親鸞思想 不当に拡大

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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親鸞思想不当に拡大

 

梅原猛氏の浄土教に対する考察には、ちょっと?の部分があるのだが、若い頃は「梅原猛著作集」のシリーズの配本を受けてたりした。大谷派の坊主が常に機の深信の話をするので「地獄の思想」というものに興味があったからである。
もっとも内容は、ほぼ完璧に忘れていたりする(笑

明治以降の近代化という波のなかで、世間の死生観が変化したこともあり、それに対応するため、言葉を変えて世俗に迎合するために近代教学というものが生まれたのであろう。中学生の頃、爺さんの本箱から、清沢満之師の「我が心念」という小著を引っ張り出して読み少しく感動し、我が家のなんまんだぶの御開山って宗教は、あまり莫迦には出来んなと思ったこともある。

しこうして、色々紆余曲折はあったのだが、俵山の和上の梵声猶雷震という驚くべきご法義の規矩に出遇って、一人の愚か者として落居したとき、なんまんだぶを称え仏陀になるという教説を領解することが出来た。
爾来、暇つぶしでお聖教を拝読し、これはこれはと、よく組んであるなと御開山の「教行証」を披いて浄土教の綱格を学んでいたりする。

そんなこんなで、近代教学や現代教学を論ずる前に、御開山聖人や、なんまんだぶを称えて生死を超えてきた名も無き群萌に、自らの想いを同値する道もあるのであろう。
林遊が坊主を嫌いで攻撃する訳は、本願に選択摂取して下さった、なんまんだぶを称える門徒を坊主が揶揄し軽侮するからである。林遊が在家の身でありながら、せめて坊主程度にはお聖教を拝読し、浄土真宗のご法義はなんまんだぶを称える御宗旨ですと、ありもしない信心に狂っている坊主に、なんまんだぶに乗せられた本物のご信心をぶつけるためでもあった。

坊主ほど、なんまんだぶを称えない奴はいないのだが、特に大谷派の近代教学とやらに毒された莫迦坊主は始末のしようがないな。

念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ

坊主が、口角泡をとばして信心を論ずるまえに、お前は、なんまんだぶせぇやと思ふ日々ではある。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

汝一心正念にして直ちに来れ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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良寛さんの漢詩を味わっててふと思ふ。

漢文に比べて現代語とか読み下し文は、判り易い。しかし漢字という文字の個々の意味に対しての考察が足りなくなるように思ふ。もちろん情緒的な詩文と宗教言語と表現形式の違いはあるのだが、漢文は単純な分だけ意味の深さを探れるように思ふ。
と、いうわけで『愚禿鈔』(*)から二河譬の「汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん」の漢字の意味を窺ってみる。
この一文は林遊に対して、汝と呼びかれられるところが好きなので時々暗誦していたりする。いわゆる、汝としての自己の発見である。

汝一心 正念直来 我能護

「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」といふは、

「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。

」の言は行者なり、これすなはち必定の菩薩と名づく。

龍樹大士『十住毘婆沙論』にいはく、「即時入必定」(*)となり。
曇鸞菩薩の『論』には、「入正定聚之数」(*)といへり。
善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」(*)といへり。

一心」の言は、真実の信心なり。

正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行(*)なり、金剛不壊の心なり。

」の言は、回に対し迂に対するなり。
また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。

」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。

」の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり。

」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。

」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなはちこれ現生護念なり。

浄土真宗のなんまんだぶのご法義は、本願力回向の宗義であるから求道ということはあり得ないのである。ところが『観経疏』散善義の回向発願心釈に二河白道の譬えがあるので、これを求道と勘違いする輩が時々いる。こういうと、それでは聴聞は求道ではないのかと時々問う輩がいる。浄土真宗の聴聞は因位の阿弥陀如来(法蔵菩薩)が五劫兆載永劫かかって選択摂取して下さった願心を聴くのである。これを素直に聴けば聞えるのであるが、自らが求道という蟻地獄に嵌っている人には聞えないのであろう。
そもそも聴聞とは、法蔵から弥陀へという仏願の生起本末を聞くのである。この聞が信である。浄土真宗というご法義は、私の側の話ではなく、私の思いと無関係に、阿弥陀仏が一方的に願心荘厳と浄土を建立して、「汝一心正念にして直ちに来れ」というのである。
汝の生き方や思想・信条・善悪・賢愚・老少等々を問わず、唯々なんまんだぶを称えて来いというのである。
御開山は正念を、「第一希有の行」とお示しなのは、なんまんだぶを称えて本願の大道を歩んで来いということである。「第一希有の行」と菩薩や声聞や縁覚まして凡夫の修す行ではなく、第十七願の諸仏の行である南無阿弥陀仏を行じるから希有の行と仰せなのである。これが大行なのである。

この諸仏の行である、なんまんだぶが私の上で行じられる受け心を、選択摂取の本願と言い、一心とも金剛不壊の心ともいうのである。声となった、なんまんだぶは救いの行法であり、それを受け容れて、「念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」(*)である。この摂取不捨のゆえに「即時入必定」とも「入正定聚之数」ともいい、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」と讃じてくださるのである。

それにしても、利他力のご法義をお伝えする僧分が、二河譬をよく理解していないから、「凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近」(おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず)(*)という絶対平等の救いを説ききらず、二河白道の道の言葉に拘泥して求道という概念を二河譬に導入したのかもと思っていたりする。いわゆる近代教学に毒されて自らを啓蒙する指導者であると誤解したからなのであろう。

