弥陀をたのまぬといふは如何

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江戸末期に大谷派の学僧である一蓮院秀存師(1789-1860)という方がおられた。各宗の教義を学んだ兼学のすぐれた浄土真宗のご法義の篤い学僧であった。
その秀存師に『秀存語録』という書物がある。その中の「弥陀をたのまぬといふは如何」という一文が面白いのでUPしてみる。
この「たのむ」という語は、浄土真宗にとっては大事なキーワードなのだが誤解されやすい言葉でもある。
御開山は南無阿弥陀仏の六字釈で、南無は帰命であるとし、帰命の訓に「ヨリタノム」とされている。「依る」と、「憑」という漢字の、もたれかかるという意味のある「憑(たの)む」で、依り憑むということである。
この依り憑むとは、たとえば椅子によりかかるということをいう。この場合に自分の身体全体を、椅子にまかせるのである。まかせた時は、自分は力を抜いて、支えてくれる椅子に自分の全てを任せているので「よりかかる」という。その、よりかかっている状態を、よりたのんでいるというのである。これが、依り憑むという意味である。自然法爾の法語で、「南無阿弥陀仏とたのませたまひて」のたのむも同意である。
しかして、この「たのむ」ということがいかに困難であるかを示すのが下記の文章である。

弥陀をたのまぬといふは如何

問云、弥陀をたのまぬといふは如何。
答云、わが意をあきらかにせんとおもふ意も弥陀をたのまぬなり。気安くなりてたすけたまはんとおもふも弥陀をたのまぬなり。今度はわがむねがさつぱりしたとおもふて、よろこんであてにするも弥陀をたのまぬなり。
 まかせた後生をとりもどすも弥陀をたのまぬなり。取かへすくらひゆへ、まことのことにあらずとおもふて、まことのことになりたひと我こころを長く世話にするは、なほなほ方角ちがひへおもむくなり。
これらの心は、引やぶり引やぶり、引やぶり引やぶり引やぶり、この引やぶりかねたる心も引やぶり、やれ引やぶりたるぞとなづむ心も引やぶり、この方から引やぶらんとおもふも自力乎。
本願名号のいはれを思ひ、そのいはれより引やぶらせていただくべきもの也。

絶対他力ということは、常に自らの内なるはからい(自力)を否定していくことである、と仰った方がおられたが、自らのはからいを否定し、否定しようという心も否定した「百非の喩へざるところなり」が、本当に弥陀をたのむということであろう。それはまた、行なき信を求める自力信心の人が陥る陥穽でもあろう。
しかし、如実のなんまんだぶを称える念仏の行者には、光明名号摂化十方と疑蓋無雑(疑いの蓋を雑じえない)の阿弥陀如来の《ご信心》の月は浩々と照って下さるのであった。

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阿弥陀経の一心不乱の事

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法然聖人の御法語を著した『三心料簡および御法語』に、「阿弥陀経一心不乱事」(*)という一文がある。『阿弥陀経』の

「聞説阿弥陀仏、執持名号、若一日、若二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不乱(*)
(阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば)」

にある一心不乱についての釈である。

一、阿弥陀経一心不乱事>

一心者、何事心一スルソト云、一向念仏申阿弥陀仏心我心一成也。
如天台十疑論云。如世間慕人能受慕者 機念相投必成其事。
慕人者阿弥陀仏也、恋ラルル者我等也。
既心発一向阿弥陀、早仏心一成也。
故云一心不乱。
上少善根福徳因縁念ウツサヌ也云々。

読下し

一、阿弥陀経一心不乱の事

一心とは、何事に心を一にするぞと云ふ、一向に念仏申せば阿弥陀仏の心と我心と一(ひとつ)に成る也。
天台の『十疑論』に云ふが如し。世間の慕人、能く慕を受ければ機念相投して必ず其事を成ずるが如し。
慕(こいする)する人とは阿弥陀仏也、恋せらるる者とは我等也。
既に心を一向阿弥陀に発せば、早く仏の心と一に成る也。
ゆえに一心不乱と云へり。
上の少善根福徳因縁に念をうつさぬ也と云々。

