みのある現場での教化法であったのである。いわゆる大衆を巻き込んでのイノベーションである。
蓮如さんの行跡を記した『空善聞書』(浄土真宗聖教全書p.672)には、

一 仰せに、おれは門徒にもたれたりと、ひとへに門徒にやしなはるゝなり。聖人の仰せには、弟子一人ももたずと、たゞともの同行なりと仰候きとなり。

とある。
浄土真宗の坊さんと話していての違和感が「うちの門徒」という表現である。私の寺に所属(従属)している門徒という意味であろう。御開山は、

親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。 弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。(*)

と、仰ったと『歎異抄』の著者は記している。この意を実践したのが蓮如さんであった。こういうタイプには越前の門徒はしびれるのである。蓮如さんは自分たちのことを考えていて下さっているという、平座のご法義讃嘆が「真宗再興」の基底であった。要するに他なる絶対者に欣い祈祷するのではなく、自己の後生は自己が決定するという、御開山の示される《信心》に火を点けたのであった。この個としての目覚めは、やがて一向一揆ということにつながるのだが、それはまた別の思索の補助線であろう。
何事も経済に還元しなければ価値という意味を理解できない真宗の坊さんには、ともあれ、自分が売る商品(なんまんだぶ=ご信心)に自信がない営業マン(布教使)ほど困った存在はないと言っておく(笑

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