いわゆる日本教という視点

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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『ヨハネ福音書』の冒頭に、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」とある。言とはロゴスという意味だそうだ。身心(アジア風)または心身(欧米風)という人間の捉え方があるが、仏教では身・口・意という三つによって人間を把握する。身と心の他に口業(言葉)を重視するのが仏教の特徴でもある。そして、口によって語られる言葉を重視しながらも、なおその言葉によって言葉によって形成された概念からの呪縛を離れることをいうのが大乗仏教の思想である。

『歎異抄』の著者は、御開山から聞いたこととして、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。

と、いう。事(こと)とは言(こと)であり、そらごととは空言(そらごと)、虚言であり、まこととは真言(まこと)、信(まこと)、であり誠である。龍樹菩薩は言葉と言葉による概念化(ロゴス)を否定する「戯論寂滅」ということを示して下さった。いわゆる、縁起、無自性、空の思想である。
とまれ、FBで浄土真宗の本尊というタームがあったのだが、偶像について考察した古い記憶を想起して、本棚から山本七平氏の描く比較文化論の「日本人とユダヤ人」という本から記憶に残る一節をUPしてみる。

宣教師さん、日本教創世記、日本教イザヤ書はしばらく措き、日本教にはどんな一面があるか、ある事件を通じてお話しつつ、日本教『ヨハネ福音書』に進もう。
昔、あなたのようにはるばる日本に来た一人の宣教師がいた。彼がある日、銅製の仏像の前で一心に合掌している一老人を見た。そこで宣教師は言った「金や銅で作ったものの中に神はいない」と。老人が何と言ったと思う。あなたには想像もつくまい。彼は驚いたように目を丸くしていった「もちろん居ない」と。今度は宣教師が驚いてたずねた。「では、あなたはなぜ、この銅の仏像の前で合掌していたのか」と。老人は彼を見すえていった。「塵を払って仏を見る、如何」と。失礼だが、あなただったらこれに何と返事をなさる。いやその前に、この言葉をおそらく「塵を払って、長く放置されていた十字架を見上げる、その時の心や、いかに」といった意味に解されるであろう。一応それで良いとしよう。御返事は。さよう、すぐには返事はできまい。その時の宣教師もそうであった。
するとその老人はひとり言のように言った「仏もまた塵」と。そして去って行った。この宣教師はあっけにとられていたというが、あなたも同じだろうと思う。これを禅問答と名づけようと名づけまいと御随意だが、あなたの言った言葉は日本教徒には全く通じないし、日本教徒の返事はあなたに全くわからないということは理解できよう。禅の公案には何を素材に使っても良いのである。仏典でも、金銅仏でも、猫の首でも、いわしの頭でもよい。もちろん、聖書でもよいのだということを忘れないように。
日本人が、聖句を用いて盛んに禅問答をしても、驚いてはならない。そういう人たちは、日本教徒キリスト派といって、聖書の言葉で禅問答をやるのにたけている人びとであるから。
川端康成氏がハワイの大学で言ったことをお忘れなく。日本では「以心伝心」で「真理は言外」であるのだから。従って、「はじめに言外あり、言外は言葉と共にあり、言葉は言外なりき」であり、これが日本教『ヨハネ福音書』の冒頭なのである。くれぐれも忘れないでほしい。あなたの生きて来た世界がユークリッドの世界だと仮定したら、日本教の世界は非ユークリッドの世界である。ユークリッドの定理を非ユークリッドの世界にあてはめて、世にも奇妙な証明をやってみたところで、それは、非ユークリッドの世界に住む人間にとっては、ただただこっけいで無意味なだけだということは、前に引用した漱石の「屁」の勘定のところを、あなたに批評させたらすぐにわかることだ。批評してごらん、日本人はその批評を聞いてあなたを的確に量る。そしてそれでおしまいなのだ。