二河譬は、乗彼願力之道(かの願力の道に乗ず)る譬喩であり、求道を表現している譬えではないのである。

本尊は、なんまんだぶです

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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林遊は名号フェチではないのだが、一部で

「コピー&ペースト正本尊」(*)とか「本物の六字名号」(*)とかで迷う者がいるので、

文字としての名号本尊論を揶揄してきたものである。
批判の対象は、蓮師の「木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」の名号を誤解して、南无阿弥陀仏という字に拘泥する輩に、汝らは口業の、なんまんだぶの救済を知らざるやという意味であった。
本願を信じ、念仏を申して、仏になるという、本願力回向のご法義が浄土真宗というご法義である。この原則を受け容れた者に開顕される救いが、回向された仏心である信心のご法義である。頭の悪そうな真宗坊主が信心正因と説いて僧俗を迷わせているが、御当流は、なんまんだぶを称えるご宗旨である。
そんなこんなで、暇なので御開山の揮毫された名号をUPしてみた。

名号画像

 

廻因向果から廻思向道へ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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本願寺派の『註釈版聖典』二版では二河譬の合譬で、

ただちに西に向かふ〉といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。(*)

の、回しての脚注は「ここでの「回」は、回転、回捨の意。 ひるがえし捨てて。」となっている。この「回諸行業」とはもろもろの雑行をひるがえし捨てる、という意味である。

しかして、この回(え)す、という言葉の意味が判りにくい。回(廻)ということは方向を転換するという意味である。これについて『親鸞の世界』(東本願寺出版部)という本の説明が判りやすいのでUPしてみた。
この本は、御開山の七百回忌を記念して、鈴木大拙師、曾我量深師、金子大榮師の鼎談を西谷啓治師が司会されたものである。二十代の頃、じいさん(父親)の本箱から引っ張り出して読んだものだ。当時は、なんまんだぶを称えるご法義の凄さが解らずに、この本を縁として禅に興味を持って、もっぱら鈴木大拙師の禅関係の本を読んでいたものである(笑

二河の譬

西谷 そこでさっきの曽我先生のお話で自利・利他ということですが、そのまえに、廻向といふうなことには二つの意味があると言われましたですね。廻因向果、それから廻思向道ですね。これはやはり衆生の側の廻向ということに……。

曾我 はあ。自力を捨てるということでですね。廻思向道ということは「二河讐」のところから出てきてますね。「二河讐」のはじめには、やはり廻因向果の道しかわからないですわね。廻因向果の道しかわからぬともがらは、ただ経文を読むべからずですね。

西谷 しかし、普通の、つまり人間……。

曾我 そうです。普通の人間相互の関係ですね、そのいろいろの関係を、人間と仏との関係に応用してきた。それが廻因向果であります。その廻因向果という道を歩こうとすると、まったくもう、「ただこれ自力にして他力の持(たも)つなし」という、本当の孤独というものになるですね。ところが、だんだんその孤独というところに徹してくる。
『二河譬」(『観経疏』散善義)でいいますと、はじめには道は近くて、彼岸はもう目の前にありますけれども、火の河・水の河がおそろしいと、その中間に道があるけれどもその道は狭小であって、とても渡ることができない。それは廻因向果の道では狭いんです。果はすぐ目の前にあるわげですわね。その目の前に果が見えるもんだからして、因を廻らして果に向かおうとするのだけれども、そこに火の河・水の河が道を湿おし、道を焼いて、そうして、さなきだに狭い四、五寸の道が、一寸一分にもおよばん狭いものになる。廻因向果の道としてみるときになれば、まったくそれはもう、行かれませんですよ。一足先へも行くことができない。それをさらに徹していくんでししょう。それでまったく行きづまってしまう。

で、「我いま廻(かえ)らばまた死せん、住(とど)まらばまた死ぜん、去かばまた死せん」、三定死といいます。とどまっても定んで死すると、前に進んでも定んで死すると、左右へ逃げても定んで死すると、死ぬということが決定していると。どっちにしても決定している。つまり廻因向果でもってまったく行きづまったと。その行きづまったときに、いわゆる窮して通ずるという、そういうことが出てくるんでありましょう。それでこの、
「一種として死を免れざれば、我むしろこの道を尋ねて、前に向うて去(い)かん」と。どうせ死ぬのであれば、死を覚悟して、この道をたずねていこうと、こう自分が決心した。その決心を、それを廻思向道というのでありましょう。廻因向果から廻思向道へ転じた。そういうんですね。廻因向果の廻向心から廻思向道の廻向心に転じた。つまり自力の廻向心から他力の廻向心に転じた。そういうんであります。

