一念覚知

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
2

ある浄土系の新興教団では、本願成就文の「信心歓喜、乃至一念」の一念を骨頂して「意業安心」とか「歓喜正因」とか、さらには「一念覚知」を強調して、信心はハッキリと体験できなければならないとした。 そして信を獲たならば、その日時を覚えていない筈はないと信一念の覚知の証明のために年月日時の覚不覚を論じ」ることをを強調したのであった。
➡「年月日時の覚不覚を論じ」
➡「現代における異義の研究」

これに対して蓮如さんは、
『浄土真宗聖典全書』五「蓮如上人仰条々連々聞書」p.819 に、

一 信心決定のひとありけるが、彌陀をたのみたてまつりし其の年、又月日時をも忘侍(わすれはべ) りければ、蓮如上人へ申されけるは、たのみ奉(たてまつり)たりし月日を 不覚(おぼえざる)はいかゞ也と、云人ありと申人候、承(うけたまわ)り候へば、尤(もっと)もと存じ候が、いかゞと不審申されければ、決定の心にもとづきて年久しき人もあるべし、年月時日を忘るゝ人あるべし。衆生はわすれたりとも、佛の御方には御わすれ有べからず、一度摂取ありては御すてなき事なりとぞおほせらる。

と、ある。
蓮如さんの「衆生はわすれたりとも、佛の御方には御わすれ有べからず、一度摂取ありては御すてなき」の語は「弥陀経讃」の、

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる (浄土 P.571)

にある「摂取してすてざれば」の「国宝本」の左訓、

摂おさめとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり。摂はをさめとる、取は迎へとる。
と、同意である。ともあれ浄土真宗のご法義は、過去の獲信を追憶するのではなく「今・ここ」での、ただ今の救済なのであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

われ誕生の日は母苦難の日

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
1

FBから転載

山本七平氏は『空気の研究』(空気=場の雰囲気)で、空気を破るには水をかけるといふようなことを記していた。いわゆる水をさすといふ行為なので空気読めと顰蹙(ひんしゅく)をかう場合も多い。
そこで顰蹙覚悟だが、FBでは仕様でフレンドの誕生日を知らせてくれるせいか誕生日を祝うメッセージを見ることが多い。

ところで我が家のばあちゃんは薬師寺の管長だった高田好胤さんの「父母恩重経」の著書を読んだからか著書中の、

今 諸人よ 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日(詠み人知らず)

の句を「われ誕生の日は母苦難の日」と教えてくれた。ばあちゃんにすれば自分をこの世に生んでくてたばあちゃんの母に対する感謝の意であった。
これは、お説教の前に唱和する、三帰依文の、

人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。此の身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。{後略}
➡「三帰依」

の「人身受け難し」の句が頭にあったのだろう。
ともあれ、仏法を聴く世界へ生まれたのは母の恩だと思っていたのだろう。
「われ誕生の日は母苦難の日」、いい言葉である。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

「新作領解文」の「第三段、念仏者の生活」

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
3

「新作領解文」の「第三段、念仏者の生活」
について強い違和感を感じたのでWikiArcに以下の文を追記した。

宗教とは、宗と教え、また、宗の教えの意で仏教のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の仏教の中で、浄土真宗は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、

 浄土教というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を妬ねたんだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。
そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる阿弥陀如来の本願のはたらきを「他力」と仰いでいるのです。だから他力とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の本願力を讃える言葉だったのです。(『親鸞聖人の教え・問答集』p.103)

と仰っておられた。その意味では浄土真宗 の信心とは、二種深信の第一深信で説かれる、いわゆる悪人正機の法義でもあった。真宗の僧俗でどうせ私は凡夫ですからとうそぶき、自らの内面の悪(煩悩)を見つめない者を「慙愧なき真宗は外道に堕する」といふゆえんである。浄土真宗とは、往生浄土を真実とする宗教という意味である。悪業煩悩を持つゆえ、この土でさとりを完成することが出来ないという挫折感をとおして浄土へ往生してさとりを得させることを目的とする阿弥陀如来の本願の仏法である。
➡「WikiArc:浄土真宗聖典目次」