いわゆる日本の文化人という知識層は、自己の依って立つアイディンティティというものに対して無関心だ。いろいろ批判はあるが、イザヤベンダサンという、日本のいわゆる知識人の根底にある概念の宿便に注目を向けさせた、山本七平氏の「日本教」という切り込み面白かった。お聖教をも読まないあほな真宗坊主が、いわゆる社会という翻訳語の概念にあたふたしているのも、自己と自己を支えてきた文化に対する考察の不足であろう。
真宗開教区の職員が、なぜ、お仏飯はバターを塗ったトーストではいけないかを述懐していた記事を読んだことがある。
まさに前掲書にいう「お米が羊・神が四足」という東・西の宗教に対する思想の違いを彷彿させたタームであった。そして、何故日本人が、アメリカによる《米》開放とか、TPPに於ける《米》の自由化というものに抵抗するのであるかという、民族としてのアイディンティティの衝突を忘れているのが現代の日本人であり真宗坊主である。
日本の国の別名である「豊葦原の瑞穂の国」であるから、お仏飯は米でありえたのであるが、頭の悪そうな歴史を学ぶことのない真宗坊主は、ハラル(イスラム法に沿った)によって処された羊の頭をお仏壇に供える事態も想定しなければいかんな(笑

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お念仏を頂く

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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昔の同行は、お聴聞の席などの雑談で「あの人はよぉお念仏頂いている人やの」などと言っていた。共通語でいえば「あの方はよくお念仏を頂いていらっしゃいますね」である。
この、「お念仏を頂いている」という表現は、もちろん、よくなんまんだぶを称えている人という意味であり、また、ご本願のいわれを、よく聞いて正しく領解している篤信の人という意味である。
ところで自分が自分の口でなんまんだぶを称える行為を、頂いているという表現をなぜするのであろうか。自らの口業(口の行為)であるなんまんだぶを称えることを、頂くという表現は間違っているように思える。己の身口意の三業は能動(自力)であって、自らの行為である口業のなんまんだぶを頂くという受動表現はおかしいように思える。
しかし、このような一見すると不思議な表現をする同行は、正しく法然・親鸞両聖人の意(こころ)を享けておられるのであった。なんまんだぶは、称えることに力点があるのではなく、聞きものでもあったからである。称えて聞く阿弥陀如来の覚りの領域である浄土からの「わが国に生まれんとおもえ(欲生我国)」という呼び声が、なんまんだぶという言葉であった。法然聖人が、

南無阿弥陀仏と申せば声につきて決定往生の思いをなすべし。

といわれたのもその意であった。

御開山が「行巻」の六字釈でややこしい字訓釈をされて、南無は帰命であり本願招喚の勅命であり、即是其行とは選択本願これなり、とされた所以である。勅命とは、阿弥陀如来の、我に帰せよの呼び声である。ゆえに招には「まねく」と左訓され、喚には「よばふ」と左訓されたのである。招き呼び続けて下さっているということであった。
御開山が『無量寿経』の重誓偈の、

「われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。」

を「正信念仏偈」で重誓名声聞十方(重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えん)
と、讃嘆されておられるのも聞を重視されたからである。また、『一念多念証文』で、

名号を称すること、十声・一声、きくひと、疑ふこころ一念もなければ、実報土へ生ると申すこころなり。

と、「きくひと」とされたのもその意である。この《聞》が浄土真宗における信心なのである。凡夫には、阿弥陀如来を見立たてまつることは不可能であるが、可聞可称と称えられ聞こえるご法義であるから昔の同行は、「お念仏を頂く」と表現したのである。称えて聞くから頂くことになるのである。
称えるのは己の努力であり、聞こえて下さるのは阿弥陀如来の本願招喚の勅命である。
最近の僧俗は「信心正因」という言葉に幻惑されて、称えて聞こえて下さるなんまんだぶの外に、別に信心なるものがあると思っているのだが、これは妄想である。特に中途半端にお聖教を読んだ坊さんに多い。また自己のアイディンティティの確立を浄土真宗に求める輩にも多い。極めてたやすい行であるがゆえに、信じ難くかえって多くの疑いを生じるのであろうか。まさに『無量寿経』に、易往而無人(往きやすくして人無し)といわれる所以ではあった。

