「教文類」の真宗大綱に、
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
「教文類」p.135
「教文類」p.135
とあり「浄土文類聚鈔」には、
しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また浄信あり。
「浄土文類聚鈔」p.475
「浄土文類聚鈔」p.475
とあり、浄土真宗とは本願力回向の法義であり、往相、還相といふ二利(二つの利益)を示す宗教であった。
ところで本願寺教学は、覚如上人、蓮如さんの教学に依拠しているので、御開山の展開された「還相」の意義を説くことは少ない。その伝統を承けた坊さんはやたらに「信心」を強調するのだが、その信心の目指す界(さかい)の意味を説くことはほとんど無い。
御開山は関東の同行に宛てたご消息の中で、
浄土真宗は大乗のなかの至極なり。
「御消息」p737
「御消息」p737
とされておられた。この「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」とは、
➡「上求菩提 下化衆生」
の大乗の菩薩道を指すのであった。
御開山は、その大乗菩薩道を還相として、往相(浄土に往生する)の目的とされたのであった。
還相の利益は利他の正意を顕すなり。
「証文類」p.335
「証文類」p.335
である。
井筒俊彦氏は、言語的意味のカルマ(=長い歳月にわたる歴史的変遷を通じて次第に形成されてきた意味の集積)といふ視座を示していた。ようするに仏教語は長い歴史の中で育まれた意味の集成といふ意味であろう。
御開山は『唯信鈔文意』の極楽無為涅槃界釈をされておられたのだが、
「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。「唯信鈔文意」p.709
の列名の意を梯實圓和上の講義から、窺ってみよう。
「梯實圓師講義 還相回向論【4-4】」
https://youtu.be/A7_J_5rmooc?t=3630
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