法然聖人は『阿弥陀経』の一心とは、我を念じたまう阿弥陀仏の心と、阿弥陀仏を念じる我が心が一つになったことであるとされた。それはまた「一心不乱」であり、この経文の上でしめされる、少善根福徳因縁と嫌貶された諸行(雑行)に念(こころ)を乱し移さないことであるとされる。法然聖人には三心を則一心であるといわれたところはないが、三心の中では深心が中心であると見られていた。
『西方指南抄』「中本」所収の「十七条御法語」で、「導和尚、深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏行をあかすところ也。」(*)とされているごとくである。なんまんだぶの行に三心を摂しておられるのであった。(行中摂心)

御開山の先輩である幸西大徳は「一念と言うは仏智の一念なり。正しく仏心を指して念心と為す。凡夫の信心仏智に冥会す。仏智の一念はこれ弥陀の本願なり。行者の信念と仏心相応して、心、仏智の願力の一念に契い、能所無二、信智唯一念、念相続して決定往生す。」(*)(淨土法門源流章)といわれていた。

このような意を継承発展し御開山は『大経』の第十八願の至心・信楽・欲生の三心と、『観経』の至誠心・深心・回向発願心の三心と、『小経』の一心とを会合して本願力回向の信心とされたのであった。『文類聚鈔』に「一心はこれ信心なり、専念はすなはち正業なり。一心のなかに至誠・回向の二心を摂在せり。」(*)p.495 とあるのもその意であろう。

御開山は「行巻」の南無阿弥陀仏の六字釈で「帰命は本願招喚の勅命なり」(*)とされ、「信巻」の欲生釈で「欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり 」(*)とされておられる。
これは、上にあげた「慕する人とは阿弥陀仏也、恋せらるる者とは我等也」ということであり、二河譬の「西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉 」(*)という阿弥陀如来の我を仏に成らしめんという、「慕人者阿弥陀仏也、恋ラルル者我等也」という意であろう。
世間一般でいう信心とは自らが認識し得ないものを信ずることをいうのであるが、浄土真宗に於いては、なんまんだぶという声と言葉になった口業を聞信することを、ご信心というのであった。これを「如来よりたまはりたる信心なり」というのであった。

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平常心是道

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これは禅語だが、浄土真宗風にいえば、あたりまえということである。

南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。
泉云く、平常心是れ道。
州云く、環って趣向すべきや否や。
泉云く、向かわんと擬すれば即ち乖く。
州云く、擬せずんば争でか是れ道なるを知らん。
泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。
州云く、言下に頓悟す。

浄土真宗では「信心獲得」ということがうるさい。
この「獲得」とは獲も得も求めてうる/えるを意味する言葉である。この術語を誤解し幻惑されて、信心とやらを必死で求めようとする者もいる。この信心という「もの」が手に入れば全ての悩みは滅して《安心》できる境地に至ることが出来ると思ふのである。いわゆる求道(ここの道は仏教の覚りの智慧の意)という行為である。これは人が生きるという命題に、少しでも関心を持つ者ならば、程度の差はあれおこるものである。私はどこから来てどこへいくのか、私という存在の意味は何であろうかという問いである。
もちろん無常男の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたか」とか、戦国ニヒリストの「人生わずか五十年」という無常感では答えの出ない問いである。
ともあれこの解を、信心という生死を出る言葉で表現されたのが御開山聖人であった。これを後世浄土真宗では「信心正因」という言葉で表現するのである。獲も得も求めてうる/えるを意味する言葉だが、結果から言えば、無いものがあるようになったということである。
この浄土真宗の信心とは、『歎異抄』の著者が後序で語るように、「如来よりたまはりたる信心」であった。ようするに、

向かわんと擬すれば即ち乖く

であり、獲得した内容は、求めんとすればたちまち背くという、阿弥陀如来の覚りの世界なのである。

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いわゆる日本教という視点

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『ヨハネ福音書』の冒頭に、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」とある。言とはロゴスという意味だそうだ。身心(アジア風)または心身(欧米風)という人間の捉え方があるが、仏教では身・口・意という三つによって人間を把握する。身と心の他に口業(言葉)を重視するのが仏教の特徴でもある。そして、口によって語られる言葉を重視しながらも、なおその言葉によって言葉によって形成された概念からの呪縛を離れることをいうのが大乗仏教の思想である。

