吉崎御坊の山を登りおえると、左手に25歳で往生をとげた蓮如さんの次女である見玉尼の墓がある。
蓮如さんの若い頃の本願寺は、貧乏の極みであった。そのため次々と生まれる子を他の寺へ喝食などとして出していたそうである。
大谷本願寺が延暦寺衆徒に破却され、転々としたあとで越前吉崎で安堵の地を得たので、見玉尼も父の許へ帰ることができたのであろう。
蓮如さんは、この見玉の往生についてのお文を作れられておられるので、帖外お文からUPしてみた。
見玉尼
えっ!仏教語だったの?
玄関とか挨拶のように何気なく使っている日本語だけど、実は仏教語だったり仏教由来の言葉だったりする。
一応辞書には「仏教語」という項目が立てられているのだが、本来の仏教語の意味が見失われて使われるので仏教書を読む場合には困ったことになることが多い。
たとえば「縁起」という仏教語は、縁(よ)りて起こるという意味で仏教にとっては重要な概念を示す語なのだが、縁起が悪いとか、縁起を担ぐなどのように使われる用例によって言葉の本来の意味が判らなくなっている。
仏教は難しいということをよく耳にするのだが、仏教語の示す言葉の定義が混乱しているから難しいと感じるのだと思ふ。いわゆる普段使っている言葉の脳内辞書を仏教語の定義にアップデートする作業が必要なのである。
西欧文化圏では、共有語のラテン語に返すことによって言葉の本来の意味を考察するのだが、日本語は漢語と大和語のハイブリッドな単語を膠のテニヲハでくっつけた膠着言語だから、より元の言葉の意味を考察することは難しい。
ともあれ、日常語になっている仏教語を知ることで、日本語は仏教の影響を受けているということを示唆するページをリンクしてみた。なおリンクページの合掌のシンボルは、私が合掌するのではなく阿弥陀如来がわたくしに浄土へ生まれてくれと合掌して下さる姿をシンボルとしたのである。真宗教団連合のシンボルマークのパクリなのだが、本家ではシンボルの意味すら判らなくなっているのは悲しいことではある。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
一人はみんなのために
算数の幾何は得意だったのだが、微分積分となったらお手上げだった記憶がある。ともあれFBで数学云々というタイムランが上がってきたので、SNSでの古い「一人はみんなのために」という書き込みをUP
チームプレーを重視するラグビーには、One For All、All For Oneということばがあるそうである。一人はみんなのために、みんなは一人のためにという意味である。
英語はサッパリ判らないのだが、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉は『華厳経』来由の言葉だと思っていた。
『華厳経』では、「一即一切 一切即一。一入一切 一切入一」(一は即ち一切であり、一切は即ち一である。一は一切に入り、一切は一に入る)という、重々無尽の関係性(縁起)を説くのだが、インド人のあまりにも広大な象徴表現についていけなくて読むのを断念した(笑
そんな訳で、概説書を読んだのだが、相即相入というか、一即一切についての数による解説は面白かった。
まず、数の基底を一であると定義する。空に拘る人から数の基底はゼロ「空」であるという突っ込みがあるのだろうが、空は空に沈滞している限り空ではない。 空(ゼロ)は~へというというはたらきがあるから空なのである。空が単なる虚無であるなら、それは死んでいる。空は空を超えたところで真実の空の意味が顕かになるのだろう。御開山の仰る「本願力回向」 の世界は、そのような有→無→有の世界を描いて下さるのだ。
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竹村牧男著『華厳とは何か』より
さて、その『五教章』の説明ですが、異体門の相入の説明から始まります。向上数と向下数の二門がありますが、向上数は、はじめに一を中心に他の数との関係を見、次に二を中心に他の数との関係を見、そうして最後に十を中心に他の数との関係を見るものです。
向下数はその逆で、はじめに十を中心として他の数との関係を見、次に九を中心として他の数との関係を見、そうして最後に一を中心として他の数との関係を見ていくものです。以下、『五教章』の文章をたどつてみましょう。
