浅原才市さんは、
仏智不思議を疑うことのあさまし 三十四年 罪の詮索するからよ 罪の詮索無益なり
罪の詮索せぬ人は 暖簾すがりかホタすがり 閻魔の前で いんま後悔 罪の詮索する人は ここで金剛心をいただく
といわれている。 前段では、「罪の詮索無益なり」とされているのだが、後段では「罪の詮索する人はここで金剛心をいただく」とされている。 一見すれば矛盾するような言葉だが、これについて考察してみた。
→「トーク:二種深信」
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