願生偈から論註の解説へのリンク

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「願生偈」の漢文を眺めながら、はて、どういう意味だったかなと思ふことがある。
そこで、WikiArcに「願生偈」の偈文から『論註』の対応部分へのリンクを作成したみた。

以下、説明。

「願生偈」とは、天親菩薩ご自身が無量寿経(浄土三部経)によって浄土を願生する旨を述べた『浄土論』の冒頭の偈頌である。偈頌は五字一句、四句一行で全部で24行になっている。国土十七種、仏八種、菩薩四種の荘厳を説くので三厳二十九種といいならわしている。 偈頌とは、広博な仏教の意を総摂して短い偈のなかにおさめて記憶し忘れないように保つためのものである。『浄土論』にもこの偈頌の解説(長行)がある。 曇鸞大師の『浄土論』は、この『浄土論』の偈頌と長行部分の注釈書であり上巻は偈頌について、下巻は長行部分の解説になっている。この対応を判りやすく把握できるように「願生偈」の偈頌の文から、それに対応する『浄土論註』の、それれぞれの釈へリンクしてある。
なお、『浄土論註』の上巻は、「仏本(もと)なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる」と、仏が何故にこの浄土の荘厳を起こさねばならなかったかという因の所以を尋ねる形式になっており、下巻は因である本願によって成就せられた浄土を「これいかんが不思議なる」という浄土の果徳そのものの不可思議性を顕わしておられる。

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願生偈から論註の解説へのリンク

浄肉文

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浄土真宗では、肉食妻帯が許容されているのだが、我が家では、有縁の人の命日には精進と称して肉食を忌避していた。
幼い頃に、このまま往生する人が増えると、将来には肉を食べることは出来なくなるのではないかと子供心にも心配したものである。
戒には性戒(しょうかい)と遮戒(しゃかい)があるそうだが、本来、乞食(こつじき)によって命をつなぐ僧侶ならば、他者の食の布施に対して文句は言えないということもあるのであろう。

ともあれ、御開山の肉食に関する資料として、『浄土真宗聖典全書』二に「浄肉文」という文章があったので、資料としてhongwanriki.wikidharma.orgにUPしておいた。

浄肉文

『涅槃経』言、
「人・蛇・象・馬・師子・狗・猪・狐・獼猴・驢」十種不浄肉食

又言、「三種浄肉。」
見・聞・疑。見というは、わがめのまへにて殺肉食。
聞といふは、わがれうにとりたるを食するをいふ。
疑といふは、わがれうかとうたがいながら肉食するをいふなり。この三つの肉食を不浄といふ。この三つのようをはなれたるを、三種のきよき肉食といふなり。

リンク→「浄肉文」

おそだて

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おそだてとは、浄土真宗の門徒の間で使われる言葉で、育てられたの意である。阿弥陀さまのご方便のおてだてによって、本物のご法義を領解するほどになった意をいう。
本願寺派の僧分であった与謝野礼厳には、

仏浮き沈む われを幾代か 待ちませし
心ながきは 阿弥陀 釈迦牟尼

の句があるそうだが、浄土真宗の仏の覚りを得る為の「全分他力」という教説は解りにくいから幾代もかかることもあるのであろう。浄土真宗では、それを「お育て」という言葉で表現する。
それは善巧摂化という本願力回向のご法義であるが、善巧方便のお育てに出遭った者にとっては、方便ありがたしと、愚者であることが誇らしく思えたりもするのであろうか。
ともあれ、暇なのでwikiarcにUPしてあった、方便の項目に若干の追記をしてみた。

仏教では方便という用語は各宗で種々に考察されている。浄土真宗では、善巧方便(ぜんぎょう-ほうべん)と権仮方便(ごんけ-ほうべん)の二種の語がよく用いられている。ところが、この二種の方便に対する誤解が多い。『無量寿経』に説かれる阿弥陀仏の四十八願中に十方の衆生に呼びかけられる願には、第十八願と第十九願・第二十願という三種の願がある。この三願中の第十八願は阿弥陀仏から回向される行と信を説くので阿弥陀仏の随自意のご本意の願である。 そして、第十九願・第二十願は、この第十八願を受け容れられない者の資質に応じて(随他意)、真実の第十八願へ誘引する方便の願であった。真実へ導くために仮に設けられた願が第十九願・第二十願であった。
親鸞聖人が、『教行証文類』で、わざわざ「化身土巻」を撰述し、第十九・第二十の方便願を取り上げられるのは、誘引の意もあるが、真意は仏の本意(随自意)にあらざることを示して、これを廃し捨てさせるためなのであった。この意を窺うために、『顕浄土方便化身土文類講讃』(梯實圓著)より、方便に関しての章を抜書きして権仮方便と善巧方便について提示する。なお、註の各聖典の頁数等は本書のものであり、フリガナ、強調および◇マークから以後の註や文中のリンクは、利便のために私において付した。

