疑情

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組織に対する不審や指導者の説く教義に対する疑問を「疑情」と混同している輩がいるので、WikiArcの「疑情」の項目に加筆した。

ぎじょう

阿弥陀仏本願を疑いはからう心。(行巻 P.207浄文 P.489,愚禿上 P.504,高僧 P.597,正信大意 P.1038)


疑とは猶予不定(ゆうよふじょう)をいう。迷いを超える仏教の理(ことわり)に対して、猶予して決定しない精神の作用のことである。自らの描いた想念によってためらい、仏教の真理に対して決定的に思い切ることができないことを疑という。
これは煩悩の異名である五蓋の中の疑蓋に相当する。親鸞聖人は三心一心の字訓釈で、至心・信楽・欲生を、それぞれ疑蓋無雑(ぎがいむぞう)とされたのはこれに基づく。あらゆるものを救済するという阿弥陀如来の本願力を疑い、自らが拵えた疑いの蓋を雑えで遮蔽していることを疑というのである。救いの法は光明・名号摂化十方と現に届いているのであり、これを受け入れないことを真宗では痴無明と区別して疑無明とよぶ。「行巻」破闇満願釈で、「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破」す、とされる由縁である。
なお、不審と疑心は違う概念であり、これを混同すると盲信に陥る。不審とは審(つまび)らかではないという意で、より深く本願の意味を知り、かつ味わいたいということであって、本願に対する疑情とは峻別すべきものである。親鸞聖人が唯円房の問いに「親鸞もこの不審ありつるに」(歎異抄9条)と、仰せられたごとくである。
これを混同すると善知識という人師の言葉を盲目的に受け入れ、人惑 1 を受けることになる。人の言葉によって迷い、他人の言葉によって右往左往するのである。あまつさえ組織や善知識に対する不審を問うことすらも、疑情とされてしまうのである。

  1. 『臨済録』に「但莫受人惑」(但だ人惑を受くる莫かれ)とある。人の言葉や人の描く、世の価値・評価・生き方・思想等に幻惑されることを戒める。 []

第二十二願の読み方

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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WikiArc 常倫に…現前し への追記。

第二十二願の読み方には三種類有る。

設我得仏 他方仏土 諸菩薩衆 来生我国 究竟必至 一生補処。除其本願 自在所化 為衆生故 被弘誓鎧 積累徳本 度脱一切 遊諸仏国 修菩薩行 供養十方 諸仏如来 開化恒沙 無量衆生 使立無上 正真之道。
超出常倫 諸地之行 現前修習 普賢之徳 若不爾者 不取正覚。

 

  • 浄土論の訓
常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を 取らじ
  • 本願寺派原典版の訓
常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せんをば除く。もししからずは、正覚を取らじ。
  • 本願寺派註釈版の訓
常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ。

原典版及び註釈版は、除其本願の除外の係りが違うだけで文意は同じ。諸地の行とは十地の菩薩の利他行。

『浄土論』の訓では、浄土は修行の環境が勝れているので、浄土に於いて常倫の諸地の行を現前する意である。娑婆世界においては、歴劫迂回の行を修して仏果に至るのであるが、浄土では娑婆のような常倫の菩薩の諸地(十地)の行を超出するというのが『浄土論』の訓であろう。
しかし、親鸞聖人は、往生と同時に、常倫に超出して、十地の諸地の行が(娑婆世界)で現前する、という還相の相であると見られた。往生の徳として諸地の行が現前するのである。これがまさに『無量寿経』の「皆遵普賢大士之徳」(みな普賢大士の徳に遵へり)という普賢菩薩の慈悲行を実践することとされた。法蔵菩薩の菩提心(本願)に感動し、その菩提心に包まれて浄土へ往生する者には、智慧の必然としての大悲を行ずる利他行も用意されているというのである。
以下の「讃阿弥陀仏偈和讃」の普賢の徳の左訓には、「われら衆生、極楽にまゐりなば、大慈大悲をおこして十方に至りて衆生を利益するなり。仏の至極の慈悲をまうすなり」とある。

(17)

安楽無量の大菩薩
 一生補処にいたるなり
 普賢の徳に帰してこそ
 穢国にかならず化するなれ 『浄土和讃

(36)

