三種の浄土観

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角川の仏教思想シリーズの『絶対の真理(天台)』を読んでみた。数十年前に購入して読んだ本だが当時は意味がさっぱり判らなかった。いま読み返してみると、こういうことかと、判ることがある。これもお育てであろう。
浄土真宗の浄土という言葉は一般名詞であり、三部経での固有名詞では安楽とか安養、極楽などといわれる。
天台大師智顎の、伝『観経疏』 には、凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土の四種浄土(*)が説かれていて、阿弥陀如来の浄土は報土ではなく凡夫と聖者が同居する凡聖同居土であるとされていた。
このような天台の仏道体系の中にあっては、善導大師が描いて下さった順彼仏願故の、なんまんだぶを称える一行によって凡夫入報(凡夫が報土に生る)の義をあらわしえないとして、別して「我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり」(*)と、浄土宗を建立されたのが法然聖人であった。(*)
この法然聖人の開創された浄土宗を、本願力回向の概念によって包摂されたのが御開山の示される浄土真宗であった。彼土と此土の相待を包み込む本願力回向の世界である。
以下の引用の、田村芳朗氏の『絶対の真理(天台)』でいう、《ある》浄土、《いく》浄土、《なる》浄土というカテゴライズとはおもしろい。
なんまんだぶを称えて念仏衆生摂取不捨の言葉に包まれるている《ある》浄土。
選択本願念仏によってなんまんだぶを称えて往生する覚りの世界へ《いく》浄土。
そして、この二つの現在・当来の本願力回向から恵まれる、なんまんだぶを称える大悲の行を実践しつつ、他者を、本願力回向の仏陀の覚りの世界へ誘(いざな)うことの《なる》浄土。遇いがたき法にあいえた報謝という生き方の、《なる》浄土である。
以下、《ある》浄土、《いく》浄土、《なる》浄土という概念を、少しく田村芳明氏の『絶対の真理(天台)』から窺ってみよう。

三種の浄土観

 この論理を浄土にあてはめれば、娑婆と浄土の不二・空ないし娑婆即浄土ということから、この現実の娑婆をおいて、ほかに浄土はないと、まず説かれよう。積極的にいえば、無常であり苦にみちた現世のただなかにあって、永遠・極楽の浄土を感得することである。
これを一口に、ある浄土といえよう。絶対浄土であり、絶対一元の世界である。天台智顎のいう常寂光土とは、これをさす。妙楽湛然は、それについて、「豈に伽耶(迦耶城)を離れて、別に常寂を求めんや。寂光の外に、別に娑婆有るに非ず」(『法華文句記』巻第二十五)と釈している。

 日本天台にきて恵心僧都源信は、その著『往生要集』で常行三昧法にふれつつ、凡夫・娑婆と彌陀・浄土と「本来空寂にして一体」(巻上之末)と説き、『観心略要集』では、「我が身即ち彌陀、彌陀即ち我が身なれば、娑婆即ち極楽、極楽即ち娑婆なり。……故に遥かに十万億国土を過ぎて安養浄刹を求むべからず。一念の妄心を翻し法性の理を思わば、己心に仏身を見、己心に浄土を見ん」とのべている。

 ところで、娑婆即浄土ということは、あるのは娑婆だけであって、浄土は存在しないということではない。ないというならば娑婆もなければ、それにたいする浄土もなく、あるというならば、娑婆もあれば、それにたいする浄土もあるということである。かくして、ここに不二の上の而二として娑婆と浄土の二が立てられ、生まれゆくべき世界として、浄土が娑婆の彼岸に対置されてくる。これを一口に、ゆく浄土といえよう。絶対の上の相対浄土である。さきの『観心略要集』に、「閻浮を厭離するに非ずして、而も之を厭離し、極楽を欣求するに非ずして、而も之を欣求す。……空なりと雖も、而も往生し、往生すと雖も、而も空なるのみ」と説くところである。

 浄土は、本来、この世界に対立してどこそこにあるとか、未来のかなたにあるとかいう、そういう時間・空間をこえたものである。いいかえれば、浄土は単にこの世界そのものでもないが、単にこの世界に対立して存するものでもない。これを積極的に表現すれば、それは、われわれの前に現在する浄土であるとともに、死ぬことによっておもむく浄土でもある。逆に、死後生まれゆく浄土は、現世において、すでに、その中に生きてある浄土である。このある浄土とゆく浄土とは、仏の側からは、全く一なるものである。けだし、仏にあっては、未来は常に永遠の現在(本時)であり、彼岸は常に永遠の此岸(本土)であるといいうるからである。本時とか本土ということは、『法華玄義』巻第七上などで強調されている。

 われわれについていえば、有限・相対の種々の衣をまとって生活せねばならないこの人生にあるあいだは、信によって無限・絶対の浄土にひたる(ある浄土)のであり、死の門をくぐるときには、それらの衣をぬぎすてて、その浄土におもむく(ゆく浄土)のである。こういうわけで、浄土が来世に設定される。