中に於て先ず相入を明す。初に向上数に十門あり。
一には、一は是れ本数なり。何を以ての故に。縁成の故に。
乃至十には、一が中の十。何を以ての故に。若し一無ければ即ち十成ぜざるが故に。即ち一に全力有り、故に十を摂するなり。仍(よっ)て十にして一に非ず。
余の九門も亦た是の如く、一一に皆な十有り。準例して知んぬべし。
まずはじめに、一を、一から十の数の中で根本の数と見ます。一が根本となって他の数を成り立たしめると見るのです。一が他の数をつくるということは、一 が一だけにとどまらず、二となったり三となったりしていくということで、自由自在に他と融じていきます。そこを縁成の一といいます。自己の本体を持たな い、無自性の一ということです。だからこそ、他と関係しえて、関係の中で一そのものでありうるわけです。
この一があって、はじめて二もありえます。一に一を足して二ができます。もし、一が一に固定していて他と関係しなければ、一と一とがあってもそれはあくまでも一と一で、二とはならないでしょう。二となるということは、一が一を失って二に融じることです。
そのようにして、一が根本にあるからこそ、二も成立するのですが、ということは、そういう一のゆえに二が成立すること、つまり一が二を成じていること、し たがって一に全力があって、それゆえ二を一の中に摂めてしまうということになります。つまり、二は一に入ってしまうわけです。そのように、一に全力がある からこそ二も成立しますが、ということは一が二を自らに摂め、二は一に入り込んでこそ、二は二として成立するということです。
こうして、一の中に三も入って、そのうえで三であり、一の中に四も入って、そのうえで四であり、ないし十まで、このことがいえます。
一を本数として、その一と他の二ないし十までとの関係をこのように見た次には、今度は二を本数として、その二と他の一あるいは三ないし十までとの関係を同様に考察し、その次には三を本数として、その三と他の一、二あるいは四から十までとの関係を同様に考察します。
どの場合でも、本数がなければ、他(末数)が成立しない、したがって、本数に全力があり、他を摂めている、他は本数に入っている、だからこそ、他は他と して成立している、と見ていくのです。こうして、本数を一から十まで上っていって、その本数と他の数とのこの関係をすべて見ていくのが、向上数です。
ここで、一を本数としたとき、それがあればこそ他の数が成立するということはわかりやすいだろうと思われます。しかし一以外の、他のいずれかの数を本数としたとき、それがあればこそ、その他の数(末数)が成立するということは、ややわかりにくい面があります。
たとえば、五を本数としたときのことを考えてみましょう。このとき、五の中に一が入り込んでいる。なぜなら、五がなければ一は成立しない。だから五に全 力があって、一を摂めているのだ、と見ることになります。では、どうして五がなければ一は成立しないといえるのでしようか。
このわかりにくさは、一が根本であるという私たちの先入観によるものでしょう。特定の視点に縛られなければ、一から十までの十個の数があるとき、そのど れを根本と見てもよいはずです。そこで五を根本として見れば、五から四を引けば一ができるのですから、五が根本となって一が成立する、五がなかったら一も ありえない、と見ることができるのです。
そのように、華厳の世界には、視点の自在な移動・転換があります。関係の中の各々が中心になりうる、という見方があります。そこには、自我中心から世界中心へのものの見方の転換があるでしょう。
こうして、本数を一から十まで上がりつつ、摂めている・入っているという関係を見たあとは、本数を十から始めて順に九、八……と一まで下がりつつ、同様に摂めている・入っているという関係を見ていきます。
ただし、このときの説明は、「謂く、若し十無ければ即ち一成ぜざるが故に、即ち一、全力無うして、十に帰するが故に」という説明になっています。これは 摂める側(本数)でなく、摂められる側(帰する側、入る側、末数)を主としていっているもので、前の説明を裏側から見たものです。
