会員VS脱会者

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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このブログ、なんか大変だな。(*)

高森会の会員は堕地獄の恐怖から逃れる為に信心を得ることに狂奔し、脱会者は、必堕無間のマインドコントロールの恐怖が抜けないから、在籍していた会の教義を否定する『聖典』の文にしがみつく。
これって、どちらも助かりたいという、我利我利亡者の我欲の煩悩の発露にしか過ぎないのだと思ふ。浄土真宗のご法義は、「本願を信じ念仏を申せば仏になる」という、非常にシンプルかつ易行の最たるご法義ですよ。順彼仏願故の、なんまんだぶが、往生浄土の正定業(正しく衆生往生決定する業因)であることを受け入れるのが、浄土教の御信心です。
高森会の会員及び脱会者の最大の欠点は、口称の、なんまんだぶ抜きで如来から回向される御信心を論じることでしょう。『無量寿経』には、易往而無人(往き易くして人なし)とありますが、なんまんだぶを称えることに依って往生成仏するという教説は、あまりにも易往であるから難信なんでしょう。
信心とは御開山に言わせれば、願作仏心・度衆生心の菩提心であり、阿弥陀如来の菩提心に包まれて、なんまんだぶを称えて浄土を期するというご法義が浄土真宗です。善導大師は「学仏大悲心」ということを仰いましたが、もしお聖教に教えを学ぶということであれば、我を拯済しつつある、仏の大悲心を学ぶのであって、自らが信心を拵えようとして、お聖教を拓くのではないと思います。そんな事を、現役会員VS脱会者の投稿を読んで思ったので、TBしてみた。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

廃悪修善

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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御開山の仰ることは重層的なので非常に判りにくい。
「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」『歎異抄』という非常にシンプルな教えなのでだが、シンプルであるがゆえに誤解する者も多い。
中には、浄土真宗は廃悪修善を勧めないから、おかしいという意見もあるのだが、この廃悪修善について、善導大師、法然聖人、御開山聖人のお示しを窺ってみよう。
まず、善導大師は『観経疏』「玄義分」で、

娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。
その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす(息慮以凝心)。 「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す(廃悪以修善)。この二行を回して往生を求願す。
弘願といふは『大経』(上・意)に説きたまふがごとし。 「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(*)

と、要門と弘願ということを示して下さった。
ここで、要門とは、即慮凝心と廃悪修善であり、弘願とは阿弥陀仏の大願業力に乗ずることであると善導大師は定義される。
この文の解釈が、定散二門の行をもって弘願に乗ずるのであるか、それとも要門という法義と弘願という法義の二つの法門を指すのかに解釈が分かれた。

例えば、鎮西派の良忠上人は、「第四、問何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也」『淨土宗要集』(*)
(第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云う、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得る也。)

と、され、要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)が相依って往生の(果)を得るとされている。これは増上縁を、仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏の大願業力に乗ずるのだとされている。
これは常識的な見方であり、当然、廃悪修善という行が、往生の行に含まれているというのである。
以下の、七仏通誡偈にあるごとく、

諸悪莫作(もろもろの悪を作すこと莫く)
衆善奉行(もろもろの善を行い)
自浄其意(自ら其の意<こころ>を浄くす)
是諸仏教(是がもろもろの仏の教えなり)

という、廃悪修善は、仏教上での常識的な解釈であろう。

ところが、法然聖人には廃悪修善について以下のような法語がある。

ある人問ていはく、つねに廃悪修善のむねを存して念仏すると、つねに本願のむねをおもひて念仏するといづれかすぐれて候。
答ての給はく、廃悪修善は、これ諸仏の通誡なりといへども、当世のわれらことごとく違背せり。若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか。『諸人伝説の詞』(*)

一。つねに悪をとどめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏申候はんと、ただ本願をたのむばかりにて、念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。
答。廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当世のわれらは、みなそれにはそむきたる身なれば、ただひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智、持戒・破戒をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候なり。御意え候へ。『一百四十五箇条問答』(*)

或人問云、常存廃悪修善旨念仏与、常思本願旨念仏何勝哉。
答、廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等、悉違背、若不乗別意弘願者、難出生死者歟云云『一期物語』
( 或人問て云く、常に廃悪修善の旨を存じて念仏すると、常に本願の旨を思い念仏すると何れが勝れたるや。
答、廃悪修善は是れ諸仏の通戒といえども、当世の我等、悉く違背せり、若し別意の弘願に乗ぜずば、生死を出で難きものか。云云

廃悪修善は諸仏の通誡(七仏通誡)ではあるが、「当世の我等はことごとくこれに違背」していると仰るのである。黒田の聖人へつかはす御文には、「罪は十悪五逆のものむまると信して、少罪おもおかさしとおもふべし」(*)とあるが、悪を廃することの重要性を知りながら、その上で、悪を廃することのできない凡夫の現実の姿を直視されておられるのである。
七仏通誡偈をめぐっては、白居易と鳥窠道林のエピソードにもあるように、実践の場に於いては<判る>と<出来る>は違うのである。
これを誤解すると七仏通誡偈は単なる世俗の道徳に陥ってしまうであろう。

さて、法然聖人は上記の法語で「別意の弘願」ということを仰っておられる。
これは、あきらかに前記の良忠上人の解釈とは違い、善導大師は定散の「要門」(廃悪修善)と「別意の弘願」(阿弥陀仏の大願業力に乗ずる)という二つの法門を示されていると領解されていた。法然聖人は、善導大師の『観経疏』は『無量寿経』の本願の意をもって『観経』を解釈さたと見られたのである。つまり、釈尊は韋提希の請によって浄土の要門を開き、阿弥陀仏は別意の弘願(特別な願=第十八願)の法門を顕された、と見られたのである。これが「若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか」の述懐である。