→「ノート:方便

終活について

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終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味するから「終活」というそうである。
日本人の思想の基底に、人に迷惑をかけてはいけない、という発想がある。これを自分の死後にまで拡大し、死んでも他者に迷惑をかけたくないとの発想から「終活」という社会現象が生まれてきたのだろう。もちろん自らの希望としての遺言書というような社会的形式を頭から否定する気はないのだが、いわゆる終活という社会現象を見るに、ようするに死を縁とした経済的利得を計る輩に騙されているのではなかろうかとも思ふ。
そもそも、死によって自己の存在が無に帰すという現代人の考え方からすれば、自己が存在しない世に対してまでも発言権を確保しようという行為はおかしいし傲慢であろう。死という自己の存在しない後生(こうせい)には、残された者の「後の世」があるだけで、そこには私はいないのであるから、死者に発言権はないのである。

仏教の生死観では、お前の命の歴史は長いという。曠劫(こうごう)という大昔、時間の果てから始まったという。死んでは生まれ死んでは生まれして、六道(ろくどう)という迷いの世界を流転輪廻して来たという。そしてこれからも六道を経巡(へめぐ)っていくのだとする。輪廻(梵語サンサーラ(saſsāra)の漢訳)を生死をと訳した経典もあるから生死(しょうじ)とは、弘法大師空海が、「生生生生暗生始 死死死死冥死終(生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し)」『秘藏寶鑰』といわれたように、生に暗く死に冥い凡夫の流転を示す言葉でもある。
つまり、仏教における死とは、私が死んだ後の後生(こうせい)ではなく、私自身の死の後の生、後生(ごしょう)が一大事なのですよ、といふのである。
このような視点から終活という行為を考察するに、人生の終わりを迎えて目前にせまる死を静かに受け止めることができないから、死を紛らわせる便法として終活という行為にはしるのであろう。眼前の死を否定するために生きてきた過去を振り返る行為でもある。それは、死という虚無の断崖絶壁からおちる怖さから眼をそむけ逃げる行為でもあろう。自らの生きてきた生にのみ焦点をあて過去の行為による思い出にひたる後ろ向きで死を迎える活動が終活でもあろう。後ろ向きになって崖からおちる死である。

浄土真宗では、死は、浄土への往生(おうじょう)(生まれて往く)という。死ぬのではなく浄土(=阿弥陀如来のさとりの世界)へ生まれるというのであるから、そこには死はない──もちろん死ねば無条件で往生成仏というのではない。無条件の救いであるということを《信知》し、仏の名号を聞くことが本願の言葉である──。

 死ぬでなし 生まれかはれる浄土ありと
  聞けばたのしき 老いの日々なり

という句を詠んだ先人がいるが、このような人の眼には、死は虚無という断崖へおちるではなく、喜びも悲しみも自らの往生浄土(=往生即成仏)の縁(えにし)となるのであった。往くべき世界、浄土を持てるものだけに開示されるご法義である。まさに前向きに、まるで 竹膜が隔てるほどの地続きのような浄土を受容しているのである。必至無量光明土(かならず無量光明土に至る)の、仏の智慧の世界へ往生するのである。
そして、これが浄土真宗に於ける《終活》という言葉の意味であり、後生(ごしょう)の一大事として我々の先輩が伝統してくださった言葉であった。
生きることに意味があるように、死ぬることにも意義を見出して下さったのが、往生浄土を真実とする教えであった。ありがたいこっちゃな。

