名号(みょうごう)

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

名という漢字は、夕+口の会意で出来ている。
夕方の暗闇で、人に自分の名を名のることにより、名(な)の意をあらわすことから出来た字だそうである。号は、口と音符号(ごう=名をあらわす)形声文字であり、呼ぶとか呼びかけるという意があり呼び名を意味する。

浄土真宗の先輩の門徒方は、南無阿弥陀仏という名号を、いのちの親さまである阿弥陀如来の「お名乗り」であると示して下さっていたものである。
なんまんだぶの名号とは仏の「名のり」であり、阿弥陀仏のさとりの世界(=浄土)からの仏を示す名のりであり、それはそのまま真実界からの「欲生我国(わが国に生ぜんとおもえ)」の喚び声である。煩憂悩乱の生き方をしている者に対して、我が、いのちの親なのだよという浄土からの名のりであろう。
浄土真宗のベテランの門徒が、阿弥陀如来を「親さま」と呼称するのもその意である。
その親さまの名前は、なんまんだぶなのであった。梯和上は「いのちの親」という表現をされたが、なんまんだぶを称える行為は、いのちの親との親しき交流でもあった。それが、往生浄土の真実の宗(=教法)なのであるが、頭の悪い「智愚の毒」に侵された大谷派の社会参画派の真宗坊主は、「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまると」『浄土宗大意』という教説が判らんので困ったものだ。
ともあれ、浄土真宗に於いて、何故か、なんまんだぶという名号について考察した論文はあまりないので、『浄土系思想論』鈴木大拙著の「名号論」をUPしてみた。

大拙師は禅門の方であるから、少しく禅門風の主客未分の経験的一元論で見ている視点もあるのだが、なんまんだぶという称名の位置づけを展開してくれるのはありがたいことではある。
このご法義の先輩である物種吉兵衛(1803~1880)さんは、

聞けばわかる。知れば知れる。聞こえたはこっち。知れたはこっち。
こっちに用はない。聞こえたこちらはおさらばと捨てる方や。用というのはワリャワアリャ(我や我や)と向こうから名乗って下される。

といったそうであるが、まさに、なんまんだぶとは親さま(阿弥陀如来)の、名乗りであろう。
御開山が南無阿弥陀仏の六字釈で、「是以 帰命者本願招喚之勅命也(ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり」とされた所以である。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
リンク:浄土系思想論─名号論

垂名示形 (名を垂れて形を示す)

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

浄土真宗では、なんまんだぶを「垂名示形」(名を垂れて形を示す)と表現する。
形なきものが名をあらわして形を示すとは、『一念多念証文』で、

一実真如と申すは無上大涅槃なり。涅槃すなはち法性なり、法性すなはち如来なり。宝海と申すは、よろづの衆生をきらはず、さはりなくへだてず、みちびきたまふを、大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。
この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。
これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。
この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。(*)

と、いわれているように、「かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり」である。この「御な」を称え聞く南無阿弥陀仏という可聞可称の行法が、浄土真宗に於ける本願力回向の「大行」なのである。可聞可称であるから「なんまんだぶ」なのである。

ともあれ、このように名(ことば)の流出する場の形而上の考察について、井筒俊彦氏の書かれた『意識の形而上学』の、イスラム神秘学の哲学者イブヌ・ル・アラビーに対する考察は面白かったので一部を抜粋してリンクしておく。
もちろん、氏の言うように「それぞれの術語の背景にある言語的意味のカルマが違う」ので、同値することは出来ないのだが、イスラム・スーフィズム(イスラームの神秘主義哲学)の、神との一体化を求める発想に、他力という「本願力回向」の、なんまんだぶのご法義の意味を思ったことである。

御開山は、「行巻」で「重誓偈」を引文して乃至され《聞》ということを強調しておられるのも、

我至成仏道 名声超十方
われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。
究竟靡所聞 誓不成正覚
究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。(*)

《聞》によって開かれる領域を示そうとされたのであろう。聞くことによって信知するから「聞見」とされる。このような名(みな)による救いをいわんとして、元照律師の、

 「いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり」(*)

