高森親鸞会を脱会した方の、善知識帰命説を否定するブログに触発されて、wikiarcに臨済禅師由来の「人惑を受けず」の語を追記してみた。
ほとんど、何が言いたいのか意味不明だろうが、林遊の脳内では整合性がとれているので了である(笑
名聞と利養しか頭にない、真宗布教使にも言えるのだが、芸能としての節談や、カルト崩れの求道主義者には意味不明だな、どうでもいいけど。
ところで、徳永一道勧学寮頭は、
「一緒性」の提言は「大乗仏教の精神そのもの」と賛同され、そして「親鸞聖人は浄土真宗を『大乗の中の至極なり』と示されていますね。
と、公言されていますが、大乗仏教では、個のさとりである「八聖道」から関係性を重視した「六波羅蜜」へ移行したのですが、その第一の徳目である布施行の実践として、貧乏な林遊に100万ほど布施して下さい。布施とは言葉ではなく実践ですから請求書出してもいいですか(笑
そんなこんなで、出来もしない大乗精神を言う輩の「人惑を受けず」だな(笑
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
« Prev:興福寺奏状と教行証文類 自力念仏:Next »