還相の回向ととくことは
 利他教化の果をえしめ
 すなはち諸有に回入して
 普賢の徳を修するなり 『高僧和讃

なお『教行証文類』「証巻」末尾には「還相の利益は利他の正意を顕すなり」とあり、如来の利他力による往相(往生浄土の相状)を示すことは、往生者をして還相せしめようという阿弥陀如来の本意であると御開山はみられた。

常倫に

困った時の智度論(笑

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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坊さんの勉強会に出た新発意から問いがあった。
『正信念仏偈』の龍樹章の出拠云々だが、出拠の判らない文は『智度論』だろうと言われたそうである。
坊さんは判らないと困って、すぐ智度論を出してくる(笑
と、いうわけで該当しそうな文を提示した。

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽

『入楞伽經』より。
如來滅度後 未來當有人
大慧汝諦聽 有人持我法
於南大國中 有大徳比丘
名龍樹菩薩 能破有無見
爲人説我法 大乘無上法
證得歡喜地 往生安樂國(*)

読み下し。
如来滅度の後に、未来に当(まさ)に人有り。
大慧、汝よ諦聴せよ、人有りて我が法を持せん。
南大国中に於いて、大徳の比丘有り。
龍樹菩薩と名づけ、能く有無の見を破し、
人の為に我が法の 大乗無上の法を説き、
歓喜地を証得して 安楽国に往生せむ。

1.顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
2.憶念弥陀仏本願 3.自然即時入必定
4.唯能常称如来号 5.応報大悲弘誓恩

『易行品』より対象となる語をピックアップ(*)
1.陸道歩行則苦。水道乗船則楽。
2.阿弥陀仏本願如是~是故常応憶念
3.即時入必定。
4.応以恭敬心 執持称名号
5.『易行品』には「応報大悲弘誓恩」に相当する語はないのであるが、『安楽集』引用の『大智度論』(意)に、為報恩故 常願近仏( 報恩のためのゆゑに、つねに仏に近づかんと願ず。)(*)などとあるところの意を表現されたものであろう。

自力という言葉に対する考察

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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ドメイン名に、wikidharma.orgとあるように、このブログは、WikiArcの意味内容をあれこれ論じるブログでもある。と、いうわけで新たに書き込んだ内容についてあれこれ。
いわゆる「聖典」というものは、言葉を超えた世界を、再び言葉によって表現しようとするものであるから、我々が通常使っている言葉の世界と違う意味があるということを理解しないと意味が解からなくなるのである。例せば辞書を引いも、通常使われる言葉の意味の他に「仏語」という項目があるように言葉の成立概念の違いが判らなければ「聖典」の言わんとすることを理解しえないであろう。

に依りてに依らざるべしという依義不依語(*)に立たれて、阿弥陀如来の本願力が、なんまんだぶという声になって動的にはたらいている相状をご信心という語に集約されたのが御開山であった。
言葉と言表(言葉によって表現されている意味内容)を、正確に把握しなければ、言葉によって騙され、断章取義のおかしな宗教にのめり込むような状態も生じるのであろう。

他力という言葉の意味については、WikiArcの「他力」の項に加筆したのだが、聴聞や、なんまんだぶを称える行為を「聴聞・念仏」の自力であるという書き込みをFBで見たので反応してみた。

以下、WikiArcの「自力」という項目のノートへの書き込み内容。

通常には、自力とは、自分ひとりの力の意である。

しかし、仏教で使われる自力とは、悟りへ到るための修行によって、修得した能力が自分自身に備わることを自力という。また、自分の修行による功徳・利益を、自分一人で受け取ることを自力という。
浄土門においては種々に論じられるが、浄土真宗の場合は、如(悟りの世界)より来生している阿弥陀如来の本願を疑うことを自力という。人々に功徳・利益を施して、悟りの世界を示し、救済しつつある阿弥陀如来の救済(本願)を拒絶していることを自力というのである。仏陀の悟りの智慧の顕現である本願を、疑惑する自分自身のはからいのことを自力というのである。
このように、本願に背き自己の想念に迷っていることを親鸞聖人は自力というのであって、世間にあって自助努力することを意味する自力という言葉とは、質的な次元が違う言葉なのである。 浄土真宗における自力の否定とは、阿弥陀如来の本願を疑う自らのはからいを自力として否定するのである。 この意味を取り違えると浄土真宗で自力のはからいを否定する言葉が、世間における自助努力を否定する怠惰な無力主義であるかのように誤解されるのである、
また、大乗の菩薩は、自利(自らが悟りを得る利益)と利他(他者を悟りへ誘う利益を与えること)の二利を修することで悟りへの道を歩むのであるが、親鸞聖人は、この自利を自力とし、利他を他力ともされる。何故なら真実の自利は法蔵菩薩の願行においてのみ論じられるものであり、その自力(自利)によって成就された功徳を回向される客体が、利他の対象である衆生であるからである。