三定死をくぐって、そうして死ぬということが決定するならば、逃げて死んだり、横向きになって避けて死んだりするよりは、前向きになって死んだ方がいいと。同じ屍をさらすものならば、前向きになって屍をさらしたいと、こう覚悟したんでありましょう。そのように覚悟したら、そのときに「東の岸に忽ち人の勧むる声を聞く、なんぢただ決定してこの道を尋ねて行け、かならず死の難無けん」と、東の岸の発遣の命令。それと同時にまた「西岸の上に人有って喚んでいわく、汝一心正念にして直ちに来たれ、我よく汝を護らん、すべて水火の難に堕することを畏れざれ」と。この人すでにここに遣わし、かしこに喚ぼうを聞いて、水火二河を畏れず、そうして西に向かってすすんでいったと。それをつまり廻思向道というんです。廻因向果の道から廻思向道という、白道四、五寸の道がそのままその本願の大道になった。そういうんでありまして、「二河譬」に出ているんです。同じ屍をさらすなら、横向きや後向きは恥をさらすだけだと。そうでなくして、前向きにすすんだら、おなじ死んでもとにかく正しい死に方である。ですから死を覚悟して、すすんでいこうと決心した。そうですわね。そうすれば『歎異抄』の第二章とおなじでありましょう。「いずれの行もおよび難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」と、そして「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず」と転じてきます。弥陀と釈迦と出てきますね。二尊の勅命を聞いて、そうして水火二河をかえりみない。おそれもせず後退もしないと。まっすぐに一心一向に進むと。ふりかえることはもちろんのこと、横も、右も左も向かずに、まっすぐに行くと。まっすぐに行けば、もうその道は狭い道じゃなくて、本願の大道である。それを廻思向道というのであります。

西谷 そこではじめて、如来の声を聞くという……。

曾我 ええ、如来の本当の声を聞くと。いままでは、ただお経にそういう文字があるということだけ考えている。ところがその経文の文字が生きた声、生きた言葉になった。廻思向道というところに生きた声になった。廻因向果のところではただ死んだ文字でありましょう。それは経文が死んでいるんでありましょう。ところが千年も二千年も昔の経典でありますけれども、その経典が生きてくるんでありましょう。

西谷 それはつまり如来の大悲に触れたというふうにいってもいいわけでしょうか。

曾我 それは「聞其名号信心歓喜」(『大経』下巻)といいます。南無阿弥陀仏といいます。経の体、南無阿弥陀仏であると。
「是を以て、如来の本願を説くを経の宗致と為す、即ち仏の名号を以て経の体とするなり。」と、「教の巻」には釈遡・弥陀二尊について、『大無量寿経』の大意というものを述べております。「この経の大意は」と、それから「是を以て」と、経の大意から推していくんです。推していくならば、「是を以て、如来の本願を説くを経の宗致と為す」と。
その本願を以て経の宗致とするならば、「即ち」と、即ちで抑さえたんですね。「即ち」と宗を抑さえて、「即ち仏の名号を以て経の体とする」のであると。ですからいままではただ、お経を読んでもお経の言葉というものが死んだ言葉であった。その死んだ文字が生きた言葉になる。廻因向果などというときは、どうしても「ただ是れ自力にして他力の持つなし」(『論註』上巻)ということになりますが、廻思向道へくると、はじめて本願他力の大道というものを発見する。大道を発見したということは、「如来の本願を説くを経の宗致と為す、即ち仏の名号を以て経の体とする」という、そういうことに目を開いた。

ここで曾我師が述べておられるのは、廻因向果(因をめぐらして果に向かう)と、廻思向道(思いをめぐらして道に向かう)ということの違いについてである。
なんまんだぶのご法義は、本願力回向のご法義であって、善根を積むという因をめぐらして果に向かうようなご法義ではない。二河の譬喩によってあらわされる、廻因向果から廻思向道へということは行為の主体が転換するするということである。
人間の世界は、因を修して果へ向かうという、いわゆる因果の法則の支配する世界である。 曾我師が仰るように、このような人間世界の対人関係性の論理を阿弥陀如来の救済に関連づけるから、凡夫の口先に称えられている仏智の顕現としての、なんまんだぶつを見失うのであろう。

御開山は、浄土真宗の宗体を決示して、

ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。(*)

と、『無量寿経』の体(本体)は、なんまんだぶであるとお示しである。阿弥陀如来の救済の法は、なんまんだぶなのである。念仏成仏これ真宗である。
この、なんまんだぶの成仏の法は、いつでも、どこでも、だれにでもという無始無終の救済法であり、この永遠の救いの法が、たまたま私に中(あた)る<>を信心というのである。
永遠には時間は存在しないのであるが、その永遠の救いの法が、有限な時間的存在である私と接点を結んだときには時間が立つ。御開山が、「信一念釈」で、「信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕」(*)すと仰った所以である。

浅原才市さんが、「ねんぶつの、ほうから、わしのこころにあたる、ねんぶつ。」と言われたように、なんまんだぶの救いの法が、私の心に中(あた)る時、「すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」(*)なのである。

御開山が、『行巻』「大行釈」で、

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。(*)

と、仰っているのは、自らの行為によって拵えた因によって果を獲ようとする「廻因向果」ではなく、阿弥陀如来の選択摂取して下さった、なんまんだぶの本願に思いをめぐらして大道に向かうという「廻思向道」という主体の転換をあらわす言葉だったのである。本願によって選択摂取された、なんまんだぶを称える行こそが「往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなり」(*)である。御開山が自らの主著を『教行証』と呼ばれた所以である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

煩悩や なにかつかまな さみしいか

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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前川五郎松っあん。
ばあちゃん(母親)が懇意にしていたので、自宅へ来て頂いたり訪問したりのときに運転手役をさせられたものだ。
飄々とした爺さんだったが、偽者のこしらえた信心を見分けるのが得意であり、優しさの中にありながら厳しい人だった記憶がある。
以下の詩には題名がないのだが、文中の一文を採って「煩悩や なにかつかまな さみしいか」としておく