の「我弥陀 以名接物(わが弥陀は名をもつて物を接したまふ)」文を引文された意(こころ)であろう。
「私の口に なんまんだ仏 と称えられている事実に、驚くことが信心ですよ」、と聴いたことがあったが、ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
リンク:『意識の形而上学』

夜明けさしてもろたかや

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
3

FBで、夜明け云々という表現があったので、仏教SNS「なむなむ」に記した文章をサルベージ。

>>引用開始
夜明けさしてもろたかや

時々昔の年寄りの会話を思い出すのだが、ご法義のご示談の場で上記のような言葉をよく耳にしたものだ。

ご示談とは、お互いが阿弥陀如来の救済について語り合うという意味。
報恩講の時などはお寺に泊まるのだが寒いので、本堂で布団を被って火鉢を囲み話し合っていた年寄りがいたものだ。

また、3食分の弁当とか米や副食を用意して篤信家の人の家を尋ねて、夜明かしでのご示談もあった。

夜明けさしてもろたかや、とは真宗宗歌にもある「とわの闇より すくわれし」ことの表現である。
夜明けしましたか、ではなく、さしてもろたかという受動表現をとるのが他力のご法義の特長であろう。

もちろん、夜明けさせてもらうのは阿弥陀如来の本願力である。
より端的にいえば名号である、口に称えられる、なんまんだぶであろう。

なんまんだぶが林遊の口から称えられている事を、回向されたご信心というのだ。
頭の悪そうな者は、信心決定とか信心獲得とかを喧しくいうそうだが、そもそも信心って何?と聞いても答え切る人に会ったことはない。あほである。

夜明けさしてもろたかや

『安心決定鈔』に、

たとへば日出づれば刹那に十方の闇ことごとく晴れ、月出づれば法界の水同時に影をうつすがごとし。月は出でて影を水にやどす、日は出でて闇の晴れぬことあるべからず。かるがゆゑに、日は出でたるか出でざるかをおもふべし、闇は晴れざるか晴れたるかを疑ふべからず。

と、あるが、太陽がのぼれば夜の闇は去るのである。
心の闇が去るから日が昇るのではない。

日が出るから闇が開けるのであって、断じて闇が開けるから日がのぼるのではない。

夜明けさしてもろたかや

はい、なんまんだぶつが出来上がったから、林遊の案じることではありませんでした。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、やったね。
>>引用終了。

生きる意味とか死ぬる意味とか、百年考えても答えがでない問いなのだが、親鸞聖人が示して下さったのは、如実修行相応の、なんまんだぶであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

畏怖心の去らぬ者

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

凡夫の定義に「畏怖心の去らぬ者」という言葉がある。
生きることに怯え、びくびくおどおどとして生きる者を凡夫というのである。
ようするに、あり得べき生き方の方向が見出せないから不安にさいなまれ、畏怖するのであろう。
法然聖人は、そのような「畏怖心の去らぬ者」に対して、

ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。『和語灯録』「往生大要鈔」

と、「こゑについて決定往生のおもひをなすべし」と示して下さった。
なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この自らの耳に、なんまんだぶと聞こえる声について往生が決定したとおもえということである。凡夫は、自らの力では、生きることの意味や死ぬことの意味が判らない。その凡夫に対して、お前の人生は仏陀のさとりの世界である浄土へ往生する為の生であるというのである。
梯實圓和上は、この「こゑについて決定往生のおもひをなすべし」の法語を引いて、なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この耳に聞こえる なんまんだぶは、阿弥陀様が大丈夫だいじょうぶと仰っている仏のみ言葉なのですよ、とお示しくださったものだ。

日本語の、事(こと)は言(こと)に通じるのだが、念仏(なんまんだぶ)は、まこと〔言〕に、大丈夫のこと〔言〕ではあったな。なんまんだぶと称えるなかには、無畏施という恐れなき心を施すという意味も内包している南無阿弥陀仏ちゃあ、ありがたいこっちゃな。