 

浄土教の開宗

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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天台大師智顗は、仏国土を四土に分類され四種浄土説を建てられた。(*)
いわゆる仏国土を、行者の修行の階梯に応じて、凡聖同居土・方便有余土・実報無障碍土・常寂光土の四種を措定し、阿弥陀仏の極楽(浄土という表現は一般名詞であり、極楽という語は、阿弥陀如来の居ます仏国を指し示す固有名詞)は、凡夫と聖者が同居する劣なる凡聖同居土であるとされた。凡聖同居土とは、この娑婆世界のように、釈尊や龍樹菩薩のような聖者も居られれば林遊のような凡夫も同居する土のことである。聖者と凡夫が同居する土であるから凡聖同居土という。
ただし、浄土の凡夫は、煩悩があってもそれを外にあらわさないので内凡の凡夫であり、煩悩を外へ垂れ流しの外凡の凡夫のことではない。

さて、阿弥陀仏の浄土が、なぜ凡聖同居土なのかの理由に、『無量寿経』で説かれる浄土には、人・天・声聞・菩薩・仏が同じく居るからであるとする。

たとえば『無量寿経』の第十一願に、「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。」とある。この「国中の人・天」というのはあきらかに凡夫であり、凡夫が居るような浄土は卑しくて劣っている、というのが凡聖同居土説であった。このような考え方に対して、『無量寿経』で説かれる、人・天・声聞・菩薩という呼称は、往生者が元々居た国土での名前を依用しているという反論はある。いわゆる、「昔の名前で出ています」論だが、詳細は『論註』(*)等を参照されたい。

さて、法然聖人は天台の学僧であったから、このような天台における浄土観についてよくご存知であった。そして、この天台の教説の論理の枠内にいる限り、善導大師が力説され、善導大師の教学の根本である「凡夫入報説(*)の真意はあきらかにされないと考えられたのであった。偏依善導一師(偏に善導一師に依る)の主体的決断から、どうしても既存の仏教論理のほかに往生浄土を宗とする仏教の必然性を考えられたのであった。ちなみに、浄土宗は往生浄土宗の略であり、浄土真宗は、往生浄土の真宗の略である。
以下、『拾遺漢語灯録』(原漢文)から、そのおこころを窺ってみよう。

また一時、師(法然聖人)語りていわく。
我、浄土宗を立てる元意は、凡夫、報土に往生することを顯示せんが為なり。
しばらく天台宗のごときは、凡夫往生を許すといえども、その判ずる浄土は卑淺なり。法相宗のごときは、その浄土を判ずることまた高深なりといえども、凡夫往生を許さず。おおよそ諸宗の所談その趣、異なるといえども、すべてこれを論ずるに凡夫報土に往生することを許さず。
このゆえに、我、善導の釋義に依って宗門を建立し、以って凡夫報土に生まるの義を明かすなり。然るに人多く誹謗して云く、念仏往生を勧進するに、何ぞ必ず別して宗門を開かん、豈、勝他の為にあらずや。此の如きの人は未だ旨を知らざる也。若し別に宗門を開かずんば、何ぞ凡夫報土に生まる之義を顕さんや。
且つそれ人、言わゆる念仏往生は是れ何れの教何れの師に依るやと問はば、既に天台・法相にあらず、又三論・華厳にあらず、知らず何を以てか之を答えん。是れ故に道綽・善導の意に依って浄土宗を立つ、全く勝他の為には非ずと也。『拾遺漢語灯録』