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

私の煩悩と仏のさとりは本来一つ

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
2

浄土真宗の研究所長である満井秀城氏は、『なぜ「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」なのか』の論述で、

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」は、「生死即涅槃」の道理であり、宗祖親鸞聖人に「証知生死即涅槃」(正信偈)として明確な出拠がある。これは『往生論註』利行満足章に出る語で、そこでは、「無碍」の釈義として『華厳経』と関連させながら説明され、讃嘆門で釈される「尽十方無碍光如来」と首尾一貫した説示となっている。つまり、この「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」の部分については、議論の余地はまったくない。しかし、注意すべき点があり、多くの誤解が起こっているのも確かである。➡本文へリンク

と、述べている。

「私の煩悩と仏のさとりは本来一つ」は、「生死即涅槃」の道理であり

とするのだが、この「生死即涅槃(生死すなはちこれ涅槃)」は『論註』の以下の文である。

 「道」とは無礙道なり。『経』(華厳経・意)にのたまはく、「十方の無礙人、一道より生死を出づ」と。「一道」とは一無礙道なり。「無礙」とは、いはく、生死すなはちこれ涅槃と知るなり。かくのごとき等の入不二の法門は、無礙の相なり。(論註 P.155)

『論註』のこの文は、非常に難解なのだが、以下にこの文の語句のWikiArcへリンクしておいた。
➡「道」
➡「生死即涅槃」
➡「煩悩即菩提」
➡「無礙道」
➡「十方の無礙人」
➡「無礙」
➡「入不二の法門」
➡「つばめ堂通信の『維摩経』入不二法門品」
ともあれ浄土真宗に関心の無い若い人に理解できるような「新作似非領解文」だそうだが、満井秀城氏が提示した「生死すなはちこれ涅槃」とは、

 無礙」とは、いはく、生死すなはちこれ涅槃と知るなり。かくのごとき等の入不二の法門は、無礙の相なり。

とあるように門主が示した「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ」を理解するためには『維摩経』の「入不二の法門」を学ぶ必要があるらしい、「智愚の毒」に毒された莫迦(仏教語)である。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

『教行証文類』というのは凄く難しい

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
0
本願寺派の学僧 法霖師の創られた『対食の偈』は、仏教問答を論じあった当時きっての学僧、華厳宗の鳳潭師から浄土真宗には食事の言葉はないのかと問われ、即興で創られたといふ。→対食の偈
当時きっての学僧であった鳳潭師が『教行証文類』を読んで、全く解らない、このような解らない書物を書く者は、気違い (狂人:差別語としての言葉狩りの意識高い系の圧力から語句変換できない) だと云ったそうである。ともあれ浄土教の書は仏教一般の通途と異なる別途不共なので判りにくい。以下は学僧である鳳潭師や富永仲基のエピソードを通して御開山の浄土思想を考察する梯實圓和上の講義録の一端をUPしてみた。