と、いうわけでWikiArcの→「怖畏」に追記をした。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

指月の詩

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
1

因指見其月
 指に因って その月を見
因月弁其指
 月に因って その指を弁ず。
此月与此指
 この月とこの指と
非同復非異
 同じに非ず また 異なるに非ず。
将欲誘初機
 まさに初機を誘(いざな)わんと欲して
仮説箇譬子
 仮に箇の譬子(ひし)を説く。
如実識得了
 如実に識得しおわれば
無月復無指
 月もなく また 指もなし。

「意訳」
指で月を示すとも月で指を知るとも考えられる。
この場合、月と指は同じものではないが、さりとてちがったものでもない。
この比喩は初学者を導くため、仮に説かれるのだが、その道理がそのままわかれば、月もなく指もなく、本来無差別なることを会得するだろう。『良寛詩集』東郷豊治編著

 

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

元照律師の浄土教帰入

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

御開山は元照律師の『阿弥陀経義疏』等を引文されておられる。
「行巻」で引文する、

いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。(p180)

の文は、可聞可称の法として、なんまんだぶを述べておられるのがありがたい。
元照律師は、死後の安楽を願わず、何度も苦の娑婆へ生まれ変わって衆生を救済したいとの願いをもっており、当初は浄土教を見下していた。
しかし、自分が病に倒れてから分段生死でしかない己の現実に気付いて浄土教に帰したそうである。
それには、伝智顗撰(伝とは智顗撰として伝えられているという意で真撰ではないということ)とされる『淨土十疑論』が大きい影響を及ぼしたそうである。
源信僧都も『淨土十疑論』を引き、

つぶさに『十疑』のごとし。 知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。(七祖p930)

と、浄土へ往生する所以は、業因、華報、果報、本懐をあげ、往生浄土の最終目的は衆生を利益することであると云われている。
御開山も「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり」とし、「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり」p834と、仰ったと『歎異抄の』著者は述べている。
最近の法話では、ひたすら救いを強調し、往生浄土ということをあまり言わない風潮があるのだが、浄土真宗は往生浄土の真宗である。《生きていることに意味があるように、死ぬることにも意味がある》、というのが浄土を真実とする宗というご法義であった。浄土へ生まれ仏に成ろうとする「願作仏心(横超の菩提心)」は、阿弥陀如来の「度衆生心」の林遊に於ける顕現であり、この如来の「度衆生心」が、林遊においての「願作仏心」としての他力の《ご信心》であった。巷間でいわれる、まるで金魚すくいのようなご法義ではないのである。

(18)
願作仏の心はこれ
度衆生のこころなり
度衆生の心はこれ
利他真実の信心なり

(19)
信心すなはち一心なり
一心すなはち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなはち他力なり

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://www.tais.ac.jp/related/ex_org/publishing/pdf_periodical/r34/34-g_yoshimizu.pdf

浄土系思想論

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

高校生の頃か、爺さん(父親)の本箱にあった『親鸞の世界』という本を読んで、鈴木大拙師に興味を持ち、時折禅関係の本を読んでいたものだった。
ふと思ひ出して本棚から『浄土系思想論』を引っ張り出して読んでいるのだが、ドグマ化という視点で面白い文章があったのでUPしてみる。ドグマとは教義という意味だけど、それに囚われて教条主義に陥り自己で解釈することを放棄した立場をドグマ化という言葉で表現した。

 浄土は地球上の存在でない、弥陀は歴史上の人物でない、それ故、論理や科学で浄土や弥陀の有無を論ずべきでないと、正統派の真宗学者はいう。しかしこれだけでは知識人を納得させるわけに行くまい。歴史というもの、科学というもの、空間・時間というものを認めて、そしてそれから出るとか、出ないとか、それに依るとか依らぬとかいってはいけない。今一歩進んで、その歴史・科学・時間・空間等というものは何だということを究めてかからねばならぬ。
何故かというに、宗教生活・宗教意識、または仏教体験・真宗信仰なるものは、対象界を対象界と認識して、その上に出来たものではないのである。始めから超因果・超論理のところにいるのである。空間や時間の世界のまだ出来ぬさきのところに動くものが宗教なのである。それ故、宗教をさきにして、それから因果界に出なくてはならぬ。それを本にして論理を作らなければならぬのである。
それを見ないで、まず科学とか歴史とかを認めて、それから話を進めようとするところに、その人の非論理性があると考える。論理は当にそんな論理を言い得ないところから始められなければならぬ。