天台宗とか法相宗でいわれる浄土の理解では、凡夫が往生する浄土は卑淺であるか、あるいは、凡夫には手の届かない高次の菩薩が感得する浄土であった。このような既存の仏教体系の中にあっては凡夫は往生の道を絶たれるだけであったのである。
ここに、仏願に順ずる全く新しい仏教があると、仏の本願に立って開宗されたのが法然浄土教であった。自己の救いを、阿弥陀如来の本願の中に生死出ずべき道として発見されたのであった。
法然聖人を論難する『興福寺奏状』(*)には「新宗を立つる失」の一条があるが、順彼仏願故の文によって本願によって、仏から汝と呼ばれる自己を発見された立場での開宗であった。旧来の八宗の成立根拠とは全く意味が異なる浄土教の開宗であったのである。

親鸞聖人が、『教行証文類』の行巻で、『選択本願念仏集』にいはく、「南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本とす」と、された所以である。

 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

 

順彼仏願故

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法然聖人の回心(*)を記したことがあったが、『和語灯録』から少しく引用してみる。

もし無漏の智釼なくば、いかでか悪業煩悩のきづなをたたむや。悪業煩悩の絆を断ぜずば、何ぞ生死繫縛の身を解脱する事をえんや。かなしきかな、かなしきかな、いかがせんいかがせん。ここにわがごときは、すでに戒・定・恵の三学のうつはものにあらず、この三学の外にわが心に相応する法門ありや。わが身にたへたる修行やあると、よろづの智者にもとめ、もろもろの学者にとぶらひしに、おしゆる人もなく、しめすともがらもなし。
しかるあひだ、なげきなげき経蔵にいり、かなしみかなしみ聖教にむかひて、てづから身づからひらきて見しに、善導和尚の『観経の疏』{散善義}にいはく、「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」といふ文を見得て後、われらがごときの無智の身は、ひとへにこの文をあふぎ、もはらこのことはりをたのみて、念念不捨の称名を修して、决定往生の業因にそなふべし。
ただ善導の遺教を信ずるのみにあらず、又あつく弥陀の弘願に順ぜり。
「順彼仏願故」の文ふかくたましゐにそみ、心にととめたる也。『諸人伝説の詞』(*)

法然聖人は、よろずの知者・学者の善知識を尋ねたが、だれ一人として、生死繫縛の身を解脱する道を教え示す者は、いなかったと述懐されている。
戒・定・恵の三学無分の者であるという自覚の上に立つ者には、信がないからであるとか、修行が未熟であるとかいう応答は、何の意味もないのである。そこで、なげきなげき、ひたすら聖教に向かわれた法然聖人が目にされたのが、『観無量寿経』の注釈書である『観経疏』の一文であった。「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」(*)の文の「順彼仏願故」の文である。
自己が選択し回向する行業ならば、自己の選択の過失はとりかえしのつかない事になる。しかし、仏が本願によって選択してある行業であるならば、回向の主体が仏になるのであり、衆生の側からは不回向の行業であるのが、なんまんだぶの一行であった。

「順彼仏願故」と、あるように、仏願に順する行が一心専念の、なんまんだぶであった。この「順彼仏願故」の文によって私から仏へというベクトルから、仏から私へという方向転換の教説によって回心なされたのが法然聖人であった。口に、なんまんだぶと称える行為(行業)は、私が賢しらに選択するような行ではなく、阿弥陀如来の本願の中にすでに選択されてあった行であったという驚きであった。私が選んだ行であるならば、私の選ぶという行為の禍愚に左右され、決定の行ではない。しかし、阿弥陀仏が本願に選択して下さった行業であるならば、その行を行ずる者は、本願に随って往生せしめられる決定の行であった。これが法然聖人の教学の根本である選択本願念仏の教えであった。

称えたから救われるのではなく、称えた者を救うという、阿弥陀如来の利他の本願があるから救われるのである。この利他のはたらきを他力というのであった。他力の他は阿弥陀仏ではなく、阿弥陀仏の、他を利益する利他の本願に随順する者を他であるというのであった。他力の他は私であったのである。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、彼の仏願に順ずるがゆえに。

