浄土三部経の一である『観経』の流通分には、
若念仏者 当知此人。是人中分陀利華
もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり
と、ある。
分陀利華とは、梵語プンダリーカ(puņđarīka)の音写で、白蓮華(びゃくれんげ)のこと。蓮の花の中でもっとも高貴なものとされる。なんまんだぶを称える者は、この分陀利華に譬えられるような者であるというのが『観経』の結論であった。
現代語訳では、
もし念仏するものがいるなら、まことにその人は白く清らかな蓮の花とたたえられる尊い人であると知るがよい。
である。浄土真宗では安心とか信心とががうるさいのだが、ようするに、なんまんだぶの上で論ずる安心や信心であり、行なき信もなければ信なき行もないのであった。なんまんだぶを称える行が本願名号正定業なのであり、これを信じるのが正当な浄土真宗の法義なのである。
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。(*)
なのである。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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