知られる私

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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自力によって自力を捨てようとすれば無限遡及に陥るということを記したブログを見て、ふと20数年前に記した文章を思い出したのでサルベージして再掲。

知られる私

他力とか自力とか物を二つに分けて理解することが、分かるということなのでしょうか。分かるということは字のごとく物を分けることから分かるといいます。ここから我と他、彼と此が出てくるわけですね。だから「我他彼此」(ガタピシ)と毎日忙しいことです。忙という字は心が亡くなると書くぐらいですから。

さて、私が私を知るということは可能な事なのだろうか。確かに私に知られる側の私は、私によって知ることができますが、知る側の私を私が知る事はできません。知る側の私を私が知ったとき、それは知られている私であって、知る私ではなくなります。

そうすると知る私であったものが、知られる私になって、これを知る私をまた知ろうとして永遠に無限ループに落ち込みます。

例えばお寺参りを始めた婆ちゃん達は「機の深信」の話を聞いてすぐに、私は罪深い者でありました、助からないという自覚の私でありましたと言います。

そのうち聴聞を重ねますと、私は助からない者でしたと見ている側の私が、実は善人の立場で私を裁いている事に気がついて、この私を罪深いと見ている私こそが、本当に罪深い悪い奴だということになります。

これではいかんという事で、本当に悪いこの私こそをハッキリ知らせてもらおうと聴聞に励みます。ある宗門(小生も門徒)では機の深信の話が中心ですから、これはいよいよ救いのない私でした、どん底の無有出離の私でしたとなります。

この頃からは最初なじみのなかった仏教用語も判ったような気になり、仏教用語を使って自分の中の私を見ようとします。宿業とか罪悪感とか罪悪生死の凡夫とかの言葉に囚われて、どちらかというと自虐的な立場が強くなります。

聴聞では相変わらず「助からない者を助けると自覚しろ」などとあおるものですから、いよいよに罪の深さを知らにゃぁいかんとなり、また世間や回りを見れば私がこんなに真剣に聴聞しているのに何たることかと、世間に対する働きかけが始まります。自信教人信の教人信の立場に立ちます。

しかし、ふと自分を考えてみるとそのような立場に立っていた私こそが、実は根本的にどうしようもない奴で、地獄行き間違いのない悪い奴だとなって、地獄行きである私を知らせてもらうためにいっそう聴聞に励みます。

聴聞では相変わらず、阿弥陀様のレントゲンに照らされて罪の深さを自覚しろ等の布教師の説教が続けられています・・・・・・・・・・・・。

かくて私を知るために、知る側の私を否定し、否定した私を否定しこれをまた否定し、四句百非を絶し去ったつもりでまた否定し、と延々と続きます。これを繰り返しますと「ええぃ、もうヤメタ」となって判らないままのお助けと自分で勝手に決めて聴聞にも行かないようになります。

小生の田舎には「大きな信心十六ぺん。チョコチョコ安心数知れず」という言葉がありますが、このような事を繰り返してきた先達が、機の深信の話や、布教師にだまされるなよという警句なのなのだと密かに思っています。

西の岸の上に人有りて喚ばひて言はく、汝一心正念にして直ちに来れ。我能く汝を護らむ。衆て水火の難に堕することを畏れざれ

と。 有名な二河喩のなかで善導大師は、私のことを【汝】として喚びかけられている側 であり、阿弥陀様を【我】として喚んでいる側であるとお示しです。

阿弥陀様が私を知る側で(主体)私は阿弥陀様によって知られる側(客体)です。 私が私を知るのではなく、阿弥陀様の方が私を知っていて下さるのでしたね。

どうしようもない教育も訂正もできない者と、私を見抜いて下さったからこその ご本願でした。
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひ て、乃至十念せん
とあなたが願われたのですから、私には私を知ることもできませんし、このいのち、何処から来て何処へ往くのか、また生も死も私には解りません。

ただあなたの願いに自分の人生を託して「なんまんだ仏」といのちの意味を見つめていきます。「なんまんだ仏」と声になって下さったあなたとともに、何が起こるか判らない、また何をしでかすか判らないこの私ですがあなたに願われていることの意味を聴き拓かせていただきます。

あなたが、「もし生ぜずは、正覚を取らじ」と誓って下さってあるので、あなたの言葉どおりに、あなたの処へ、お浄土へ生まれさせて頂くいのちと思い定めて生きさせていただきます。

あなたの誓願には、度衆生心までも用意しての往生成仏の浄土真宗と宗祖から伺いました。

あなたのお名前は「南無阿弥陀仏」と伺いました。この上は「なんまんだ仏、なんまんだ仏」とせめてあなたのお名前を称えながら、煩悩のどまんなかで貪愛瞋憎と遊びながら、このいのちを生きてまいります。