こうして、すべての数に、他のすべての数が入っていて、しかも各々の数として成立していることになります。ここが相入ということです。それぞれの数が他 に入りかつ他を摂めているというところに、自己の本体を持つものでない、縁成のものであるということがあります。それぞれがそのような特質を持っているが ゆえに、関係ということが成立するのであり、関係が成立しているとすれば、関係するものはおよそこのような特質を持っているというのです。
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[2011/10/19]
誕生日
「時無別体、依法而立(時に別体なし、法によって立つ)」と、仏教では言う。諸法の生滅・変化の上に時という概念を仮りに立てるそうだが何のこっちゃではある。人の時間軸は各人の経験則の上で考察するのであろうが、なんまんだぶのご法義の先人は、御開山の年齢に自己の齢(よわい)を重ねて自らの生きてきた歴史を重ねて味わうのが多い。
いわく、御開山が叡山におられた時、法然聖人とお出遇いになった時、越後へ流罪になった時などなど、自らの生を御開山の生に重ね合わせて、なんまんだぶのご法義に遇えた喜びを語るのであろう。フラッシュバックではないのだが、人界に生を受けたことの意味を少しく追憶していたらSNS内で以下のような誕生日に記した日記を見つけたのでUPしてみる。08/05/28の日記である。
今日は林遊の五十九回目の誕生日である。
お前が産まれた時は臍の緒が絡まった難産で、母ちゃんも産婆さんも苦労したという事を聴いた。
後年仏教に関心を持つようになった時、母は、お前は臍の緒を袈裟にして生まれたから、坊さんになるのかも知れんな、などと言っていたものである。
我、誕生の日は、母、苦難の日である。
親が死ぬまで反抗期で、母親の本物の慈愛を確認する為に母親に対して無茶苦茶な事をして来た。
その度に、堪忍してくれなあ、オメをこんな癇癪持ちにしてもたんは母ちゃんが悪いんやと両手を付いて謝る母親であった。
林遊が中学生の頃か、母ちゃん、なんで仏法聞く気になったんや、ようけ子供が死んだでか、という問いに子供が死んだくらいで仏法聞くような母ちゃんでねぇ。自分が死んでいく後生の一大事が心配でお聴聞するようになったんじゃ、と言ったものである。(林遊の兄弟は八人なのだが成人したのは三人である)
ボケてお念仏忘れたら、母ちゃんを叩きまわしてでもお念仏させてくれ、と、痴呆になり自分を失って行く恐怖の中で、なんまんだぶつの御恩報謝を心がけていた母であった。
ありがたいこっちゃな。生まれ難き人間の娑婆へ産んでくれた、なんまんだぶつのご法義を聞ける娑婆へ産んで貰ったのは母の恩である。そんな娑婆で林遊の五十九回目の誕生日である。
母ちゃん、産んでくれて有難う。 なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…
善導大師は『観経』の流通分にある、当知此人是人 中分陀利華を釈して、
「分陀利」といふは、人中の好華と名づけ、また希有華と名づけ、また人中の上上華と名づけ、また人中の妙好華と名づく。 この華相伝して蔡華と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。(*)
と、念仏者の五種嘉誉ということを示して下さったが、安心とか信心というありもしない妄想を、追い求めている人への警句かもな。まぁ、どうでもいいや林遊の心配することではなく阿弥陀さまの心配することだしな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、これ最強だな(笑
三種の愛心
そもそも仏教では「愛」という言葉は否定的に使われる。
渇愛とか愛欲とか愛執など、いわゆる心を悩ませるものとして愛という語を使うことが多い。
例えば、最古層に属する聖典といわれるダンマパダでは、以下のように言う
210、 愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
211、 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。
212、 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?
213、 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?