夕立や 降りよが足らんで あがらんぞ
よろこびや どこまでつづく 狸爺々
ありがたや ありがたいのを どうするの
ありがたや ありがたいのが いのちとり

煩悩や なにかつかまな さみしいか
狸爺々 なにかつかむと うれしいか
弥陀仏を あてにしてると はずれるぞ
おたすけや われが力きむと つな切きれる

そのままや わがまま気ままと まちがうな
わがままを このまま救いと たわけるな

なあ爺々や 聞こえたつもりが あぶないぞ
わが心 知れた思いが 買いかぶり
凡夫とは わが身を許いて 高いびき
知れたとは わが身にこわくて 泣く人を言う

青空に たこはあがれど ひもつきじゃ
こら爺々 爺々の安心 ひもつきじゃ
この爺々は 頭さげれど ひもつきじゃ

これほどに よろこばれるのが 危ないぞ
これほどに よろこばれるのが いのちとり
これほどに これまでつかんで すわりこむ

念仏は 聞けよ聞けよの 誘いだし
誘われて 断りするのに いそがしい
阿弥陀さん 呼ばずに 居れん業なひと
この爺々は 呼べど こがせど 逃げまわる
つまずきは 忘れ心に ごさいそく
悲しみは 親に賜る知恵袋  「一息が仏力さま」より

 なんまんだぶのご法義は、自己のこしらえた固く堅く思い固めた信心から開放するご法義なのだが、 自我の確立という視点で信を考えるととたんに判らなくなるんだろうな。とはいえ、他力の語に騙されて能称のなんまんだぶをを否定する輩にも困ったものだ(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

光明と名号と信心

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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法然聖人の語録を拝見していると、御開山が仰っていることは法然聖人が述べられたことを敷衍して整理発展してなさるんじゃなと思ふ。
御開山は、五願立法といって、根本の第十八願を、第十一願、第十二願、第十三願、第十七願、そして本願力による還相の第二十二願を釈されておられる。
このうち、第十八願の念仏往生の願は当然として、第十二願、第十三願、そして諸仏称揚の願の第十七願をあげておられるのは法然聖人が先駆であった。法然聖人が『三部経大意』(*)に明かされる願の意図を御開山が正確に相承された結果であろう。

さて、浄土真宗における救いは何であるかであるが、それは名号(なんまんだぶ)である。時々「信心正因」の語に幻惑されて、ありもしない信心なるものを自らの心に問うのであるが、これは間違いである。救いの法(なんまんだぶ)を抜きにして信心を論ずるから訳が判らなくなるのである。「以光明名号 摂化十方 但使信心求念」(礼讃)であって浄土真宗の信心とは、名号(なんまんだぶ)が私のものになったところを論ずるのである。古人が、「名号の機にあるのを信心という」と示される所以である。
と、いうわけで、法然聖人の『三部経大意』から、御開山の「両重因縁釈」の元になった文章を引用してみる。

つぎに名号をもて因として、衆生を引摂せむがために、念仏往生の願をたてたまへり。第十八願の願これなり。その名を往生の因としたまへることを、一切衆生にあまねくきかしめむがために諸仏称揚の願をたてたまへり、第十七の願これなり。
このゆへに釈迦如来のこの土にしてときたまふがごとく、十方におのおの恒河沙の仏ましまして、おなじくこれをしめしたまへるなり。しかれば光明の縁あまねく十方世界をてらしてもらすことなく、名号の因は十方諸仏称讃したまひてきこへずといふことなし。
「我至成仏道、名声超十方、究竟靡所聞、誓不成正覚」{大経巻上}とちかひたまひし、このゆへなり。しかればすなわち、光明の縁と名号の因と和合せば、摂取不捨の益をかぶらむことうたがふべからず。
このゆへに『往生礼讃』の序にいはく、「諸仏の所証は平等にして、これひとつなれども、もし願行をもてきたしおさむれば、因縁なきにあらず。しかも弥陀世尊もと深重の誓願をおこして、光明・名号をもて十方を摂取したまふ」といへり。

この法然聖人の『三部経大意』の意を正確に相承されたのが、以下の御開山の両重因縁釈」(*)である。

 まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしといへども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。
真実信の業識、これすなはち内因とす。光明名の父母、これすなはち外縁とす。内外の因縁和合して報土の真身を得証す。ゆゑに宗師(善導)は、「光明名号をもつて十方を摂化したまふ、ただ信心をして求念せしむ」(礼讃 六五九)とのたまへり。
また「念仏成仏これ真宗」(五会法事讃)といへり。また「真宗遇ひがたし」(散善義 五〇一)といへるをや、知るべしと。
現代語:
(阿弥陀仏という名は、念仏の衆生を摂取して捨てないといういわれを顕しているということによって)次のような事柄を知ることができました。阿弥陀仏の徳のすべてがこもっている慈父に譬えられるような名号がましまさなかったならば、往生を可能にする因が欠けるでしょう。また念仏の衆生を摂取して護りたまう悲母に譬えられるような光明がましまさなかったならば、往生を可能にする縁がないことになりましょう。