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関連:→後生って何やろ

親さまにご油断があろうかな

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深川林遊和上の『仏力を談ず』に脚注を付けていて、

 端午の節句に、やれ歌え騒げといっておる時は忘れてるんです。親さまはそれを忘れておられないのです。だって私をとり込んでおる親さまですよ。

の、一文から、田原のおその同行の逸話を思い出したので脚注に記してみた。

 田原のおその同行に以下のようなエピソードがある。おそのが本山へ参詣して茶所でご法義談義をしていた。坊さんというのはお節介なもので、そのおそのの肩をたたき、「ここはご本山じゃぞ、うかうかとお喋りしていると無常の風は後ろよりくるぞ」と大声で言った。おそのは後ろを振り向きながら、「親さまにご油断があろうかな」と返答したそうである。見事なお領解である。たとえ私が忘れていても、私をとりこんで忘れない親さまがいらっしゃるのであった。なんまんだぶ (*)

 他力というご法義は、ともすれば無力と混同され、わたくしの努力という面を軽く見る傾向があるのだが、往生ほどの「後生の一大事」、どうして無力でかなうことがあろうや。
「親さまにご油断があろうかな」と、腹落ちするまで聴聞するのが、ご当流の勧化であった。三願転入の求道主義者は、仏願の正起を曲解するがゆえにこの意がわからないのである。
全部こちらが用意したから、あなたは何にもしなくていいのですよ、という教説を、努力して聞き学ぶのが「仏法は聴聞に極まる」という言葉の意味である。

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仏力を談ず─真仮分別

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御開山には『大経』の往生の三願について『六三法門』という願海真仮論がある。いわゆる三願の真実願と仮なる願を分判し、それぞれの願に対する考察である。
浄土教において、初めて本願に着目した曇鸞大師(476-542)の『往生論註』の三願的証に第十八願が挙げられているように、第十八願による一願建立が浄土真宗のご法義である。しかるに御開山が見ておられた真実の弥陀観をもたないゆえに仮の願に迷う輩は、御開山の「化身土巻」の「三願転入の文」によって第十八願へのプロセスとして第十九願、第二十願を理解しようとする。
仏願の生起という言葉は知っていても、その根底を知らないゆえの簡非(けんぴ)暫用(ざんゆう)の混乱である。
いまここで、深川倫雄和上の『仏力を談ず』の真仮分別 によって、三願の真仮の分別を窺い講讃してみよう。

仏力を談ず─真仮分別

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鏡のご影

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鏡御影(かがみのごえい)」の

和朝親鸞聖人御影以下、

憶念弥陀仏本願
自然即時入必定
唯能常称如来号
応報大悲弘誓恩

の文は覚如上人の筆である。覚如上人が御影(ごえい)を修復以後に墨書された讃銘である。覚如上人は、自らの領解によって『正信念仏偈』の「龍樹讃」にある「憶念弥陀仏本願」という信心に親しい文と「応報大悲弘誓恩」という念仏報恩を示す語を用いることによって「信心正因 称名報恩」の義意を顕そうとされたのであろう。後年、浄土真宗八代目の蓮如上人によって盛んに使われた「信心正因 称名報恩」のテクニカルタームであった。
ただ、この讃銘の前に御開山の讃銘があるので、以下に、『浄土真宗聖典全書』p901~902によて、推定されるであろう親鸞聖人の原讃銘を記しておく。

{上段}

(本願名號正定業 至心信樂願爲)因
(成等覺證大涅槃 必至滅度願成)就
(如來所以興出世 唯說彌陀本願海)
(五濁惡時群生海 應信如來如實)言
(能發一念喜愛心 不斷煩惱得)涅槃
(凡聖逆謗齊廻入 如衆水入海一)味
(攝取心光常照護 已能雖破無明)闇
(貪愛瞋憎之雲霧 常覆眞)實信心天
(譬如日光覆雲霧 雲霧之下)明無闇
(獲信見敬大慶喜 卽橫超截五惡)趣{文}