 自分等から見ると、真宗の学者は余りに宗学なるものに囚えられている。宗学成立以前に遡ることが出来ないと、宗学そのものもわからぬかとさえ思うのである。体系が出来上がると、その事実は吾等に対して異常な圧迫力をもつ。吾等のすべての思索は、その方法と内容とに於いて、それからの指図を仰ぐことになる。即ち吾等は体系の奴隷になる。先覚者のこしらえた特殊の思想的体系に対してのみならず、この自然的環境及び歴史的環境なるものに対しても、また吾等は甘んじてその奴隷となる。環境たるものに対して独自の思索をやらずに、隣の人や向いの人のいうことをそのままに受け容れて、山が高いとか、風が吹くとか、戦があるとか、千年、二千年の歴史がどうのこうのということになっている。
それも便利には相違ないが、それがため吾等はどんなに錯誤──種種の意味に於いて──を犯して、それから不安の夢に襲われているかわからぬ。一般的なことはとにかくとして、浄土教だけの中の話にしても、先進の学者が編み出した体系に吾等はどれだけ恵まれているかわからぬと同時に、どれだけまた禍せられているかもわからぬ。

 正統派の学者達は出来上がった御膳立を味わうことに気をとられて、そのものがどうしてそう組み上げられねばならなかったということを問はないようである。つまり自己の宗教体験そのものを深く省みることをしないという傾向がありはしないだろうか。お経の上で弥陀があり、本願があり、浄土があるので、それをその通りに信受して、自らは何故それを信受しなければならぬか、弥陀は何故に歴史性を超越しているのか、本願はどうして成立しなければならぬか、その成就というのはどんな意味になるのか、浄土は何故にこの地上のものでなくて、しかもこの地上と離るべからざるくみあわせにたっているのかというような宗教体験の事実そのものについては、宗学者達は余り思いを煩わさぬのではないか。浄土があり、娑婆があるということにたっている。──
これをその通りに受け入れる方に心をとられて、何故自らの心が、これを受け入れねばならぬかについて、反省しないのが、彼等の議論の往往にして議論倒れになって、どうも人の心に深く入りこまぬ所以なのではなかろうか。始めから宗学の中に育ったものは、それでも然るべきであろうが、どうも外部に対しては徹底性を欠きはしないだろうか。『浄土系思想論』p.331~333

初稿が昭和17年の書籍だから、現在の状況とは違うかも知れないのだが、一部の僧分には、依然として何故に浄土真宗であらねばならないかという自己を主体とした考察もなく「出来上がった御膳立を味わう」だけの者がいるのも事実である。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

不道、不道(言わない、言わない)

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
1

当ブログの音声法話にある、梯和上の法話中の「道吾と漸源のエピソード」をUP。
二十代の頃に、この『碧巌録』の話を読み、不道ってどういう意味か判らずに辞書を引いた覚えがある。そして、道という漢字には「いう」という意味があることを知った。報道という熟語がある。
後年、仏道の翻訳語として、道には菩提とか智慧という意味もあることを知ったのだが、日本人は漢字を使っているくせに、漢字の意味を知らないということを痛感させられたものではあった。
と、いうわけでWikiArcの「道」の項に追記した。(*)

『碧巌録』五五の道吾と弟子の漸源の会話。

道吾與漸源至一家弔慰。
道吾と漸源一家に至って弔慰す。
源拍棺云。生邪死邪。
源、棺を拍って云く、「生か死か?」。
吾云。生也不道。死也不道。
吾云く、「生ともいわじ死ともいわじ」。
源云。為什麼不道。
源云く、「なんとしてかいわざる」。
吾云。不道不道。
吾云く、「いわじ、いわじ」。
回至中路 源云。 和尙快與某甲道 若不道 打和尙去也.。
回(かえ)って中路に至って源云く、「和尚、快(速やか)にそれがしのためにいえ、もしいわずんば和尚を打ち去らん」。
吾云。打即任打。道即不道
吾云く、「打つことは即ち打つに任すも、いうこと即ちいわず」。
源便打
源すなわち打つ。
後道吾遷化。源到石霜擧似前話.
後に道吾遷化す。源、石霜に到って前話を挙似す。
霜云。生也不道 死也不道.。
霜云く、「生ともいわじ、また死ともいわじ」。
源云。 爲什麽不道。
源云く、「なにゆえにかいわざる?」。
霜云・ 不道不道。
霜云く、「いわじ、いわじ」。
源於言下有省.
源言下に省あり。
{以下略}

