稲城選恵和上から、杉和上は浄土真宗の布教使さんの説教を聴かれて、
西山浄土宗のお説教を確かに拝聴いたしました。
と、皮肉っておられたということを聴いたことがある。
浄土真宗では三業惑乱以来、衆生の側の意業の信心を否定するあまり無安心に陥っている面もある。いわゆる往生正覚機法一体の「十劫安心」をご当流のご信心だと誤解している僧俗が多いということであろう。
いわゆる、ひらがな語での「いのち」を強調し、御開山が示された願作仏心、度衆生心という仏道を領解できない仏法の世俗化の罠に嵌っているのかもである。
世俗化とは聖なるものを俗化するのであって、俗化した真宗には衆生を済度する力はないということが、真宗のご法義の衰退の一端を招いているのであろう。
御開山の示された浄土真宗は、
しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにして性を見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。p.371
という、往生成仏の仏のさとりを開くご法義なのだが、現世の「いのち」の語に拘泥し往くべき浄土をもたない者には難中之難であろう。
と、いうわけで、法然門下の異流の一端を示す「法然聖人の他力思想」の一段をUPしてみた。
→「法然聖人の他力思想」
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