*原讃銘を切断塗抹の上、現讃銘を墨書継紙。()内は切断した部分の推定。

{下段}

源空聖人云
當□生死之家
以疑爲所止涅
槃之城以信□
能入{文}
釋親鸞云
還來生死輪轉之家
決以疑情爲所止
速入寂靜无爲之城
必以信心爲能入{文}

*原讃銘を切断塗抹の上、描表装。

報恩思想とは『正法念処経』などでも説かれるが、歴史的一段階である封建制にその源を求めることも出来るであろう。いわゆる自己と一族の存続基盤である領地安堵から「一所懸命(一つ所に命を懸ける)」という言葉もうまれ「いざ鎌倉」のような御恩と奉公という概念も派生したのであろう。もちろん仏教でいう恩とは、「気づく前になされた」という意味であり、そこでは施恩は論じられず受恩のみが語られるのである。
しこうして、大東亜戦争敗戦という事態によって、恩という思想を持たない占領軍により古き封建制は捨てるべきものであるされたのであった。軍事力の敗北に伴い自らの文化をも捨てさり、新しい思想をまとうと同時に、産湯と一緒に赤子も捨てさってしまったのである。このようにして浄土真宗に於ける報恩謝徳という概念までも捨て去られてしまったのである。ある意味では明治期に西洋からインド仏教を知ったことの驚愕にも匹敵するような思想の混乱であった。

このような経緯を辿り、現在では真宗の僧俗における報恩という概念は、まるで対人間での礼をいう程度の意味合いしか持たないようになってしまったのである。そのような意味で、「称名報恩」の語を現代人の思ふ「報恩行」としてのみ捉えるならば、ご影の讃文「本願名號正定業 至心信樂願爲因」という行信一具のご法義が見失われていると言わざるをえない。
それはまた、御開山が、力を尽くして

大行者 則称無礙光如来名。
 大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。
斯行即是 摂諸善法 具諸徳本。極速円満 真如一実功徳宝海。 故名大行
 この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。

と、いう

爾者称名 能破衆生一切無明 能満衆生一切志願。
 しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。
称名則是 最勝真妙正業。正業則是念仏。念仏則是 南無阿弥陀仏。
 称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。
南無阿弥陀仏 即是正念也。可知。
 南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。

という、真如一実功徳宝海のさとりの世界からの名号(なのり)である、称えて聞くという、ご信心の世界が解らなくなっているのである。なんまんだぶを称えて浄土で仏陀の覚りを獲るということを知ることができないのではないだろうか。
称名は業因である。業には行為という意も含むから当然実践である。
「然斯行者 出於大悲願(しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり)」という救いの法が、なんまんだぶを称えるという業因が私の上に成就した《時》を、信心正因というのであった。
御開山が「信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。」と、示される所以である。

ちなみに林遊が、南無阿弥陀仏とか南无阿弥陀仏という漢字を使用しないのは、声になって顕現して下さってある名号の意である為念。

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鏡のご影

善導・法然教学と浄土論

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浄土真宗では信心正因をやかましくいうけど、これって《因》だから当然《果》も云わんとあかんわな。
最近の浄土真宗の坊さんは、信心獲得とか信心決定とかの《因》については喧しくいうけど、何故か《果》について語るのを仄聞したことがない。
真宗大谷派の坊主は、なんまんだぶを称えないし、宗派名が浄土抜きの「真宗」だし、聞法の総道場が真宗本廟という名の御開山の《墓所》になってしまったのでどうでもいい。

ともあれ、浄土真宗のご法義における「信心正因」という因のテクニカルタームは、その因が果になることを前提とし目的とした概念であろう。しかるに、その果を説かずに因のみを説くだけで門徒が納得するのだろうか。少なくとも昔の坊さんは、倶会一処という浄土を説いたものである。
御開山は、
「捨穢忻浄 迷行惑信 心昏識寡 悪重障多(穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの)」
という二元を提示し、この娑婆から浄土へ往生する浄土を教えて下さったのだが、生のみで死ぬということの意味と世界を知らない坊さんには、もっと真面目にやって欲しいと思ふ。
(2)
南天竺に比丘あらん
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊はかねてときたまふ

龍樹菩薩は相対二元論を超えた有無を超えるという概念を示して下さった。
その有と無を超えたところを説く浄土真宗のご法義は、有無を越えた往生浄土の真の宗というご法義です、どうか《因》ばかりでなく《果》の浄土の躍動する覚りの世界を説いて下さいましませ。>生き方を説くばかりで死の意味を説く二元論の宗義であるはずの浄土門の坊さん方
穢土と浄土という二元論(善導・法然教学)を包みこむのが本願力回向という一元的なご法義(論註教学)であるからといって、生の意味を問うばかりで、死の意味を問わない教学は死んだ教学であろうと思ふ。
田村芳朗氏は、御開山の浄土思想を「相対の上の絶対」という補助線で考察しておられたが、御開山の書を読むときに首肯すること大であった。もちろん補助線であって御開山の思想の一端であるが、『論註』を読む場合に参考になるであろうと思ふ。