御開山は、この法然聖人のお示しを受けて、要門と弘願を『観経」の法義の要と『無量寿経』の法義の弘願という二門の法義に分判されたのである。
そして要門を第十九願の法門であるとし、弘願門を第十八の願であると見られたのである。無量寿経の第十九願の「発菩提心 修諸功徳」は、まさに七仏通誡偈にあるごとく、聖道門仏教の願行を以って浄土を欣わしめる法門であるから、要門とされたのであろう。行は願によって転ずるといい、その願うところによって行の意味が変わる。この土で覚りを得ようとする聖道門の行をもって、浄土を欣わしめる法門であるから『観経」の「三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。」(*)といわれたのである。
なお、この欣慕の語は、「散善義」の深信釈、第三深信の観経深信「また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。」(*) からであるのはいうまでもない。

このように見てくると、一部の三願転入派の、第十九願を経て第二十願に入り、そして第十八願に転入するというプロセスという考え方はおかしいのである。三願は、全く違った法門であるから御開山は転入と仰ったのであり、各プロセスの果てに第十八願の法門があるのではないのである。

三 願 三 経 三 門 三 藏 三 機 三往生
第十八願 仏説無量寿経 弘願 福智蔵 正定聚 難思議往生
第十九願 仏説観無量寿経 要門 福徳蔵 邪定聚 双樹林下往生
第二十願 仏説阿弥陀経 真門 功徳蔵 不定聚 難思往生

念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ (*) 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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なんまんだぶという、行に就いて信を立てる、「就行立信」に関する法然聖人の御法語である。

「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」(『聖全』四 p191 『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」)(*)

「ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。その決定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。」(『聖全』四 p580 『和語灯録』の「往生大要鈔」)(*)

「心の善悪をもかへり見ず、つみの軽重を沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と申せば、仏のちかひによりて、かならず往生するぞと決定の信をおこすべき也」『聖全』四 p614 「浄土宗略鈔」)(*)

「ただ心のよき・わろきをも返り見ず、罪のかろき・おもきをも沙汰せず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、声につきて決定往生のおもひをなすべし。その決定の心によりて、すなはち往生の業はさだまる也」(『聖全』四 p754 ご消息)(*)

「声について、決定往生のおもいをなすべし」とは、南無阿弥陀仏と称えたら必ず声が耳に届いてくる。その声が、なにゆえ往生決定の行となるかといえば、なんまんだぶと称え聞くことが、本願の行を行じているからである。
阿弥陀如来が念仏一行を選び取って、この念仏する者は浄土に往生させるという、本願に相応した行だからである。
行に就いて信を立てる(就行立信)とは、念仏を称えた者を往生させるという念仏往生の本願(第十八願)を信ずることである。阿弥陀如来が決定しているから、衆生の決定往生なのである。本願を信じ念仏するのである。

法然聖人は「浄土宗略鈔」では「声について」を「仏のちかひによりて」と、仰っている。「声について」と「仏のちかひによりて」は、同じ事だというのである。自分の口から称えられる、なんまんだぶはを聞くということは、そのまま如来の誓い(本願)を聞いていることだと仰るのである。

深川和上は、「なんまんだぶのワケはなぁ、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ、ということじゃ」と、お示し下さった。
「われ称えわれ聞くなれど南無阿弥陀仏 つれてゆくぞの親のよびごえ」と原口針水和上も讃詠されておられるように、なんまんだぶは称えて聞くものである。

法然聖人は、『選択本願念仏集』で、なんまんだぶという行は、「たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる。」(*)と仰せである。主著の、『選択本願念仏集』は、まさにその名のごとく、本願に依って選択された念仏を顕さんが為の書である。念仏は、本願によって往生行と選定されから、衆生の側から回向する必要はなく、称えるままが自然に往生の業因となるのである。
この、 「自然に往生の業となる」とは、実は阿弥陀如来の本願力回向であるとされたのが御開山であった。天親菩薩の『浄土論』と、その解説書である曇鸞大師の『浄土論註』の本願力回向によって、不回向とは本願力回向を顕すことであったとされたのである。如来の本願力によって回向されるから衆生の側からは不回向なのである。

御開山は『浄土文類聚鈔』で、「聖言・論説ことに用ゐて知んぬ。凡夫回向の行にあらず、これ大悲回向の行なるがゆゑに不回向と名づく。まことにこれ選択摂取の本願、無上超世の弘誓、一乗真妙の正法、万善円修の勝行なり。」(*)と、不回向を、選択摂取の本願とか無上超世の弘誓などとされていることからも分る。
また、「行巻」の六字釈自釈で、「ここをもつて帰命は本願招喚の勅命なり。」(*)と仰るのも、このような法然聖人の意をうけられたからであろう。

越前の道元禅師は『弁道話』の中で、「口声をひまなくせる、春の田の蛙の昼夜に鳴くがごとし。ついにまた益なし。」(*)と、云われたそうだが、たしかに自力の行として口称のなんまんだぶを捉えるならそのように見る事もできるであろう。現代人もまた、本願力回向の、称えて聞くという名号を知らないから禅師と同じように念仏を蛙の鳴き声のように理解しているのであろう。
越前の黒田沐山居に以下のような詩がある。

ききつつぞ 足をの(伸)ぶれば
たらちね(母)が もも(腿)のあたりか
ぬくぬくし ころ(児)が あなうら(蹠)
……ちぢに鳴く
田のかはず(蛙)めは おも(母)よ なに……
……彼こそは はうずびく(法蔵比丘)よ
おぼろよ(夜)に
むらの人どちやす(寝)むまも
おもひ くだ(砕)かす ぼさつ(菩薩)どち なれ……
黒田沐山居 『かはづ抄ー南無母の歌』

母ちゃんと寝床に入いり、寝物語を聞きながら、だんだん足をのばしていくと、足の裏が母ちゃんの 腿のあたりにふれてとても温かい。
蛙の鳴き声が聞こえる。
「母ちゃん、田んぼでぐわぁぐわぁ鳴いているあの蛙は何?」
「あれは法蔵比丘だよ。おぼろ夜に、村の人々が寝ている間も、みんなのために心を砕いて思いをかけていてくださる菩薩さまだよ」

