武漢肺炎ウィルス(COVID-19)禍について思ふのだが、死なないように生きるといふことは不可能である。厚生労働省の2019年の人口動態統計によれば、昨年は138万1098人の方が亡くなっている。この死について第1位は癌(37万3,178人)、第2位は心疾患(20万4,203人)、第3位は脳血管疾患(10万9,844人)と死因が挙げられている。しかし仏教的視点では、これら死因とは、死の縁無量なり、といふように死の縁であり因ではない。仏教での死の因とは「生まれたから」であり、生まれたからには死ぬのは必然であり、これを仏教では因と果といふのである。
本願寺派では、宗教の視点から以下のようなメッセージポスターを作製している。浄土教として古来から死ぬことの意味を追求してきた浄土真宗らしいメッセージで門徒として好感がもてるポスター標語ではある。
【メッセージ文について】
この言葉は蓮如上人(れんにょしょうにん)の『御文章(ごぶんしょう)』4帖目第9通(『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』1181頁)をもとにしています。蓮如上人がその『御文章』をお書きになったのは、延徳4年(1492)6月のことです。それは、疫病(えきびょう)が流行して多くの人々が亡くなっていった年でした。
『御文章』のなかで蓮如上人は、「このごろ疫病が流行し、多くの人々が亡くなっておられます。しかし、人は疫病のせいで死んでしまうのではないのですよ。死ぬということは生まれたときから定まっていることであって、それほど驚くことではないのですよ」(取意)といわれます。思わず「えぇ?!」と思うような内容です。
いま現在、世界中で新型コロナウイルスに感染して多くの方が亡くなっておられることを思うと、たいへん厳しい言葉です。しかし、蓮如上人は、決して、亡くなった方やその家族の心情を無視されたわけではなく、また、医療の努力を無駄なことだとしてこのようなことをおっしゃったのではありません。蓮如上人自身、病気などで何人もご家族を亡くされた方ですので、その悲しみは深く知り抜いておられたはずです。それを踏まえると、この言葉には、「私が、いま、ここに生きているということの根底を見つめることが大事ですよ」という思いを受け止めることができます。
人間に限らず、この世に生まれてきたものは、いつか必ず死にます。私たちはそれを当たり前のことと思っていますが、実際には、それを忘れて日々の生活を送っています。いつ、どこで、どのような形で死がおとずれるかも知らず、いざ、自分や家族に死が迫ってくると、その現実のありように恐れおののくのです。
『御文章』では、先の言葉に続いて、「そのようなものをこそ必ず救う」とはたらき続けてくださる阿弥陀(あみだ)さまの救いが示されています。そして、阿弥陀さまの救いにおまかせして、お念仏を申す生き方をお勧めになっているのです。➡新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター
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2020年7月19日 12:39 PM
お世話さまです。
コロナ禍で人生影響ありまくりではありますが、影響ありまくって悩む私への本願のかたじけなさよ、であります。
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
2020年7月21日 1:23 AM
凡夫の定義の一つに「畏怖心の去らぬ者」とあとあります。
その凡夫を目当てのご法義ですから、不安の中にあって、その不安ごと済度される行と信があったのでしたのでしょうね。
「畏怖」
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E6%80%96%E7%95%8F
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
2020年7月28日 8:31 AM
今回の記事は、娑婆世界と宗教界を結ぶ記事として、解りやすく想う。
皆に訴えるものなければ自慰行為と受け取られる。
社会に眼を向けるのは大切なことだ。
なんまんだぶ ありがたい