御開山の用語例には「たすけたまへ」という語はない。
ただ、晩年に関東の門弟に奨められた『後世物語聞書』には「ただ仏たすけたまへとおもへば、かならず弥陀の大慈悲にてたすけたまふこと、本願力なるゆゑに摂取決定なり」と、タスケタマヘの語はある。
後年、蓮如さんは「タスケタマヘとタノム」という教語で現代の浄土真宗の基礎を築かれたのだが、この経緯を少しく考察してみた。
ご法義関連の解説書や論文を見ると、田舎の貧乏な門徒では手に入らない書物が提示されていたりして腹が立った経験がある。家の尋常小学校出のじいさんも本を読んだり説教を聴いたりして、その言葉は何処にあるのか、と坊さんに聞いてもなしのつぶてで、よく慨嘆していた。
現代では、ネットのおかげで「大正新脩大蔵経」なども検索することが出来るのだが、如何せん漢文は敷居が高い。そこで、せめて御開山が引文された書物に読み下し文でアクセスできるようにと、御恩報謝の遊び(遊戯)をしていたりする。
ともあれ、浄土真宗の布教使さんには、自分の法話での語句・話題の出拠をきちんと説明できる程度にはしてくれ、とは家のじいさんの意見であった。ちなみに、こんなことばっかりやっているから世俗の知には疎いし口悪いし貧乏なんやろな(笑
と、いうわけで、蓮如さんのタスケタマヘの由来の一考察をWikiArcにUPしてみた。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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2016年3月15日 8:39 PM
いいテーマをありがとう。非常に大切なところと頂きます。親鸞聖人と蓮如上人の「たのむ」の味わい方の違いのご説明、法と人間の立場の違いを巧みに使い分けておられる点、じっくりと読み取らせていただきました。