阿弥陀さまの目的の中を生きる

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阿弥陀様がごいっしょ」から。
>>引用開始

本願寺第三代覚如上人の仰せに”如来の大悲、短命の根機を、本としたまえり”とあります。臨終命の際の者こそ、急ぎ救わねばならぬと、阿弥陀さまがナンマンダ仏のお慈悲のおすがたに現れて来て下さるとのお示しの言葉です。
余命いくばくもない命は、精神的にも肉体的にも訓練を受け続ける力はない。たとえ力があったとて充分な時間の残りはもはや有りません。
それが短命の者、命の際に臨む者なのです。そこには、教育していく時間の余裕も能力を開発してなどという見込み一つ立たない命を、取り込んで諸有衆生(あらゆるもの)を救う方便(てだて)が仕上がりました。
ナンマンダ仏、そこには身構え・気構え・体力・気力・全く見込めぬ命こそと、お慈悲きわまるところから聞こえて下さる声の如来さまがいただかれます。
さて再び法友・広兼至道君の話。 骨髄ガンの末期症状をこまかに説明をうけ、あと一月の命とも自ら承知して彼が語りました。
”真宗関係のいろんな雑誌を見舞いに貰う。然しどの文章にも大方、阿弥陀さまがおいでになりません。この世に五年も十年も生きとって、ゆるうっと読んで理解すりゃええ程度のことばかり書いてある。悠長なことです。私はあと一月長いこたぁない私には間に合う文章ではないですよ。
そこはさすが如来さまです。私を見込んで組み込んで、ナンマンダ仏五体一杯満ちて来ておいでですもんね。ナマンダ仏のお助けは、今日が目的ですもんね。極めつけの短命の機、私がお眼当てです”とお称名しきりでありました。

>>引用終了

後年耳にしたのだが、広兼至道師は、お経はいいですね、阿弥陀さまの御説法は、ひたすら救いが説かれ衆生の罪が説かれていないですから、とも仰ったそうである。
罪を犯した人に、「汝の罪は深い」と告げて何になるのであろうか。その罪もろとも抱きかかえて摂取して下さるのが、なんまんだぶの阿弥陀さまのご法義である。
ご当流は、安心を本とし教学ゴッコは末の末であるのだが、莫迦ほどお聖教の論理の網に囚われて迷うので、どもならんな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

善知識

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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WikiArcの善知識の項目に以下を追加した。

*原義は、よきとも=良い友人=自分をよく知ってくれる人の意。

正しい道理を教える者を善知識(善友(ぜんぬ)、親友(しんぬ)、勝友(しょうう)、善親友(ぜんしんぬ))、誤った道に導く者を悪知識(悪友(あくう)、悪師)といい、単に知識というときは善知識の意とする。例せば、華厳経入法界品には善哉童子の求道の過程に五五の善知識(一般に五三善知識という)に遇うことを説くように、どんな姿の者でも仏道に導くものは善知識であり、四分律巻四一には善親友は与え難いものを与えるなど七つ条件を具えている(善友七事)とし、智顗の摩訶止観巻四下には、外護(そとから見つめてまもる)、同行(行動を共にする)、教授(教え導く)の三善知識を説き、円暉の倶舎論頌疏巻二九には法を与えるものを上の親友、財と法を与えるものを中の親友、財を与えるものを下の親友とする(三友)。
真宗では念仏の教えをすすめるものを善知識というが、その人をただちに如来になぞらえて善知識は如来であるから善知識のみをたのめ、と主張する異計(異安心)は、「善知識だのみ」、「知識帰命」といって排撃する。また法主を、正しく法灯を継承した人として善知識ということもある。『仏教学辞典』(法蔵館)より。

親鸞聖人の積学は天台学であったから、以下、天台における善知識の三種の考察をするのに資する『摩訶止観』における三種の善知識の出拠資料へリンクしておく。

知識に三種あり、一には外護。二には同行。三には教授。→『摩訶止観

1.「外護の善知識」外護者。在俗にあって三宝(仏・法・僧)を護持する者で、真宗では法を説く僧侶を外護するいわゆる門信徒。
2.「同行の善知識」同じ教えを聞いて同じ行業の道を歩んでいる者。真宗では、本願に選択された「同一念仏 無別同故」の御同行・御同朋のこと。
3.「教授の善知識」往生極楽の道を往け、この法(なんまんだぶ)を修せよと教え勧めてくれる者のこと。