林遊は莫迦だから、人を愛したり裏切られたり、そして傷ついたりり苦しんだりすることが人生の妙味だと思っていたりもする。本当に愛し合えない存在だからこそ、返って愛おしくなるということもあるのだが、それは置いておいて三種の愛心という言葉がある。
三種の愛心とは、人が死に臨んだ時におこる三つの執着をいう。
WikiArcにUPした文章なのだが転載する。
「三種の愛心」
境界愛・自体愛・当生愛の三種類の愛心(執着心)のこと。
人の臨終の際に起こす三つの執着の心のこと。家族や財産などへの愛着である境界愛、自分自身の存在そのものに対する執着である自体愛、自身は死後どのようになるのかと憂える当生愛をいう。このような衆生の三種の愛心の障りを仏は安然として見ていられないので臨終に来迎するとされた。
法然聖人は、『阿弥陀経』の異訳である『称讃浄土仏摂受経』の「命終の時に臨みて、無量寿仏、其の無量の声聞の弟子菩薩衆と倶に、前後に囲繞し、其の前に来住して、慈悲加祐し、心をして乱れざらしむ。」の文から、来迎があるから正念に住するのであり、正念であるから来迎があるのではないとされた。つまり念仏を称えることによって仏の来迎があるという説を否定されている。(*)
親鸞聖人はこの法然聖人の来迎正念説を継承発展され、
しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。「破闇満願釈」(*)
と、南無阿弥陀仏が正念であり、他力の念仏を称える行者は、すでに摂取不捨の身であるから来迎の儀則を固守すべきではないとされている。
となれば、なんまんだぶの行者は、ジタバタして死んでいけばいいのである。畳を掻き毟って三種の愛心に悩み苦しんで死ねばいいのである。
不安でいられるのは本当に安心できるものに出遇えたから、安心して不安でいられるのである。心の底から不安であるからこそ、その不安な心の、自分でも気が付かない闇の底まで、重誓名超声(聞)十方と重ねて今、すでに、口に称えられる、なんまんだぶが正念なのである。
よかったですね。遇い難い阿弥陀さまのご法義に出遇い、仏様の名前を口にする者にまで育てて頂いたのは、信玄袋を下げてお寺参りするばあちゃんの後姿や、なんまんだぶせんかい、と策励して下さった、じいいちゃんのお育てでした。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
なんまんだぶ、最強
『登山状』という法語を読んであれこれ編集したり末註を書いたり。(*)
『登山状』とは、従来の価値観を破壊するような、全く新しい仏教を提唱した法然聖人への批判に応答する為に、既成仏教の本山である比叡山へ出した書状である。
いわゆる、延暦寺衆徒をはじめとした専修念仏に対する弾圧を和らげるために書かれた書状で、法然聖人の請によって聖覚法印が代書したものといわれる。
聖覚法印は、父、澄憲法印とともに、安居院流と呼ばれる唱導(お説教)の流派を開かれた方で、故事来歴の自由自在な引用や、流麗な七五調の語りには定評があった。
さて、件の『登山状』には、釈の雄俊という、シナの坊さんの話がある。いわゆる往生伝の説話で、『瑞応伝』には次のようにある。
僧雄俊第二十一
僧雄俊姓周。城都人。善講説無戒行。所得施利非法而用。又還俗入軍営殺戮。逃難却入僧中。
大暦年中。見閻羅王判入地獄。
俊高声曰。雄俊若入地獄。三世諸仏即妄語。
王曰。仏不曽妄語。
俊曰。観経下品下生。造五逆罪 臨終十念尚得往生。俊雖造罪。不作五逆。若論念仏。不知其数。
言訖往生西方。乗台而去。
上記の漢文を意約してみる。
シナに雄俊という坊主がいた。
口だけは達者なのだが、戒律を守って修行することもなく、信者から得た布施はろくな事にしか使わないという、まるで真宗坊主のような坊主だ。
坊主が嫌になってので軍隊に入って、一方的に多くの人を殺したあげく、追求を逃れる為にまた教団にもぐりこむような坊主であった。
そのうち死んで、閻魔大王の裁きを受けることになった。
閻魔 この閻魔帳によると、お前は、坊主のくせにろくなことをしとらんから地獄行き決定な。
雄俊 うわわああ、閻魔さん、そりゃないやろ。俺が地獄行きなら仏さんは皆な嘘付きじゃあぁぁぁ。
閻魔 ボケッ、お前は何を考えとんじゃ? 仏さんは未だかって嘘付いた事などないわい。
雄俊 ほんなら、『観経』というお経に、親殺しなどの五逆罪の者でも、十回、なんまんだぶ称えたら極楽へ往くと書いてあるんは嘘なんか。俺も相当の悪やってきたけど、さすがに五逆罪はやっちょらん。また、なんまんだぶなら自分でも覚えてないくらい称えたぞ。お経には嘘が書いてあるなら仏さんは嘘吐きじゃあああぁぁ!