 なお、浄土観について、いま一つ存する。それは、よく浄仏国土ということばで表現されるものである。つまり、仏土を浄めるということであり、浄土の現実実践であり、浄土を現実社会の中に実現するということである。社会の浄土化である。これを.一口に、なる浄土といえよう。人間としてこの世に生をうけた意義・目的、あるいはなすべき努力、仏教用語でいえば菩薩行は、この浄仏国土にあるとされる。『維摩経』に、「諸仏の国土の永寂如空なるを観ずと雖も、而も種々の清浄の仏土を現ずる、是れ菩薩の行なり」(「問疾品」第五)と説かれ、『法華経』においても、「仏土を浄めんが為の故に、常に勤め精進し、衆生を教化せん」(「五百弟子受記品」第八)などというところである。

このなる浄土をさきのある浄土とゆく浄土とに合わせると、つぎのごとく考えられよう。この人間界に生をうけたわれわれは、仏法を信じ、実相を体得することによって、有限・相対の人間界にありながら無限・絶対の境地にひたる(ある浄土)のであり、そうして生あるかぎり、各自、その持ち場をとおして仏法を生活に顕現し、ひいては仏国土建設に努力していく(なる浄土)のであり、生を終えて死の門をくぐるときには、本来の永遠なる故郷に帰りゆく(ゆく浄土)のである。

こうして仏教に、ある浄土となる浄土とゆく浄土の三つが立てられるにいたったのである。日蓮に例をとれば、『立正安国論』(三十九歳)の述作ごろまでは、絶対的一元論に立って現実を肯定し、ある浄土を主張し、それ以後、佐渡流罪(五十歳)にかけては、受難を契機としてしだいに現実対決的、社会改革的となり、なる浄土を強調し、身延退隠(五十三歳)以後は、仏国土建設は未来に託し、みずからはゆく浄土を志向するにいたっている。

この三種の浄土観は、あい矛盾するものではなく、もともと一体たるものである。時と場合、あるいはひとびとの機根に応じて、その中のどれかに力点がおかれ、強調されたのである。そういうことで、阿彌陀仏および西方浄土を止観の対象とする常行三昧法が考案された次第である。

 

ようするに、三種の浄土観は、なんまんだぶの一句が根源であり、それを披いての考察であろうが、御開山が浄土真宗と定義された上からは、往生浄土の《いく》浄土をであった。天台教学の素晴らしさを受容しつつ、

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。(信文類)

しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにしてを見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。(真仏土文類)

と、真の仏性の開覚(見性)は浄土であると述懐されたのではあった。
意味が判らなくてもいいのですよ。なんまんだぶと称える中に、《ある》浄土も、《いく》浄土も、《なる》浄土も、全部用意してあるから、なんまんだぶを称え生きて、そして死んで来いというのである。本願力回向の大悲の至極であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ やったね!!

 

 

補助線

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中学生の頃に算数の幾何の証明に、問いの図にはない線、つまり補助線を引いて答えを導く方法があった。図形に対する補助線がうまく引ければ答えを出すことが可能になるということである。
三平方の定理は、ピタゴラスが規則的に配置された正方形の敷石を眺めていて発見した定理だといわれるが、初めてこの定理を補助線を使って説明されたときは、わかったぁ!という知的興奮に襲われたものである。
いわゆる、Aの二乗はBの二乗+Cの二乗と等しいということであるが、Aの事情はBの事情とCの事情によるとの関係性の補助線を引くことで考察できるのであろう。

そのような意味では、新しい概念を補助線として使い、なんまんだぶのご法義を領解する方法もあるのだが、これは方法であって目的ではないということを理解しておかないと、御開山のお領解と齟齬するものが出てくると思ふ。要するに御開山の思想は御開山のところにおいて考察すべきであるということである。

と、いうわけで、一元論/二元論という概念を補助線として使い、絶対一元論の天台教学と、その一元論から必然的に生まれた現実直視の法然聖人の二元論を論じたリンク先の田村芳朗氏の説は面白い。天台の絶対一元論から法然聖人の念仏往生の二元論へ、そしてそれを内包して念仏成仏とされたのが本願力回向という浄土真宗である。御開山の著述は重層的で難解なのだが、適宜な補助線を引くことによって、より深くその意味を把握できることもあるのであろうと思ふ。

この角川の「仏教の思想シリーズ」は、たしかハードカバーを持っていた筈なのだが、何故か手元にないので文庫本から下記のリンク先の文を引用した。

『仏教の思想5 絶対の真理〈天台〉』

わが名をよびて

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詩人三好達治は。五年ほど福井県三国町に住んだことがある。その思い出からか三国町を「わが心のふるさと」と呼んだそうである。
彼は、福井県内の高校の校歌や「福井県民の歌」という県歌などの作詞も手がけた。東尋坊へ続く荒磯遊歩道には「三好碑」などもある。
そんな彼に「わが名をよびて」という詩がある。

わが名をよびて

わが名をよびてたまはれ
いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ

この詩で、「わが名をよびてたまはれ」と呼びかけている相手は誰であろうか。
「いとけなき日の名」と、幼い頃の名で「よびてたまはれ」とあり、母親にむかっての呼びかけであろう。もう二度と開くことのない母の口から、わが名をよびてたまはれという願いであろう。幼い頃の母の、われをよびたまふ声は、すべてを許し包容するなつかしい声である。
生きることの苦しみや悲しみも知らなかった頃。つらくやるせない言葉にもできないせつなさも知らなかったころの名で「わが名をよびてたまはれ」と、いうのであろう。
今はもう煩悩のかたまりでしかない私を、いま一度呼びさましてくれというのである。