御開山の主著である『教行証文類』を、サッパリ訳がわからんと意味も判らず拝読していた頃に記したものではあるが、知られる私としての、汝としての我の発見ではあった。私が助かろうとして法をきくのでは無く、私を助ける法が本願力回向のご法義であった。救いの法が、聞くより先にちゃんと届いていたことの驚きであった。ありがたいこっちゃな。

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高見順「ガラス」

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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三好達治について書いたことがあるのだが、越前三国町に生まれた高見順は越前産である。当時の福井県知事の庶子である。そのような意味では越前生まれということを忌避したのであろうが、晩年「おれは荒磯(ありそ)の生まれなのだ」という言葉を残している。冬の三国の日本海は、鉛色の空と岩に打ち寄せ白い飛沫をあげる荒磯の寂寥とした風景だけであるのだが、東尋坊へ続く荒磯遊歩道には彼の句碑もある。
そんな高見順に「ガラス」という句がある。
このガラスとは仏教の語彙では瑠璃(るり)とか玻璃(はり)と表現されて、閻魔大王が亡者の生前の行跡を判定するために参照する、瑠璃玻璃鏡(亡者の行為の過去を記録してある記録DVDを写す鏡)である(笑
それはそれとして、外来語でビードロとかギヤマンという蘭語のglasから硝石を使うという意味をあてて硝子(がらす)という言葉が生まれたのであろう。

高見順「ガラス」

ガラスが
すきとほるのは
それはガラスの性質であって
ガラスの働きではないが
性質がそのまま働きになっているのは
素晴らしいことだ

なんまんだぶと称えさせて生と死を超えさしめようというのが本願の本質であり性質であり意味である。
それは、本願そのものの本質であって《用》(はたらき)とは区別されるものだが、本願が、なんまんだぶと称えられて、生死を超えるはららきとなっているのは素晴らしいことだ。なんまんだぶと称える行為は、仏作仏行(仏のなす仏の行)であったのである。
自分で再読しても意味がわからん文章だけど、どうでもいいや。

なんまんだぶ、なんんまんだぶ、なんまんだぶ

今日は久しぶりの勉強会。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土教は《事》を強調するので法話などでは阿弥陀如来の慈悲を強調する。その慈悲を生み出した背景である悟りの智慧を説くことは少ない。しこうして、勉強会などでは仏法の《理》である仏陀の智慧の領域を学べるので面白い。
夏目漱石は『草枕』の冒頭で、

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

と、人間の心を知・情・意に分けて述べている。たしかに人間社会においては、慈悲を強調すれば情に流されて足元をすくわれ、仏陀の智慧の理を説けば他者と衝突するものではある。とかくに人の世は住みにくいものである。

さて、御開山は晩年になればなるほど智慧を強調される。もちろん救われる喜びもあるのだが、慈悲とその慈悲を生み出した背景の阿弥陀如来の覚りの世界を強調される。ふつうなら八十歳を過ぎた老境であれば慈悲に関心が向くのだが、御開山は慈悲よりも覚りの智慧の世界に関心がおありであったのであろう。もちろん智慧と慈悲は一体のものであり別のものではない。
家の爺さんは、
真実は真実だけでは真実にならん。真実は真実ならざるものによって真実を顕すんじゃ、これが本当の真実じゃ。
と、よく言っていたものだが、阿弥陀如来の覚りの智慧は、慈悲を通して感受でき、またその慈悲によってその慈悲を生み出す智慧の世界を窺えるのであろう。

と、いうわけで、今日は阿弥陀如来の智慧の世界を堪能してくるとしよう。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

お聖教の論理

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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論理といえば、同一律(AはAである)、 矛盾律(Aは非Aではない)、 排中律(Aと非Aの中間の存在はない)の、いわゆる西洋の形式論理の三原理というものがあるそうである。
これは人がものを考える時の基本的な法則だといわれるのだが、林遊には、よお解らんので困ったものだ(笑

梯實圓和上は、『聖典による学び』(*)で、

ところで、私どもがものを考える時に必ず従わねばならない基本的な法則がありますね。思考の法則があるでしょう。ギリシャ以来、私達がものを考える時には、必ずその思考が守らねばならない法則があります。自明の法則があります。それは、AはAである(A=A)という、いわゆる自同律ですね。

AはAである、従ってAはAでないものではない、Aは非Aではないという矛盾律が成立します。そしてAと非Aとの間に中間は存在しないという排中律と合わせますと三つの法則になりますが、中心は自同律と矛盾律でしょうね。それは私は私であるという事と、私は私でないという事と、これは矛盾します。ですから、AはAであるということ、これは守らねばならない約束事です。

