真如法性などといふことを論ずると、深川倫雄和上から、おまえはイランことを言うなと怒られそうだが、昔の布教使は金(真如)と、それが獅子といふ具象化に形を変えて衆生に分かり易く届けられる、なんまんだぶの話をしていた。
金と金で作られた獅子の話は、賢首大師法蔵と則天武后の逸話で有名である。
以下、稲城選恵和上のご法話から引用。
そこでね、『教行信証』を見ますとね、教・行・信・証の四法には、全部真如がついとるんです。「教の巻」にはありませんが、「行の巻」にも、「信の巻」にも「証の巻」にも全部、真如法性と出て来るんです。教は、『愚禿鈔』に、「一実真如の道」とあります。ですからね、教・行・信・証のものがらを言うたら、みんな真如ということになります。これは、丁度こういう事じゃろな。
金の塊をね、子供にやるんです。あんまり喜ばんね。そこで、金の塊を獅子のおもちゃにするんです。おもちゃじゃったら、二つや三つの子供にも通じましょう。ところが、獅子のおもちゃに加工しても金ですからね。ですから、子供は獅子のおもちゃを受け取るままが、金を受け取っておることになりますね。ですからね、御念仏は、真如法性の金のままが、私の世界にちゃんと今はたらいとるという事なんです。そうするとこれは、法がはたらくんですから、信も私がする信じゃないんですよ。私のものは、一切これはね、この手あかがつけられん事になっとる。それが浄土真宗ということですね。それが『教行信証』の内容になっとるんです。(稲城選恵 深川倫雄『如来をきく』探求社p.112)
御開山は『一念多念証文』で、
と、称に「となふる」「はかり」という二義をあげられていた。(→称)
少しく浄土真宗のご法義を聴くと、信心、信心と煩いので、まるで浄土真宗はキリスト教のように信を説く宗教だと誤解する輩が多い。
法然聖人は、
かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし。
又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあてをき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。(和語灯録p.633)
と、仰せであった。これが御開山の仰る「行信不離」であった。
→「行信不離」
信心に惑いてなんまんだぶを知らない人には、前掲の『如来をきく』に説かれていた稲城選恵和上のご法話が参考になるかもである
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
« Prev:深川倫雄和上の謦咳 負の連鎖:Next »
2020年8月16日 6:07 PM
こんにちは。初めてコメントをさせていただきます。
WikiArcの安心論題二十五題の「利用者:林遊」のページにある
「法然聖人の他力思想」のページのことでお伺いしたい事があり
ます。
全分他力のことを調べていてこのページをある方から教えていた
だいたのですが、1か月以上も要してようやく読み終えました。
そして、気になっていたのですが、何故このページの最初に第四章
と記載されているのか教えていただきたく連絡させていただきまし
た。第一章からはどのようになっているのか気になりましたので。
http://u0u1.net/Xz1W
2020年8月16日 10:54 PM
ども、林遊@なんまんだぶです。
ページの最初に第四章とあるのは、表題に、
梯實圓和上の名著の一つである『法然教学の研究』から
と、あるように『法然教学の研究』1986/7/20発行の第四章からの抜粋だからです。
なお、全分他力は部分他力に対する語です。鎮西浄土宗では、聖道門は「自は強く他は弱し」とし、浄土門は「他は強く自は弱き」とし、自力と他力が相俟って救済が成立すると主張していました(選択伝弘決疑鈔 良忠)。
『選択伝弘決疑鈔』の該当部の抜書は、WikiArcの「宿善」の項の下部を参考にして下さい。
なお、浄土真宗で全分他力といふ場合は、西山派の証空上人の全分他力の用例と少しく違って、阿弥陀如来の本願力回向を全分他力の義として使います。
実は、浄土真宗では覚如上人以来、西山派の用語を借用して意味を変えて使っている場合があるので、御開山の仏教思想をよく理解して使うべきだと思っていたりします。
『法然教学の研究』の抜粋の一部は以下のリンク先にもUPしてあります。
http://wikidharma.org/59349eb8a3486
なお、林遊は在野の一門徒であり、自分の学びと記憶用にネットを利用していますが、自分の知っていることはお答えできるかも知れません。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
2020年8月17日 9:24 PM
こんばんは。早速のお返事有難うございました。私自身は、ネットは目が疲れて、ずっと座る時間が多くなるので、できるだけ見ないようにしています。数少ない検索ですが、「WikiArc」は、とても有難く見させていただいております。誤字も無くとても信頼できるところです。
「全分他力」という言葉を聞いたとき、何故に「全部」ではなく「全分」なのか、という単純な疑問からでした。それを辿る中で、西山派というものがあることも知り、意味合いも違うことを知り、読むのにとても時間がかかってしまいました。今後ともよろしくお願いします。