浄土真宗では阿弥陀如来を親さまと呼ぶ。
信という字は信(まかせる)とも訓じるが、おやの呼ぶ声に全てを信(まか)せることが浄土真宗のご信心である。わたしが信ずるのではない、わたくしはおやの呼ぶこえに包まれているのである。なんまんだぶの声に包摂されているから、私は私の信を知る必要がない。私は知るものではなく如来の信によって知られるものであった。生も死も親さまが知って下さるからこちらが案ずることではない。これを安心(あんじん)というのである。

このご法義の先人は、

 南無阿弥陀仏 声は一つに味二つ おやのよぶ声 子のしたう声

という句を示して下さった。
おやのよぶ声が、そのまま子がおやを慕う声である。

「わが名をよびてたまはれ」という想いは、なんまんだぶという声になり、なんまんだぶと聞こえる、わが名であるにちがいない。
仏から呼びかけられる声が、なんまんだぶであるということは、われをよぶ声がすなわちわれがおやをよぶ声である。

御開山が、「帰命は本願招喚の勅命なり」の喚の左訓に、よばう(呼び続ける)とされた所以である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

もっと上手く鳴かんかい(笑

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外でウグイスが鳴いている。
毎年、登場したての頃は、ホー・ケキョと下手糞な鳴き声のウグイス。
ホーッという初声につられて、脳内のシナプスがホケッキョを予想してるのだがはぐらかされる。
この予定調和をはぐらかされる感覚にはちょっと苛つく。

もっと上手く艶やかに鳴かんと雌が寄ってこんぞこらぁ、と庭に出て小一時間ほど言い聞かせてやりたくなる、我慢してるけど(笑

今朝のウグイスは、ホーッホケッキョと鳴く頻度が高かった。
先人は、ホーッホケッキョというウグイスの鳴き声を、「法を聞けよ」という聴聞への誘いだしだと言われていたが、聞いた法は声の法である、なんまんだぶであった。

なんまんだぶという言葉は、インド語の、ガンダーラ訛りの中国語訛りの朝鮮語訛りの日本語訛りである。
生と死を超えた世界から、生と死に呻吟し煩憂悩乱する世界へ届く言葉が、なんまんだぶである。
シナの元照律師は、『阿彌陀經義疏』で、

況我彌陀 以名接物。是以耳聞口誦。無邊聖徳攬入識心。永爲佛種 頓除億劫重罪。獲證無上菩提。信知非少善根。是多功徳也。(*)
《いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり》(*)
現代語訳:
まして、阿弥陀仏は名号をもって衆生を摂め取られるのである。そこで、この名号を耳に聞き、口に称えると、限りない尊い功徳が心に入りこみ、長く成仏の因となって、たちまちはかり知れない長い間つくり続けてきた重い罪が除かれ、この上ない仏のさとりを得ることができる。まことにこの名号はわずかな功徳ではなく、多くの功徳をそなえていることが知られるのである。(*)

と、『阿弥陀経』の意によって名号(なんまんだぶ)を称え聞くことの超勝性を説き、無上菩提を獲る仏陀の証(さとり)への仏種であるとされる。これを真宗では業因(我のなす行為=行)というのである。

真宗の学僧大厳師は、

罔極仏恩報謝情 (罔極の仏恩報謝の情)
清晨幽夜但称名 (清晨幽夜ただ称名)
堪歓吾唱雖吾聴 (歓びにたえたり、われ唱えわれ聴くといえども)
此是大悲招喚声 (これはこれ大悲招喚の声)

と、なんまんだぶという自らの称える声に本願招喚の勅命を聞かれたのであった。
この漢詩の意を、原口針水和上は、より解りやすく和語にされ、

我れ称へ
我れ聞くなれど
南無阿弥陀
我をたすくる
弥陀の勅命

と、讃詠されたのである。
信心正因という教説は、「願作仏心 度衆生心」の他力の菩提心の様相を描いて下さっているのである。菩提心が正因であるならば、当然菩提心によって呼びおこされる行業があり、その浄土真宗の菩提心から発起する行業が、なんまんだぶという口称の本願であったのである。御開山が「必定して希有の行なり」、といわれる所以である。

ホーッホケッキョ(法を聞けよ)というウグイスの鳴き声に、ようこそようこそ、なんまんだぶ、なんまんだぶと応答して、仏のみ名を称え讃嘆する行業こそが、浄土真宗における願作仏心 度衆生心の菩提心から沸き起こる行である。
三恒河沙という気の遠くなるような諸仏のもとで聖道の大菩提心を発したが、なんまんだぶを称え、なんまんだぶの阿弥陀如来の菩提心に包まれるという他力の菩提心を領解出来なかったから生死を流転してきたと御開山は仰せである。(*)

我彌陀以名接物である。法然聖人は、『和語灯録』の「往生大要鈔」で、

ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて口に南無阿弥陀仏ととなへば、こえについて决定往生のをもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。(*)