とにかくAはAである。Aは非Aでないというと、これはものを考えるときには必ず守らねばならない法則です。このAと非Aを「有る」と「無い」といってもいいですね。「有」と「無」これは決して両立しない事柄です。ところで悟りの境地は、一切の束縛から解放された境地であるというので「解脱」の境地ともいいますが、「和讃」にはその境地を

解脱の光輪きはもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚に帰命せよ

というような言葉で讃嘆されています。それは「有無」をはなれた境地であるというのです。

「有」というのは「有る」であり、「無」というのは「無い」であって、判断でいえば、「・・・・である」という肯定と「・・・・でない」という否定ですね。これの両者を超えている、これが解脱とか、悟りというものだ、こう言われているわけです。

だからどうゆう事かといいますとそこではAはAであるという形でものを考えないということです。しかしそれではものが考えられないじゃないかといわれでしょうが、実は本当に具体的な存在は「AはAである」という考え方では捉えられないということを顕しているわけです。

「AはAである」ということは、具体的には「私は私である」という事でしょうね。これは言葉でいいますと「私」は「私」であるといったら同語反復のようです。ところが少し違う、我々が具体的に「私は私である」といった時には、「私」は「私」以外の者ではないと強調しようとしているわけです。

だからどうしたのだといったら、「私」は人とは違った「私しか生きられない私の人生を生きるのだ」といいたいわけでしょう。ここで「私は私である」といった時には、「私は私でないものではない」ということを通して、だから、「私は私である」といった時には、この初めの「私」(主語)と後の「私」(述語)とでは自覚内容が違っております。

そうすると「私」は「私」であるといった時には、ただ同語反復しているのではないのです。だから「私」は誰の生き方でもない「私」の生き方をするのだ、という自覚と自立を顕わしています。

そうしますと初めの「私」は自覚以前の「私」、それを「私である」といった時の後の「私」は自覚し自立している「私」ですから明らかに「私」の内容が違っています。そうすると初めの私(A)と後の私(A)とは違いますよ、つまり「私でないもの」(非A)を媒介とする以前の私(A)と、私でない(非A)というものを否定的に媒介して成立した後のAとではAの内容が違うということになりましょう。

違うとすれば、Aは非Aであるということになりましょう。これが現実にあるものの姿なのです。つまり現実に有るのは、AはAであるというだけでは表せない内容を持っているということになります。そうするとAはAであって、非Aではないと云う論理は崩れていくということになりますね。すこしややこしくなってきました。

お釈迦さまがおさとりになった境地というものは、AはAであって、決して非Aではないという論理では表せない領域であったのです。その意味では不思議といわねばなりませんが、実はそれが、もっとも具体的な、もののあるがままの姿を見極めておられたのだといわれています。

そこでその境地を真如(本当にあるがままのありよう)とも実相(まことのすがた)ともいわれているのです。

しかしそのような領域は、人間の分別的な思考では捉えることが出来ませんから、無分別智の領域であるともいい、二元的、対立的な言葉では言い表すことも考えることもできませんから一如ともいい、不可思議、不可説ともいいならわしてきたのです。

お釈迦さまのお経というのは、そのようなおさとりの境地に立って、その境地に私たちを導くために説き表されたものですから、言葉を超えた世界を告げる言葉であるといわねばなりません。私がお聖教の言葉は、私どもが日常使っている言葉とは質が違うともうしましたのはその故です。

お釈迦さまがおなくなりになって数百年たった西暦二・三世紀頃に南インドに龍樹菩薩が出現されて、私ども人間がその知性によって概念的に把握している世界というものは、実は分別が作り上げた虚構の世界だといい、私どもは自分が概念によって作り上げた虚構の世界を、言葉によって作り上げた虚構の世界をまるで実在であるかの如く考えて実体視し、とらわれて身動きが出来ないような状態になっている。それを迷いという。  この妄念を突き破るために如来は言葉を設けて呼びかけておられるといい、「諸仏は、二諦によって法を説く」と云われています。

二諦というのは、真諦と世俗諦のことです。真諦とは、一切の分別を超え言葉を超え離れた悟りの境地そのものをいい、その真諦を分別的な言葉で言い表して人々と接点を持ち、救うていくために教えを説くことを世俗諦というのです。つまり言葉をもって言葉を超えた世界に導くのが経典であるというのです。

お経を読んでいると面白い言葉が沢山出てきます。たとえば『金剛般若経』などには、「仏は仏でないから仏である、衆生は衆生でないから衆生である」というような言葉が幾らでも出てきます。AはAで無いからAであるというのですから、もう「AはAである」というような形式論理学ではどうしようもない表現が用いられているわけです。

