選択本願

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御開山は、信心(大信心)を説く「信巻」で、

 この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。この大願を選択本願と名づく、また本願三心の願と名づく、また至心信楽の願と名づく、また往相信心の願と名づくべきなり。p.211

と、「念仏往生の願」より出でた信を「この大願を選択本願と名づく」とされておられる。
矮小化された「自覚」としての信心しか知らない「信心正因」派の輩は、まるで浄土真宗では「無行単信」のように誤解するのであった。
この「念仏往生の願」と「選択本願」といふ語を、どのように消釈(矛盾点を解消してわかるように解釈すること)するのであろうか。
御開山が第十八願を念仏往生の願とよばれたのは、法然聖人が『三部経大意』で、「念仏衆生摂取不捨」の意を示す中で、

 このゆへに弥陀善逝 平等の慈悲にもよおされて、十方世界にあまねく光明をてらして、転(うたた)、一切衆生にことごとく縁をむすばしむがために、光明無量の願をたてたまへり、第十二の願これなり。
つぎに名号をもて因として、衆生を引摂せむがために、念仏往生の願をたてたまへり。第十八の願これなり。
その名を往生の因としたまへることを、一切衆生にあまねくきかしめむがために諸仏称揚の願をたてたまへり、第十七の願これなり。聖教全書四p.784

といふ文の指示によって、第十八願の「乃至十念」のなんまんだぶを、第十七願に拠って顕されたから後学に様々な問題を起こしたのであろう。
その為に、関東の疑問を持つ門弟に対して、

信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。p.749

と、「行信不離」ということを示されたのであった。
そもそも論だが、浄土真宗の門徒は坊さんの説く偏頗な信心に騙されずに、五劫思惟という時を経て、因位の阿弥陀仏が往生の業因として選択摂取したのは、口称のなんまんだぶであった。頭の賢い真宗の坊さんは、これがワカランのです(笑

「トーク:選択」
「行信不離
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通夜の赤飯

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越前では夜伽(通夜)には赤飯を振る舞った。
この赤飯を提供するのは、嫁方の実家が為すべきこととされていた。
もっとも、この赤飯は通常の赤飯と違って少しく色の薄い赤飯であった。この通夜に赤飯を振る舞う風習に関して、地元の新聞に東京の方から、福井(越前)の人間が常識がないといふ投稿があったこともある。
関東の野蛮人は、浄土真宗のご法義が衰退している「地方」であるから、人が死ぬという日本の伝統文化の意義を知らないのだと、新聞を読んだ青年期に思ったものである。
ともあれ、関西では、人が死ぬことを「往生の素懐を遂げる」といふのだが、その往生の素懐を遂げたことを祝って越前では通夜に赤飯を振る舞ったものであった。もっとも遺族の心を忖度して赤飯の色は少しく薄い。

ともあれ浄土真宗では、グリーフ・ケア(別離の悲嘆)を超越する言葉として、無くなった人に対する最上の賛辞が、なんまんだぶという言葉であった。あなたは、もう既に西方仏国の仏さまに成られたのですね、煩悩の憂いの無い仏陀と成られたのですねと、なんまんだぶ、なんまんだぶと讃嘆するのであった。
あんたも、親様の浄土へ往きなさったか、おっつけウラも参らしてもらうで、お浄土で再会しような、と、なんまんだぶを称えるのが「往生の素懐を遂げた」同朋への賛辞であった。それで越前では、「往生の素懐」を遂げた祝いとして、通夜の振る舞いに赤飯を提供するのであった。もっともこの赤飯の風習は、最近寂れているので越前の坊さんがんばれよ、と無責任な在野の門徒であった。

生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗であった。ありがたいこっちゃ。

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同一念仏 無別道故

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「同一に念仏して別の道なきがゆゑに」

昔は、念仏相続とか称名相続といって、なんまんだぶを相続(自らが称え受け伝えること)に煩かった。幼児のころからナンナン(なんまんだぶを示す幼児語)せぇよといわれたものであった。最近は信心を偏重する法話のせいか、法座の場でも、なんまんだぶを称えると奇異の目で見られることが多い。
しかして、聴聞の達人になればこそ「癖になるほどのお称名」と、なんまんだぶせぇよの念仏相続に煩かったものだ。人生に懊悩してきた深い経験によって、識揚がり神飛ぶ「信心」としての意業を信じていなかったからであろう。
そんなこんなで、WikiArcに追記した『西方指南抄』「四箇条問答」の一説を転載。