現代語訳

ある日、道吾は弟子の漸源を連れ、死者が出た家に弔慰に行った。漸源はその家に着いて棺を拍(う)って、「この人は生きているのか、それとも死んでいるのか」と、師の道吾に尋ねた。
道吾は「生とも言わない、死とも言わない」と答えた。
漸源「どうして言わないのか」。
道吾「言わない、言わない」。
寺へ帰る途中、漸源はまた問うた。
漸源「和尚、問に答えて下さい。もし言わなければ和尚をなぐりますよ」。
道吾が「なぐりたければなぐっても良いが、言わない」と言うのを聞いて、漸源は道吾をなぐった。

後に道吾禅師は死去した。
漸源は兄弟子の石霜のところに行って、この話をした。
石霜は「生とも言わない、また死とも言わない」と言った。
漸源「何故言わないのか」。
石霜「言わない、言わない」。
漸源は、この言葉を聞いて悟るところがあった。
{省略された部分の意味はネットで検索されたし、説明がめんどくさいから(笑 }

この語録を見ると、『論註』に唯一現れる曇鸞大師が影響をうけたといわれる僧肇の、
天地と我と同根、万物と我と一体、
という言葉が脳裏を横切るのだが、「若不生者 不取正覚」という第十八願の言葉はありがたいこっちゃなと思ふ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

本願の念仏

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

ご法話などで、本願の念仏という言葉をよく聴くのだが、どうも語っている坊さんが意味も解らずに喋っているような気がする。
ここでの本願というのは因願の《因》の意で、念仏は《果》である。因である念仏往生の願(第十八願)が成就して、果としての「なんまんだぶ」となったということである。林遊を拯済(じょうさい)する本願が、果の「なんまんだぶ」として可聞可称の法として、しあがったという名号(なのり)である。

だから、なんまんだぶを称えるということは、林遊を、煩悩の迷いから拯済する本願(法)が成就したという事を聞くことでもある。これを法然聖人は、

「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」(『聖全』四 p191 『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」)

と、云われたのであろう。なんまんだぶという「こゑにつきて決定往生のおもひをなす」のである。
深川和上は、「なんまんだぶの訳はな、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」ということだと示して下さった。
御開山は、『教行証文類』の六字釈で「しかれば南無の言は帰命なり」とし、ややこしい字訓釈を施して「ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり」と、南無(帰命)という言葉は、阿弥陀如仏が「よばふ(「呼ぶ」の未然形+反復継続の接尾語「ふ」)という意味であるとされたのも、法然聖人の意を継承された釈であった。
梯和上は、「なんまんだぶと称えることは、耳に、大丈夫、大丈夫と聞くことですよ」と示して下さった。これもまた、

「心の善悪をもかへり見ず、つみの軽重を沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと決定の信をおこすべき也」『聖全』四 p614 「浄土宗略鈔」)

と、「ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと決定の信をおこす」の、決定の信である、本願成就の、なんまんだぶであった。
林遊は、子供の頃から、ありもしない信心を求め拵えて、悩み苦しんできた多くの人を見ているせいか、いわゆる「信心正因」という信心をぶち壊し、とらわれのない虚空に解放し開放していく、なんまんだぶという声の荘厳が好きである。それが「触光柔軟」のとらわれのない「ご信心」であった。

ともあれ、本願の念仏とは、本願が成就したという名号(なのり)であり、その念仏が果となって成就したことを告げることが、なんまんだぶ、なんまんだぶと称え聞くことなのであった。これこそが、林遊を育ててくれた、野や山や市井で、なんまんだぶと称え、虚無の奈落へ堕ち、死ぬとしか思えない事象を「往生極楽」だよと「後生の一大事」を教えてくれた、なんまんだぶを称える一文不知の御同行・御同朋であった。

