『無量寿経』と『観無量寿経』と『阿弥陀経』の三部を所依の経典とされたのは法然聖人である。(*)
法然聖人はこの三部経を「三経一致」の立場でみられるのだが 、自らの回心の契機となった『観経疏』を著された善導大師にちなんで、偏依善導一師(偏に善導一師に依る)という立脚点から『観経』からの視点を主とされる。
御開山が、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」と『歎異抄』で述懐されたと同じように善導大師を一師として追慕されたのである。
もちろん、本願が説かれているのは『大経』であるから、御開山が著された法然聖人の法語集である『西方指南抄』で、
「『双巻無量寿経』、浄土三部経の中には、この経を根本とするなり。其故は、一切の諸善は願を根本とす」(*)
とされておられ本願が説かれている『大経』を根本の経であるとみられていた。
御開山は、この法然聖人の経典観を敷衍し『大経』の衆生の生因三願、第十八願、第十九願、第二十願を根本と枝末に分判し、願海真仮をいわゆる六三法門としてあらわされたのである。これは「三経差別門」からの見方である。
六三法門(*)
しこうして法然聖人の本意は『大経』の第十八願にあるということを確定されていかれたのであった。第十八願が根本の願であるとし、第十九願、第二十願を枝末の方便の願であるとみられ、それぞれの願に三経を配当されたのは前人未到の御開山の卓見である。まさに信心の智慧で経典の源底を探られたからであろう。
ただし『観経』も『小経』も経の当面の「顕説」では方便であるが、第十八願の意が「隠彰」されているときは真実があらわされているとみられた。これを顕彰隠密(けんしょうおんみつ)という。
このように『大経』と『観経』(『小経』もふくむ)は、重層的に複雑に絡み合っているのであった。
覚如上人は『口伝鈔』で、各経典の説相(説き方)に着目され、救済する法の真実と、救済される機の真実という形で三部経を理解することを示しておられる。
いはゆる三経の説時をいふに、『大無量寿経』は、法の真実なるところを説きあらはして対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらはせり、これすなはち実機なり。いはゆる五障の女人韋提をもつて対機として、とほく末世の女人・悪人にひとしむるなり。『小阿弥陀経』は、さきの機法の真実をあらはす二経を合説して、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と等説ける。無上大利の名願を、一日七日の執持名号に結びとどめて、ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり。(*)
現代語:梯實圓和上著『聖典セミナー 口伝鈔』より引用。
いわゆる「浄土三部経」が説かれた時(とその法義)についていうと、まず最初に説かれた『大無量寿経』は、第十八願に誓われている他力真実の法を説き表されたものですが、それを聞いておられる聴衆は、還相の菩薩であって、仏が仮に菩薩の姿を現して聴聞されているのですから、説法の対機は権機(権化の人)です。
次に説かれた『観無量寿経』は、救済の目当てとなっている機の真実のありさまを顕し示したものです。これをすなわち実機といいます。仏が救済の目当てとされている者のまことの姿だからです。従来は、いわゆる五つの障りがあって仏になることは出来ないといわれていた女性の韋提希夫人を救済の目当てとすることによって、釈尊在世のころより遠くへだたった末法の世にあって苦しみ悩んでいる女性や、悪業を積んで皆から見放されているようなものも、阿弥陀仏の本願はわけへだてなく平等に救うということを知らせるための経なのです。
最後に説かれた『阿弥陀経』は、先に説かれた法の真実を顕す『大経』と、機の真実を顕す『観経』という二経の法義をあわせて説かれています。すなわち「少善根福徳の因縁をもつて、かの国に生ずることを得べからず」(『註釈版聖典』一二四頁)といって、『観経』に説かれたような、自力の定善や散善という権仮方便の行法は、少善根にすぎないから報土には往生できないと誠め、五濁悪世の凡夫のために、『大経』に説かれた本願の名号を、あるいは一日、あるいは七日、数の多少を問わず称えるばかりで、報土に往生できるという大きな利益を得させる、無上の功徳を具えた真実の法を勧められています。さらに『阿弥陀経』は、このように本願の名号(真実の法)によって五濁悪世の凡夫(実機)が救われると説かれた釈尊の教えが真実であることを、無量の諸仏が、讃嘆し証明されるという諸仏の証誠を説き顕されています。 このように機法を合説して諸仏が証誠されるところに『阿弥陀経』の特徴があります。