『歎異抄』の著者は、御開山から聞いたこととして、

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。

と、いう。事(こと)とは言(こと)であり、そらごととは空言(そらごと)、虚言であり、まこととは真言(まこと)、信(まこと)、であり誠である。龍樹菩薩は言葉と言葉による概念化(ロゴス)を否定する「戯論寂滅」ということを示して下さった。いわゆる、縁起、無自性、空の思想である。
とまれ、FBで浄土真宗の本尊というタームがあったのだが、偶像について考察した古い記憶を想起して、本棚から山本七平氏の描く比較文化論の「日本人とユダヤ人」という本から記憶に残る一節をUPしてみる。

宣教師さん、日本教創世記、日本教イザヤ書はしばらく措き、日本教にはどんな一面があるか、ある事件を通じてお話しつつ、日本教『ヨハネ福音書』に進もう。
昔、あなたのようにはるばる日本に来た一人の宣教師がいた。彼がある日、銅製の仏像の前で一心に合掌している一老人を見た。そこで宣教師は言った「金や銅で作ったものの中に神はいない」と。老人が何と言ったと思う。あなたには想像もつくまい。彼は驚いたように目を丸くしていった「もちろん居ない」と。今度は宣教師が驚いてたずねた。「では、あなたはなぜ、この銅の仏像の前で合掌していたのか」と。老人は彼を見すえていった。「塵を払って仏を見る、如何」と。失礼だが、あなただったらこれに何と返事をなさる。いやその前に、この言葉をおそらく「塵を払って、長く放置されていた十字架を見上げる、その時の心や、いかに」といった意味に解されるであろう。一応それで良いとしよう。御返事は。さよう、すぐには返事はできまい。その時の宣教師もそうであった。
するとその老人はひとり言のように言った「仏もまた塵」と。そして去って行った。この宣教師はあっけにとられていたというが、あなたも同じだろうと思う。これを禅問答と名づけようと名づけまいと御随意だが、あなたの言った言葉は日本教徒には全く通じないし、日本教徒の返事はあなたに全くわからないということは理解できよう。禅の公案には何を素材に使っても良いのである。仏典でも、金銅仏でも、猫の首でも、いわしの頭でもよい。もちろん、聖書でもよいのだということを忘れないように。
日本人が、聖句を用いて盛んに禅問答をしても、驚いてはならない。そういう人たちは、日本教徒キリスト派といって、聖書の言葉で禅問答をやるのにたけている人びとであるから。
川端康成氏がハワイの大学で言ったことをお忘れなく。日本では「以心伝心」で「真理は言外」であるのだから。従って、「はじめに言外あり、言外は言葉と共にあり、言葉は言外なりき」であり、これが日本教『ヨハネ福音書』の冒頭なのである。くれぐれも忘れないでほしい。あなたの生きて来た世界がユークリッドの世界だと仮定したら、日本教の世界は非ユークリッドの世界である。ユークリッドの定理を非ユークリッドの世界にあてはめて、世にも奇妙な証明をやってみたところで、それは、非ユークリッドの世界に住む人間にとっては、ただただこっけいで無意味なだけだということは、前に引用した漱石の「屁」の勘定のところを、あなたに批評させたらすぐにわかることだ。批評してごらん、日本人はその批評を聞いてあなたを的確に量る。そしてそれでおしまいなのだ。

いわゆる日本の文化人という知識層は、自己の依って立つアイディンティティというものに対して無関心だ。いろいろ批判はあるが、イザヤベンダサンという、日本のいわゆる知識人の根底にある概念の宿便に注目を向けさせた、山本七平氏の「日本教」という切り込み面白かった。お聖教をも読まないあほな真宗坊主が、いわゆる社会という翻訳語の概念にあたふたしているのも、自己と自己を支えてきた文化に対する考察の不足であろう。
真宗開教区の職員が、なぜ、お仏飯はバターを塗ったトーストではいけないかを述懐していた記事を読んだことがある。
まさに前掲書にいう「お米が羊・神が四足」という東・西の宗教に対する思想の違いを彷彿させたタームであった。そして、何故日本人が、アメリカによる《米》開放とか、TPPに於ける《米》の自由化というものに抵抗するのであるかという、民族としてのアイディンティティの衝突を忘れているのが現代の日本人であり真宗坊主である。
日本の国の別名である「豊葦原の瑞穂の国」であるから、お仏飯は米でありえたのであるが、頭の悪そうな歴史を学ぶことのない真宗坊主は、ハラル(イスラム法に沿った)によって処された羊の頭をお仏壇に供える事態も想定しなければいかんな(笑