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リンク:『仏教の思想5 絶対の真理〈天台〉』

6月28日福井大地震

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今日は福井大震災から67年目だ。ふと思いついて十数年前に記した「聴聞雑記」から以下を転載する。

 

見知らぬじいさんやばあさんは、普段何を考えているのかよくわからないので、会話の糸口を見つける事に苦労することがある。
しかし、越前ではじいさんやばあさんと会話を成立させるひとつの方法がある。

「ばあちゃんヨ、昭和23年の6月28日は何処にいたんじゃぃのぉ」

「ありゃぁ、地震ん時ケ。ウラあん時は田んぼにいて二番草(田植えから二回目の除草作業)取ってたんじゃ。ほらもう娑婆がひっくり返るかと思て、たんぼ道まで這うて上がったんじゃが腰抜けてもて、なまんだぶ、なまんだぶと言うだけやった」

「地震やのぉ、ウラんとこはオババが家(ウチ)の下んなって死んだんじゃ。いかい(大きい)梁が胸んとこへ落ってのぉ。惨いもんじゃった」

「ウラんとこの近所では五人死んでのぉ。筵を並べて寝かいておいたが、サンマイ(火葬場)も潰れてもたで、割木で野焼きしたもんじゃ」

アポロ宇宙船が月に着陸した日は知らずとも、昭和23年6月28日の事は、昨日のように覚えている、じいさんやばあさんである。
今日はそれから50回目の6月28日である。小生の家でも顔も見たことのない兄二人が震災で死んでいった。
じいさんとばあさんはよく二人の思いで話をするが、西方浄土の住人となった兄弟は、いつもいい子なので親不孝の小生は少し頭が痛い。

それにしても何故年寄りは、昭和23年の6月28日という日付を覚えているのだろうか。
きっと自分の事だからハッキリ覚えているのかも知れない。人間が月に行こうがどうしようが、そんな事はどうでもよい事である。
自分自身がどうなるか、有縁の人がどうなったかが凡夫の最大の関心事である。社会を論じ他者を論じる事も、このご法義には用意がされているのかもしれないが、自分のことしか考えられない浅ましい小生である。
しかし顔さえ知らない地震で死んだ兄弟であっても、西方仏国に往生して、仏様に成ったと思い取らせて下さることは出来そうである。
やがて小生も往生していく西方仏国、なんまんだぶつの仏様の国であるお浄土である。

六月二十八日は、越前の数千人の人が浄土へ往き生まれた誕生日である。
さて、今晩は下手くそながら、お仏壇の前で大無量寿経を読誦して、お浄土の先輩達と楽しませてもらうことにしよう。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続...

なんまんだぶを称えて西方仏国へ生まれて往くのですよ、ということを「お聖教」開いてあれこれ学ばせて下さるのだが、いつも、なんまんだぶがご一緒して下さったから、愚直に称え聞かせて下さることである。 ありがたいこっちゃなあ。

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親鸞における「言葉」

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ブログネタがないので投稿したFBより加筆転載。

ふと思い立って「名体不ニ」でHDにグリップをかけたら以下の大峯顕師の文章がHit。

たとえば、お説教で、名号のおいわれを聞くといいますけれど、おいわれを聞いただけでは助からんので名号そのものを聞かなくちゃならない。名号のおいわれを聞くという考え方は従来の言語論でありまして、その場合には言葉はまだ符合〔符号or記号か?〕もしくは概念にとどまっている。「南無阿弥陀仏」の裏に仏の本願があって、それに救われるというだけでは、名号そのものに救われるということは出てこない。
名号のいわれを聴くということだと、名号とそして名前にこもっている事柄とが別々のものになってしまう。いわれというものは本来名号をはなれてはないわけで、その両方が一体、名体不ニと言葉では一応いわれておりますが、そういう名体不ニということが本当に理解されているかどうかと思うわけです。
*出拠は不明であり〔〕間は林遊において附した。