御開山の著書の思想は重層構造をしているので判りにくいのだが、その思索の原点は、

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

であった。
>>引用開始
私は何時も言いますが『教行証文類』というのは凄く難しいのです。浄土真宗というのは無茶苦茶に難しい宗教なのです。何百年に一人、千年に一人出るか出ないかという程の天才が、それこそ精魂込めて書いた書物はそう簡単に分かるものではないのです。簡単に分かるものでないから八百年間も読んでも皆が「解らない解らない」と言っている訳です。だから聖道門の教えの方がズウーと解り易いです。天台にしても華厳にしても解ります。それが解らないのは頭が悪いのです。だけど浄土真宗はそうではない。これは本当にもの凄く難しい。聖道門の方は頭が悪いか、それとも修行しないかのどちらかです。修行するか頭が良かったらどちらかで分かるのです。どちらにしても人間の延長線上で分かるのです。ところが浄土真宗の教えだけはダメです。「極難信」というだけはあります。結構難しい教えです。だから法然聖人の『選択集』でもそうでしょう。あれは書いてある事はズウーと明晰なのです。ところが「何故にそうなるのか」と言われたら全然解らないのです。だから浄土真宗は難しい教えなのです。それを理解しようというのですから大変なのです。
そんな事で経の当分と、善導大師の釈と、更に親鸞聖人の釈と三重の構造になっていますから、それを解きほぐしていかないと解らないのです。その根底には「私には今は解らないけれども御開山の仰っている事に間違いは無いのだ」とそれくらいの事を思っていないとダメです。そこで「何故か」等という事を考えたら「分からない」と手を上げてしまいます。華厳の鳳潭という江戸時代の中期に出ました学者が「親鸞というのは気違いだ」といったのです。何故かというと「彼の書いた本を読んでも私には解らない」というのです。「私は古今東西の本を読んだが解らなかった本は無い」というのです。それが「親鸞だけは解らない」というのです。だから「私に解らないものを書くのは気違いに決まっている」と言ったのです。自分に分からないものを書くのは気違いだと言うのですから、しかしさすがに見抜いたのですね。それで論難してきたのです。たまたま浄土真宗には法霖師がおりましたので逆に論駁しました、さすがの鳳潭が黙ってしまったという事があるのです。法霖が『浄土接衝編』を書いたのは三十九才です。尤も四十過ぎて師匠の若霖が亡くなった後にすぐに能化なるのですけれども四十三才位で能化になるのです。三十九才から四十才代にかけて鳳潭と大論争をする訳です。この鳳潭という人は凄い人なのです。この頃に有名な富永仲基(一七一五-四六)というの大乗非仏説を初めて論証した人がいます。彼は大阪の商人なのです。大阪にはそんな人が出て来るのです。大阪の一流の商店というのは暖簾が大事でしょう。だから長男には後を継がせないのです。自分の息子に後を継がせないのです。丁稚から叩き上げた商売について非常に堅実な、そしてそれだけの力を持っているものを何百人といる中から一人選び出して育て上げまして、それを純粋培養するように育て上げて娘と見合わして養子にするのです。長男とか次男という男には捨て扶持を与えるのです。そして勉強をさせたり、戯曲書いたり、本を読んだり、詩を作ったり、俳句を作ったりして文人墨客になるのです。彼等には一生涯生活出来るように財産を与えて隠居させるのです。その様にして暖簾を護ってきたのです。だから船場の商人は殆ど養子なのです。たたき上げた養子なのです。その中で一番良いのが江州から連れて来たものが一番良いというのです。江州商人といわれ堅実な、しかも浄土真宗の信仰に裏付けられた大変堅実な人達です。
その富永仲基はもの凄い人で亡くなったのは三十一才くらいなのです。彼が「大乗経典は仏説ではない。釈尊のものではない」と言ったのです。大蔵経を全部読み通してしまっているというのです。それも一遍や二編ではないでしょう。彼は時々仏教の講義を聞きに行っているのです。私が講義を聞いた中で聞くに堪えたのは鳳潭の講義だけだというのです。鳳潭の講義だけは聞くに堪えた。後の連中の講義なんて聞けるようなものではないといっているのです。その天才富永が誉めた程の人なのです。鳳潭という人は浄土宗、日蓮宗、浄土真宗となで切りした訳です。彼が『教行証文類』を読んで全然解らないと言うのです。何を言いたいのかさっぱり解らない。私が読んで解らないものを書くのは頭がおかしい、だから気違いだと言ったというのです。それは善意を以て読むか、悪意を以て読むかです。『教行信証破壊論』というのを浄土宗の人が書きますけれども、悪意を以て読んだら『教行証文類』というのはメチャメチャだというのです。
この『教行証文類』は信仰を持って読まないと絶対に手の付けようが無いという事です。昔は若いものには読ませてはいけないと言われていたのです。蓮如上人だって二十才を過ぎてから伝授を受けていらっしゃるのです。『教行証文類』は二十歳以前のものには読ますなと言われたのです。それ位の書物なのです。
➡「トーク:鳳潭」
>>引用終了