み仏の み名を称ふる 我が声は
我が声なれど 尊ふとかりけり。「甲斐和里子」

ともあれ信心が正因であるとは、信心とは、仏心(因である仏心)であり、菩提心(願作仏心)であり、仏性(浄土で開覚)であるから「信心正因」というのであり、それは往生成仏の法である名号を聞信することである。そのなんまんだぶが私のものになった時を顕わす表現が「信心正因」である。

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涅槃経

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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しばらく『涅槃経』をタッチしていたのでブログの更新がおろそかになっていた。
御開山が学んでいたのは、『法華経』を所依とする天台教学であったが著作の中に引文の孫引きは別として『法華経』は全く取り上げられることはない。天台の教判では釈尊一代の教をその説かれた時を五時に分類して考察している。いわゆる、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時教判である。もっともこの分類法は現在の仏教教理史上では受け入れられていないのだが、天台僧として二十年にわたって学ばれた御開山にとっては当然のことであったと思われる。
『教行証』では、『涅槃経』と『華厳経』を連引されるのだが、釈尊の最初の説法とされる『華厳経』と最後の説法であるとされる『涅槃経』をあげることによって全仏教を総摂するという意もあったのであろう。いわゆる仏教のアルファとオメガである。
ともあれ、『信巻』では『涅槃経』の阿闍世の回心を長々と引文され、『真仏・真土巻』では、覚りの世界である浄土の様相を、これまた『涅槃経』の文を相当量引文されておられ、器世間としての浄土の荘厳に触れられることは殆どない。浄土は智慧の世界であり無量光明土であるとされておられるのである。林遊としては花咲き鳥が歌うユートピア的世界が理想なのであるが御開山の示される浄土は違うのである(笑

そんなこんなで、『涅槃経』のあちらこちらから自由に引文される御開山の引文の順序に従って次への文のリンクを施してみた。一部林遊が原文の脈絡を理解するために引文の前後を読下してある。

→「信巻」での引文はここから

→「真仏土巻」での引文はここから

「あばたもえくぼ」論

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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御開山の「真仏・真仏土巻」の引文を『涅槃経』の上でチェックしてたのだが、あの人はとんでもない世界を見てなはったんやなと思ふ。
その意味で、田村芳朗氏の言われる「あばたもえくぼ」論はなるほどと頷かせる。
法然聖人の提示された、穢土・浄土の「相対的二元論」から、本願力回向の信心によって「相対の上の絶対」という思想を形成なさったのであろう。それが法然聖人の真意であるとされたのである。

越前の門徒は、本願力回向の浄土真宗の《ご信心》について「大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心、数知れず」ということを云っていたものだ。家の婆さんもよくこの語を示してくれていた。
自分が得た《信心》なるものを否定する意と同時に、常に我が口を通して聞こえて下さる、なんまんだぶという阿弥陀さまの呼び声に愛憎を超えた寂滅の浄土を感じていたのであろう。

穢土と浄土という界(さかい)は厳然としてあるのだが、浄土という世界から届く、覚りの消息が、なんまんだぶという声である。この覚りの世界を受け容れることが浄土真宗の《ご信心》である。
その意味で、浄土真宗における信とは阿弥陀如来の覚りを内に含んだ覚りであるような信であるから、「信楽受持 難中之難無過此難(信楽受持することは、難のなかの難、これに過ぎたる難はなけん)」である。

もちろん、自己を一人の愚か者であるとして阿弥陀如来の、なんまんだぶを称える教法の前に立った人には素直に受け容れられる行法である。
しかし世俗の学問とか知識というものに覆われて、如来の本願を聞くピュアなアンテナの感性が錆付いている者には、声となって耳に聞こえて救済するという、なんまんだぶのご法義は理解不能であろう。「大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心、数知れず」である。
禅門では、「大死一番」ということをいうが、「前念命終」p.509と、一発死んでみると「後念即生」ということが解るかもしれない。その意味では信は覚りを内に含んでいるのかも知れないと、思っていたりもする。
「あばたもえくぼ」、実は自分の周囲に、阿弥陀如来の覚りの世界が、ぎらぎらと輝いているのだが、信心に固執しているから見えないのであろう。
「向かわんと擬すれば即ち乖く」という禅晤があるが、信心が欲しい、信心が欲しいと凝り固まればますます御信心から遠ざかるものである。
浄土真宗の《ご信心》は、信心を離したときに、「重誓名声聞十方」と聞こえて」くるのである。