 しかしこれらの因と緑とが揃っていたとしても、もし念仏の衆生を摂取して捨てないという光明・名号のいわれを疑いなく信受するという信心がなければ、さとりの境界である光明無量の浄土に到ることはできません。信心は個体発生の根元である業識に譬えられるようなものです。それゆえ、往生の真因を機のうえで的示するならば、真実の信心を業識のように内に開ける因とし、母なる光明と父なる名号とは、外から加わる法縁とみなすべきです。これら内外の因縁がそろって、真実の報土に往生し、仏と同体のさとりを得るのです。

 それゆえ善導大師は『往生礼讃』の前序に、「阿弥陀仏は、光明と名号をもって十方の世界のあらゆる衆生を育て導いてくださいます。そのお陰で私たちは、その救いのまことであることを疑いなく信受して往生一定と浄土を期するばかりです」といわれ、また『五会法事讃』には、「念仏して成仏することこそ真実の仏法である」といわれ、また『観経疏』には、「真実のみ教えには、私のはからいで遇うことは決してできない」といわれています。よく知るべきです。

浄土真宗は、念仏抜きの「信心成仏是真宗」の御法義ではないのである。
私の口先に、なんまんだぶ、なんまんだぶと称える/称えられる行業が、
「安養浄土の往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。正因といふは、浄土に生れて仏にかならず成るたねと申すなり。」(*)であったのである。ちなみに御開山が信心正因とおっしゃるのは、大乗仏教の結論である『涅槃経』の教説によって、悉有仏性を信心仏性と言いたいためであった。(*)

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

和語灯録あれこれ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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法然聖人の語録『和語灯録』を編集中。

当時は文章を読むという行為は声に出すということだったそうだが、自らが発した言葉を自らが聞くということを大事にしたのであろう。そもそも、人類が文字を使い始めたのは5千年ほど前からとされ、人は眼から入った文字情報を脳内で音に変換して認識しているといわれる。
この眼からの文字情報を、音に変換する機能がうまく働かない人を指して識字障害というそうだが、言葉とは本来、耳で聞くものであって眼で認識するものではないのであろう。
ただ、漢字は象形文字であるから眼で表象情報を得るのだが、それを言葉の領域に導入して概念化するには音に変換する必要があるのだと思ふ。小学生の頃に朗読の宿題というものがあったが、言葉は音であるということを知らしめる意味もあったのであろうと思ふ。
そのような意味では、法要で坊主が自分自身で意味も判らずに経典を音読するという行為にも意味があるのであろう。

と、いうわけで800年ほど前の法然聖人の語録であるが、声に出して読むと耳底に響くものがあると思案していたりする。聞其名号の「梵声悟深遠 微妙聞十方」(浄土論)の、なんまんだぶではあるな。

ちゅう訳で『和語灯録』の三部経釈は、「三部経大意」と少しく趣旨が違うので、御誓言の書(いわゆる一枚起請文)以下をリンクしておく。

御誓言の書

幸西大徳の六字釈

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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先日のブログ「無量寿仏観経」で、「すなわち南無までも阿弥陀仏の名号とすることの意義は、のちに別時門の六字釈のところで明かされていく。」とあるので、梯實圓和上著の『玄義分抄講述』から、その幸西大徳の六字釈の部分をUPする。

六字釈

[本文]

一、従「今此親経」下至「必得往生」已來ハ、願行本ヨリ具足セリ、具不具ヲ努クスヘカラスト也。斯乃上二餘願餘行ヲキラハムカ為二、但行但願ノ無所至ナル事ヲ論ス。重々ノ問答ヒトヘニ願行ノ具不、相績ノ有無ヲ取捨スルニ似タリ。故二今願ノ眞實ノ相ヲ結シテ行者ノ安心ヲ定ム。當知南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也。

[意訳]

一、「今此観経」より、下の「必得往生(必ず往生を得)」に至るまでは、(南無阿弥陀仏には)願行が本来具足している。いまさら具しているか具していないかを考えて心をつかれさせるべきではないというのである。すなわちこれは上に、余他の願、余他の行をきらい捨てるために、行のみでも、願のみでも至る所がない(果が得られない)と論じてきた。上来のかさねがさねの問答は、行者のはからいによる願と行の具と不具、相続の有無を取捨するものであるようにみえた。それゆえ今は願の真実のありさまをあらわしてしめくくり、行者の安心のありようを定めたのである。それは、南無阿弥陀仏と称念する外に、帰命も(外部から)入れてはならない、発願も入れてはならない、廻向も入れてはならない。ただ仏智(南無阿弥陀仏)を領解する一心にみな具足しているということを知るべきであるというのである。

[講述]

「一、従今此観経下至必得往生已來ハ、願行本ヨリ具足セリ、具不具ヲ努クスヘカラスト也」とは第四間答のなかの六字釈についての幸西独白の見解をのべたものである。「玄義分」の文は次の如くである。

今此の観経の中の十声の称仏は、即ち十願・十行有りて具足す。云何が具足する。南無と言ふは即ち是帰命なり、亦是発願廻向の義なり。阿弥陀仏と言ふは即ち是其の行なり。斯の義を以ての故に必ず往生を得。(三六六頁)(*)

幸西はこの六字釈によって「願行本ヨリ具足セリ」という。「本ヨリ」とは本来ということで、行者のはからいを超えていることをあらわすから、南無阿弥陀仏に本来願行を具足しているのであって、行者のはからいによって具足するものではないというのである。それゆえ「具不具ヲ努クスヘカラス」というのである。念仏して願行を具足していくのではなく、念仏していることは本来六字の名号に具足している願行を領受しているありさまに外ならないというのである。