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

新義派と古義派

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
1

本願寺派に於ける教学論争としての「三業惑乱」は、いわゆる新義派と古義派の教学論争であった。この論争が本願寺派内では収拾がつかず、為政者(権力者)である幕府の介入によって裁断された《恥の歴史》がある。
三業惑乱

現代の「令和の領解文騒動」では、龍谷門主 釋専如が発布した「新作エセ領解文」を新義派とし、我々門徒が「領解文」制定以来、口にとなえ耳になずんだ「伝統真正領解文」を古義派とすることも可能だろう。エセとは似非(似てはいるが本物ではない、にせものであること)である意である。
このような新旧対立の場では、御開山が説かれた浄土真宗の教義に無知な新義派の坊主(宗教貴族)は宗門の権力を握っているから、宗義を混乱させたとして個人攻撃をするであろう。深川 宣暢和上への監正局への懲戒申告もその例である。
これは「法規上の訴え、懲戒、係争又は紛争、秩序保持並びに財産の管理及び経理の運営に関する審判と監査機関である「監正局」と国家類似の権力分立の形式を採用している。」

これは大事なことであるが、御開山は「信巻」末で、永観師の『往生拾因』を引いて「和合僧を破す」ことを「五逆」とされていた。
五逆追釈

その意味では、今回の「平成領解文騒動」は、なごやかな浄土真宗の僧俗の門徒に新義としての「新作エセ領解文」を提起して門徒に唱和させるといふ企みは、教団の和合一致を破壊し、分裂させる「破和合僧」といふ五逆罪であろう。
五逆罪

龍谷門主 釋専如さんは、「新作エセ領解文」によって「破和合僧」といふ状況を惹起したことに責任を持つべきである。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

エセ領解文

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
1

そもそも論だが、今回の「平成領解文騒動」は、アホな(真宗教義を理解していない)門主が、伝統的に門徒に受持・読誦されてきた領解文が伝灯されてきた意味を知らず、2021/04/15の『教開宗記念法要(春の法要) ご門主法話(ご親教)「浄土真宗のみ教え」』、

浄土真宗のみ教え

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)

「われにまかせよ そのまま 救う」の  弥陀のよび声

私の 煩悩と 仏のさとりは 本来 一つゆえ

「そのまま 救う」が  弥陀のよび 声

ありがとう といただいて

この 愚身(み) をまかす このままで

救い 取られる  自然の 浄土

仏恩報謝の お念仏

み教えを 依りどころに 生きる 者となり

少しずつ  執れの 心を 離れます

生かされていることに 感謝して

むさぼり いかりに  流されず

穏やかな 顔と 優しい 言葉

喜びも 悲しみも  分かち 合い

日々に  精一杯 つとめます
https://www.hongwanji.or.jp/message/m_001492.html

に、正統領解文を真似た師徳の

これもひとえに

宗祖聖人と

法灯を伝承された 歴代宗主の

尊いお導きに よるものです

を突っ込んだ(追記した)ものが、今回の新作エセ(似非)領解文であった。
たぶん、専如門主は真正『領解文』を称えたことが無いから、いわゆる君側の奸(君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下))に騙されるのであった。君側の奸は伯父さんだし(笑

それは、それとして、いわゆる今回のエセ領解文反対派は盛んに蝸牛角上(狭い世界でのつまらない争いのたとえ)の闘いを仕掛けるのだが、2021/04/15の消息に、何も反応しなかった咎を内省すべきであろう。
もっともこの駄文を頭の悪い門主が「領解文」と表現したことから今回の騒擾が起こったのであろう。ご門主、ご謀叛であるが、これどうするんだろ(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

七地沈空の難

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
1

仏教を学ぶ上で、「空」のドツボに嵌ることを浄土真宗では「七地沈空の難」といふ。
『論註』で浄土へ往生すれば速やかに菩薩の階位を超出することを、第二十二願を引いて、