と、雄俊が言い終るか終わらないかのあいだに、西方から金蓮の台が飛んできて、雄俊を乗せ、あっという間に極楽へ往きましたとさ。
信心とか宗教とかいう字さえ知らず、無知なるが故に、坊主という信心を売り物にする高等遊民に、搾取され続けてきた歴史を持つ林遊のような門徒には、胸きゅんとなる話ではある。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
西方指南抄
『西方指南抄』という、御開山が書写された法然聖人の法語集の全六巻の編集がほぼ終わった。
法然聖人の法語と称する物には偽作、真偽未詳なものが多いと言われている。書誌学的にはあれこれ論じられることがあるらしい『西方指南抄』だが、親鸞聖人の転写であり、御開山の眼を通っているのが安心ではある。
読んでて思うのだが、法然聖人は対機説法(相手の理解力に応じて話をすること)が上手だった。この事は、誰でも仏に成れるという、浄土宗(教団名ではなく教法名)を、初めて開宗されたので、それに対するあらゆる非難に対処されたという面もあるのだろうが、法然聖人の頭の良さと懐の深さというものを感じさせる。
宗教の世界は、世間とか自己と他者との関係とかではなく、自己自身の存在そのものが問題になった時、開かれる門である。まさに越前永平寺の道元禅師が言われるように、「仏道をならふといふは、自己をならふ也。」である。経・釈(お経やその解説書)によって、仏の法を理解することは可能であろうが、その仏法が私にとって、どのような実践として与えられているのかに悩み、比叡山において、智慧第一の法然房と称されながら、自己の出離の道を見出せなかったのが法然聖人であったのであろう。
御年、四十三にして、悩み悩みながら仏典を繰り、シナの善導大師の『観経疏』散善義の「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故」の、順彼佛願故の文にぶち当たって、浄土へ往生する業因は、口称の、なんまんだぶ一つというカルチャー・ショックに遇われたのである。
天才の凄いところは、これだ、と思い立ったら、学んだ学問を全て捨てて、市井の、なんまんだぶを称える人と同じ地平に自分を投擲できるのである。
この原点に立ちながら、順彼佛願故の意味を追求し、それは本願力回向であると「論註」の用語によって他力という用語の真の意味を示されたのが御開山親鸞聖人であった。
ヒステリアンシベリアカ
シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕していて、
ある日ふと地平線を見上げるとちょうど夕陽がはるかな西の地平線に沈みゆくところであった。
それを見たとたん、突然手にした鋤を投げ捨て、自分の家族や自分の関わってるもの全てを投げ捨て、ただひたすらその夕陽に向かって歩き出す。
ヒステリアンシベリアカというそうだが、20年位前にパソコン通信で目にした話ではある。
同じように突然西方へ向かう人の話が、
『今昔物語集』19-14に「讃岐國多度郡五位、法をききて聞法即ち出家せる語」にある。
悪の限りを尽くしてきた源太夫が、ひょんなことから西方浄土を知り、悪の限りを尽くした者でも阿弥陀仏という名号を称えれば、仏になるということを聞いて、即座に発心出家して「阿弥陀仏よや、を~いを~い」と称えながら、ひたすら西方を目指し歩き続けて往生したという説話である。
http://www.geocities.jp/yassakasyota/konjyaku/konjyaku.html
芥川龍之介の『往生絵巻』は、この説話に題をとった作品である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/117_14836.html
西方に沈む夕日は、耽美的な美しさ同時に、自らの心の底にある本当の願い、人間が生まれて来たという、根源的な意味を問いかけるものでもあるのだろう。