問。法蔵菩薩の本願の約束は、十声・一声なり。一称ののちは、法蔵菩薩の因位の本誓に心をかけて、名号おば称すべからざるにや。

答。無沙汰なる人は、かくのごとくおもひて、因位の願を縁じて念仏おも申せは、これをしえたるここちして、願を縁ぜざる時の念仏おば、ものならずおもふて、念仏に善悪をあらするなり。これは無按内のことなり。法蔵菩薩の五劫の思惟は、衆生の意念を本とせば、識揚神飛のゆへ、かなふべからずとおぼしめして、名号を本願と立たまへり。この名号はいかなる乱想の中にも称すべし。称すれば、法蔵菩薩の昔の願に、心をかけむとせざれとも、自然にこれこそ本願よとおぼゆべきは、この名号なり。しかれば、別に因位の本願を縁ぜむと、おもふべきにあらず。(『西方指南抄』四箇条問答p.178)

新井俊一著『西方指南抄』現代語より。

問。法蔵菩薩の本願のお約束は、十声でも一声でも称える者を往生させるというものです。一度名号を称えた後は、法蔵菩薩の因位の本誓に心をかけることが大切で、さらに名号を称えるべきではないのではありませんか。

答。教えを深く理解していない人は、このように思って、因位の願を心に懸けないで申す念仏は往生のためには効果がないと思って、念仏に善い念仏と悪い念仏があるかのように言っています。これは教えを十分に理解していないからです。法蔵菩薩はその五劫の思惟の中で、衆生が心の中で仏を念ずることを基本とすると、意識が落ち着かず心があちこちに飛ぶので往生を遂げられない、と思われて、名号を本願として立てられたのです。

この名号はいかに心が乱れていても、称えることができます。名号を称えると、法蔵菩薩の昔の願に心を懸けようとしなくても、自然に、これこそ本願であったと、と気づかされるのがこの名号です。

従って、念仏する時はことさらに、法蔵菩薩の本願を心に懸けなければならない、と思う必要はありません。

➡「同一念仏」

インフルエンザで熱を出せば、意業としての信心は何処かへ飛んで(識揚神飛)いってしまうのであった。
加齢によって、娑婆の知人より西方仏国へ移住した知り合いが多くなるのだが、「同一念仏 無別道故」と、倶会一処(ともに一処に会することを)得る世界観を持てることは有難いこっちゃな。

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空過

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三十年程前に、初めて深川倫雄和上の法筵(仏法を説く説法の席)に座した帰りの車の中で、家内が突然「空過」って恐ろしいことよね、というので脳内のニューロンが発火したことがあった。

本願力にあひぬれば

むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて

煩悩の濁水へだてなし

であった。
「観仏本願力」

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なぜ往生浄土なのか

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浄土真宗では、二種深信といい信心獲得をうるさく説く。あまつさえ信心を得させる為に信心がなければ地獄へ堕ちるとまで説いてきた。
このせいで、越前では信心に狂奔して、「二種深信」の機の深信を罪業の自覚であると捉え(握りこみ)、自己の真相を知ることを機の深信だと思い込んでいた人が多かった。

時々、ご法義に関して家の爺さんを尋ねてきた人がいた。その中で、自分の胸を叩き、ここが聞いてくれません、ここが聞いてくれません、と、自からの胸をかきむしった高齢女性が、じいさんとの談合で見かけたものであった。いわゆる自覚としての信と賜りたる信心を混同していたのであろう。
昔の浄土真宗では、俗諦と真諦ということを説き、生きる上での俗諦の悩みと、真実報土へ往生する阿弥陀仏の真諦の教説をうまく分けて説いていたのだが、坊さんがなんまんだぶを称えて西方仏国へ往生するお勧めを怠ってきてから、浄土真宗は、俗諦の「こころ教」や「いのち教」になってしまったのは残念ではある。