雪解けの遅い北越で、春冷えのする夜の母と子の会話である。「春の田の蛙の昼夜に鳴く」声にもなり、聞こえて下さる「そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ」との呼び声であった。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…… こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし。これが仏願を聞くということである。

凡情を遮せず

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 仏教SNSからリモート
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浄土真宗には「凡情を遮せず」という言葉がある。

『口伝鈔』にあるように、「まづ凡夫は、ことにおいてつたなく愚かなり」(*)である。
この凡夫の為に、

ただ念仏の力のみありて、よく重罪を滅するに堪へたり。ゆゑに極悪最下の人のために極善最上の法を説くところなり。例するに、かの無明淵源の病は、中道腑臓の薬にあらずはすなはち治することあたはざるがごとし。(*)

と、極善最上の法が、なんまんだぶのご法義である。
そもそも、浄土真宗の浄土とは往生浄土の略であり、真とは真実の略である。法然聖人が開宗された往生浄土宗を略して浄土と呼び、その真実の義を指して御開山は浄土真宗と名づけられたのである。
浄土の真実を宗とするとは、自らの内に全く真実が存在しないということの反顕である。その真実の欠片すら持ち合わせていない林遊が、阿弥陀如来の覚りの顕現である浄土が判るはずがないではないか。
生のみで死の意味づけを知らない近代論者は、浄土教教徒は、西方仏国への往生を願うが架空のおとぎ話であると揶揄する。しかれば汝らに問いたい、汝らの言う世界での宇宙の始まりの前の前は何であるのかと。

さて、経典によれば、浄土は太陽の沈む西方十万億仏土を超えた処にある阿弥陀如来の仏国である。そして覚りの世界であるにも関わらず、七宝の池があり楼閣あり、車輪のごとき蓮華が咲き誇る国だと説かれてある。もちろん覚りの象徴表現ではあるのだが、実に林遊のような凡夫向けの世界が説かれてある。実に心強いではないか。

「倶会一処」と、先立った愛しい人と、また会える世界が用意してあるのですよと『阿弥陀経』は告げる。本来なら無生の生といわれる世界なのであるが、凡夫にも理解出来るような説き方がされているのは大悲の極みであろう。
如来の智慧が、智慧そのままで大悲の顕現として説かれているのが、浄土教の浄土である。御開山は、このような浄土を『安楽集』の曇鸞大師の行実によって和讃されておられる。

(23)
世俗の君子幸臨し
勅して浄土のゆゑをとふ
十方仏国浄土なり
なにによりてか西にある
(24)
鸞師こたへてのたまはく
わが身は智慧あさくして
いまだ地位にいらざれば
念力ひとしくおよばれず (*)

世俗の君子とは、東魏の国王、孝静帝であろうが、少しく仏法の義に通じていたのであろうか、曇鸞大師を呵(叱る、笑う)して、十方仏国みな浄土ではないか、この娑婆世界も覚れば浄土であるが、ひとへに西方仏国に執着するのは迷いではないかと問う。
曇鸞大師は答えて、

「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。 いまだ地位に入らざれば、念力すべからく均しくすべけんや。 草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を槽櫪に繋ぐべきがごとし。 あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んや」と。(*)

我すでに凡夫たり……わたしは悟れば娑婆も浄土であるという十地の菩薩のようではありません。自らの背に食べる草があるといえども、心は常に帰るべき牛小屋の槽櫪(飼い葉おけ)に思いを馳せる者であります、とのことである。

お天道さんの沈む西方に、阿弥陀さまの覚りの世界があるのですよ。なんまんだぶを称える者は、やがてこの命、終わった時にその世界へ往生して、今度という今度は、自分のことばかりで苦しむのではなく、あらゆる衆生に寄り添って、お念仏しましょうとのお勧めが出来る者になるのですよというのが浄土真宗のご法義である。

凡夫の想い、「凡情を遮せず」とは、このような凡夫の林遊の思いを遮すのではなく、「遮せず」というご法義である。覚りの世界には凡夫は居ないのであるが、往生を願う者には、想うように思わせておけということである。これを古来から「凡情を遮せず」というのであった。
ただ、このままでは凡情に堕する危険性があるので、先人は「凡情に応ぜず」という言葉も用意してくださってある。「凡情を遮せず、凡情に応ぜず」がそれである。略して「遮せず応ぜず」と言い習わしている。浄土は凡夫の情に応じた世界ではない悟りの無生の世界であるが、凡夫の抱く見生の火は自然に滅するのである。

また氷の上に火を燃くに、火猛ければすなはち氷解く。氷解くればすなはち火滅するがごとし。かの下品の人、法性無生を知らずといへども、ただ仏名を称する力をもつて往生の意をなして、かの土に生ぜんと願ずるに、かの土はこれ無生の界なれば、見生の火、自然に滅するなり。(*)

ここいらへんの言葉の使い方は実に微妙なのだが、語に囚われて義の何たるかを知らない輩には理解不能だろう。浄土真宗のご法義は、本願に選択された、なんまんだぶを称えて浄土に往生して生死を超える仏法なのである。
あなたの信心も、あなたの安心も真実ではないから、阿弥陀さまの選択された名号を称えて、我が国に生まれんと欲(おも)えというのが、御開山がお示しくださったご法義である。

なんまんだぶしましょうよ、お念仏称えましょうよ。
私が選んだ私の行(行為)ではなく、あらゆる生きとし生ける者を、我が国に生まれさせんと立ち上がった阿弥陀さまの願いではありました。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

絃の切れた琴は鳴りません

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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久しく妄心に向って 信心を問う

断絃を撥して 清音を責むるが如し

何ぞ知らん 微妙梵音のひびき

劉喨 物を覚らしむ 遠くかつ深し

*劉喨(声や音のさわやかで澄んでいるさま。)

意訳:

