浄土真宗の門徒が拝読(声に出して読む)するお文(御文章)を、教化に使うことを発意したのは『天正三年記』によれば、安芸の蓮崇であった。
越前の吉崎の御坊にて彌(いよいよ)佛法ひろまり申し候て、「御文」を御つくらせさふらふ事は、安藝法眼申させさふらひて御つくりさふらひて、各有難く存さふらふ。かるがると愚癡の者の、はやく心得まひらせさふらふやうに、千の物を百に選び、百の物を十に選ばれ、十の物を一に、早く聞分申樣にと思しめされ、「御文」にあそばしあらはされて、凡夫の速かに佛道なる事を、おほせたてられたる事にてさふらふ。開山聖人の御勘化、今一天四海にひろまり申事は、蓮如上人の御念力によりたる事に候也。 (『天正三年記』p.637)
蓮崇は、真宗の坊さんによって破門された悪人と言われる事が多いのだが、北陸の地で爆発的にご法義が伝わったのは在野の門徒のパワーによる面も多々あったのであろう。浄土真宗は「在家仏教」であったからである。
と、いうわけで、wikiarcの「安芸の蓮崇」の項に追記。
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