常倫諸地の行を超出し、現前に普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ」と。

と、「常倫諸地の行を超出」と菩薩の階位を超出する説明に於いて「七地沈空の難」を説くのであった。これが、
➡「七地沈空の難
であった。
この「七地沈空の難」とは仏教を学ぶ上で「空理」に陥ることをいふのであった。
七地の菩薩は煩悩障を断滅して我執が完全に排除される。それは小乗の阿羅漢の悟りに相当する境地である。それは、空の境地を得る故にすでに自身の解脱は成し遂げたので、上に求めるべき菩提も下に救うべき衆生もないと思って修行を中断する。
その意味では、いわゆる空理・空論に陥って浄土教における浄土の「妙有」の世界を知らないのであろう。
その意味では「教判の教判」といわれる『華厳教』の「五教十宗判」などでは、龍樹の中観を「空始教」と位置付けて、その後の発展を展開している。
➡「大乗始教の立場②ー般若中観

ともあれ、御開山は「空観」を説く龍樹菩薩を浄土真宗の第一祖とされるのだが、それを基礎として、その後の七高僧(六高僧)の思索の「智慧」と「慈悲」の展開が浄土教であった。
空理・空観に沈んでいる頭の良い坊さんは
「末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す」 (註 209)
と、あるように「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す」のであった。
➡「自性唯心

ともあれ、御開山は『教行証文類』で、浄土経典だけでなく天台大師の「五時八教判」の釈尊が最初に説かれた『華厳経』と最後に説かれた『涅槃経』を引文されることで全仏教を総説されておられるのであった。
➡「五時の教

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

令和の新作領解文騒動

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
0

令和の新作領解文騒動は、いわゆる唱和の推進などのように宗教の運動論なのだと思ふ。宗義との整合性をはかる為に、御用学者である宗学者によって色々な会通(一見、矛盾しているようにみえる記述を一貫した趣意のものとして説明すること。)が行われるのだろう。要するに矛盾を糊塗する曲学阿世(時代の好みにおもねり,世間の人に気に入られるような説を唱えること)の輩の会通ゴッコであろう。
何故このような令和の新作領解文騒動が起こったかといへば、浄土真宗の中に「運動論」を持ち込んだ為であった。あらゆる場ですべての人に唱和させようといふ企図は、スローガン(団体や運動の主義・主張を、言い表した語句。標語)によって大衆(門徒)に行動を扇動する左派の運動論であった。

大谷派の金子大榮師は、御開山の七百回忌で「浄土の機縁」といふ法話をされた。
その中で浄土の機縁(教えを求める者〔機〕が、教えを聞くきっかけ〔縁〕となること)として「生活意識」「行動意識」といふことを述べておられた。
そして、
〔浄土の教え、真宗の教えというものは、生活に潤いをあたえ、生活の智慧となるものであって、行動の原理となるものでないと、私はそういうふうに思うのであります。〕
と述べておられた。

>>「浄土の機縁」の抜粋
さて、その生活と行動というものに伴なう感情を申しますと、生活における感情は、悲しみと喜びというものであります。行動者には喜びとか悲しみということがあるのであろうか。親鸞が日本人に教えたものは、なにを悲しむべきか、なにを喜ぶべきかということであるといっている人がおります。いかにもそのとおりでしょう。私も人と生まれた悲しみを知らないものは、人と生まれた喜びを知らないものだと語ってみたこともありました。このような時代に生まれて、人間の生活は、いろいろのことに悩まされ、わずらわされておる。そして、それにたいしてどうすることもできないというところに、人生生活の悲しみというものがある。その人生生活の悲しみにおいて、それを介してはじめて大悲の本願をいただくことができる。そこにふかい喜びがある。このような意味において、ほんとうに悲しむべきこととほんとうに喜ぶべきこととは、生活に即するところの宗教だけが与えているのであるといってよいのでしょう。