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お念仏を頂く

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昔の同行は、お聴聞の席などの雑談で「あの人はよぉお念仏頂いている人やの」などと言っていた。共通語でいえば「あの方はよくお念仏を頂いていらっしゃいますね」である。
この、「お念仏を頂いている」という表現は、もちろん、よくなんまんだぶを称えている人という意味であり、また、ご本願のいわれを、よく聞いて正しく領解している篤信の人という意味である。
ところで自分が自分の口でなんまんだぶを称える行為を、頂いているという表現をなぜするのであろうか。自らの口業(口の行為)であるなんまんだぶを称えることを、頂くという表現は間違っているように思える。己の身口意の三業は能動(自力)であって、自らの行為である口業のなんまんだぶを頂くという受動表現はおかしいように思える。
しかし、このような一見すると不思議な表現をする同行は、正しく法然・親鸞両聖人の意(こころ)を享けておられるのであった。なんまんだぶは、称えることに力点があるのではなく、聞きものでもあったからである。称えて聞く阿弥陀如来の覚りの領域である浄土からの「わが国に生まれんとおもえ(欲生我国)」という呼び声が、なんまんだぶという言葉であった。法然聖人が、

南無阿弥陀仏と申せば声につきて決定往生の思いをなすべし。

といわれたのもその意であった。

御開山が「行巻」の六字釈でややこしい字訓釈をされて、南無は帰命であり本願招喚の勅命であり、即是其行とは選択本願これなり、とされた所以である。勅命とは、阿弥陀如来の、我に帰せよの呼び声である。ゆえに招には「まねく」と左訓され、喚には「よばふ」と左訓されたのである。招き呼び続けて下さっているということであった。
御開山が『無量寿経』の重誓偈の、

「われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。」

を「正信念仏偈」で重誓名声聞十方(重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えん)
と、讃嘆されておられるのも聞を重視されたからである。また、『一念多念証文』で、

名号を称すること、十声・一声、きくひと、疑ふこころ一念もなければ、実報土へ生ると申すこころなり。

と、「きくひと」とされたのもその意である。この《聞》が浄土真宗における信心なのである。凡夫には、阿弥陀如来を見立たてまつることは不可能であるが、可聞可称と称えられ聞こえるご法義であるから昔の同行は、「お念仏を頂く」と表現したのである。称えて聞くから頂くことになるのである。
称えるのは己の努力であり、聞こえて下さるのは阿弥陀如来の本願招喚の勅命である。
最近の僧俗は「信心正因」という言葉に幻惑されて、称えて聞こえて下さるなんまんだぶの外に、別に信心なるものがあると思っているのだが、これは妄想である。特に中途半端にお聖教を読んだ坊さんに多い。また自己のアイディンティティの確立を浄土真宗に求める輩にも多い。極めてたやすい行であるがゆえに、信じ難くかえって多くの疑いを生じるのであろうか。まさに『無量寿経』に、易往而無人(往きやすくして人無し)といわれる所以ではあった。

み仏の み名を称ふる 我が声は
我が声なれど 尊ふとかりけり。「甲斐和里子」

ともあれ信心が正因であるとは、信心とは、仏心(因である仏心)であり、菩提心(願作仏心)であり、仏性(浄土で開覚)であるから「信心正因」というのであり、それは往生成仏の法である名号を聞信することである。そのなんまんだぶが私のものになった時を顕わす表現が「信心正因」である。

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涅槃経

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しばらく『涅槃経』をタッチしていたのでブログの更新がおろそかになっていた。
御開山が学んでいたのは、『法華経』を所依とする天台教学であったが著作の中に引文の孫引きは別として『法華経』は全く取り上げられることはない。天台の教判では釈尊一代の教をその説かれた時を五時に分類して考察している。いわゆる、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時教判である。もっともこの分類法は現在の仏教教理史上では受け入れられていないのだが、天台僧として二十年にわたって学ばれた御開山にとっては当然のことであったと思われる。
『教行証』では、『涅槃経』と『華厳経』を連引されるのだが、釈尊の最初の説法とされる『華厳経』と最後の説法であるとされる『涅槃経』をあげることによって全仏教を総摂するという意もあったのであろう。いわゆる仏教のアルファとオメガである。
ともあれ、『信巻』では『涅槃経』の阿闍世の回心を長々と引文され、『真仏・真土巻』では、覚りの世界である浄土の様相を、これまた『涅槃経』の文を相当量引文されておられ、器世間としての浄土の荘厳に触れられることは殆どない。浄土は智慧の世界であり無量光明土であるとされておられるのである。林遊としては花咲き鳥が歌うユートピア的世界が理想なのであるが御開山の示される浄土は違うのである(笑

