信罪福心について、wikiarcに追記した。
罪福心について、御開山は「真仏土文類」の末尾で、
まことに仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身・化土と名づく。真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。 (真巻 P.373)
とされておられる。この真仮とは、自業自得 (信罪福心) という自利 (自力) の法門と、本願力回向の「誓願一仏乗」の利他力 (他力) の法門の綱格の違いをいふ。この利他力のあらゆる衆生を浄土へ運載する大乗の意を『御消息』では「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(消息 P.737) とされたのであった。
善人悪人を平等に浄土に往生せしめ「済度」するという真宗の法義 (仏法の教義) は人間の思議の常識を超えているから、不可思議の法なのであった。なんまんだぶを称えて「念仏成仏」を目指すご法義であった。
→「罪福]
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