今回の「平成領解文騒動」について、曲学阿世(学問の真理にそむいて組織におもねり、宗務権力に気に入られるような説を唱えること)の輩がいる。いわゆる仏法中の「獅子身中の虫(仏教を貶めるのは異教徒ではなく仏教徒自身であることの喩え)」である。
このような浄土真宗内の「獅子身中の虫」の輩は、門主といふ権威におもねる為と自己の保身の為に「平成似非領解文」を無理やり「会通(経論釈等にみられる一見、相反する説示について、それらの説示を矛盾するものではないと解釈すること)するのであった。」
浄土真宗の研究所長である満井秀城氏は、門主や本願寺といふ組織におもねる為か、宗派の学習会で講義を担当して、浄土真宗の凡夫の宗義にはありえない『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』といふ論文を発表し無理やり「会通」したのだが自分のご信心に照らして恥ずかしくないのだろうか。
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