そんなこんなで、『涅槃経』のあちらこちらから自由に引文される御開山の引文の順序に従って次への文のリンクを施してみた。一部林遊が原文の脈絡を理解するために引文の前後を読下してある。

→「信巻」での引文はここから

→「真仏土巻」での引文はここから

「あばたもえくぼ」論

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御開山の「真仏・真仏土巻」の引文を『涅槃経』の上でチェックしてたのだが、あの人はとんでもない世界を見てなはったんやなと思ふ。
その意味で、田村芳朗氏の言われる「あばたもえくぼ」論はなるほどと頷かせる。
法然聖人の提示された、穢土・浄土の「相対的二元論」から、本願力回向の信心によって「相対の上の絶対」という思想を形成なさったのであろう。それが法然聖人の真意であるとされたのである。

越前の門徒は、本願力回向の浄土真宗の《ご信心》について「大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心、数知れず」ということを云っていたものだ。家の婆さんもよくこの語を示してくれていた。
自分が得た《信心》なるものを否定する意と同時に、常に我が口を通して聞こえて下さる、なんまんだぶという阿弥陀さまの呼び声に愛憎を超えた寂滅の浄土を感じていたのであろう。

穢土と浄土という界(さかい)は厳然としてあるのだが、浄土という世界から届く、覚りの消息が、なんまんだぶという声である。この覚りの世界を受け容れることが浄土真宗の《ご信心》である。
その意味で、浄土真宗における信とは阿弥陀如来の覚りを内に含んだ覚りであるような信であるから、「信楽受持 難中之難無過此難(信楽受持することは、難のなかの難、これに過ぎたる難はなけん)」である。

もちろん、自己を一人の愚か者であるとして阿弥陀如来の、なんまんだぶを称える教法の前に立った人には素直に受け容れられる行法である。
しかし世俗の学問とか知識というものに覆われて、如来の本願を聞くピュアなアンテナの感性が錆付いている者には、声となって耳に聞こえて救済するという、なんまんだぶのご法義は理解不能であろう。「大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心、数知れず」である。
禅門では、「大死一番」ということをいうが、「前念命終」p.509と、一発死んでみると「後念即生」ということが解るかもしれない。その意味では信は覚りを内に含んでいるのかも知れないと、思っていたりもする。
「あばたもえくぼ」、実は自分の周囲に、阿弥陀如来の覚りの世界が、ぎらぎらと輝いているのだが、信心に固執しているから見えないのであろう。
「向かわんと擬すれば即ち乖く」という禅晤があるが、信心が欲しい、信心が欲しいと凝り固まればますます御信心から遠ざかるものである。
浄土真宗の《ご信心》は、信心を離したときに、「重誓名声聞十方」と聞こえて」くるのである。

酔っ払っているから、何いうているかワカランけど、「あばたもえくぼ論」から、浄土真宗の《ご信心》とは禅門のいう悟りに近いという視点から考察してみた。

→「あばたもえくぼ」論

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末法灯明記

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先日のブログのリンク先で、法然聖人に影響を与えたであろう『末法灯明記』の話しがあったので、伝最澄撰といわれる『末法灯明記』をUPした。
伝という表現は、最澄撰述と伝えられているという意味であり、最近の書誌学などの成果で、真偽が定まっていない場合に「伝」という。

もちろん、法然聖人や御開山は、最澄の撰述として『末法灯明記』をご覧になっている。
御開山は、化巻で『末法灯明記』をほぼ全文引いておられるが、乃至されたり略された部分があるので全文を復元してみた。この『末法灯明記』は、念仏を弾圧した『延暦寺奏状』で、今は未だ末法ではないという諭を、延暦寺の開山である最澄の『末法灯明記』を依用して正・像・末の旨際を明かそうとされたのであろう。あなた達の延暦寺を開創した伝教大師も言われているではないか、と仰りたかったのである。(106)