長年、自らの心に信心の有無を尋ねてきた。
しかし、それはまるで絃の切れた琴に向かって、
澄んだ音色を求めるようなものであった。
どうして、浄土から届けられる、
あの阿弥陀如来の、微妙な救済の呼び声を知らなかったのであろうか。
聞くものをして悟らしめる、梵声は劉喨(りゅうりょう)として深遠である。

我ながら下手な意訳だな(笑

この句の「微妙梵音のひびき」とか、「物を悟らしむ 遠くかつ深し」の語は、『浄土論』の「如来微妙声 梵響聞十方(*)の句を解釈された曇鸞大師の『論註』からであろう。

また、『論註』の「梵声悟深遠 微妙聞十方(*) の妙声功徳釈にも、「名声ありて妙遠なれども、またを悟らしむることあたはず」と、仏願の生起のところから名号をお示しであるところからでもあるのだろう。

それにしても、「断絃を揆して 清音を責むるが如し」、という表現ははいいな。

真実の信心とは、阿弥陀如来の信心(菩提心)と同じ心をいうのであるが、信心正因という言葉を取り違えて自らの 妄心の中に信心とやらを求めるならば、それは御開山聖人のお示しとは、全く隔絶した領解と言わざるを得ない。近年、成就文の一念を曲解し、名号なき、単信無称の邪義をもって大衆に勧化する、北陸の一狂惑者があると仄聞する。

所詮は、自らがこしらえた、有りもしない安心とか信心に沈潜する妄心の拵えた信であろう。なんまんだぶという名は、を悟らしめる仏事をなすのである。
なんまんだぶという名号には、破闇満願(闇を破り志願を満たす)の徳用がある。自らの心を妄念に縛りつけるような信ではなく、自らを解放していくはたらきが、なんまんだぶの信である。御開山は、そのこころを、

しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。

と、お示しである。浄土教興起のところから、なんまんだぶを離れた信はないのである。
和上から、割れた尺八は鳴りません、という法話を聴いたが、打っても叩いてもウンともスンともしない林遊に、聞くものをして悟りへ至らしめる、なんまんだぶが届いているのはありがたいな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

『教行証文類』再読中

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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据わりは本典ということで『教行証文類』を再読している。どうせ読むなら漢文で読もうということで、白文に句点を付け読みやすいように区切って読んでみる。(*)
漢字は孤立語なので、読み下しとは違い一語ずつの意味をしっかりとらえないといけないのでややこしい。しかし、漢文独自の簡潔さゆえ意味の曖昧さがへるのはよいことだ。
たとえば、信という語にも御開山は字訓釈という形で言葉の意味を解き明かして下さってあるのだが、あれこれ参照しながら読んでいる。
字訓釈 とは漢字一字の持つ意味を、ご法義の上から文字に寄せてその意味を探る手法だそうだが、文に依らず義によって言葉の意味をあらわそうとする御開山の面目躍如たるところがある。以下、字訓釈についての梯和上の御著書から「信」という漢字についての考察を窺ってみよう。


 

信楽の字訓を挙げるなか、まず信の訓として、

信とはすなはちこれ真なり、実なり、誠なり、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、験なり、宣なり、忠なり。(*)

という十二訓が出されています。まず「信」を真、実、誠といわれたのは、『説文解字』には「信は誠なり」といわれているように、嘘・偽りのない「まこと」の意味を持つ「誠」が信の本訓としてあります。その誠には、至心釈で挙げたように、誠実、真実の意味がありますから、信には真と実が誠の転訓として出てくるわけです。しかし、至心と会合するために、順序をかえて真、実、誠と出されたのでしょう。

次の「満なり」といわれたのは、実から出た転訓です。『広韻』五に、実の字の訓に「満なり」といわれています。実というのは、実が一杯に詰まっていて空虚でないことを表しているからです。

「極なり」とは、『広韻』四から採られた訓であろうといわれています。香月院深励師は、『教行信証講義』六(『仏教大系』五一・二四頁)に、信楽の信の字訓は『広韻』と『礼部韻略』(『広韻』の略本)を多く用いられており、楽の字訓は『玉篇』が多く用いられているといっています。そして『広韻』四に、信を「忠信なり」といい、その忠信の註に、「また験なり、極なり、用なり、重なり、誠なり」という五訓が出されていることに注目しています。「極」は、その第二に挙げられています。この上ない究極の状況を表しているわけです。「成」は五訓のなかにもありませんが、誠の同音訓として挙げられたものでしょう。誠と成とは、もともと違った意味の言葉ですが、音が共通していることから、共通の意味を表す言葉として用いることがしばしばあります。それを音通とも、同音訓ともいうわけです。誠と成の同音訓の例としては、『楽邦文類』三(『大正蔵』四七、一八五頁)に「誠とは成なり」といわれたものがあります。この場合は、成は誠の転訓になります。ともあれ親鸞聖人は、先の極と合わせて極成という熟字を造るために、あえて信の訓として成を挙げられたものでしょう。

「用なり」は、『広韻』の忠信の五訓にありますが、また「信用」というように「信じて用いる」「信じて受け容れる」という意味があります。「重なり」というのも『広韻』の五訓のなかにあります。敬い重んじるという意味です。次の「審なり」は、信の直接の訓としてはありませんが、『広韻』二や『玉篇』には誠の字に「審なり」という訓がありますから、誠の転訓として挙げられたものでしょう。物事をはっきりと明らかに決定することです。

次の「験なり」は、『広韻』の五訓のなかにあります。明らかな証拠にしたがって考えてみることです。先の審と合わせて、審験といった場合には、「間違いないとはっきりと明らめ知ること」をいいます。.