酔っ払っているから、何いうているかワカランけど、「あばたもえくぼ論」から、浄土真宗の《ご信心》とは禅門のいう悟りに近いという視点から考察してみた。

→「あばたもえくぼ」論

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末法灯明記

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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先日のブログのリンク先で、法然聖人に影響を与えたであろう『末法灯明記』の話しがあったので、伝最澄撰といわれる『末法灯明記』をUPした。
伝という表現は、最澄撰述と伝えられているという意味であり、最近の書誌学などの成果で、真偽が定まっていない場合に「伝」という。

もちろん、法然聖人や御開山は、最澄の撰述として『末法灯明記』をご覧になっている。
御開山は、化巻で『末法灯明記』をほぼ全文引いておられるが、乃至されたり略された部分があるので全文を復元してみた。この『末法灯明記』は、念仏を弾圧した『延暦寺奏状』で、今は未だ末法ではないという諭を、延暦寺の開山である最澄の『末法灯明記』を依用して正・像・末の旨際を明かそうとされたのであろう。あなた達の延暦寺を開創した伝教大師も言われているではないか、と仰りたかったのである。(106)

無戒名字の比丘なれど
末法濁世の世となりて
舎利弗・目連にひとしくて
供養恭敬をすすめしむ

ともあれ、戒は無くても、本当のなんまんだぶのご法義をお取次ぎしてくれる坊さんなら、われら門徒も応援するであろう。

『末法灯明記』

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順彼仏願故

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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梯實圓和上の『法然教学の研究』から、法然聖人の回心に関する部分を抜書きしてUP。親鸞聖人が『歎異抄』で「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり 」とされておられるように、浄土真宗は、本願を信じ念仏を申すご法義である。
親鸞聖人は、この法然聖人の念仏の仰せを、『教行証文類』として著された。これは『教行証文類』の後序p.474に、

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。

と、教えは残っているが、行も証もすたれて、すでに覚(証)りを得ることの出来なくなった聖道門仏教に対して「教行証」の三法で対抗するという意味もあった。同時に法然聖人が明かしてくださった「選択本願念仏」という行法を信心の智慧によって理論化し、外なる聖道門に対しては阿弥陀如来の本願力回向の大行である念仏をもって対し、内には浄土門異流に、仏心であるような他力の菩提心である智慧の信心を示して対抗されたのである。そして、その行信こそが大乗仏教の至極であるとされたのである。誓願一仏乗である。
ちなみに行は法である。なんまんだぶを称えるということは、阿弥陀如来の大悲の願船に乗ることを示す行法である。それは聖道の、八正道、六波羅蜜、円頓止観、三密加持などという行と次元を異にした教法であった。五劫兆載永劫に修行し思惟摂取して下さった行法が、なんまんだぶを称えるという易行にして大行である。
それゆえ、親鸞聖人は「教行証」の大行である念仏から信を特別に開いて「教行信証」(教えと行いと信《まこと》と証《あかし》)の四法で、法然聖人の、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらす」ご法義を明らかにされたのであった。
親鸞聖人を理解するためには法然聖人を学ぶことが重要であるといわれるが、まさに法然聖人の示された「選択本願念仏」の教法を、行と信によって示して下さったのが親鸞聖人である。
法然聖人の示して下さった念仏の行のバックアップなき信は無く、また親鸞聖人の明かされた信の基底である行のない信も無いのである。これが「つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり」(行巻 大行釈p.141)であった。行も信も、阿弥陀如来から回向されるから、大行、大信なのであった。これが苦悩の衆生を救われるべき者である他とする、他を利益するから利他力というのである。他力という言葉は誤解されやすい言葉であるが、他力の《他》は、阿弥陀如来に、救うべき対象として見出された他である私を指し示す言葉であった。他力の他は私であったのである。
ともあれ、誠実な清僧として、真摯に生死を超える道を求められた法然聖人の回心を通して、仏道における修行というものを微塵も考察することのなかった浄土真宗の僧俗に、戒・定・慧というものを想起させる文章ではある。
なお、和上が引用で略されている『徹選択集』の文はノート(トーク)に記しておいたので暇人は参照されたし。

