註釈版に未記載の文献

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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しばらくFBでのみ書き込みしていたので当ブログがお留守になった。

また、本願力のサイトにUPしてあった、SAT(大正新脩大藏經テキストデータベース)からの『西方指南鈔』や『和語灯録』等を校正してWikiArcにUPした。これは本願寺派の『浄土真宗聖典全書』記載の文によって校正したものである。少しく時間を要したが校正漏れも多いと思ふ。➡『浄土真宗聖典全書』
そしてWikiArcの目次に「註釈版に未記載の文献」といふメニューを追加した。この目次から各文献にアクセスすることが出来る。
➡「註釈版に未記載の文献」
梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、仰っておられた。
『西方指南鈔』は、御開山の著述だが、浄土真宗では法然聖人の語録であるとしてあまり取り上げられることはなかった。また浄土宗の側では親鸞の著述であるとして関心を持たれることはなかった。
また、醍醐本『法然聖人伝記』は大正6年に発見された書であり、『三部経大意』は昭和8年に公開された書であったから、浄土真宗の先人は両署を見ずに、法然聖人の思想と御開山の思想との関係を乖離させてしまったのだろう。
信心正因 称名報恩説は、本願寺派の常教だが、これは御開山の立体的な重層構造の一端を取り出したものであり、このテクニカルターム(術語)だけで、御開山の仏教思想を捉えようとすると。なんまんだぶ抜きの観念の信心になるかもである。

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