鈴木大拙という方は、これを「般若即非の論理」といわれていますが、まさに、人間の概念的に物事を理解していこうとしていることに対する、破壊的な表現であるといわねばなりません。しかし先にも申しましたように、概念的にきちっと分別すれば、ただしく物事が捉えられるかといえば、どうもそうではないところがでてきます。

と、論述されておられる。
道元禅師は、私でないもの」(非A)を媒介とする私(A)、つまり、私でない(非A)を、「万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と、他己と呼ばれているのもそのような意味であろう。いわゆる他なる己である。
しかして、なんまんだぶのご法義は本願力のはたらく対象を他とする他力のご法義であり、救済されるべき他を「若不生者 不取正覚」といい、衆生の往生浄土と自己の正覚を一体に誓われた不二のご法義である、他己なる非Aであるわたくしと自らの覚りを一体であると示されるのが第十八願の念仏往生の願であった。
それを、御開山は、斯心 即是 出於念仏往生之願。 (この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり)(*)と示されるのである。乃至十念の、我が名を称えよという教説であった。

と、いうわけで(どんなわけやろ)、お聖教を読んでいるとよく出てくる四句分別についての面白い考察があったのでWikiArcの四句(*)のページに追記してみた。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、安心も信心も、なんまんだぶと称えるこの声となって耳に聞き口に誦して顕現しているのである。

 

おもふ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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おもふ、という日本語がある。

人は誰でも「おもふ」という言葉を使うのだが、この言葉は多義的概念であって、判っているようで解らない言葉だったりする。
日本語は同音異義語が多いので、おもふという言葉の意味の把握がやっかいである。漢字語では、意、惟、謂、憶、懐、顧、思、想、念という区別があるのだが、日本語ではこれらを含めて「思ふ」という言葉に集約するのであろう。

さて、自我意識に目覚める林遊の中学生の頃か「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの言葉に、外部世界の現象は、わたくしの描く妄想であり、我の感じる「おもふ」という直感だけがわたくしであると思っていたものである。
今にしておもえば、いわゆる主客二分以前の言葉によって分節することの出来ない世界を表出する言葉が「思ふ」という言葉だと思っていたのである。しかして、この「思ふ」という自己の内面世界を人に理解してもらえるように伝えるには言語による表現によるべきであると思い、片っ端から本を読み辞書を読み語彙を増やすことに専念していたのが中学生の頃ではあった。結果は、お前のいうことは意味が解らんであった(笑

爾来、言葉によって自己の内面世界の「思い」である内部言語を、外部言語に翻訳する作業を止めた。《恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす》という言葉があるが、言葉によって意味を固定するより、思いを言葉につむぎだす以前の「おもふ」という世界があるのであろう。御開山は、聞思莫遅慮(聞思して遅慮することなかれ)と仰せだが、この思という言葉に万感の思いを込めておられるのかもと「思ふ」。
それは、それとして、以下の丸山 圭三郎 氏の著書、『文化のフェティシズム』による「思ふ」という言葉の考察は面白かった。

成人してから西欧語をいくつか学ぶ機会をもったが、日本語の「思う」にあたる言葉に出会ったためしが一度もないような気がする。小倉百人一首には、百種中二十余首のなかに「思ふ」という動詞が現れている。

思いつくままにそのうちの数首をあげれば、いずれも「ものを思ふ心」を詩っていて、この「もの」が「物」でも「モノ」でもないことはいうまでもあるまい。

忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで

逢ひ見ての後の心にくらぶれば
むかしは物を おもはざりけり

長からむ心も知らず黒髪の
乱れて今朝はものをこそ思へ

嘆けとて月やはものを思はする
かこち顔なるわが涙かな

人もをし 人も恨あぢきなく
世を思ふ故にもの思ふ身は

「思う」は{分別智}としての倫理的思索でも合理的思考でもない。
それは「ねがい」であり「憂い」であり「恋い慕うこといつくしむこと」であり<来し方・行末>をめぐる追憶と予見・想像でもあって、さらには理性/感性といった二分法以前の身体的パフォーマンスとしての{顔の表情}でもある。
「おもへり」なる大和ことばは面貌を意味し、「おももち、おもかげ」とともに「思ふ」と同根と聞く。(万葉「物悲しらに思えりし吾子の吾子の刀自を…」)

ボードレールは……黄昏の海と空の無限を前にした自我が、限りなく拡散し消失するのと同時に限りなく収斂し充足する経験を詩って、これこそ「音楽的思考、絵画的思考だ」と言っている。しかしそれは、「音楽的」とか「絵画的」とか「詭弁や三段論法や演繹なしに」いう修飾語の助けを借りざるを得ない。「思考する」という動詞であった。「思う」はこれらを一語で表すばかりか、「さしも知らじな燃ゆる思ひ」という火のイメージをも生み出すのである。『文化のフェティシズム』p.252