法然教学の研究から

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如来大悲の恩徳は

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし

真宗門徒であれば法話や仏事のときに、となえ聞いたことがあろう「恩徳讃」である。大谷派と本願寺派ではそれぞれメロディーがちがう。本願寺派の「恩徳讃」はアップテンポで明るく、大谷派のメロディーは荘厳だが暗いような気がする。

さて、この「恩徳讃」の文は、御開山の和讃から採られている。
そして、和讃の原型となった文は『尊号真像銘文』中の、法然聖人御往生の六七日に修した仏事での聖覚法印の「表白文」からとされる。
ところが、この和讃の元である「粉骨可報之 摧身可謝之」の文の原文を御開山が略していなさるので、どうもしっくりこない。
と、いうわけで聖覚法印の「表白文」を『浄土真宗聖典全書』を参考にしてWikiArcに資料として追加してみた。
もちろん御開山の文は御開山のところで領解すればいいのだが、ともあれ原典がはっきりしたので、これからは「恩徳讃」を歌うたび、「表白文」をイメージできるというものだ。なお、新たに追加した漢文は林遊が読下したので乞校正。

→「聖覚法印表白文」

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教行証

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗には行がないという人がたまにいる。
こういう人には、一日に六万遍なんまんだぶと称えてみなさい、行だということが嫌でも判る、と云ったりする(笑
浄土真宗では信を強調するので行を軽視する傾向があるのだが、御開山が「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり」といわれたように、なんまんだぶを称えることは行である。
時々お念仏が出ませんという人がいるが、吹き出物や便秘なら出ないということもあろうが、お念仏は我が意で我が口を使ってするものである。その口に称えられ耳に聞こえるなんまんだぶが、阿弥陀如来の本願力によって回向された救いの法である名号なのである。
仏のえによってを修し仏果をする「教行証」が仏教の基本である。
と、いうわけでWikiArcの教行証ノートに以下の文をUPした。(*)

教行証(きょう-ぎょう-しょう) 『仏教学辞典』より。

①教えと行とさとり。教行果ともいう。教とは仏が説いた教え、行とは教に従って衆生がする修行、証とは行によって得られるさとりを意味する(世親の十地経論巻三、智顗の法華玄義五下など)。
②また教は理をあらわすものであるから、あらわす教とあらわされる理を分けていえば、教理行果の四法となる(窺基(きき)の義林章巻六本)。
③親鸞は聖道門(この世でさとりをひらく教え)の教行証に対して浄土門(浄土へ生まれ、そこでさとりをひらく教え)の教行証[1]を示し、行とはさとりの果へ至らせる因[2]であるから衆生が修(おさ)める自力の行ではなく、衆生をして信じさせ称えさせるはたらきとしての名号そのものであり、衆生はその大行を信じさせられる一念に往生が定まるから信が往生の因[3]であるとして、行を分けて行と信の二とし[4]、教行信証の四法を立てる(教行信証)。

脚注
1 親鸞聖人は題号を『顕浄土真実教行証文類』とされ、三法立ての教・行・証の名目で呼ばれたから略称は「教行証」とするのが正しい。ただし内容は教・行・信・証の四法立てになっているので「教行信証」と呼称しても間違いではないのだが、信の名目に幻惑されて、希有の行である念仏を軽視するおそれもある。南無阿弥陀仏を称える、衆生救済の大行である回向された名号法は、阿弥陀如来の「大悲の願(第十七願)より出でた」(p.141)「誓願一仏乗」(行巻p.195)の法であり、あらゆる衆生をさとりへ運載する「大悲の願船」(行巻p.189)なのである。
2 果報を生ずる因となる行為(口業)であるから業因ともいう。業とは造作の義で行為、所作、意思による身・口・意の活動を意味し、浄土真宗では口業の念仏を往生成仏の業因とする。阿弥陀如来が選択された本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。(本願名号正定業)
3 本願に誓われた大行である称名の業因を衆生が受け容れるのが信心であるから信心正因という。時間を超えた永遠の救いの法である名号が、有限な存在である衆生に受け取られた時を信楽開発というのである。「一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり」(信末p.250)とされる所以である。
4 阿弥陀如来の救済法である名号を称える行に納められた、行中摂信の行から信を別に開いたので信別開という。ゆえに「信巻」には別序があるのであり、信の根拠を示す出体釈はない。体をいうならば「この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり」(行巻p.232)とあるように「行巻」であらわされた名号が体である。「真実信心必具名号(真実の信心はかならず名号を具す」)(信本p.245)である。真実の信の対象は阿弥陀如来の全徳施名の名体不二の名号だからである。ゆえに衆生の手元では行を離れた信はなく、信を離れた行もないのでこれを行信不離というのであった。