上来の問答において願のみでも行のみでも往生は出来ないといって願行具足すべきことを論じて来た。それはまるで行者のはからいによって具したり具さなかったり、あるいは行者の努力の有無によって相続したりしなかったりするかのような明し方であった。そこでここに来って第四間答の「願の意云何ぞ」という問いに答えて願の真実のすがたをあらわして行者の信心のありようを確定して問答を結ぶのがこの六字釈である。すなわち「南無阿彌陀佛ト念スル外二歸命モ入ルヘカラス、發願モ入ルヘカラス、廻向モ入ルヘカラス、唯佛智ヲ了スル一心二皆具足スト也」と知らせようとして六字釈が施されたというのである。

この「南無阿彌陀佛ト念スル」とは、「十声の称仏」のことであるから、南無阿弥陀仏と称えることである。しかしあえて「念スル」といって「称スル」といわないのは、それがそのまま「佛智ヲ了スル一心」すなわち信心でもあることをしらせようとしたものではなかろうか。ともあれ「南無阿弥陀仏」と仏智を領受して称えるところに、帰命も、発願も、廻向も具足しているのであるから、行者の方から別して帰命したり、発願したり、廻向したりしてつけ加える必要はないというのである。それを幸西は、すべて「佛智ヲ了スル一心二皆具足」しているからであるといわれる。仏智とは弘願であり、南無阿弥陀仏の異名であることはしばしば述べたところである。仏智を了するとは本願を信受することであり、南無阿弥陀仏を領受する信心のことであるから一心」というのである。
なおここには行について特別の釈は施されていないが、南無阿弥陀仏が往生行として選択された行体であることは法然門下の人々にとっては自明のことがらであったからである。また上来しばしば乃至一念を行とするということがいわれていたが、幸西は一念が往生行であるのは、称えて行にするというよりも、行である名号を称えてあらわすというような意味さえもたせていたといえよう。

こうして幸西は、南無阿弥陀仏とは、本来衆生往生のための願行を具足していて、往生の真因たるべく成就されている法であるとみられていたことがわかる。いいかえれば阿弥陀仏だけが名号なのではなくて、南無までも名号であり、衆生の帰命と発願廻向を法としてすでに成就されていることをそこにあらわしているとみられていたことがわかる。釈名門に「無量壽ト云ハ念佛、彼ノ佛ノ名ヲ念ス、故二南無阿彌陀佛ト釋シ御セリ」といい、その所念の法をさして「當知南無阿彌陀佛トイハ決定成佛之因也ト云事ヲ」といわれていたが、六字名号が決定成仏の因であることを、今は願行具足の法として釈顕されたのである。この願行具足の名号を選択した願心が大乗広智とよばれる仏智であり、その願心を表明したのが弘願であり、その願心を領解し仏智と相応しているのが信心(一心)であった。その信心は一声の称名にあらわれている南無阿弥陀仏が願行具足した往生の生因であると了知する心であるから、「信をば一念に生るととる」といわれるというのが幸西の一念の義であった。

幸西大徳は「行者の信念と佛心相應して、心、佛智の願力の一念に契い、能所無二、信智唯一念、念相續して決定往生す。」(*)とされており、非常に一念の信を強調された。
この信は『無量寿経』に説かれる、「仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智」(*) の中の大乗広智であり、あらゆるものを運載して成仏せしめるという大乗の広智のことである。そして幸西大徳にとっては、南無阿弥陀仏とはそれを選択せられた背後の大乗広智という智慧が信の体であったのである。

御開山は「大信釈」で、

しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ること難し。なにをもつてのゆゑに、いまし如来の加威力によるがゆゑなり、博く大悲広慧の力によるがゆゑなり。たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず。(*)

と、真実の信楽を獲得することは、「博く大悲広慧の力によるがゆゑなり」とされておられる。この広慧の力とは『如来会』の、

「汝、殊勝智の者を観ずるに、彼は広慧の力に因るが故に、彼は蓮花の中に化生することを受けて、結加趺坐す。」(*)

の「因広慧力故」(広慧の力)という言葉によられたのであろう。
ともあれ御二人に共通することは、信の強調とその信は仏智を体としているということであった。家の三千回以上の聴聞を重ねた爺さんは「ご信心ちゅうのはな、仏智満入ちゅうて阿弥陀さまの智慧がこの五体に入り満ちて下さるちゅうことやぞ」と、よく言っていたものである。
その阿弥陀如来の仏智が、なんまんだぶという相をとって私の上に顕現しているということが浄土真宗における行/信の据わりであった。
法然聖人が「信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはけむへし。」と、仰せられた所以である。(*) 

(35)
智慧の念仏うることは
法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし

なんまんだぶは智慧であり、信心もまた智慧であったのである。なんまんだぶを称えるということは、ありえないことが私の身の上に起こっていることへの驚きであった。ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