と、「こえについて决定往生のをもひをなすべし」と示しておられる。
なんまんだぶと称え、耳に聞こえる阿弥陀如来の選択本願の声に、阿弥陀如来の菩提心に感動するのが浄土教であり浄土真宗の綱格である。浄土門の菩提心とは私が発すのではなく、兆載永劫に思惟し易行の至極として、口に称えられ耳に聞こえる、なんまんだぶになられた仏陀の教説に随順することであった。
このなんまんだぶと称え耳に聞こえる「こえについて决定往生のをもひをなすべし」の世界の消息を、御開山は、本願招喚の勅命(*)と言われたのである。信巻で『論註』を引かれ「如実修行相応」とされ「信を彰して能入とす」とされた所以である。信心正因の信心とは、なんまんだぶを称えた者を救うという乃至十念の実践の上で論じる事柄であった。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、我彌陀以名接物である。

 

往生成仏教

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♪梅は咲いたか 桜はまだかいな、柳なよなよ風次第♪というフレーズの端唄(はうた)がある。

だいぶ前だだが、ふと思い立ち自家製の梅干を作りたくなって梅の木を植えた。
梅の木を植えれば花が咲き、花によって梅の実を結び、実を獲って梅干を漬けて、おかずにして食べようと貧乏な林遊が想起したのだが、手入れをせずに放ってあるのでひどいことになっている(笑

というわけで、なんまんだぶを称えるという行為を勧める第二十願には、植諸徳本(もろもろの徳本を植ゑて)という表現がある。

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。

この徳本とは本来は徳の根本ということで大乗菩薩の修する六波羅蜜行なのだが、御開山は、なんまんだぶと称えることであると定義されておられる。善本も善の総体・根本の意なのだが同じく、なんまんだぶを称えることであるとされておられる。

顕といふは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む。ここをもつて『経』(同)には「多善根・多功徳・多福徳因縁」と説き、釈(法事讃・下)には「九品ともに回して不退を得よ」といへり。あるいは「無過念仏往西方三念五念仏来迎」(同・意)といへり。(*)

というわけで、御開山は『阿弥陀経』の意を表面に顕している第二十願は、「多善根・多功徳・多福徳因縁」の善本・徳本であるなんまんだぶを称えることであるとされる。
植諸徳本の《植》の語によって、自らが徳本を植えるという意が第二十願であると見られたのであろう。

と、ここまで前置きなのだが、なぜ浄土教では、なんまんだぶという徳本を植えるのかということについて、源信僧都は『往生要集』中で天台大師智顗の作といわれる『淨土十疑論』(*)の一説を引用して考察されておられる。

ゆゑに『十疑』にいはく、「浄土に生れんと求むる所以は一切衆生の苦を救抜せんと欲ふがゆゑなり。 すなはちみづから思忖すらく、〈われいま力なし。 もし悪世、煩悩の境のなかにあらば、境強きをもつてのゆゑに、みづから纏縛せられて三塗に淪溺し、ややもすれば数劫を経ん。 かくのごとく輪転して、無始よりこのかたいまだかつて休息せず。 いづれの時にか、よく衆生の苦を救ふことを得ん〉と。
これがために、浄土に生れて諸仏に親近し、無生忍を証して、まさによく悪世のなかにして、衆生の苦を救はんことを求むるなり」と。 {以上}余の経論の文、つぶさに『十疑』のごとし。
知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。(*)

なんまんだぶを称える行業は、阿弥陀如来の本願に選択して下さった念仏を称えて仏に成り、今度という今度こそ、自分の事だけで苦しむのではなく、普賢の徳(普賢菩薩のように、慈悲行を実践すること)を行じさせしめようという慈悲の至極の行なのであった。ゆえに、なんまんだぶを称える行業を「大悲を行ずる」と、御開山は仰せなのである。

「同情するなら金をくれ」というドラマの台詞があったが、金では解決できない問題、生と死を超える道を、つまり往生極楽の道を示すのが浄土仏教であり、それこそが、なんまんだぶを称えて仏に成る「大乗の至極」のご法義であった。

三心(至誠心、深心、回向発願心)・四修(恭敬修、無余修、無間修、長時修)『礼讃』などということは、なんまんだぶと称え、ただ一向に念仏する中に「みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。」(*)である。

この、なんまんだぶを称えている相が、すなわち「世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来」の一心なのではある。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、やったねという由縁である。

宿善?

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親苦、子楽、孫乞食という俚諺があるのだが、三代目というのは微妙な立場なんだろうな。
そんなこんなで、御開山の言われていない新しい名目を導入すると後世の人が誤解/錯覚して、浄土門の中に宿善なる善の勧めを持ち込む求道主義者が出たりする。いわゆる目的論者である。御開山の示して下さった、本願力廻向のご法義に入る道は無いのであるが、あると妄想している立場であろう。

で、暇なのでUPしてある三代目の覚如上人の伝記である『慕帰絵詞』(*)に少しく注釈を付加してみた。覚師は遇法の因縁を説明する用語として宿善という語を使われておられるのであろう。
以下、『慕帰絵詞』の説明をメモ用にUPしておく。

