本願寺派に於ける教学論争としての「三業惑乱」は、いわゆる新義派と古義派の教学論争であった。この論争が本願寺派内では収拾がつかず、為政者(権力者)である幕府の介入によって裁断された《恥の歴史》がある。
「三業惑乱」
現代の「令和の領解文騒動」では、龍谷門主 釋専如が発布した「新作エセ領解文」を新義派とし、我々門徒が「領解文」制定以来、口にとなえ耳になずんだ「伝統真正領解文」を古義派とすることも可能だろう。エセとは似非(似てはいるが本物ではない、にせものであること)である意である。
このような新旧対立の場では、御開山が説かれた浄土真宗の教義に無知な新義派の坊主(宗教貴族)は宗門の権力を握っているから、宗義を混乱させたとして個人攻撃をするであろう。深川 宣暢和上への監正局への懲戒申告もその例である。
これは「法規上の訴え、懲戒、係争又は紛争、秩序保持並びに財産の管理及び経理の運営に関する審判と監査機関である「監正局」と国家類似の権力分立の形式を採用している。」
これは大事なことであるが、御開山は「信巻」末で、永観師の『往生拾因』を引いて「和合僧を破す」ことを「五逆」とされていた。
「五逆追釈」
その意味では、今回の「平成領解文騒動」は、なごやかな浄土真宗の僧俗の門徒に新義としての「新作エセ領解文」を提起して門徒に唱和させるといふ企みは、教団の和合一致を破壊し、分裂させる「破和合僧」といふ五逆罪であろう。
「五逆罪」
龍谷門主 釋専如さんは、「新作エセ領解文」によって「破和合僧」といふ状況を惹起したことに責任を持つべきである。
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