なお親鸞聖人は、「化身土巻」で、第一真実の善知識として、菩薩・諸仏を挙げられる。→勧信経文証
大涅槃に近づく因縁は真の善知識に遇うことであると「善男子、第一真実の善知識は、いはゆる菩薩・諸仏なり」とされる。真の善知識である所以は、一つには畢竟軟語、二つには畢竟呵責、三つには軟語呵責なり、といわれ、衆生の機に応じて巧みな手立てをもって救済していくのが真の善知識であるとされる。ここでいう善知識の菩薩とは、初地以上の菩薩であり真理の一分を明らかに体得している菩薩である。究極的には、真理の全分を悟っているのは諸仏であるから、第十七願において阿弥陀仏の名号の徳を讃嘆する諸仏が第一真実の善知識である。その諸仏の咨嗟讃嘆を通して「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん」(*)と、阿弥陀仏の名号讃嘆と阿弥陀仏の信心を歓喜せしめるのが「第一真実の善知識」なのである。

つまり、なんまんだぶと称える往生成仏の法を、生と死を超える業因であると受け入れるのが浄土真宗における信である。しかるに我至成仏道 名声超十方と届いている名号法を聞くことなく、法を説く人格に帰依しょうとするのが、知識帰命の異計である。善知識の姿の影を踏み、善知識の衣(ころも)が手に執るほどに近づくことが法を信知することだと錯覚している人に、↓の文章をお奨め。

法を見るものはわれを見る

 

ぞみぞみ信心って何?

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『和語灯録』に「往生大要抄」という法然聖人の法語がある。
この法語の中で、法然聖人は信心の様相を示し、信心とは感情の妄想爆発ではないとお示しである。

おほかた此信心の様を、人の意(こころ)えわかぬとおぼゆる也。心のぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申すはひが事にてある也。それは歓喜・随喜・悲喜とぞ申べき。
信といは、うたがひに対する意にて、うたがひをのぞくを信とは申すべき也。みる事につけても、きく事につけても、その事一定さぞとおもひとりつる事は、人いかに申せども、不定におもひなす事はなきぞかし。これをこそ物を信ずるとは申せ。その信のうへに歓喜・随喜などもをこらんは、すぐれたるにてこそあるべけれ。『往生大要抄』(*)

信心が生ずれば、天にも地にも躍りあがりたいような踊躍歓喜の感激が発るのが信であり、そのような喜びが生じないようであれば信心とはいえないというのが法然聖人在世当時の信に対する考え方であったのであろう。
『歎異抄』における「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらん」(*)という唯円房の疑問もそのような時代背景からの問いである。
いや、現代においても、『無量寿経』の本願成就文の「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」の一念を曲解して、「真に手の舞い足の踏むところのない大歓喜が起るのだ。」(*)という歓喜正因を説く輩がいる。
いわゆる、本願成就文の信一念釈の「時剋釈」と「信相釈」を混同し、「心のぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申す」を、信心であると誤解・錯覚した立場なのだが、まさに自らの心の上に信を建てようとする歓喜正因の異義である。
このような、心理的にとびぬけた感慨や感動が信心であるという誤解を戒めるのが前掲の法然上人の法語である。

さて、法然聖人は『選択本願念仏集』で、『観経』の深心とは深信であり、「生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。」(*)と「信疑決判」によって迷・悟を明かにして下さった。御開山が、『正信念仏偈』で、

迷いの境界にとどまり、輪廻を繰り返して離れることができないのは、本願を疑って受けいれないからであり、すみやかに煩悩の寂滅したさとりの領域に入ることができるのは、善悪平等に救いたまう本願を疑いなく受けいれる信心を因とすると決着された。「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」とされているように、浄土教における信は疑に対するものだとされるのである。

信と疑

そもそも仏教における信に対する語は不信であって疑ではない。
信とは不確定なものに対する衆生の思い込みを信というのである。信ずるとか信心するというような、信を自己を主体として信+動詞で語るのが信心というものである。
しかるに、浄土真宗では、賜りたる信心というように、自己を主体として信を論じないのであり、これを本願力回向の信心というのである。
疑いをのぞくとは、阿弥陀如来が本願によって選択摂取したもうた、本願念仏を往生の行業であると疑いの蓋を除き、なんまんだぶと称える行業が浄土教の信心なのである。(*)