そもそも論だが、我々はなぜ往生浄土を目指すかといへば、御開山は引文されておられないのだが『往生要集』では『淨土十疑論』を引いて、

「浄土に生れんと求むる所以は一切衆生の苦を救抜せんと欲ふがゆゑなり。 すなはちみづから思忖すらく、〈われいま力なし。 もし悪世、煩悩の境のなかにあらば、境強きをもつてのゆゑに、みづから纏縛せられて三塗淪溺し、ややもすれば数劫を経ん。 かくのごとく輪転して、無始よりこのかたいまだかつて休息せず。 いづれの時にか、よく衆生の苦を救ふことを得ん〉と。 これがために、浄土に生れて諸仏に親近し、無生忍を証して、まさによく悪世のなかにして、衆生の苦を救はんことを求むるなり」と。 {以上}余の経論の文、つぶさに『十疑』のごとし。知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。(要集 P.930)

と、業因・華報・果報・本懐を示し、衆生を利益することを往生浄土の本懐であるとされていた。「願作仏心」「度衆生心」の他力の菩提心釈の淵源であった。
そして、その浄土へ往生する唯一の業因は、口に称えられるなんまんだぶであった。ありがたいこっちゃな。

「浄土の菩提心」

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行信不離

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御開山は「信の一念行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし」(p.749)と信と行(なんまんだぶ)は不離であるといわれていた。
しかし、当時も信心を強調するあまり、念仏(なんまんだぶ)を称えて往生すると念仏往生と信ずるものは辺地の往生だ、信心が正因なのだと非難する輩がいた。そこで関東の門徒はこの疑問を御開山に問い合わせたので、御開山は『御消息』(p.785) を出して、その誤りをただしておられた。

尋ね仰せられ候ふ念仏の不審の事。念仏往生と信ずる人は、辺地の往生とてきらはれ候ふらんこと、おほかたこころえがたく候ふ。そのゆゑは、弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。{後略}

愚直に、なんまんだぶを称えて往生を期している人は、本願に選択された念仏往生の願を信じてなんまんだぶを称えているのだから、行と信は不離である。しかしてご法義を難解にして形而上的な信心を説く輩はこれがワカランので困ったものである。
この意を、WikiArcに梯實圓和上の講義録から抜書きしてみた。

トーク:行信不離

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文化の日

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文化の日とは、明治天皇の誕生日である明治節であった。

日本の文化は、日本独自の文化の濫觴を経て明治期に西欧文明との邂逅によって開花した。当時の日本人は和魂洋才として、和魂としての「文化」と洋才としての「文明」の違いを認識して西欧文明を取り入れたのだが、大東亜戦争(アジア植民地解放戦争)に負けてから、日本文化も西欧文化に敗北してしまったようにみえる。
末木文美士氏は、

かつて浄土が死者を受け入れる場であったが、今では多くの日本人が死んだら天国に往くと言う。そこには死生観の大きな断絶があると思われるが、いつ、どうしてそのような転換が起こったのだろうか。そんな問題に関心を持つ研究者や知識人はほとんどいない。死を論ずる人はいても、死後や死者の問題は公的な場ではタブーとなってきた。そんなことを語るのは無知で迷信的な庶民であり、近代的な欧米の学問を身に付けた知識人にとっては恥ずかしいこととされた。
いつの頃からか、「永眠」というきわめて冷たい言葉で死者を突き放すのが、当たり前になった。死者はただ眠っていればいい、生者の世界とは無関係だ、というのである。広島の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」という有名な言葉が刻まれている。その決意は潔いものの、やはりそれでいいのだろうかと思わないわけにはいかない。実際、それ以後も随分と「過ち」を繰り返してきているのだから、死者はとても「安らかに眠って」はいられないであろう。

と述べていたが、とある浄土真宗の葬儀後の会食のあいさつで若い喪主が、今日は皆さんがおいでになって父親も天国でよろこんでいます、という語に接して小便を漏らすほど驚いた。後で喪主を別室によんで、あんたの父ちゃんは浄土真宗のなんまんだぶを称えた門徒やさけ、天国という迷いの世界ではのうて、あらゆる煩悩の火の滅した、お浄土からオメの来るのを待ってるんにゃぞと、六道の話をし、神の世界である天国も迷いの世界であると話したらみょうに納得したことであった。

ともあれ、文化と文明は違う概念なのだが、今日は日本国憲法公布の日であった。
護憲派の左巻き坊主は、歴史を時間というカンニングペーパーで語るのだが、浄土真宗に於ける文化とは、なんまんだぶを称えて西方仏国へ移住するという文化であった。
と、いうわけで、WikiArcの冒頭に、

生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。

と、追記してみた。どうでもいいか(笑

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