かって当ブログで「不断煩悩得涅槃」について記した。→「不断煩悩得涅槃」
その時は『維摩経』の当該の一部を記したのだが、wikiarcに「不断煩悩得涅槃」の項を設けて考察を記述してみた。
『歎異抄』二条には、
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。(*)
という、御開山の述懐が記されている。
まことに、「煩悩を断ぜずして涅槃を得る(不断煩悩得涅槃)」道は、なんまんだぶの他には無いのであった。
「不断煩悩得涅槃」の文、ありがたいことである。
→wikiarcの「不断煩悩得涅槃」
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
2017年6月23日 6:42 AM
色々御考察頂きまして有難うございます。まだ浅はかな所ではございますが、少しは、踏み出せたかな?とおもいます。「大峯 顕)氏の「本当の言葉に救われる」の中で、親鸞聖人の功績は、第17願の言葉になられた阿弥陀様の発見と乗ってありました。今後も意識しながら疑問を晴らして参りたいとおまいます。どうか今後共宜しくお願い申しあげます。有難うございました。
2017年6月23日 1:45 PM
大峯顕師は哲学畑の方ですから、フィヒテとかハイデッカーの思想を用いてご法義を分析されるのでややこしいですね。
もちろん林遊は哲学はさっぱり判りませんが(笑
ともあれ、浄土真宗とはどういうご法義なのか、という意味では「阿弥陀さまが、ごいっしょです」というサイトの法話がありがたいです。
そのような法話の生まれるバックボーンに興味があって、ネットであれこれやって遊んでいたりしますが、仏智深きがゆえに我が領解を浅しとす、は忘れないようにしてます。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://www.hongwan.net/index.php/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%80%81%E3%81%94%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%A7%E3%81%99_(1)
2017年6月23日 6:32 PM
重々なる御高説大変感謝いたしております。有難うございます。
御厚情に、深くお礼申しあげます。