称名報恩説を、なんまんだぶはお礼であるからしなくてもよいという団体があるのだが、莫迦(梵 moha)である。
いわゆる「信心正因 称名報恩」説の誤解なのだが、自覚の信を強調する浄土真宗の僧俗にも多いので困ったものである。
法然聖人は、
又いはく、本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智恵をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。
それに善人は善人なから念仏し、悪人は悪人ながら念仏して、ただむまれつきのままにて、念仏する人を、念仏にすけささぬとは申す也。さりなからも、悪をあらためて善人となりて念仏せん人は、ほとけの御意にかなふべし。かなはぬ物ゆへに、とあらんかくあらんとおもひて、决定の心おこらぬ人は、往生不定の人なるべし。(諸人伝説の詞p.682)
と、いわれていた。
「とあらんかくあらんとおもひて、决定の心おこらぬ人は」可哀想である。
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