浄土真宗の「信心正因」とは、信心はわたくしの上にあるけれども、それはわたくしの物(ものがら)ではないことをいう。この無い状態を「正因」というのである。
越前の古参の門徒は、「勅命のほかに領解無し」という言葉で、なんまんだぶという可聞可称の称名法を受容し実践することが「信心正因」の意味であると領解したのである。
真実信をあらわす「信巻」三心結釈で、
「真実信心 必具名号。名号必不具願力信心也(真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり)」(三心結釈p.245)と、された意である。
ともあれ「信心正因」の法を説く真宗坊さんの説く法の真偽を判断する材料は、口称のなんまんだぶを称えているかいないかであった。嘘の法義を説く布教者には真実を説く力はないのである。
「信心正因」とは確固たる信を意味する語ではなく、なんまんだぶと称えることが出来るか出来ないかという意が「信心正因」という語の意味であった。浄土真宗の「信」とは、知の崩壊によってめぐまれる信であった。ありがたいことである。
→wikiarcの信心正因の項
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