蓮如さんは、お文の「八万の法蔵章」で、
それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。
と、いわれている。
ここでの「八万の法蔵」とは、釈尊の説かれた八万四千の法門を指し、たとえ愚かな凡夫であっても、自らの死んで往く後世(ごせ)を知る者は智者であるとされる。
これは法然聖人の示された、
聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる。
の意を承けたものであろう。
さて、この「八万四千の法門」について、御開山はかなり特別な釈をされておられるので、この意をwikiarcの「八万四千の法門」の項に加筆し追記してみた。
→「八万四千の法門」
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2017年8月14日 10:57 AM
いつも沢山の御教示と資料を提供頂き有難うございます。まだ未熟な私には、受容能力が乏しく大切な資料を見過ごしたり、再度であえなかったら!ト、プリントしたり、又聴聞から帰宅しフアイルを探し確認し自分なりに理解できたら嬉しいです。大変お世話になりありがとうございます。
2017年8月15日 12:29 AM
ネット上で自分の学びのためにやってるだけです。
ご法義の書籍を見ると引用している言葉があったりするので、その言葉をUPしたり自分の解釈を書き込んだりしてるだけです。
ともあれ、仏教語は世俗語と違いますから、自分の持っている既存の知識で解釈しない方が良いみたいですよ。
なかなか新しい概念語を学ぶのはシンドイことですが、なんまんだぶの味が深くなったりして、ありがたいことでもあります。
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