浄土真宗では「念仏者」という言葉が死語になってしまった。
そこで、WikiArcに「念仏者」といふ名目を追記してみた。
→「念仏者」
浄土真宗では、信心を強調するあまり、仏法の「法」の示す「行」である、なんまんだぶと称える「行法」を説かないから衰退したのだろうと思ふ。
信心を強調して説く法話は、ある意味では心の持ち方といふ今はやりの「こころ教」になり果てているのであろう。
また安易に「行」無き「信」を説くから、門徒は、御開山のあかされた「大行」としての〔なんまんだぶ〕の意義を見失っているのであろう。
ともあれ浄土真宗に於いて「念仏者」という語が死語となって久しいのだが、浄土真宗は、御開山が、
念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ
と、示されたように「念仏成仏」の法義を真宗といふのであった。
なんまんだぶを称えることは、私にわけや意味や用事があるのではなく、阿弥陀如来の方に意義や意図があるのであった。これを本願力回向ともいふのであった。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