次の「宣なり」は、どこから採られたのかわかりません。深励師は「信を真淳の韻とするときは、宣と同音になるから、同音訓として宣を挙げられた」といっています。『広韻』二に「宣とは布なり、明なり」といわれるように、「教えを宣布すること」を表しているといい、興隆師の『教行信証徴決』巻一0(『仏教大系』五一・四六頁)も同様に述べ、「明らかに仏智を信じること」といっています。「忠なり」とは、すでに述べたように、『広韻』四に信を「忠信なり」と釈したものによっています。その忠の註には「無私なり、直なり」といわれているように、まったく私心をまじえずに、素直に仕えることで、いまは、はからいなく仏にしたがう心を表しています。聖典セミナー『信の巻』より。

 


善導大師の二種深心釈に法の深心がある。

二者、決定深信、彼阿弥陀仏四十八願 摂受衆生 無疑無慮 乗彼願力 定得往生。
(二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなく、かの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。)(*)

この「摂受衆生 無疑無慮」を、阿弥陀如来が衆生を摂受することに無疑無慮であるのか、衆生が阿弥陀如来の「摂受衆生」を、疑なく慮りなく受け容れるかの二通りの読み方がある。いわゆる阿弥陀如来が因位の時、これで衆生が救われてくれるという阿弥陀如来の御信心と、衆生が領受する信心であるかの違いである。
御開山にお聞きすれば、同じことだと仰るであろう。阿弥陀如来の御信心が真実であるからこそ、それを受け容れた衆生の信心もまた真実なのである。
浄土真宗の信心という概念は、通常いわれる「信心」という言葉と意味が異なるのであるが、迷行惑信(行に迷い信に惑う)と、その本意が見えなくなるのであろう。
ましてや、なんまんだぶを称えていることが、如来の救済が身の上で顕現しているということにおいては、なおさら理解不能であるやも知れんな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

称えるままに本願を聞く

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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御開山は、浄土真宗のご法義の宗・体を、

如来の本願を説きて経の致とす、すなはち仏の名号をもつて経のとするなり。(*)

と、本願為宗・名号為体を示して下さってある。
その体(本体)である名号を称え聞くことが、本願を聞くということであり「聞即信」といならわしてきた。称える名号が、如来の信となって届いているということである。
いま、江戸期の名僧、香樹院師(1772-1856)の語録、『香樹院講師語録』から、その一端を窺ってみよう。
なお、原文は「称えるままに本願を聞く」 にあるのだが、現代語の梯實圓和上の『妙好人のことば』が判りやすいので、この本から引用する。


 

江州の木之本のあたりに住んでいた禅僧の弘海は、長年にわたって禅の修業にいそしんでいましたが、どうしても悟りの境地にいたれず、悩んでいたとき、たまたま長浜御坊で香樹院の法話をきき、浄土真宗の教えに帰依し、念仏もうす身になったそうです。
しかし念仏には心ひかれながらもどうしてもしっくりと如来のみ心が領解できず、思いわずらって香樹院にたずねますと、「おみのりを、たえまなく聞け」と教えられました。

「それはまことに結構ですが、法縁は、いつもあるというものではございません。御法話のないときはどうすればいいのですか」
とたずねると、師は、
「何という愚かなことをいうぞ、法話のないときは、いままで聞いたことを思いおこして味わえ。法話を聞いているときだけが聞法ではないぞ」
とさとされたということです。またあるとき、
「そなたは幸いにお聖教の読める目をもっているのだから、つねにお聖教を拝見しなされ、それが聞法じゃ。またもし世間のことにかかわって、お聖教を拝見できないときには、口につねに南無阿弥陀仏と称えなされ、これまた法を聞くことじゃ。このように心得て、志をはげましよくよく聞きなされ。信をうるご縁は、聞思にかぎる」
といわれました。そのとき弘海は、
「法話を聞くことと、お聖教を朗読して、わが耳に聞くことが聞法であるということはわかりますが、わが称える念仏が聞怯だというのは、どういうことでしょうか。わが称えて、わが声を聞くことでございますか」
とたずねたところ、香樹院は大喝していわく、
「なにをいうか。わが称える念仏というものがどこにあるか。称えさせてくださるお方がなくて、この罪悪のわが身が、どうして仏のみ名を称えることができようか。称えさせるお方があって、称えさせていただいているお念仏であると聞けば、そもそもこの南無阿弥陀仏を如来さまは、何のために御成就あそばされたのか、何のために称えさせておられるのかと、如来さまのみ心を思えば、これがすなわち称えるままが、つねに御本願のみこころを聞くことになるではないか」

この一言が弘海の心肝に徹し、はっと心が開けました。そのときのことを弘海は、こう語っています。

「ああ、そうであったか。『大経』の重誓偈に、『われ仏道を成るにいたりて、名声十方に超えん、究寛して聞こゆるところなくば、誓いて正覚を成らじ』(*)と誓われたのはこのこころであったか。いま私に名号を称えさせて、聞かしめておられるのは、必ずたすける阿弥陀仏のいますことを信ぜしめる御心であったのだ。いままで法を聞くといえばただ法話を聞くことだと思っていたのは大きなあやまりであったと恥じいりました」

それからのち、弘海は、法話のないときはつねにお聖教を拝読し、またつねにお念仏を拝聴し、いま称える念仏には、御あるじありて、称えさせたまふなり。しかれば、ただ称えさせるを詮としたまはず、称えさせたまふは、助けたまはんために、一声をも称えさせてくださるるよ。
と思いとらせていただく身になったといわれております。『妙好人のことば』P.203


原口針水和上は、

われ称え われ聞くなれど南無阿弥陀仏
つれてゆくぞの親のよびごえ

と、口称のなんまんだぶを示して下さってある。安心も信心も聴くひとつの、なんまんだぶに仕上げて下さったのを、御本願というのである。
松の小枝が揺れるから風が吹くのではない。風が吹くから松の小枝が動くのである。なんまんだぶを称えて聞いていること、これが御本願のはたらいている証拠である。 ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