浄土真宗で「宿善」という言葉の意味でよく参照される『慕帰絵詞』第五巻 第一段の宿善の事についての文章。『慕帰絵詞』(ぼき-えことば)とは本願寺三代目を名乗られた覚如上人の帰寂(入寂)を恋い慕うゆえ作成された伝記である。しかして覚師を讃仰するあまりに筆が滑ることもあったことに留意して読むべきであろう。なお宿善の語義は、前世・過去世につくった善根功徳のことであり、本文中で覚師が『無量寿経』の往覲偈を引いて、曾更見世尊 則能信此事 謙敬聞奉行 踊躍大歓喜(むかし世尊を見たてまつりしものは、すなはちよくこの事を信じ、謙敬にして聞きて奉行し、踊躍して大きに歓喜す。)とあるように過去世における善根を指す言葉である。あくまでも遇い難き生死出ずべき道に遇い得たことを感佩する語であることに注意すべきである。なお、御開山には宿善という語は無いが法に遇いえた慶びを語る宿縁という語はある。衆生の有漏の心より生じる善に往生成仏の因としての意味を認めなかったからであろう。後年、蓮如上人は宿善という言葉を使われるが、この場合も「宿善めでたしといふはわろし。御一流には宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ。」(現代語訳:宿善がすばらしいというのはよくない。宿善とは阿弥陀仏のお育てのことであるから、浄土真宗では宿善がありがたいというのがよいのである)(御一代聞書No.233)と、いわれるように宿善とは、法に遇い得た現在から過去を振り返る言葉である。

 御開山の教化に会った関東の古参の門弟との軋轢に呻吟した覚如上人であった。「体失往生と不体失往生」とか「信行両座」の諍論は、御開山の思想から想起すればまゆつばであるが、御開山が強調された本願力回向のを強調されようという意からは首肯できる。
しかして、その副作用として法然聖人が開顕して下さった、 選択本願念仏という、なんまんだぶを称えるという行を軽視する輩を生み出した遠因にもなる人であったとも思量する。
そもそも浄土教とは、龍樹菩薩が『十住毘婆沙論』で示されたごとく、

阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」と。このゆゑにつねに憶念すべし。

なんまんだぶを称えて、 阿耨多羅三藐三菩提を得るご法義である。安心とか信心ということは、称えられている、なんまんだぶの上で論ずることである。御開山が開顕して下さった浄土真宗は、なんまんだぶを称えた者を救うというご法義であって、なんまんだぶを称えない者を救うというご法義ではないのである。唯円坊が、

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

と、ただ念仏してといわれる所以である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

歓喜信心無疑者

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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FBで、以下の和讃を見かけた。

歡喜信心無疑者をば、
與諸如來ととく
大信心は佛性なり
佛性すなはち如来なり

この和讃は、いわゆる国宝本の和讃で、文明本では、

(94)
信心よろこぶそのひとを
如来とひとしとときたまふ
大信心は仏性なり
仏性すなはち如来なり (*)

で、ある。意味は同じである。
この和讃は、『華厳経』の最後の偈文、

聞此法歡喜 信心無疑者
速成無上道 與諸如來等

と、『涅槃経』の

大信心者即是佛性 佛性者即是如來

の、文言に依って和讃されておられ『教行証文類』の信楽釈で引文されている。

『華厳経』
「この法を聞きて信心を歓喜して、疑なきものはすみやかに無上道を成らん。もろもろの如来と等し」となり。(*)

『涅槃経』
大信心はすなはちこれ仏性なり。仏性はすなはちこれ如来なり。(*)

いわゆる天台の五時教判では、『華厳経』は最初に説かれた仏陀の覚りの内容とされ、『涅槃経』は仏陀入滅の最後に説かれた結論であるとされる。
『教行証文類』においてもこの二経は連引されておられるのだが、仏教のアルファとオメガ、つまり釈尊の一代の教説を象徴するという意味で引文されておられるのであろう。ここいらへんは御開山のスケールの大きさを感じさせるところである。ちなみに、『華厳経』の

聞此法歡喜 信心無疑者
速成無上道 與諸如來等

は、当面読みでは、「この法を聞きて歓喜し、心に信じて疑なければ、すみやかに無上道を成じ、もろもろの如来と等しからん」と読むそうであるが、御開山は、上下を入れ替えて「この法を聞きて信心を歓喜して、疑なきものはすみやかに無上道を成らん。もろもろの如来と等し」と読まれている。
如来の信心を歓喜するとして、信心は如来からの賜りものである意を顕すためこのように訓まれたのであろう。その聞信していることが浄土真宗における信心仏性であった。
また、本願成就文の、

諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。
あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。(*)

の意からもこのように訓まれたのであろう。『讃阿弥陀仏偈』の

あらゆるもの、阿弥陀の徳号を聞きて、信心歓喜して聞くところを慶ばんこと、いまし一念におよぶまでせん。(*)

も、同じ意味であろう。
ようするに、浄土真宗の信心とは自らが発起するのではなく、如来のご信心に包摂されていることを聞信するのである。そのためには常に自己の中に自力の信心らしきものを見出した時は常にこれを否定していくのが、「この法を聞きて信心を歓喜」するということである。
そして「この法」を告げる言葉が、「聞其名号」のなんまんだぶでなのである。