日本海の海原に沈んでいく、真紅な夕日の前に一人の人間として立つとき、自己が崩壊し夕日に溶け込むような思いがある。西行は伊勢の神宮に参拝して、

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

と、詠ったそうだが、彼が日本海に沈む夕日を前にしたならば、
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶと称えることしか出来なかったであろう。言葉を超えた世界から言葉になって届く、ことばであった。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、これが浄土教の救いである。

 

迷いがおもしろい

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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鈴木大拙師、曾我量深師、金子大榮師の鼎談を西谷啓治師が司会された『親鸞の世界』という大谷派の書籍から引用。

迷いがおもしろい

鈴木 迷うておるということがあるが……。

曾我 迷うておるということは、やはり如がなければ迷わない。

鈴木 迷うているのもおもしろいというようなところはないんですか。

曾我 え?

鈴木 迷うておるところが…….

曾我 けど、それは先生は悟っているから、迷うのはおもしろいと──、迷うている人はおもしろくも何ともない。(笑い)

鈴木 いやこういうことがあるですね。まあなにかことがあるだろう? そうするっちゅうと理屈からいえば、もうみなちゃんときまっているので、死ぬものは死ぬ、生きるものは生きるですね。しかしながら、まあここに癌で困っている人があるとするな。これはもう医者の方でみればとうていもう死ぬんだと、こう思うですね。
けれどもだ、こっちの方から見るとだね、医者では死ぬんだが、また何かで生きるっちゅうことがあってだね。どうぞ……、というその、願いですね。もういかんのだときまっておっても、それにもかかわらず何とかよくなってくれと……。それから人が外へ旅するだろう。今日はもう電車で衝突したり。汽車がひっくり返ったり、いくらでもあるが、しかし何とかしてそういうことのないように無事にむこうに着いて、そして帰ってきてくれと、その願いが出るですね。これは理屈からいえば馬鹿なはなしだね。なるようになるんだから…….けれどもそれがわかっておってもだね。その迷いの心というか、何とかいう願いがやまないですね。わしはそこがおもしろいと思うんだ。おもしろいちゅうといかんかも知れんが、人情で苦しんで悲しんでいながら、そこになにか暖かいものを感じてだね、それですべてが包まれていくと、そんなだと迷いがおもしろくなる。

曾我 それはまあ、ただ苦しんでいないで、苦しんでいるなかにやはり楽しみがあると、こういうんですね。

鈴木 楽しみといっちゃいけないんだ。これはみんな苦しみだ、その苦しみは七転八倒の苦しみだけれども…….

曾我 何か暖かいものがなければ苦しみもしませんね。(笑い)

鈴木 そうです、(笑い) そこで金子さんはありがたいとおっしゃるかも知れんが、そういう点をだね……。

金子 ええ。

鈴木 弥陀の光りにおいてそういうことがいえるんだからね。わしの方じゃありがたいというよりも、むしろおもしろいんだ。(笑い)

曾我 いや、おもしろいということもあるし、両方あるんでしょう。(笑い)

鈴木 そうすると、そうね……、世の中を見るっちゅうと、そうなっちまうがね。

曾我 おもしろいことがなけりゃ、しょうがないですね。(笑い)

 

少しく対話がかみ合っていない気がする。曾我師は善悪相対の二元論の立場で語られるし、鈴木師は相対の上の一元論の立場で語っておられるのだろう。御開山にはこの両方があり、穢土と浄土の相対二元を本願力回向という概念ですっぽり包みこんで一元的に見られているのでややこしい。(笑

御開山は、ご自身の法に遇いえたよろこびを語られるとき、現在形と未来形でよろこびを語っておられる。『一念多念証文』で、

10】 「其有得聞彼仏名号」(大経・下)といふは、本願の名号を信ずべしと、釈尊説きたまへる御のりなり。「歓喜踊躍乃至一念」といふは、「歓喜」は、うべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり。「踊」は天にをどるといふ、「躍」は地にをどるといふ、よろこぶこころのきはまりなきかたちなり、慶楽するありさまをあらはすなり。

慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、楽はたのしむこころなり、これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。「乃至」は、称名の遍数の定まりなきことをあらはす。(*)

と、されて、「うべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」は、娑婆から浄土へ往生する二元的未来形のよろこびであり、「うべきことをえてのちによろこぶこころなり」という表現は、現在いまここで、なんまんだぶを称える者に顕現する、一元的な本願力回向の念仏衆生摂取不捨の「超世希有の正法」である。なんまんだぶを称え、本願のなんまんだぶの声に包摂されているからこそ、往生浄土という将(まさ)に来たるという将来する浄土という世界が開かれつつあるのであろう。このような意味で本願に包摂されている生き方は、迷いがおもしろいということもいえるのであろう。ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