選択本願の継承

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗では「信別開」(しんべっかい)という言葉がある。
これは御開山の主著を『教行証文類』とされ、教・行・証の三法だてになっているが、その内容は、教・行・信・証と四法だてになっている事に由来するのであろう。
つまり、行から信を開いておられるから「信別開」という。よく阿弥陀さまを信じるというが、このような表現は阿弥陀さまが判らなければどうしようもない。仏々想念という言葉があるが、まさに仏を知ろしめすのは仏のみである。真如法性といわれるような阿弥陀さまは、理解できるのはずがない。この覚りの世界と救済を告げる言葉が、口に称えられ耳に聞こえて下さる、なんまんだぶである。この、なんまんだぶを往生の正業と受け容れることを、浄土真宗では御信心というのである。
よく、法然聖人は行を、親鸞聖人は信を顕して下さったというが、どちらも、行(称名)と信(信心)を言われているのであって、行を離れた信も無ければ、信を離れた行も無いというのが両聖人のお示しである。
法然聖人の主著は『選択本願念仏集』であり、阿弥陀如来が、本願によって念仏一行を選択して下さったという意の書物である。これを受けられた御開山が、行から信を開いて下さったのが本願力回向の行信であった。
いま、梯實圓和上の名著、『法然教学の研究』からこの「選択本願の継承」について少しく窺ってみよう。なお、漢文の読み下しについては林遊が付したものであって原著にはない、また、(*)には原典へのリンクがしてある、為念。

このような曇鸞教学と同時に、親鸞の本願力回向説を内面から支えていたのは、上述のような法然の選択本願念仏の教説、特に第十七願に注目されたそれであったといえよう。
念仏はただ選択されただけではなく、第十七願に誓われたように諸仏の教説をとおして衆生に教示し、施与されるのである。これによって衆生のうえにとどくのであるとすれば、念仏はまさに選択回向の行法であるといわねばならない。このような諸仏による行法回施のありさまを詳説されたのが「行文類」であり、そこに示される仏祖の引文であった。
「行文類」の顕真実行の引文は『選択集』で結ばれる。そこには『選択集』の題号と撰号と標宗の十四文字と、それに三選の文八十一字が引かれたあと、上来所引の七高僧をはじめ、各宗の祖師たちの顕真実行の全文を結ぶ意味をこめて、

明知 是非凡聖自力之行。故名不回向之行也。大小聖人・重軽悪人、皆同斉応帰選択大宝海念仏成仏<あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(*)

といわれている。凡聖逆謗のすべてを平等に救うて成仏せしめる選択本願念仏は、自力回向の行ではないから、衆生のがわからいえば、不回向の行である。称名していることは、行者が、みずからのはからいを捨てて、万人を平等に往生成仏せしめようとはからいたまう如来の選択の願海に帰入し、如来の御はからいに随順している相にほかならない。それゆえ衆生からいえば法然がいわれるように不回向の行であるが、そのことを如来のがわからいえば、本願力回向の行であるといわれたのが親鸞であった。
すなわち本願力回向ということは、法然が念仏は不回向行であるといわれたものをうけて展開されたものであるといえる。『浄土文類聚鈔』に「聖言論説特用知。非凡夫回向行、是大悲回向行故、名不回向」<聖言・論説ことに用ゐて知んぬ。凡夫回向の行にあらず、これ大悲回向の行なるがゆゑに不回向と名づく。(*)といい、「正像末和讃」に「真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるゝ」(*)と讃述された如くである。

『選択集』「二行章」の不回向・回向対には『玄義分』の六字釈を引証して念仏は「縦令別不用回向、自然成往生業」<たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる。(*)といわれていた。すなわち名号には南無帰命の義釈として発願回向の義がそなわっているからである。
ところで法然によれば、念仏が自然に往生業となるのは、如来が往生業として選定された選択本願の道理によってである。そうすると念仏(名号)に自然に具わっている発願回向の義とは、根源的には、念仏を選択して一切衆生を往生せしめようと誓願された如来の選択の願心の上に見なければならないことになる。その意趣を見ぬかれたから親鸞は「行文類」の六字釈で「発願回向」の義を釈して、「如来已発願、回施衆生行之心也」<如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり。(*)といわれたのである。もちろん法然が直ちに本願力回向の行信を語られたわけではないが、そのように展開する傾向性を選択本願論のなかに充分みることができるのである。

また念仏について「利益章」に、諸行を小利有上とし、念仏を大利無上功徳と判じ、「既以一念為一無上、当知以十念為十無上……」<すでに一念をもつて一無上となす。まさに知るべし、十念をもつて十無上となし……(*)といい、一声々々が無上功徳であると、念仏の無上功徳性を強調されている。それによって、たとえば「念仏往生要義抄」には「問ていはく、一声の念仏と、十声の念仏と、功徳の勝劣いかむ。答ていはく、たゞおなじ事也」(*)といわれるのである。
このように一声一声が絶対無上であるような念仏は、本願の名号が信者の上に全体露現しているからであって、如来の全体が名号となり、念仏となって衆生の上に与えられているといわねばならない。実際法然は如来から衆生に向かって行徳が回向せられるという言葉を用いられることがある。『三部経大意』の次のような文がそれである。

弥陀如来は因位のとき、もはら我が名をとなえむ衆生をむかへむとちかひたまひて、兆載永劫の修行を衆生に回向したまふ。濁世の我等が依怙、生死の出離これにあらずばなにおか期せむ、これによりてかの仏は、われよにこえたる願をたつとなのりたまへり。(*)

ここには衆生の帰依処となるような、如来の行の回向がいわれている。文脈からいって、法蔵所修の行徳が名号中に摂せられて、称名の体徳として回向されているという意味とみられるから、萠芽的ではあるが、本願力回向への展開契機がうかがわれる。

なお親鸞が、信心を語られるとき、その信は「如来選択の願心より発起」せるものであるといい、「選択回向之直心」といわれるように、法然の選択思想をうけて、信心の根源を如来の願心に見出し、念仏を選んで、一切衆生を救わんと思しめす如来の願心が、わが心に徹到したものが信心であると領解されていた。すでに別稿で詳述したように信心を以て涅槃の真因であるといい、信疑を以て迷と悟を分判される信疑決判も法然を伝承されたものであることはいうまでもない。さらに醍醐本『法然上人伝記』所収の「三心料簡事」によれば、