それが行動ということになりますと、どうでしょうか。それは、悲しみとか喜びとかいう言葉を使うとか使わないとかいうことではありません。善悪ということで動いている行動なのでありますから、その行動が成しとげられたときと、成しとげられなかったときには喜ばしい悲しいというよりも、快・不快というようなことではなかろうか。あのときは痛快だった。また負けたときは千載のうらみというようなことをいう。このような行動の世界では、”我は善なり、汝は悪なり”というようなことで争うことよりほかにないのであります。こうして、行動の意欲は”戦い勝ちとるために”ということになっているのであります。
➡「浄土の機縁

>>
と述べておられた。
ともあれ、浄土真宗には世俗の行為について ~をなせといふことは無い。何故なら ~が出来ない人はどうなるのですか?といふことになるからである。
その意味で行動といふ運動論と最も離れているのが、浄土真宗のご法義であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

本覚法門

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
0

新作領解文は発布された時、各種の仏教思想と比較して浄土真宗を学んでいる者は、ナンジャコレ? と、本覚法門の亡霊があらわれたのかと思料した。
新作領解文

御開山は法然聖人からお聞きしたことを『西方指南抄』の「浄土宗大意」で、

聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる
浄土宗大意
と、聖道門は一元の立場の娑婆で得道する法門であり、浄土門は娑婆と極楽(浄土)の二元の立場であり極楽へ生まれる法義だとされておられた。これが法然聖人の往生浄土宗の立教開宗であった。
選択本願念仏集
ともあれ、新作領解文に拒否感を示すのは、浄土門から聖道門への階梯を意図しているのではないかといふ素朴な疑問であった。お聖教も読まず信なき坊主の蝸牛角上の争い(でんでん虫の角の上でのあらそい。些細なことや、狭い世界でのつまらない争いのたとえ)であるから門徒としてはどうでもいい。

そんなこんなで「新作領解文」の「私の 煩悩と 仏のさとりは 本来一つゆえ 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声」は浄土教の破壊である。

「トーク:本覚思想」
「令和5年(2023)1月16日発布の「新しい「領解文」『浄土真宗のみ教え』」の一節、私の 煩悩と 仏のさとりは 本来一つゆえ 「そのまま 救う」が 弥陀のよび声、といふ表現がある。これは大乗仏教に於ける「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を、生半可な空思想の理解から煩悩も菩提も、縁起→ 無自性→ 空であり、本来は不二で相即しているから「本来一つ」と云いたいのであろう。
このような煩悩と菩提(さとり)を「本来一つゆえ」といふ「絶対不二の一元論」の思想はまさに天台本覚法門の思想である。
煩悩具足の凡夫が、仏のさとりと一つであるという本覚法門は、煩悩に狂わされて愛と憎しみのはざまを迷いながら生きるしかない凡夫の現実が無視されているのであった。
梯實圓和上は『法然教学の研究』「本覚法門と浄土教」で、

煩悩具足の凡夫が、我即真如なり、我即仏なりとおもえば真如であり、仏であるという本覚法門は、深い罪障にまつわられ、煩悩に狂わされて愛と憎しみのはざまを迷いながら生きるしか生きようのない凡夫の現実が全く無視されているといわねばならない。娑婆即寂光と理論的に理解したとしても、現実には娑婆の苦悩から解放されるわけではない。煩悩即菩提、生死即涅槃と思っても煩悩、生死の現実は少しもかわらないし、我即仏と信じても、浅ましい凡夫でありつづけるとすれば本覚法門とは、娑婆に生きる凡夫の現実を捨象した空論であり、抽象論に過ぎないときびしく批判していったのが法然の浄土教学であった。
とされておられた。浄土教の穢土と娑婆の相対二元論ではなく、「絶対不二の一元論」はまさに天台本覚法門の思想である。 ここでは梯實圓和上 著『法然教学の研究』p.426から天台本覚法門の一端を窺ってみる。なお「隠/顕」をクリックして表示される漢文読下しは林遊が追記した。
トーク:本覚思想

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