WikiArcページへのリンクへの仕方。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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自分の整理用にWikiArcへのリンク方法をメモ。

WikiArcでは、ブログやHPなどで浄土真宗聖典のページを参照したい場合に、ページや段落番号などへのリンクができます。なおページNoは、[PageNO表示]をクリックして表示させることが出来ます。 以下の説明中でNはアラビア数字のことで、Pおよびnや記号も半角(1byte文字)です。

単にページへリンクする場合。
http://labo.wikidharma.org/index.php/ページ名

注釈版(七祖版も含む)のページNNNへリンクする場合。
http://labo.wikidharma.org/index.php/ページ名#P–NNN
ページの段落 番号(N)へリンクする場合。
http://labo.wikidharma.org/index.php/ページ名#noNN
また、Wikiの場合ページ名がURLエンコードによって長くなるため、各ページにあるショートカット、WD:Shortcutを使いページ名を短縮することも出来ます。 この場合ページ名は単にWD:Shortcut名の置き換えになりますから、#P–及び#noNNというリンク形式も利用できます。単にページ名の置き換えとしてWD:Shortcutが使える。
例:
『教行証』行文類の段落番号12へのリンク。
ショートカットを利用
http://labo.wikidharma.org/index.php/WD:Gyou#no12

漢字表記によるリンク(ブラウザ及び使用する漢字コードに依っては不可)
http://labo.wikidharma.org/index.php/顕浄土真実行文類#no12

漢字コードをUTFエンコードしてリンクする場合。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%A1%95%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E6%96%87%E9%A1%9E#no12

上記の三例は同じリンク結果になるはずですが、用途によって使い分けすれば便利です。
なお、親鸞聖人が引文された七祖聖教については[inmon]というボタンをクリックすることによって経・論・釈の引文部分を赤の破線で囲んで表示できます。ただし、親鸞聖人はいわゆる漢文の訓点を替えるとか、また、~したまえりという表現で引文された文章を受動形で表現されて本願力回向の宗議を発揮されておられますから注意が必要です。詳細は、註釈版聖典七祖篇を読むのページを参照。

 

三種の浄土観

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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角川の仏教思想シリーズの『絶対の真理(天台)』を読んでみた。数十年前に購入して読んだ本だが当時は意味がさっぱり判らなかった。いま読み返してみると、こういうことかと、判ることがある。これもお育てであろう。
浄土真宗の浄土という言葉は一般名詞であり、三部経での固有名詞では安楽とか安養、極楽などといわれる。
天台大師智顎の、伝『観経疏』 には、凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土の四種浄土(*)が説かれていて、阿弥陀如来の浄土は報土ではなく凡夫と聖者が同居する凡聖同居土であるとされていた。
このような天台の仏道体系の中にあっては、善導大師が描いて下さった順彼仏願故の、なんまんだぶを称える一行によって凡夫入報(凡夫が報土に生る)の義をあらわしえないとして、別して「我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり」(*)と、浄土宗を建立されたのが法然聖人であった。(*)
この法然聖人の開創された浄土宗を、本願力回向の概念によって包摂されたのが御開山の示される浄土真宗であった。彼土と此土の相待を包み込む本願力回向の世界である。
以下の引用の、田村芳朗氏の『絶対の真理(天台)』でいう、《ある》浄土、《いく》浄土、《なる》浄土というカテゴライズとはおもしろい。
なんまんだぶを称えて念仏衆生摂取不捨の言葉に包まれるている《ある》浄土。
選択本願念仏によってなんまんだぶを称えて往生する覚りの世界へ《いく》浄土。
そして、この二つの現在・当来の本願力回向から恵まれる、なんまんだぶを称える大悲の行を実践しつつ、他者を、本願力回向の仏陀の覚りの世界へ誘(いざな)うことの《なる》浄土。遇いがたき法にあいえた報謝という生き方の、《なる》浄土である。
以下、《ある》浄土、《いく》浄土、《なる》浄土という概念を、少しく田村芳明氏の『絶対の真理(天台)』から窺ってみよう。

三種の浄土観

 この論理を浄土にあてはめれば、娑婆と浄土の不二・空ないし娑婆即浄土ということから、この現実の娑婆をおいて、ほかに浄土はないと、まず説かれよう。積極的にいえば、無常であり苦にみちた現世のただなかにあって、永遠・極楽の浄土を感得することである。
これを一口に、ある浄土といえよう。絶対浄土であり、絶対一元の世界である。天台智顎のいう常寂光土とは、これをさす。妙楽湛然は、それについて、「豈に伽耶(迦耶城)を離れて、別に常寂を求めんや。寂光の外に、別に娑婆有るに非ず」(『法華文句記』巻第二十五)と釈している。