無戒名字の比丘なれど
末法濁世の世となりて
舎利弗・目連にひとしくて
供養恭敬をすすめしむ

ともあれ、戒は無くても、本当のなんまんだぶのご法義をお取次ぎしてくれる坊さんなら、われら門徒も応援するであろう。

『末法灯明記』

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順彼仏願故

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梯實圓和上の『法然教学の研究』から、法然聖人の回心に関する部分を抜書きしてUP。親鸞聖人が『歎異抄』で「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり 」とされておられるように、浄土真宗は、本願を信じ念仏を申すご法義である。
親鸞聖人は、この法然聖人の念仏の仰せを、『教行証文類』として著された。これは『教行証文類』の後序p.474に、

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。

と、教えは残っているが、行も証もすたれて、すでに覚(証)りを得ることの出来なくなった聖道門仏教に対して「教行証」の三法で対抗するという意味もあった。同時に法然聖人が明かしてくださった「選択本願念仏」という行法を信心の智慧によって理論化し、外なる聖道門に対しては阿弥陀如来の本願力回向の大行である念仏をもって対し、内には浄土門異流に、仏心であるような他力の菩提心である智慧の信心を示して対抗されたのである。そして、その行信こそが大乗仏教の至極であるとされたのである。誓願一仏乗である。
ちなみに行は法である。なんまんだぶを称えるということは、阿弥陀如来の大悲の願船に乗ることを示す行法である。それは聖道の、八正道、六波羅蜜、円頓止観、三密加持などという行と次元を異にした教法であった。五劫兆載永劫に修行し思惟摂取して下さった行法が、なんまんだぶを称えるという易行にして大行である。
それゆえ、親鸞聖人は「教行証」の大行である念仏から信を特別に開いて「教行信証」(教えと行いと信《まこと》と証《あかし》)の四法で、法然聖人の、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらす」ご法義を明らかにされたのであった。
親鸞聖人を理解するためには法然聖人を学ぶことが重要であるといわれるが、まさに法然聖人の示された「選択本願念仏」の教法を、行と信によって示して下さったのが親鸞聖人である。
法然聖人の示して下さった念仏の行のバックアップなき信は無く、また親鸞聖人の明かされた信の基底である行のない信も無いのである。これが「つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり」(行巻 大行釈p.141)であった。行も信も、阿弥陀如来から回向されるから、大行、大信なのであった。これが苦悩の衆生を救われるべき者である他とする、他を利益するから利他力というのである。他力という言葉は誤解されやすい言葉であるが、他力の《他》は、阿弥陀如来に、救うべき対象として見出された他である私を指し示す言葉であった。他力の他は私であったのである。
ともあれ、誠実な清僧として、真摯に生死を超える道を求められた法然聖人の回心を通して、仏道における修行というものを微塵も考察することのなかった浄土真宗の僧俗に、戒・定・慧というものを想起させる文章ではある。
なお、和上が引用で略されている『徹選択集』の文はノート(トーク)に記しておいたので暇人は参照されたし。

法然教学の研究から

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如来大悲の恩徳は

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(59)

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし

真宗門徒であれば法話や仏事のときに、となえ聞いたことがあろう「恩徳讃」である。大谷派と本願寺派ではそれぞれメロディーがちがう。本願寺派の「恩徳讃」はアップテンポで明るく、大谷派のメロディーは荘厳だが暗いような気がする。

さて、この「恩徳讃」の文は、御開山の和讃から採られている。
そして、和讃の原型となった文は『尊号真像銘文』中の、法然聖人御往生の六七日に修した仏事での聖覚法印の「表白文」からとされる。
ところが、この和讃の元である「粉骨可報之 摧身可謝之」の文の原文を御開山が略していなさるので、どうもしっくりこない。
と、いうわけで聖覚法印の「表白文」を『浄土真宗聖典全書』を参考にしてWikiArcに資料として追加してみた。
もちろん御開山の文は御開山のところで領解すればいいのだが、ともあれ原典がはっきりしたので、これからは「恩徳讃」を歌うたび、「表白文」をイメージできるというものだ。なお、新たに追加した漢文は林遊が読下したので乞校正。

→「聖覚法印表白文」

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