無量寿仏観経

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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法然聖人門下に御開山の先輩で10歳年上の幸西大徳という方がおられる。あまりなじみのない方であるが『歎異抄』末尾の流罪記録に幸西成覚房と記されている人がその方である。(*)
凝然大徳の『淨土法門源流章』(*)には法然上人の弟子として一番最初にあげられておられる方でもあるのだが、その法流がはやく廃れたためあまり著名ではない。
この幸西大徳の思想は非常に御開山と近い。この人の著書である『玄義分抄』は大正時代に発見された。それの解説である梯實圓和上著の『玄義分抄講述』をはじめて読んだときは、法然聖人と御開山を結ぶミッシングリングに出逢えたようで非常に感銘した記憶がある。
もちろん御開山の書写された『西方指南抄』(*)や、法然聖人の語録『三部経大意』(*)、『醍醐本法然上人伝記」(*)、『三心料簡』(*)などを詳細に拝読すると、御開山の仰っていることは正確に法然聖人の意図を受け、それをより精密に発展させたものであるということが判る。
『歎異抄』で御開山の言葉だと言われていた「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」なども、 『三心料簡』には、善人尚以往生況悪人乎事《口伝有之》(*)と、そのまんま出ているのである。

さて、御開山は『観経』のことを『無量寿仏観経』(*)とされておられる。このような呼び方は御開山だけである。これは善導大師が『無量寿観経』と呼ばれていたからでもあろうが、この『無量寿観経』という呼称について、前述の『玄義分抄講述』から少しく窺ってみようと思ふ。なお、本文の記載の頁数は原典版七祖編のページである。(本書の出版当時は註釈版が出ていなかった)

第三講 釈名門

釈名門の概要

釈名とは「仏説無量寿観経一巻」という経の題名を釈することをいう。古来、「題は一部の総標」といわれるように、経の内容がすべて標示されているから経題を釈すれぼ『観経』の法義の概要を示すことが出来る。それゆえ序題門につづいて釈名門がおかれるのである。はじめに経題をあげて仏、説、無量寿、観、経一巻のそれぞれについて詳説される。特に「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言ふは、又是西国の正音なり」(三四〇頁)といい、さらに梵漢対訳していかれるが、後世この六字全体を名号とみる釈が注目されていく。
善導はその南無阿弥陀仏(帰命無量寿覚)という名号を人法に分け、所観の境である依正二報を詳説し、ついで「観」を釈して能観の心を明していく。そして「経」の意味を釈して、「観経』の法義を結んでいかれるのである。

ところで善導がここで釈名される経題は、今日一般に拝読しているものが「仏説観無量寿経一巻」となっているのと異なっている。あるいは善導の所覧本がそうなっていたのであろうか。しかし幸西は、この題号によって特異な釈を施していかれる。

無量寿観の意義

[本文]

一、「無量壽観経一眷」トイハ題目ニ二ノ法アリ。「無量壽」ト云ハ念佛、彼ノ佛ノ名ヲ念ス。故ニ南無阿彌陀佛ト釋シ御セリ。此ノ義三部ノ題二通ス。「觀」ト云ハ觀無量壽、彼ノ佛ノ色相ヲ観ス。題ノ初二還テ此ノ異ヲ知ラシメムカ為二無量壽ノ下ニ觀ノ字ヲ置ケリ。然ルニ経ハ定散ノ次第ヲミタラス無量壽ノ上二觀ノ字ヲ置ク。若細ク経名ヲ題セハ觀無量壽無量壽経ト云ヘシ。此ノ義ノ為ノ故二無量壽観経ト引ケリ。

一、従「言無量壽者」下至「故名阿彌陀」已來ハ念佛ヲ釋ス。
一、従「又言人法者」下至「正明依正二報」已來ハ觀佛三昧ヲ釋ス。「又言人法是所觀之境」トイハ正ク眞身ヲ指ス。「即有其二」已下ハ依正二報通別眞假等、皆眞身觀之方便ナル事ヲ釋セリ。
一、従「言觀者照也」下至「照彼彌陀正依等事」已來ハ觀相ヲ結ス。

「意訳」

一、「無量寿観経一巻」というのは経の題目である。この題目に二種の法がある。
「無量寿」というのは念仏をあらわしている。それは彼の仏のみ名を念ずることである。ゆえに下に梵漢相対して釈されるとき「無量寿」を南無阿弥陀仏と釈されている。この義は浄土三部経の題のすべてに通ずることである。
「観」というのは、観無量寿ということで、かの仏の色相(すがた、かたち)を観ずることである。経題を釈するにあたって、無量寿という念仏と、観無量寿という観仏とが、この経に説かれているということのちがいを知らせるために、善導は「無量寿観経」と、観の字の下に置いて示されたのである。しかるに、経には「観無量寿経」となっている。これは、はじめに定善(観仏)を説き、つぎには散善を説いて最後に念仏を説くという順序になっているから、その順序を乱さないように無量寿の上に観の字を置かれたわけである。もし詳細に経名をかかげるということになれば「観無量寿無量寿経」というべきである。こういう道理があるので「無量寿観経」という題目をかかげられたのである。

一、「言無量寿者」より下の「故名阿弥陀」に至るまでは、念仏三昧に約して釈するものである。
一、「又言人法者(又人法と言ふは)」より下の「正明依正二報(正しく依正二報を明かす)」に至るまでは、観仏三昧を釈されたものである。
「又言人法是所観之境(又人法と言ふは是所観の境なり)」というのは、正しく真身をさしている。「即有其二(即ち其の二有り)」以下は、依報、正報について、通と別とがあり、また真と仮との別があることなどを明かすわけであるが、いずれも真身観を成就するための方便の観法であるということを釈したものである。
一、「言観者照也(観と言ふは照なり)」より下の「照彼弥陀正依等事(彼の弥陀の正依等の事を照らす)」に至るまでは、観の意味と、浄土の依正二報を観ずるという観の相とをあげて観の釈を結んだものである。