 日本天台にきて恵心僧都源信は、その著『往生要集』で常行三昧法にふれつつ、凡夫・娑婆と彌陀・浄土と「本来空寂にして一体」(巻上之末)と説き、『観心略要集』では、「我が身即ち彌陀、彌陀即ち我が身なれば、娑婆即ち極楽、極楽即ち娑婆なり。……故に遥かに十万億国土を過ぎて安養浄刹を求むべからず。一念の妄心を翻し法性の理を思わば、己心に仏身を見、己心に浄土を見ん」とのべている。

 ところで、娑婆即浄土ということは、あるのは娑婆だけであって、浄土は存在しないということではない。ないというならば娑婆もなければ、それにたいする浄土もなく、あるというならば、娑婆もあれば、それにたいする浄土もあるということである。かくして、ここに不二の上の而二として娑婆と浄土の二が立てられ、生まれゆくべき世界として、浄土が娑婆の彼岸に対置されてくる。これを一口に、ゆく浄土といえよう。絶対の上の相対浄土である。さきの『観心略要集』に、「閻浮を厭離するに非ずして、而も之を厭離し、極楽を欣求するに非ずして、而も之を欣求す。……空なりと雖も、而も往生し、往生すと雖も、而も空なるのみ」と説くところである。

 浄土は、本来、この世界に対立してどこそこにあるとか、未来のかなたにあるとかいう、そういう時間・空間をこえたものである。いいかえれば、浄土は単にこの世界そのものでもないが、単にこの世界に対立して存するものでもない。これを積極的に表現すれば、それは、われわれの前に現在する浄土であるとともに、死ぬことによっておもむく浄土でもある。逆に、死後生まれゆく浄土は、現世において、すでに、その中に生きてある浄土である。このある浄土とゆく浄土とは、仏の側からは、全く一なるものである。けだし、仏にあっては、未来は常に永遠の現在(本時)であり、彼岸は常に永遠の此岸(本土)であるといいうるからである。本時とか本土ということは、『法華玄義』巻第七上などで強調されている。

 われわれについていえば、有限・相対の種々の衣をまとって生活せねばならないこの人生にあるあいだは、信によって無限・絶対の浄土にひたる(ある浄土)のであり、死の門をくぐるときには、それらの衣をぬぎすてて、その浄土におもむく(ゆく浄土)のである。こういうわけで、浄土が来世に設定される。

 なお、浄土観について、いま一つ存する。それは、よく浄仏国土ということばで表現されるものである。つまり、仏土を浄めるということであり、浄土の現実実践であり、浄土を現実社会の中に実現するということである。社会の浄土化である。これを.一口に、なる浄土といえよう。人間としてこの世に生をうけた意義・目的、あるいはなすべき努力、仏教用語でいえば菩薩行は、この浄仏国土にあるとされる。『維摩経』に、「諸仏の国土の永寂如空なるを観ずと雖も、而も種々の清浄の仏土を現ずる、是れ菩薩の行なり」(「問疾品」第五)と説かれ、『法華経』においても、「仏土を浄めんが為の故に、常に勤め精進し、衆生を教化せん」(「五百弟子受記品」第八)などというところである。

このなる浄土をさきのある浄土とゆく浄土とに合わせると、つぎのごとく考えられよう。この人間界に生をうけたわれわれは、仏法を信じ、実相を体得することによって、有限・相対の人間界にありながら無限・絶対の境地にひたる(ある浄土)のであり、そうして生あるかぎり、各自、その持ち場をとおして仏法を生活に顕現し、ひいては仏国土建設に努力していく(なる浄土)のであり、生を終えて死の門をくぐるときには、本来の永遠なる故郷に帰りゆく(ゆく浄土)のである。

こうして仏教に、ある浄土となる浄土とゆく浄土の三つが立てられるにいたったのである。日蓮に例をとれば、『立正安国論』(三十九歳)の述作ごろまでは、絶対的一元論に立って現実を肯定し、ある浄土を主張し、それ以後、佐渡流罪(五十歳)にかけては、受難を契機としてしだいに現実対決的、社会改革的となり、なる浄土を強調し、身延退隠(五十三歳)以後は、仏国土建設は未来に託し、みずからはゆく浄土を志向するにいたっている。

この三種の浄土観は、あい矛盾するものではなく、もともと一体たるものである。時と場合、あるいはひとびとの機根に応じて、その中のどれかに力点がおかれ、強調されたのである。そういうことで、阿彌陀仏および西方浄土を止観の対象とする常行三昧法が考案された次第である。