 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

選択本願念仏

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『教行証』での引文で『阿弥陀経』からは「化巻」の一文しか引文されていないんだよなあ。

【45】「少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。{中略}阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持せよ。」(*)

御開山は、『浄土三部経』に隠顕をたてるから、三経における、なんまんだぶという称名にも真仮を見られるのであろう。
いわゆる、『無量寿経』の、第十八願、第十九願、第二十願のそれぞれに、『無量寿経』、『観無量寿経』(御開山は『無量寿仏観経』または『観経』とされる)、『阿弥陀経』を配当されたからである。

昔の布教使は、『観経』の意による、なんまんだぶを万行随一の念仏と言い、『阿弥陀経』の意による、なんまんだぶを万行超過とし、『無量寿経』の意、つまり第十八願の、なんまんだぶを、選択本願の、なんまんだぶと言って御法話をしていたものである。

行の無い信心だけの仏教などというものは有り得ないのだが、その行である念仏を、万行(よろずの為すべきおこない)の中の一つとして修するのが万行随一の、なんまんだぶというのである。この随一という漢語は、多くの行の中の一つという意味であり、現在使われているような最高という意味ではない。あくまで、仏道の修行体系の中の一つの行であるという意味である。
これが、修諸功徳の第十九願の立場である。

しこうして、あほみたいに、ひたすら、なんまんだぶを称えるだけで、他の行業に目もくれない浄土真宗のご法義の、ほんまもんの同行を見聞して、一行一心ということに気付くのである。いわゆる、『阿弥陀経』の、「不可少善根福徳」の教説によって、なんまんだぶの一行を修する、雑(雑多な行)から純への転換である。名号を称えるという、多善根 福徳因縁への転向である。この役割を果たしているのが、多善根 福徳因縁の、なんまんだぶを称えることを勧める『阿弥陀経』である。これを、先人は万行超過(よろずの行いを超え出た)の、なんまんだぶの行と言ったのである。浄土往生を願い、一心に一行を修するのである。自らが気付き選んだ、なんまんだぶの行である。

しかるに、ある時、突然に、自らが選んだ行である、なんまんだぶならば、自らが思い描く妄想の浄土へ往生するだけではないのか? と、いう疑念が起きる。寝食を忘れて、後生、タスケタマエと、阿弥陀仏に祈願して来たがこれは凡夫の妄念ではなかったかと気付くのである。ここに知識のご化導ありであって、なんまんだぶを称える行は、阿弥陀如来の本願に選択された行である念仏行であると、知らしめられるのである。
御開山が法然聖人の語録を採集された、『西方指南抄』上末に、

しかるに往生の行は、われらがさかしく、いまはじめてはからふべきことにあらず、みなさだめおけることなり。(*)

と、あるごとく、なんまんだぶを称える行業は、阿弥陀如来が選択摂取しておいて下さった本願に選択された、念仏往生の行であったのである。これが選択本願の、なんまんだぶであった。順彼仏願故である。
これを、御開山は、六字釈で「本願招喚の勅命なり。」(*)と、仰せであったのである。ここに、主客の転換があり「汝一心正念にして来たれ」としての汝としての自己の発見があるのであるが、智愚の毒(*)に犯された、大谷派の真宗坊主には窺う術(すべ)もない世界であろうな(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

 

賀古の沙弥教信のこと

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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覚如上人は、あまり好かんのだが、『改邪鈔」に、

(御開山の)つねの御持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥 [この沙弥のやう、禅林の永観の『十因』にみえたり] の定なり」と[云々]。
しかれば、縡を専修念仏停廃のときの左遷の勅宣によせましまして、御位署には愚禿の字をのせらる。これすなはち僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと[云々]。(*)

と、ある。
たまたま『往生拾因』を読んでいて、ふと思い出したので、読み下し文をUPしてみる。
1000年以上前の念仏者の行業であり幾分の脚色もあり、なおかつ現代と時代背景は違うのだが、なんまんだぶを称えて往生された先達がいて下さったのは、有り難いことである。

また散乱の人の観法成じ難きが為に、大聖悲憐して称名の行を勧めたまふ。称名は易きが故に相続し自念して昼夜に休まず、豈に無間に非ずや。また身の浄・不浄を簡ばず、心の専・不専を論ぜず、称名絶えざれば必ず往生を得。運心、日久しくば何ぞ引接を疑わん。また恒(つね)の所作は是れ定業なるがゆえに、これに依つてただ念仏者、浄土に往生す、その証一にあらず。
かの播州の沙弥教信等これその仁(ひと)なり。
本朝孝謙天皇の御宇。摂津の国の郡摂使 左衛門の府生時原の佐通の妻は、出羽の国の総大判官代 藤原栄家が女(むすめ)なり。