由阿弥陀仏因中真実心中 作行悪不雑之善故云真実也。其義以何得知、次釈凡所施為趣求、亦皆真実文、此以真実施者、施何者云、深心二種釈、第一罪悪生死凡夫云施此衆生也、造悪之凡夫即可由此真実之機也。<阿弥陀仏因中の真実心中、作す行こそ悪雑わらざる善なるがゆゑに真実と云に由るべし。その義なにを以て知ることを得、次の釈に「凡所施為趣求亦皆真実」文。この真実を以て施すとは何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一、罪悪生死の凡夫と云へる、この衆生に施すなり。造悪の凡夫、すなわちこの真実に由るべきの機なり。(*)

といい、如来が、真実心をもって成就された行のみが真実といわれるが、その「所選取之真実者、本願功徳、即正行念仏」<選取するところの真実とは、本願の功徳すなわち正行念仏なり。(*)である。この真実なる念仏を、罪悪生死の凡夫に施されるから、衆生は、これによって、浄土を趣求していくことを善導は「所施為趣求亦皆真実」<施したまふところ趣求をなす(*)といわれたというのである。
また以下に二河譬の白道を論じて、雑行中の願生心と、専修正行の願往生心を分判し、後者は、願往生心が即願力の白道であるような信であるといわれている。これらはいずれも本願力回向の行信という言葉こそ用いられていないが、内容的には殆ど同じことがらがあらわされていたといえよう。こうして親鸞の本願力回向の教義体系は、たしかに『論註』の強い教学的影響下に形成されたものにちがいないが、信仰的には、そしてより根源的には法然の選択本願論を展開したものであったといえよう。
すなわち正確には選択本願念仏の信仰を、『論註』教学をとおして教義体系化したものが、『教行証文類』の教義体系であったというべきであろう。

なおここで注意すべきことは、親鸞の大行論は『選択集』の「二行章」をうけられたものにちがいないが、「二行章」の標章には「善導和尚立正雑二行、捨雑行帰正行之文」<善導和尚、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰する文。(*)といって正雑二行対で説かれている。従ってその内容をみると安心門(廃立門)では、雑行は勿論、助業も捨てて、称名正定業の一行が独立せしめられているが、起行門(相続門)で法義をあらわすときには助正二業が勧められている。それが「本願章」では、唯称名一行を所選の行として明かし、最後の三選の文では「称名必得生、依仏本願故」<名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。(*)と安心門に立って一行専修が主張されている。
親鸞は、この三選の文意によって「行文類」では大行を一行として顕わされるのである。また「三心章」の標章には「念仏行者、必可具足三心」<念仏の行者かならず三心を具足すべき(*)といい『観経』の三心をもって信心が釈されている。しかし私釈にいたって、迷悟の決判をするときには、深心の一つにおさめて「当知生死之家、以疑為所止、涅槃之城、以信為能入」<まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。(*)といい、信と疑をもって対決されている。親鸞は、この信を本願の信楽とおさえ、三心即一の信楽一心をもって「信文類」の大信を顕わされるのである。
すなわち五行三心(『散善義』の五正行と観経の三心のこと)という立場に対して、一行一心を、法然教学の究竟の立場として伝承されたのが『教行証文類』における行信だったといえよう。「行文類」の行一念釈において、『大経』付属の一念の当釈である一念の徧数釈のほかに、あえて行相釈を出し「一行、形无二行」<一行なり、二行なきことを形すなり(*)といい、また「信文類」には、信一念の当釈である時尅釈のほかに、信相釈をあげて「言一念者、信心无二心故曰一念、是名一心、一心則清浄報土真因也」<「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。(*)といい、一行一心の義を強調される所以である。『唯信抄文意』に「教念弥陀専復専」を釈して、

選択本願の名号を一向専修なれとおしえたまふ御ことなり。専復専といふは、はじめの専は一行を修すべしとなり、復はまたといふ、かさぬといふ。しかればまた専といふは一心なれとなり。一行一心をもはらなれとなり。……この一行一心なるひとを摂取してすてたまはざれば阿弥陀となづけたてまつると光明寺の和尚はのたまへり。(*)

といわれている。選択本願の行信とは、一心をもってはからいなく一行を修するほかにはなかったのである。『法然教学の研究』p.244より


御開山は、「真実信心必具名号」<真実の信心はかならず名号を具す。(*)>とされ、蓮如上人は「おもひ内にあればいろ外にあらはるるとあり。されば信をえたる体はすなはち南無阿弥陀仏なり とこころうれば、口も心もひとつなり。」(*)、とお示しであった。明治期からのキリスト教の影響からか、信心(本来は御信心という)を強調するあまり「必定して希有の行」である名号を口にしない僧俗が増えたことは、教学育ちではなく、なんまんだぶによって育てられた林遊には歯がゆいものである。何百万、何千万の御同行が、如来回向の、なんまんだぶを称えて生死を超えてきたことを「行中摂信」(行に信を摂する)、ともいうのだが何の不足があるのであろうか。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

法然聖人の立教開宗

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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『拾遺漢語灯録』

又一時師語曰。我立淨土宗之元意、爲顯示凡夫往生報土也。
且如天台宗、雖許凡夫往生、其判淨土卑淺。
如法相宗、其判淨土雖亦高深不許凡夫往生。
凡諸宗所談、其趣雖異、總而論之不許凡夫往生報土。
是故、我依善導釋義、建立宗門以明凡夫生報土之義也。
然人、多誹謗云、勸進念佛往生、何必別開宗門、豈非爲勝他邪。
如此之人、未知旨也。
若不別開宗門、何顯凡夫生報土之義乎。
且夫人問所言、念佛往生是依何敎何師者既非天台・法相又非三論・華嚴、不知以何答之。
是故、依道綽・善導意、立淨土宗。全非爲勝他也。
拾遺漢語灯録