[講述]

「一、無量壽観経一巻トイハ題目二ニノ法アリ」とは、この題目に二つの意味が含まれているというのである。
第一は「無量壽」というのは阿弥陀仏の名号を念ずる称名念仏のことで、梵漢対訳して「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言ふは、又是西国の正音なり」(三四〇頁)といわれているのと対照すると、「無量壽」という題目には念仏三昧為宗の立場が表されているというのである。第二は「観」で、これは「観無量壽」を略したもので、阿弥陀仏の色相を観ずることである。すなわちこの経の観仏三昧為宗の立場が表示されているとみるのである。こうして『観経』には念仏三昧と観仏三昧の二種の法門が説かれていることを知らせるために、無量寿の下に観の字を置いたというのである。

ところで我々が拝読している『観経』は、「観無量寿経」となっている。それは初めに定善(観仏)を説き、後に散善(称名)を説いていくという定散の次第を乱さないように初に観の字を置くもので、もし詳細に題名をあげるならば「観無量壽無量壽経」というべきである。これでは冗長にすぎるから、善導は「無量壽観経」という経題を掲げられたのであるといっている。

「一、従言無量毒者下至故名阿彌陀已來ハ念佛ヲ釋ス」というのは、「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり」(三四〇頁)から「人法並べ彰す、故に阿弥陀仏と名づく」(三四一頁)といわれた一段は、念仏(称名)の法体を釈したものであるというのである。ここには漢音で無量寿というのを、西国(インド)では南無阿弥陀仏というと六字の名号をあげ、さらにそれを梵漢対訳して、帰命無量寿覚という漢音六字をあげ、また無量寿(法)覚(人)を人法に分釈して阿弥陀仏の義意をあらわされている。これはすべて称名における所称の法体たる名号の義意を明かすものとして、全体を念仏を明かす釈としたものである。このように無量寿を南無阿弥陀仏すなわち帰命無量寿覚という名号の略称とした釈に、幸西は深い意味を読みとっていかれる。すなわち南無までも阿弥陀仏の名号とすることの意義は、のちに別時門の六字釈のところで明かされていく。

「一、従又言人法者下至正明依正二報已來ハ觀佛三昧テ釋ス」とは、「又人法と言ふは是所観の境なり。即ち其の二有り。一には依報、二には正報なり」(三四一頁)から「向より来言ふ所の通別・真仮は、正しく依正二報を明かす」(三四三頁)というところまでは、観仏三昧の内容を通別・真仮の依正二報をもって詳らかにしたものである。ところが幸西は、この釈文のなかの初めの「又人法と言ふは是所観の境なり」というのは正しく真身をさしているという。それは「無量寿と言ふは是法、覚とは是人なり。人法並べ彰す、故に阿弥陀仏と名つく」(三四一頁)といった文をうけて「人法と言ふは是所観の境なり」というのであるから、阿弥陀仏すなわち真身をさすというのである。そして「即ち其の二有り」というところから後は、依正二報について通別・真仮を明かしていかれるが、それは阿弥陀仏という真身を観ずるための方便の観法であるということを釈したものであるというのである。

なお「玄義分」には、所観の境としての依正二法について通別、真仮を分けて詳細な釈がなされているが、幸西は何も釈していない。おそらく読めぱわかることであったのと、観は方便でしかなかったからであろう。

「一、従言觀者照也下至照彼彌陀正依等事已來ハ觀相ヲ結ス」というのは、観とは浄信心を起こし、智慧の眼をもって弥陀の依正二報を照知することを観というと、観察するありさまを釈したものであるというのである。さきに述べたように幸西は所観についても詳しい釈を施していないように、能観についても特別の釈はされていない。理由は所観についてと同じことであろう。

「玄義分」の「この経は観仏三昧をとなし、または念仏三昧を宗となす」を、『観経」には観仏と念仏(なんまんだぶ)が説かれていると見られたのは法然聖人であった。これをふまえて善導大師の『無量寿観経』を、なんまんだぶ+観経とされたのであろう。
つまり南無までも阿弥陀仏の名号とする意図なのだが、御開山も南無を「本願招喚の勅命」であるとして南無する機まで成就した、なんまんだぶという名前であるとされた思想と共通しているのである。

なお、幸西大徳は一念義の派組といわれるが、その先鋭でラジカルな思想が誤解されたのであろう。徹底した廃立に立っての論法は、読んでいいてもすがすがしくなる。御開山と同じで、不依文依義(文に依らず義に依る)の釈風は信心の智慧から出てくるのであろう。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

よきひとの仰せをかぶりて

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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今生ゆめのうちのちぎりをしるべとして、来世さとりのまへの縁をむすばんとなり。われおくれば人にみちびかれ、われさきだたば人をみちびかん。
生々に善友となりてたがひに仏道を修せしめ、世々に知識としてともに迷執をたたん。

よき人に遇うてよかったな。
安心も信心も、なんまんだぶの一句におさまるとの御教化であった。愚者になりて往生すのお示しに、最前列でポカンと口をあけて全分他力のご法義を楽しませて下さったものだ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