真宗ではご信心を強調するので、名号は、いわゆる法体名号として棚上げしてしまい、口に称え耳に聞こえる言葉としての念仏を論ずることは少ない。そのような意味では上記の大峯師の考察は面白い。

名号に関して浄土真宗では、蓮如上人の『御一代記聞書』の六九条に、

一 他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり。(*)

と、あるように他宗とは違う特殊な本尊論がある。これは現在残っている御開山の名号に仏の座である蓮台を描いていることからも本尊としていたことはあきらかである(*)。 もちろん、木像も絵像も名号も、阿弥陀如来の大悲による救済の象徴表現であって、どれかに固執すれば偶像崇拝の過に陥ることになるであろう。
おなじく『御一代記聞書』の五条には、

一 蓮如上人仰せられ候ふ。本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれと、対句に仰せられ候ふ。(*)

と、ある。この「本尊は掛けやぶれ」とあるのは、固定した礼拝施設ではなく、蓮如上人の揮毫し下付された名号を、門徒の家々を持ち回って行われる「講」の場で壁に掛けて仏法讃嘆したから「本尊は掛けやぶれ」といわれたのであろう。
蓮如上人ご在世の頃は、現在のように真宗の寺も少なく──蓮如上人ご往生後50年を過ぎた天文二十四(1555)の時点で真宗寺院は二百五十ヶ寺であったという(千葉乗隆師の「浄土真宗と北陸門徒」四 北陸門徒の組織より)(*)──、まして門徒各戸毎のお仏壇すら無かった時代である。
しかして、蓮如上人の「タスケタマエトタノム」の教えが、燎原の野火のように拡がるにつけ、本願のいわれを聴くために、さまざまに場所をかえて集まった。その場の壁に、蓮如上人から下付された「南無阿弥陀仏」という名号を掛けて、本尊として崇め聴聞したから「本尊は掛けやぶれ」といわれたのであろう。 聴聞する場を変えるたびに、ご本尊を移動し掛けかえたのである。

蓮如上人の示して下さった、タスケタマエトタノムとは、南無阿弥陀仏というインドでうまれシナを経由し日本へ伝わった語(ことば)の日本語化である。
御開山は、いわゆる「自然法爾章」で、

弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。(*)

と、南無阿弥陀仏と たのま(憑)せたまふを文選読みによって、南無阿弥陀仏と憑むを同義語とされておられる。この意を蓮如上人は「タスケタマエトタノム」と表現されたのである。日本語によって阿弥陀如来との言葉の回路を開いてくださったのである。当時越前で流行(るぎょう)していた時衆(宗)の、無信単称の南無阿弥陀仏に対して、ご信心の念仏(なんまんだぶ)の謂われを示して下さったのである。

これを受け継いだ昔の越前門徒は、「なんまんだぶ なんまんだぶ ようこそ ウラんたなもんをなぁ、なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたいのぉ」といっていた。 「ウラんたなもんをなぁ」という機と、「なんまんだぶ なんまんだぶ ありがたいのぉ」という法の、機法二種一具の深信である。『無量寿経』の乃至十念という、なんまんだぶのお謂われが自分のものになっていたのであろう。

さて、大峯顕師は『親鸞における言葉』という小論で『一多証文』の、

この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を南無不可思議光仏とも申すなり。この如来を方便法身とは申すなり。方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。すなはち阿弥陀仏なり。(*)

の、「この一如宝海よりかたちをあらはして」を手がかりに、記号としての言葉ではなく、言葉としての仏ということを哲学的手法で考察されている。いわゆる浄土真宗に於ける「名号」という言葉の根底を考察する大峯顕師の最初期の考察であろう。井筒俊彦氏の『意識の形而上学』の仮名という示唆、鈴木大拙師の『浄土系思想論』の名号論を経て、大峯顕師の純粋言語という視点で、なんまんだぶという称名を考察するのは面白かった。

ともあれ、哲学とか愛智学についてはサッパリ不案内なのであるが、面白い論文だったのでリンクしておく。プロである真宗の坊さんは、御開山が八十八歳の時に著された、『弥陀如来名号徳』を精読されたし、こんなことを書くから真摯に仏道を求めようとする求道主義者に嫌われるんだろうな、まあどうでもいいけでど(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
親鸞における「言葉」へのリンク