また一時、師(法然聖人)語りていわく。我、浄土宗を立てる元意は、凡夫、報土に往生することを顯示せんが為なり。

しばらく天台宗のごときは、凡夫往生を許すといえども、その判ずる浄土は卑淺なり。法相宗のごときは、その浄土を判ずることまた高深なりといえども、凡夫往生を許さず。おおよそ諸宗の所談その趣、異なるといえども、すべてこれを論ずるに凡夫報土に往生することを許さず。

このゆえに、我、善導の釋義に依って宗門を建立し以って凡夫報土に生まるの義を明かすなり。しかるに人、多く誹謗していう、念佛往生を勧進せんに、何ぞ必ず別に宗門を開く、あに勝他の為に非ずや。このごときの人、未だ旨を知らざるなり。
もし別に宗門を開かざるんば、いかんぞ凡夫報土に生まるの義を顯わさんや。
かつそれ人の言わゆる、念佛往生これ何れの敎何れの師に依るやと、問はば、既に天台・法相に非ず、また三論・華嚴に非ず。知らず何を以ってかこれに答えん。これゆえに道綽・善導の意に依って浄土宗を立す。全く勝他の為に非ずなり。

白文ならお手上げだけど、ここは訓点があるから便利。

法然聖人は、「聖道門の修行は智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は愚癈にかへりて極楽にむまる」と、仰ったそうだが、林遊のような者にも仏に成る方途を明らかにして下さったのは有り難いこっちゃな。
御開山の絵像では、珠数をつまぐっておられるが、なんまんだ、なんまんだと、法然聖人のお示しの「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本」を実践されておられたのだな。
このご法義を誤解する人は、阿弥陀如来に救われると思量して、具体的に声となって届いている称えられる名号による救済を知らない。そもそも真如・法性である覚りの世界を想像することさえ不可能であるにも関わらず、これを持している如来を想起し救済を妄想するから、有りもしない信心を求めて狂奔するのであろう。
今、ここに、私に、届き称えられている名号の他に浄土真宗の救いは無い。口に称えられ耳に聞こえる、なんまんだぶの他に救いがあるというなら、それは、法然・親鸞両聖人が示された、往生成仏の道ではないのである。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、順彼仏願故。

四句分別

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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なんまんだぶのご法義では、阿弥陀如来の本願を教えの通り受け容れることを領解(りょうげ)という。この言葉は、領解とあるように、解かるという意味を内包しているのだが、このわかるを四句分別して示す面白い文章があった。

>>
龍樹・親鸞ノート(三枝充悳)P.76~

念のために付言しますと、智=プラジュニャーは、通常「智慧」と訳されて、知識=ヴィジュニャーナと対応して説明がなされます。後者のほうのサンスクリットのうち、「ヴィ」は「区分する」「分割する」の意味、「ジュニャーナ」は「知」ですから、ヴィジュニャーナは、区分して行ってはっきりとわかったいわゆる分析的な知をいいます。
ふつう、わかるといいますと、
①わかったということがわかっている、
②わからないということがわかっている、
③わかったということがわからないでいる、
④わからないということもわからないでいる、
の四種に区分されますが、これらのうち、最初の①と②とが知識=ヴィジュニャーナに相当します。ところが、③と④とは、その段階では「わからないでいる」ものが、突如として、直観的に、また体験的に、あるいは綜合的に「わかる」ということがあります
通常これは「わかる」といわないで「さとる」と称します。そしてこれがまさしく般若=智慧=プラジュニャーにほかなりません。
それは上述のような性格を持っていますので、「さとった」と思ったものを、いかに分析して行っても無駄であるばかりか、かえって「さとり」から遠ざかってしまいます。よく「人生の智慧」とか「生活の智慧」とかということばが使われますが、これらは長い人生・生活の体験から、おのずと得られたものであり、ときにその内容が知識と似ている場合もあります。一方、たんなる知識は、他人から教えられたり、本で読んだりして、いわば断片的に得られたもので、体験にまではなりきっていませんから、すぐに忘れてしまいがちです。
>>

浄土真宗は難信の法だといわれる。
たしかに、ご法話を聴いても二階の阿弥陀さまや浄土の話をするばかりで、そこへ往くための方法がまったく説かれない。(もっとも、人間の生き方の話ばかりで、浄土や仏を話さない坊さんが多いのだが)
門徒は、いかにしたら浄土へ往けるかのノウハウの話、二階へ上がる階段の話を聞きたいのだが、そのような話はない。そして門徒は階段の下でウロウロして法話の内容がわかるとかわからないとか言いながら右往左往している。
階段というものは、一階から二階へ上がるものと見る立場では、一段一段とご法義の理解を深て二階(阿弥陀様の覚りの浄土)へ上るというプロセス経るということになる。これは、上記の①と②の立場であろう。

それに対して、階段とは二階が一階へ延長しているという見方がある。これは二階にいる人の見方である。つまり阿弥陀さまや浄土が一階にいる私のところへ、二階の延長のまま届いてくるという立場である。二階の阿弥陀さまや浄土は、あくまでも二階であるが、それが一階への延長として届くのである。阿弥陀さまと浄土が、なんまんだぶという名号になって二階から一階の私に届くのである。一階にいる私をして、なんまんだぶと称えさせ一階にいるままで、すでに二階(浄土)の延長の上にいるのだというのである。

浅原才市さんは、

ねんぶつの、ほうから、わしのこころにあたる、ねんぶつ。

と、言われたが、上記の四句分別でいえば、わかる/わからないをこえて直感的に体験的に中(あた)ったという表現であろう。上記の四句分別でいわば、③④の立場であろう。(これはもちろん覚りの話ではない)

『無量寿経』「往覲偈」には、仏の声は雷鳴がとどろくようだ、とある。

梵声猶雷震(梵声はなほ雷の震ふがごとく)

わかったとか、ありがたいという知性や感情による認識ではなく、なんと驚くべきご法義であったかと、身心を雷にうたれたような思いの表現手段が、声のなんまんだぶである。

智慧の念仏うることは
法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