然るに年来、子息無きことを歎きて、毎月十五日に沐浴潔斎し、寺塔に往詣して男子を祈乞す。三箇年をへて既に以つて懐妊す。天応元年{辛酉}四月五日男子を平産す。しかるに児すでに七歳に及びて、母家業を事とせず。愁嘆の色あり。
夫、奇(あや)み問いて云く。仁(なんじ)何んぞ不例の気色あるや。
妻、答えて云く。生子、漸(よう)やく以つて成長せり。今に至りては、尼の為とて偏に念仏せんと欲す。然れども夫に順ふの身と思いながら徒(いたずら)に日を送れりと。
夫、是の語を聞きて云く。仁(なんじ)が思ふところ尤も然なり。我も同く髪を剃りて共に念仏すべし。児童においては他人に談(かたら)い付けん。児これを耳に聞きて、面をあおぎみて涙を浮ぶ。此れより以後已に遊戯を止む。
明朝乞食の僧、門外に立てり。家女悦びて以つて請じ入れ供養して即ち出家を乞ふ。
僧の云く。未だ衰老にも至らず、病患にも臨(のぞ)まず、今出家を求むるは、是れ最上の善根なり。
此れを聞きて弥(いよいよ)以つて喜悦す。夫妻共頭を剃る。時に年夫四十一 妻三十三なり。次に七歳の童子、同じく出家を乞ふ。共に受戒しおわんぬ。修行の僧、留住して経典を教え念仏を勧む。
小僧の名を勝如と注(しる)す。『阿弥陀経』並びに不軽の作法を教ふ、此のごとくすること三箇年。其の後、件(くだん)の僧、行き方を知らざるなり。
延暦十四年{乙亥}二月十八日の朝。入道、尼と共に同じく沐浴して読経念仏して、夜半に至りて両人命終す。その時に家中の男女これを知らず。勝如傍において金鼓を打ちて仏号を唱ふ。近隣聞き驚きてこれを問訊する。また一周忌おわりて、勝如、不軽の行を修す。すでに十六万七千六百余家を礼拝することを得たり。この慧業をもって二親に迴向す。不軽の間、門門に臨むごとに香気自熏す。見聞の道俗、皆これを以つて奇とす。その後、勝尾寺に登りて、証道上人を師となして、顕密の正教を学す。すでに七箇年をへて、遂に寂寞の地を卜(ぼく)し、別に草菴を結構し念仏定を修すること五十余年、道を味わい疲れを忘れて五日に一たび飯す。言語を禁断すること十二箇年、同行弟子相見することもっとも希なり。
時に貞観八年八月十五夜空に音楽を聞く。これを奇(あや)しみ思ふ間に、人、柴戸を叩く。ただ咳声をもつて人ありと知らしむ。
戸外の人、陳(の)べて云く。我はこれ播磨の国賀古の郡賀古の駅の北の辺に居住せる、沙弥教信なり。今、極楽に往生の時なり。上人は明年の今月今夜、その迎えを得べし。この由を告げんが為の故に以つて来れるなり。しかる間、微光僅かに菴に入り。細楽ようやく西に去るなり。勝如驚怪して明旦、僧勝鑑を遣わし彼の処を尋ねしむ。勝鑑、昼夜を論ぜず彼の国に発向す。往還の人に対(むか)うごとに教信の往生の事を問ふに、あえて答ふる者なし。
稍(ようやく)賀古の駅の北を見れば小廬あり。その廬の上に当りて鵄烏集り翔(かけ)る。ようやく近き寄り見れば、群狗競いて死人を食ふ。傍(かたわら)の大石の上に新たなる髑髏あり。容顔損ぜず、眼口咲(え)めるに似たり。香気薫馥す。たた廬内を臨めば、一老嫗一童子のあり。相共に哀哭する。すなわち悲情を問ふ。
嫗が曰く。死人はこれ我が夫、沙弥教信なり。去十五の夜、既に以つて死去す。今、三日に成れり。一生の間、弥陀の号(みな)を称して、昼夜に休まず以つて己が業となす。これを雇ひ用うる人、呼びて阿弥陀丸となす。これを日を送る計となして、すでに三十年を経たり。この童はすなわち子なり。今、母と子と、共にその便(たより)を失いて、為さん方を知らざるなり也。
ここにおいて村里の男女往還して、道俗具(つぶさ)に勝鑑の来れる由を聞きて、星のごときくに馳せ雲のごとくに集り、彼の髑髏を迴(めぐ)りて、歌唄讃歎す。勝鑑、速(すみやか)に還りて上に件(くだん)の事を陳(の)ぶ。
聖人、これを聞きて自から謂(おも)へらく。我が年来の無言、教信の口称にしかず。恐くは利他の行疎(おろそ)かならん。
同じき二十一日を以つて、故(ことさ)らに聚落に往詣して、自他共に念仏すと 云云。

明年の八月一日、本処に隠居す。その期日に至りて出堂沐浴して、弟子等に語(かたるら)く。教信の告げ今夜に相(あ)い当れり。今生の言談、この度びばかりなり。
涙を抑へて入堂して香華を弁備し、線を仏の手(みて)に付けて念誦例のごとし。しかる間、漢月影静かにて松風声斜なり。漸く漏剋を運びて夜半に到る程、楽音髣(ほのか)に聞へ、異香且(かつ)芬(にほ)ふ。聖人音を合わせて念仏す。聞く者歓喜するに少なからず。光明たちまちに照し紫雲室に満つ。上人西に向ひ印を結び端坐して入滅す。時に年八十七。遺弟等悲喜交集して、双眼より涙を流す。結縁の上下二百余人、三七日夜、かの屍を囲繞して不断に念仏す。この間、白(香)気なお以つて絶えず。結願の後にまさに火葬を以つてせんとするに、手印焼けず灰中に在り。たちまちに石塔を起(た)てこれを安んじ既に畢(おわ)れり。今、燧石の塔と号するは是れなり。具(つぶさ)には彼の上人伝に載(の)す。