これが御開山が比叡山上で、悩み苦しんだ「生死出づべき道」であり、法然聖人によって示された「往生極楽の道」であった。御開山の奥さんである恵信尼公の『恵信尼消息』には、生死出づべき道を尋ねて、雨の日も晴れの日も、どのような支障があって、もひたすら法然聖人の語られる浄土の法門を聞かれたとある。
異文化との遭遇というか未知との遭遇というか、多分御開山はカルチャーショックを受けられたのであろうと思ふ。(*)
法然聖人から、私が大切なのではない、私を必ず仏にするという阿弥陀如来の本願に随順することが仏道の本道であると示されたのが御開山ではあった。
信心とは、私が拵えるものではないのである。私の思いを超えた世界から私を仏にするという本願に対する疑いの蓋を取り除き、第十八願に代表されるような菩提心に共感することを信心であるとされたのであった。

なんまんだぶと称えることが、往生浄土の正因であると疑いの蓋を除く時、阿弥陀如来の菩提心包まれている自己を見出すのであろう。酔っ払っていて知らんけど、そういうことである(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

南無阿弥陀三耶三仏檀

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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『無量寿経』には十念とか一念とかいう語はあるのだが、直ちにこれが声の称名だという説示はない。そもそも念仏とは、主とする字義からいえば、仏を心で念ずることであろう。もちろん龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』(易行品)に「もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、恭敬心をもつて、執持して名号を称すべし」(*)とあるように、仏名(究極的には、阿弥陀 仏=無量寿仏)を称えることが、不退転地(正定聚)に至る行としての位置付けではあった。しかし、『無量寿経』には、一念や十念とあるだけで、これが、なんまんだぶという称名であると示す直接の文言はない。(第十七願という突っ込みはここでは却下)
『無量寿経』の異訳『阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(大阿弥陀経)には、南無阿弥陀仏を称える一段がある。『無量寿経』では霊山現土の一段である。暇なので読み下してみた。

仏告阿難。我哀若曹。令悉見阿弥陀仏。及諸菩薩阿羅漢所居国土。若欲見之不。阿難即大歓喜長跪叉手言。願皆欲見之。 仏言。若起更被袈裟西向拝。当日所没処。爲阿弥陀仏作礼。以頭脳著地言。南無阿弥陀三耶三仏檀。阿難言。諾受教。即起更被袈裟西向拝。当日所没処。爲弥陀仏作礼。以頭脳著地言。南無阿弥陀三耶三仏檀。阿難未起。阿弥陀仏。便大放光明威神。則遍八方上下。諸無央数仏国。(*)
仏阿難に告げたまわく。我れ若(なん)じ曹(ともが)らを哀れんで、悉く阿弥陀仏及び諸の菩薩・阿羅漢所居の国土を見せしめん。若じこれを見んと欲うやいなや。 阿難、即ち大に歓喜し長跪叉手して言く、願くば皆なこれを見んことを欲す。仏の言く、若じ起ちて更た袈裟を被て西に向て拝し、まさに日の所没の処に当りて、阿弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え。阿難の言く、諾。教えを受けて、即ち起て更に袈裟を被けて西に向て拝したてまつり、日の所没の処に当りて、弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、南無阿弥陀三耶三仏檀と言く。阿難、未だ起たざるに、阿弥陀仏、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方上下の諸の無央数仏国に遍す。
◇三耶(samyak)は正しく完全なもの、三仏檀(sambodhi)は悟り、という意味の梵語の音写語で、三藐三菩提と同じで仏の意。 つまり南無阿弥陀+仏で、南無阿弥陀仏のこと。

このように仏名を称える行業があるだが、所依の『無量寿経』には直接仏名を称えるということは見えない、そこで本願の意に立って、『観経』に説かれている「南無阿弥陀仏」という声こそが、『無量寿経』の乃至十念であるとされたのが古今楷定の善導大師であった。『礼讃』には、

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生。(*)
〈もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ〉と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。)

と、第十八願の乃至十念を下至十声とされたのであった。御開山が後序で、法然聖人の真筆をもって書いて下さったことを讃仰されているのも、この文であった。
覚如上人の「信心正因」のご教化は、無信単称への誡めであるのだが、あくまでも称名の上で信を論ずるのであって、なんまんだぶという行を離れての信心などというものは存在しないのである。
法然聖人は、『禅勝房にしめす御詞』の中で、

一念・十念にて往生すといへはとて、念仏を疎相に申せは、信が行をさまたぐる也。念念不捨といへはとて、一念・十念を不定におもへは、行が信をさまたぐる也。かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはけむへし。(*)

との仰せだが、信心正因というドグマに陥って、口称のなんまんだぶを軽視する輩が多いのは困ったものだ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