ウチの在所では、通夜の晩には蓮如さんの疫癘のお文(御文章p.1180)を拝読する。
このお文は、御開山の御消息に、
なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。(p.771)
とあるように、人が死ぬのは当たり前のことであるから驚くなという文(ふみ)である。死ぬのは当たり前であるからこそ、死を超える確かなものにあいなさいという意味である。
蓮如さんは、このお文(御文章)の中で、
このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし」と仰せられたり。かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほどももつまじきことなり。(御文章p.1180)
と、「阿弥陀如来の仰せられけるやう」とある。しかし阿弥陀如来が直接我々に語る語は「三部経中」には無い。釈尊の教説を通じ、諸師方の言葉を通じて阿弥陀如来のお心を知るだけである。
ともあれ本願寺派の「信因称報説」を突き詰めると、愚直になんまんだぶを称えている者に、阿弥陀如来は「どこにそんなことを仰ってるんだ」と、大行であるなんまんだぶを否定するような坊さんを生み出すのであった。ある意味で、
つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。
大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。(行巻 P.141)
という、御開山の「行信」の破壊であろう。
坊さんの、知性と教養が邪魔をして、法然聖人の示して下さった、穢土と浄土という相対の二元論を飛び越えて、己の「自覚」としての、
しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。(p.209)
の自性唯心の輩(はらから)であろう。かえるべき浄土を持たない現実主義者の坊さんである。
御開山は、比叡山時代には「堂僧」として『般舟三昧経』にもとずく四種三昧のうちの一である常行三昧を修しておられたといわれる。善導大師は『般舟讃』や『観念法門』で『般舟三昧経』に言及しておられた。
そして『観念法門』で『般舟三昧経』を引いて、
仏のたまはく、〈四衆この間の国土において阿弥陀仏を念ぜよ。もつぱら念ずるがゆゑにこれを見たてまつることを得。すなはち問へ。《いかなる法を持ちてかこの国に生ずることを得る》と。
阿弥陀仏報へてのたまはく、 《来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし。休息することあることなく、すなはち来生することを得ん》〉と。仏のたまはく、〈専念するがゆゑに往生を得。 (観念法門 P.611)
と、「来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし(欲来生者当念我名)」と、阿弥陀仏自らが称名(当念我名)と、言われているのであった。
法然聖人は『選択集』で、
しかのみならず『般舟三昧経』のなかにまた一の選択あり。いはゆる選択我名なり。弥陀みづから説きて、「わが国に来生せんと欲はば、つねにわが名を念じて、休息せしむることなかれ」(意)とのたまへり。ゆゑに選択我名といふ。(選択集 P.1284)
と、選択我名とされておられた。
知性と教養に溢れる社会派の坊さんには、愚直に なんまんだぶを称えている門徒に対し「どこにそんなことを仰ってるんだ」と、驚かし、
一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「なんぢは誓願不思議を信じて念仏申すか、また名号不思議を信ずるか」と、いひおどろかして、ふたつの不思議を子細をも分明にいひひらかずして、ひとのこころをまどはすこと、この条、かへすがへすもこころをとどめて、おもひわくべきことなり。(歎異抄)
と、「いひおどろかして」門徒を惑わすことが、新しき「名目」を出(い)だしての、違いを強調して自己保身をはかる名聞利養の生業のなれの果てかもと思ふ。
そんなこんなで、なんまんだぶを称える門徒に対して「どこにそんなことを仰ってるんだ」という論難に対して、越前の愚直な門徒が、『般舟三昧経』一巻本に、阿弥陀仏自身が、
阿弥陀仏報へてのたまはく、 来生せんと欲せば、まさにわが名を念ずべし。休息することあることなくは、 すなはち来生することを得ん (般舟三昧経)
という称名を指示する経文を引用しておく。
念仏という「念」を、称名であるとされた法然聖人の意から、日本では念仏とは称名であるという歴史があるのだが、痴愚の毒におかされた 坊さんは、この経緯が判らんので困ったものだ。どうでもいいけど。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