願もつて力を成ず、力もつて願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符ひて畢竟じて差はざるがゆゑに「成就」といふ。論註 P131

浄土真宗の坊さん方よ、安心とか信心は、なんまんだぶと称えられている上で論じる形而上の理であって、事の上の実践ということを忘れると、本願の念仏という因と果の願力成就という論理が解らないですよと強く思ふ。昨今は、御開山が示された、本願の信は、なんまんだぶと成就したということを聞くということが解らないからどうでもいいけど。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

八万四千の仮門

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

過日の「念仏会」での雑談の用語のまとめ。

通常、八万四千の法門といえば釈尊の説かれた全仏教を指す。八万四千という数は八万四千の衆生それぞれに対して、応病与薬(病に応じて薬を与える)に法を説かれたからとされる。
ところが御開山は不思議な言い方をされる。例えば『一念多念文意』で、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ、これを仮門となづけたり。p690

と、八万四千の法門を仮門とされるのである。このように言えるのは、

『観経疏』玄義分の、

「依心起於勝行 門余八万四千(心によりて勝行を起すに、門八万四千に余れり。)」p300

の、「門余八万四千」をどのように理解するかという法然門下の高弟達による深い考察があったからである。

さて、この、「門余八万四千」を幸西大徳は『玄義分抄』で以下のように釈された。

「門余八万四千」トイハ一乗ヲ加テ余トス。法華経の宝塔品、此ノ経ノ下品上生等ノ文ニ依ルナルヘシ」
この釈意を梯實圓和上の『玄義分抄講述』から窺ってみる。

{前略}
「門余八万四千トイハ一乗ヲ加テ余トス」というのは、門余と八万四千とを分け、八万四千を聖道門とし、余を凡頓一乗とするのである。これは『法華経』見宝塔品第十一(大正蔵九・三四頁)に、

「若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて人の為に演説し、諸の聴者をして六神通を得しめん。よくかくの如くすと雖もまた難と為さず。我が滅後に於て此の経を聴受し、その義趣を問はば即ちこれを難とす」

というものをさすのであろう。ここで八万四千の法蔵、十二部経の法門と、『法華経』を対照し、前者よりも後者の方が難であるということをもって、爾前三乗の法門に対して、法華一乗の法門の尊高を顕わしているからである。
また『観経』下品上生の文というのは、下上品の機がはじめに大乗十二部経の首題名字を聞いたが、千劫の罪しか除くことができなかったのを、善知識が教えを転じて阿弥陀仏の名を称せしめたとき、五十億劫の生死の罪を除いて往生を得ることが出来た。そして来迎の化仏は聞経の事を讃ぜず、ただ称仏の功のみを讃歎されたことをさしていた。このように聞経の善と本願の行である称名とを対比して、称名の超勝性を釈顕されている。この下上品の経意を「見宝塔品」と対照すれば、十二部経とは八万四千の法門のことであり、称名とは凡頓一乗の法門ということになる。
こうして幸西は、諸経に説かれた八万四千の法門は調機誘引の方便の法門であり、その行体は定散であるとし、『大経』に説かれた別意弘願の法門だけが究竟の真門であって、それを門余の一乗とよび、凡頓一乗とするというのである。それにしてもこの門余の釈が、親鸞の「化身土文類」要門釈(三九四頁)に「門余といふは、「門」はすなはち八万四千の仮門なり、「余」はすなはち本願一乗海なり」といわれた門余の釈と全く同じであったことがわかる。
{後略}

後年、日渓法霖師が、

今宗の学者、 大蔵中の三部を学ぶなかれ、 須く三部中の大蔵を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 謬れるというべし。 「日渓法霖」
といい、浄土三部経を根本とし、八万大蔵経を枝末であるとされたのも、このような意を顕わそうとされたのであろう。
ともあれ、御開山はこの門余の「誓願一仏乗」を

「選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。」p737

とされたのであった。
ようするに、選択本願念仏のなんまんだぶせんかいということである。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