「正信念仏偈」に、「極重の悪人はただ仏を称すべし。」とある文の出拠とその背景を論じられた梯實圓和上の考察をwikiarcに記した。
三、四十八願中、於念仏門 別発一願云、乃至十念。若不生者不取正覚。
三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。
四、観経、極重悪人無他方便。唯称念仏、得生極楽。
四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。(要集 P.1098)
御開山は、『唯信紗文意』で『観経』下下品の意を、
「汝若不能念」といふは、五逆・十悪の罪人、不浄説法のもの、やまふのくるしみにとぢられて、こころに弥陀を念じたてまつらずは、ただ口に南無阿弥陀仏ととなへよとすすめたまへる御のりなり。これは称名を本願と誓ひたまへることをあらはさんとなり。 (唯文 P.716)
と示しておられる。ここで「不浄説法のもの」とあるからご自身を下品下生の者とみておられたのであろうか。
ともあれ、御開山のお示しは「ただ口に南無阿弥陀仏ととなへよとすすめたまへる御のりなり。」であった。
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