 

ようするに、三種の浄土観は、なんまんだぶの一句が根源であり、それを披いての考察であろうが、御開山が浄土真宗と定義された上からは、往生浄土の《いく》浄土をであった。天台教学の素晴らしさを受容しつつ、

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。(信文類)

しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにしてを見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。(真仏土文類)

と、真の仏性の開覚(見性)は浄土であると述懐されたのではあった。
意味が判らなくてもいいのですよ。なんまんだぶと称える中に、《ある》浄土も、《いく》浄土も、《なる》浄土も、全部用意してあるから、なんまんだぶを称え生きて、そして死んで来いというのである。本願力回向の大悲の至極であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ やったね!!

 

 

補助線

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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中学生の頃に算数の幾何の証明に、問いの図にはない線、つまり補助線を引いて答えを導く方法があった。図形に対する補助線がうまく引ければ答えを出すことが可能になるということである。
三平方の定理は、ピタゴラスが規則的に配置された正方形の敷石を眺めていて発見した定理だといわれるが、初めてこの定理を補助線を使って説明されたときは、わかったぁ!という知的興奮に襲われたものである。
いわゆる、Aの二乗はBの二乗+Cの二乗と等しいということであるが、Aの事情はBの事情とCの事情によるとの関係性の補助線を引くことで考察できるのであろう。

そのような意味では、新しい概念を補助線として使い、なんまんだぶのご法義を領解する方法もあるのだが、これは方法であって目的ではないということを理解しておかないと、御開山のお領解と齟齬するものが出てくると思ふ。要するに御開山の思想は御開山のところにおいて考察すべきであるということである。

と、いうわけで、一元論/二元論という概念を補助線として使い、絶対一元論の天台教学と、その一元論から必然的に生まれた現実直視の法然聖人の二元論を論じたリンク先の田村芳朗氏の説は面白い。天台の絶対一元論から法然聖人の念仏往生の二元論へ、そしてそれを内包して念仏成仏とされたのが本願力回向という浄土真宗である。御開山の著述は重層的で難解なのだが、適宜な補助線を引くことによって、より深くその意味を把握できることもあるのであろうと思ふ。

この角川の「仏教の思想シリーズ」は、たしかハードカバーを持っていた筈なのだが、何故か手元にないので文庫本から下記のリンク先の文を引用した。

『仏教の思想5 絶対の真理〈天台〉』

わが名をよびて

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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詩人三好達治は。五年ほど福井県三国町に住んだことがある。その思い出からか三国町を「わが心のふるさと」と呼んだそうである。
彼は、福井県内の高校の校歌や「福井県民の歌」という県歌などの作詞も手がけた。東尋坊へ続く荒磯遊歩道には「三好碑」などもある。
そんな彼に「わが名をよびて」という詩がある。

わが名をよびて

わが名をよびてたまはれ
いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ

この詩で、「わが名をよびてたまはれ」と呼びかけている相手は誰であろうか。
「いとけなき日の名」と、幼い頃の名で「よびてたまはれ」とあり、母親にむかっての呼びかけであろう。もう二度と開くことのない母の口から、わが名をよびてたまはれという願いであろう。幼い頃の母の、われをよびたまふ声は、すべてを許し包容するなつかしい声である。
生きることの苦しみや悲しみも知らなかった頃。つらくやるせない言葉にもできないせつなさも知らなかったころの名で「わが名をよびてたまはれ」と、いうのであろう。
今はもう煩悩のかたまりでしかない私を、いま一度呼びさましてくれというのである。

浄土真宗では阿弥陀如来を親さまと呼ぶ。
信という字は信(まかせる)とも訓じるが、おやの呼ぶ声に全てを信(まか)せることが浄土真宗のご信心である。わたしが信ずるのではない、わたくしはおやの呼ぶこえに包まれているのである。なんまんだぶの声に包摂されているから、私は私の信を知る必要がない。私は知るものではなく如来の信によって知られるものであった。生も死も親さまが知って下さるからこちらが案ずることではない。これを安心(あんじん)というのである。

このご法義の先人は、

 南無阿弥陀仏 声は一つに味二つ おやのよぶ声 子のしたう声

という句を示して下さった。
おやのよぶ声が、そのまま子がおやを慕う声である。

「わが名をよびてたまはれ」という想いは、なんまんだぶという声になり、なんまんだぶと聞こえる、わが名であるにちがいない。
仏から呼びかけられる声が、なんまんだぶであるということは、われをよぶ声がすなわちわれがおやをよぶ声である。

御開山が、「帰命は本願招喚の勅命なり」の喚の左訓に、よばう(呼び続ける)とされた所以である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……