WikiArcの「正定業」の項に追記。
なんまんだぶを称えたから救われるのではありません。
なんまんだぶを称えた者を救うという本願があるから救われるのです。
これを『歎異抄』の著者は、
本願を信じ念仏を申さば仏に成る (第12条)
と、単純明快に示してくれたのでした。
法然聖人が、
「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」(『聖全』四 p191 『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」)
と、仰ったと御開山は『西方指南抄』に書き残して下さってあるのだが、なんまんだぶと称えて、耳に聞こえる声に決定往生のおもひをなすべしであった。
ありがたいこっちゃな。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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