このように『大経』は法の真実をあらわし、『観経』は機の真実を説き、『小経』は合説という視点は三部経の一定の理解に資するであろうと思われる。
この、機の真実を説く『観経』には、至誠心、深心、回向発願心の三心が説かれ「具三心者 必生彼国(三心を具するものは、かならずかの国に生ず」と《必》の字がある。この《必》の「かならずかの国に生ず」の語に古くから浄土願生者が深い関心を持って来たところである。
さて、『大経』の第十八願には「至心信楽欲生我国(至心信楽して、わが国に生ぜんと欲へ)」とある。この文の当面では、至心信楽は、欲生の修飾語であって三心(信)にはみえない。この至心信楽欲生を『観経』の三心から逆観して、至心と信楽と欲生の三心(信)であるとみられ、『大経』の「至心信楽欲生」を開いて具体的に三心として説かれているのが『観経』の三心であるとされたのは法然聖人であった。至心は至誠心、信楽は深心、欲生我国は廻向発願心であるとされたのである。以下は法然聖人の『観経釈』から当該部分を引いておく。
しかれば経に云く。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具する者は、かならずかの国に生ず。 おおよそ三心は万行に通ず故に、善導和尚この三心を釈して以って正行・雑行の二行とす。 いまこの経の三心は即ち本願の三心を開くなり。
しかる故は、至心とは至誠心なり、信楽とは深心、欲生我国とは廻向発願心なり。 これを以ってこれを案ずるに必生彼国の言は深き意(こころ)のあるべしか。(*)
これによって、第十八願の至心・信楽・欲生は、『観経』の至誠心・深心・回向発願心と対応づけされたのであった。『大経』には至心信楽欲生の様相は説かれていないのだが、『観経』の三心と対応することにより、そして善導大師の著された『観経疏』の釈によって『大経』の三心(信)を洞察されたのである。
本来ちがう経典をこのようにみることが出来るのは天才の法然聖人のなせる技である。なお法然聖人は、『西方指南抄』中本「十七条御法語」によれば、
又云く、導和尚、深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏行をあかすところ也。(*)
と、至誠心・深心・回向発願心の中では、深心が中心であるとみられていた。『大経』では至心、信楽、欲生の三心(信)の中の信楽である。
御開山は、この『観経」の三心を深心一心に総摂し、その深心を展開されたのが『大経』の三信(心)であるとみられたのであろう。 そして『大経』の信楽を中心として至心と欲生を洞察し「如来よりたまはりたる信心」として展開されるのが「信巻」の三心釈である。そしてこの三心(信)を信楽一心に総摂し『浄土論』の「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来」の「一心の華文」であるといわれるのであった。
このようにみてくると、単純に平面的に『観経』の三心を自力とし、『大経」の三心(信)を他力とするのは如何かと思ふ。『観経』も『小経』も、そこに阿弥陀如来の本願があらわされているときは真実なのである。御開山が「信巻」で、第十八願の三心の解釈をされる前段に、善導大師の『観経疏』の 至誠心釈、 深心釈、回向発願心釈を引文されておられるのもその意であろう。もちろん、このような見方は聖人といわれる方だけができることであって、我々は御開山の指南にしたがってお聖教を楽しむだけではある。
なお、古くから「三経一致門」の立場から、『大経』は本願を説く経であるから《薬》にたとえられ、『観経』は救われがたい機の真実をあらわす経であるから《病気》にたとえ、『阿弥陀経』は機法合説といわれ、六方恒沙の諸仏の証誠は《医者》にたとえた法話がなされてきたものである。
ともあれ、浄土三部経には、「三経差別門」と「三経一致門」の両方の見方があるが、要するに、本願を信じさせ、なんまんだぶを称えさせ、必ず往生させ仏たらしめようという阿弥陀如来の本願力回向のご法義であった。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