子供の頃に、美空ひばりが歌う「花笠道中」の、♪西へ行くのは こっちかえ~という歌に、西方には真実の国があるんだなと思いながら口づさんだものだった。
詩のはなし
通常のコミューケーションの道具としての言葉ではなく、自己の内面から沸き起こるリピドーを言葉に変換したものが詩であろう。
他者に、理解してもらおうとか、言葉を共有しようという思いのない言葉が詩なのである。
タスカッテミレバ
タスカルコトモイラナカッタ
ワタシハコノママデヨカッタ
竹部勝之進という、求道放浪の末に、氏の脳裏をよぎった詩であろう。
意訳というか、主語を付加して味わってみる。
(阿弥陀さまによって) タスカッテミレバ
(私の想いで) タスカルコトモイラナカッタ
ワタシハコノママデヨカッタ
「ワタシハコノママデヨカッタ」というところで、世俗の論理に苦しむ者の救いがあるのでろう。
アナタハ、アナタノママデ、イイノデスヨと教説が慈悲の至極としての浄土真宗である。阿弥陀さまがご一緒であるから。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、この広大な世界から届いてい名号を理解できる人は少ないな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
なにしてる?
『淨土法門源流章』タッチ中。
http://goo.gl/Zq0GV
固有名詞が頭に入っていないとワケが判らんな。
幸西大徳の一念義は、非常に御開山と近いので面白い。
覚如上人は、幸西門下で学んだことがあると聞いた事があったが、「信心正因 称名報恩」は、一念義くさいと思ふ。(これはこれで、当時繁盛していた多念義の張本である鎮西浄土宗への対抗意識があったのだと思量するけど)
しかるに、御開山のお心では、『西方指南抄』にあるように「信おば一念に生るととり、行おば一形をはげむべし」だと思ふ。
http://goo.gl/eQz7K
唯円坊のいうように、「他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。」なのであるが、昨今、なんまんだぶを称えない坊主が多いのは困ったものである。
自覚という、ありものしない「信心」とやらを説いて、断絃を揆して清音を責めようというのであろうか。
念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ
という、本当の念仏成仏を説かずして、架空の信心を説いているから、坊主は下記のキリスト教の笑い話のように世間でも揶揄されるのであろう。
>引用
★感動させる説教者
ある司教が有名な俳優に尋ねた。「我々説教者は人間に本当に必要なことを説いてもなかなか理解してもらえないのに、あなたがた役者さんたちは舞台上の作り事で人々を深く感動させることができるのはどうしてだろうか」
俳優は答えた。「わたしたちは架空のことを本当のことのように語っていますが、聖職者のみなさんは、本当のことを架空のことのようにお話しなさってるからですよ」
http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/joke/joke02.htm
>引用終
リストカットするお姉ちゃんや、明日が見えない派遣労働で働く若者や、災害で家族を亡くして慟哭する人に、安心とか信心とか説いても間にあわんではないか。
意味とか訳が解からなくてもいいのですよ、掌'(たなごころ)をあわせて、なんまんだぶを称えましょというのが、「諸仏の大悲は苦あるひとにおいてす」の緊急のご法義であろう。いま苦しんでいる人に届かないようなご法義なら、愚者の為の浄土真宗のご法義ではないはずである。
と、酔っ払っているからどうでもいいが、なんまんだぶは最強ではあるな。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