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乗大悲願船 浮光明広海

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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タイトルは、『教行証文類』の、行巻で、御開山が、なんまんだぶを勧める文からの引用であり、

しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。 (*)

からの文である。
浄土教における乗船の譬喩は、龍樹菩薩の『十住毘婆沙諭』(*) を引いて、曇鸞大師が『論註』で顕わされている。

「菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一には難行道、二には易行道なり」と。「難行道」とは、いはく、五濁の世、無仏の時において阿毘跋致を求むるを難となす。この難にすなはち多途あり。ほぼ五三をいひて、もつて義の意を示さん。
一には外道の相善は菩薩の法を乱る。
二には声聞は自利にして大慈悲を障ふ。
三には無顧の悪人は他の勝徳を破る。
四には顛倒の善果はよく梵行を壊つ。
五にはただこれ自力にして他力の持つなし。
かくのごとき等の事、目に触るるにみなこれなり。たとへば陸路の歩行はすなはち苦しきがごとし。
「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。この『無量寿経優婆提舎』(浄土論)は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり。(*)

阿弥陀如来の本願力による救済を、「仏願力に乗じて」と、易行道として乗船の譬喩によって顕わされたのである。
そして、その易行ということは、口に仏名の、なんまんだぶと称えることであると確定されたのが善導大師である。いわゆる「一心専念弥陀名号 行住座臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故(一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥、時節の久近を問はず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑに)」(*)である。
この文の、「かの仏願に順ずるがゆゑに」の文によって回心されたのが法然聖人であり、御開山聖人であった。なんまんだぶを称える行業が「仏願に順ずる」救いの法であるからである。

しこうして、大悲の願船に如何にして乗るべきの道程を説く団体があるようである。いわく、

>>yamamoyamaさんのブログから引用(*)
「大悲の願船に乗ずる道のり」は、善導大師は「二河白道」の譬喩で説き、親鸞聖人は阿弥陀仏の三つの本願で明らかにされている。永遠の相を帯びてゆるぎない、「三願転入」の教導である。
本書は特に聖人の「三願転入」のご指南を奉じて、些少なりとも要望に応えたいと思う。(後略)
(なぜ生きる2 P4 まえがきより)
>>引用終

誤解と錯覚ここに極まれりなのだが、御開山が力を尽くして「行文類」で顕わしてくださった「ただこれ、(なんまんだぶを称える一行の)誓願一仏乗なり」(*)の《乗》の誓願一仏乗の意味が理解できなかったのであろう。大乗とか小乗、あるには二乗、三乗というように仏教では 《乗》の字は教法を示す語である。それゆえ、「乗大悲願船 浮光明広海」の語は、なんまんだぶを称えよという「行文類」で示されるのである。「大悲の願船に乗じ」る教法は、なんまんだぶを称えることである。なんまんだぶを称えていることが、そのまま「大悲の願船に乗じて」いるのである。

御開山が「教文類」で、

是以 説如来本願為経宗致。即以仏名号為経体也。(ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。(*)

