「法然聖人と御開山の相違について」という問いを受けたので、梯實圓和上の聖典セミナーの一段をUPしたことがある。
同文中で梯和上は、17の箇条書きで御開山の『教行証文類』撰述の意義を示しておられる。その意味を該当する文や項目へのリンクを作成してみた。
坊さんと違って、かっての林遊のように門徒は教義概念を示す名目の意味が理解しづらいと思ふので、各項にお節介だがリンクしてみた。
ともあれ理論と現象ということがいわれるのだが、理論は知らなくても本願の仰せのとおりに、虚心に〔なんまんだぶ〕を称えている者が「真実の信心はかならず名号を具す。」であり、「如彼名義欲如実修行相応故(かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲(おも)ふがゆゑに)」の実践であった。ありがたいこっちゃ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