と示された大無量寿経の「経の体」が浄土真宗の体である。この名号を称える衆生を摂取して捨てないというのが御開山が示された浄土真宗のご法義である。
あまりにも易行で信じ難いから、大無量寿経には「易往而無人(往き易くして人なし)」(*)とある。
本願に選択摂取された、なんまんだぶを称えて往生成仏の仏果を得させしめるのが浄土真宗の御法義である。これが阿弥陀如来の《本意》であるから「本願中の王」(王本願)(*)と法然聖人はいわれたのである。
しかして、この第十八願の「念仏往生の願より出で」(*) た教法を理解できない者のために、如来の本意ではないが第十八願の仏智の顕現する名号の界(さかい)を理解できない者も、捨ててはおけないと建立されたのが、第十九願、第二十願の仮の願であった。第十八願の真である真実の仏智を理解できない者のために、本意ではないけれども阿弥陀如来の本意を理解できない自力の行者のために、仮の願を建てられたのが、第十九願、第二十願である。阿弥陀如来の御本意である第十八願を受容れられない者をも化土までは連れていこうという仮の願である。
御開山は『大経讃』に第十八願の意を、

(60)
弥陀の大悲ふかければ
仏智の不思議をあらはして
変成男子の願をたて
女人成仏ちかひたり (*)

と、わざわざ第三十五の願を出されているのも、四十八願を総摂する阿弥陀如来の御本意の願は第十八願であるという意である。

三願転入を論じる輩は、名号に乗せられた真実信心を、いまだかって想起したことがないのであろうや。同じ浄土門風の虚偽の教えを信奉し、救われない道を歩む者がいることは悲しいことではある。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

風にふかれ信心申して居る

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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FBへの投稿を少しく判りやすくしてみた。

詩人という存在は、ふだん我々が使う言葉と違った言葉遣いをみせてくれるので面白い。ともすれば詩人は短い言葉という表現の制約のためか技巧にはしると綺語になり、嫌味を感じさせる詩もある。綺語とは仏教の十悪の中の口の四悪、妄語・両舌・悪口・綺語の中の綺語で、うわべだけ美しくかざった言葉のことである。御開山は盛んに今様形式の和讃を作られたのだが、和歌を作らないのは和歌に綺語という耽美的な技巧を感じておられたのであろうとひそかに思ふ。

それはそれとして、自由律俳句の尾崎放哉の句に、

風にふかれ信心申して居る

という句がある。
放哉の持っていた信仰は知らないのだが、言葉は作者の手許を離れたら、受け手による自由な解釈が許容されるものであり、言葉の受け手の感性によって言葉を咀嚼する自由があるのだと思ふので少しく考えてみる。

本願を信じ念仏を申す、これが浄土真宗のご法義である。阿弥陀如来の側からいえば、信じさせ称えさせる、である。
御開山は『教行証文類』の「行文類」の冒頭で、

つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。

と、示しておられる。我々は現在使われる『教行信証』という言葉に引きずられて、単独の《信》なるものがあるように錯覚しているのだが、御開山が「教文類」で「往相の回向について真実の教行信証あり」とされている書物の名前は『顕浄土真実教行証文類』であった。古来から題号は書物の大綱を示すといわれるが、いわゆる行から信を別開された書が『教行証』である。永遠なる救いの法である名号法(なんまんだぶ)の、《教》えと《行》業と《証》(あかし)果という教法を、有限な存在である林遊が、なんまんだぶと受け取ったときを《信》というかたちで別開されたのが「信文類」であろう。
ともあれ、行を離れた信もなければ信を離れた行もない。大悲の願(第十七願)によって起こされつつある如来の信心である名号の大悲の風が、放哉に届いたとき、「風にふかれ信心申して居る」という句になったのであろう。大悲は風のごとく信心として放哉に届いていたのであろう。

さて、浄土真宗には「行信論」というややこしい概念があり、回向された、なんまんだぶを称えるという《行》と、それを受容した《信》である仏心との関係をあれこれ論じられてきた。行は信であり信は行なのだが、どちらかといえば職業坊主は信の理屈を強調し、門徒は口に称えられる、なんまんだぶによって日々の日暮らしをしてきたものではあった。これが「大悲の願(第十七願)より出でた」、「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり」という「至心信楽の願」である。

御開山は本願文の三心(信)を釈し、

「真実信心 必具名号(真実の信心はかならず名号を具す)」

とされる。
この信心と名号の関係を放哉が、「風にふかれ信心申して居る」と詠じた句と重ねて味わうと、よりいっそう、なんまんだぶの味が深くなるようではある。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