ここに在家の沙弥といえども、無言上人に前(さきだ)つこと、是れ弥陀の名号の不可思議に依つてなり。教信、これ誰ぞ、何んぞ励まざるや。其の心を練磨して称名退せざれ。彼の常念観音の者、なお、この三毒の離れ難きを離る。いわんや常念弥陀の人、なんぞ易往の浄土に往かざる。
もし常途の念仏勇進することあたわずんば。此の経の説に依つて臨時の行を修すべし。要(かなら)ず、すべからく閑処にして道場を料理し、まず西壁において弥陀像を安んず。もしは一日もしは七日、堪えるに随つて荘厳し、力に随いて供養せよ。持戒清浄にして威儀具足すべし。毎日三時あるいは四時あるいは五時あるいは六時、毎時に三万あるいは二万あるいは一万あるいは五千。行者の意に随いて発願し回向し専念勤修せよ。綽禅師のごときは七日の念仏に百万遍を得たまえり。もし七日夜、勇猛に精進すれば、終焉の暮に至りて弥陀の加を被(こうむ)る。あに永劫の安楽の為に七日の苦行を励まざらんや。

『往生拾因』は、ここにある、資料としては、wikiarcの「教信沙弥」の項のノートにUPしておいた。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

 

後生ってなんやろ

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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蓮如さんは後生の一大事ということにうるさい。しこうして、「後生」という漢字熟語は、(こうせい)とも読める。
後生を、(こうせい)と読めば、私の存在しない世、つまり私が残していく私のいない他者の世をいうのである。ところが、後生を(ごしょう)と読んだ場合は、私の死んで行く末の、私の話である。その私が死んだら私はどうなるか、という私という主体の行く末を蓮如さんは後生の一大事と仰ったのである。
これは、人が生きるという意味を考えたとき、等しく問題になる発想なのだが、この感情を利用して金儲けをしようとする輩や宗教組織があることを心に銘記しておくべきである。浄土真宗を標榜し、自らの組織の拡大や金儲けに利用する、おかしな言説に嵌るので要注意である。(*)

さて、このような後生(こうせい)と後生(ごしょう)の違いを話されたであろう大峯顕師の著書『蓮如のラディカリズム』からの一説を引用してみる。師はいわゆる哲学の徒なのだが、浄土真宗の坊さんであり、なんまんだぶのご法義にも明るい人である。

「今やっとわかりました。今まで私は死んでも何も心配ないと思っていたが、それは残していく者のことばかり考えていたわけでした」と言う人がいた。
「会社のことは息子に言ってあるし、家内には大事なものをきちんと預けてあるから、後の人たちは私が死んでも何の心配もない、私は安心して死ねると思っていた。しかしそれは私自身のことではなくて、私の亡き後に残る家族のこと、要するに他人のことであった。そればかり心配して、後顧の憂いがないようにしてきたが、この私自身がいったいどこに行くのかということを、私は今まで少しも考えてこなかった。今日お話を聞かせてもらって、ああ、そういうことか、と初めてわかった」と言われた。この方は正直である。
「いままでわからなかったが、そういう問題があったのだ。死んでいくおれはいったいどこへ行くのだろう」と。これが、蓮如上人がいわれる後生の一大事である。

いみじくも、大峯師の法話を聞いた人が問題とされたのは、三種の愛心である。
人は死ぬとき、三種類の愛心に心が覆われると示したのは源信僧都であった。『往生要集』の臨終行儀に、「境界と自体と当生との三種の愛」と、説かれているのがそれである。(*)
この三種の愛心については、自分の覚えに用に書き込んだ、wikiarcの「三種の愛心」から引用する。(*)

人の臨終の際に起こす三つの執着の心のこと。家族や財産などへの愛着である境界愛、自分自身の存在そのものに対する執着である自体愛、自身は死後どのようになるのかと憂える当生愛をいう。このような衆生の三種の愛心の障りを阿弥陀仏は安然として見ていられないので臨終に来迎するとされた。
法然聖人は、『阿弥陀経』の異訳である『称讃浄土仏摂受経』の「命終の時に臨みて、無量寿仏、其の無量の声聞の弟子菩薩衆と倶に、前後に囲繞し、其の前に来住して、慈悲加祐し、心をして乱れざらしむ。」(*)の文から、来迎があるから正念に住するのであり、正念であるから来迎があるのではないとされた。つまり臨終の正念によって仏の来迎を期待する説を否定されている。
親鸞聖人はこのような考えを継承発展され、

しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。(*)

と、臨終の正念ではなく、南無阿弥陀仏を称えることが正念であり、なんまんだぶを称える者はすでに摂取不捨の身であるから、三種の愛心に惑わされることはないとされた。 そして、念仏を称えて来迎を期するような者は諸行の行者であり「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。」『ご消息』(*)、とされたのである。

御開山は、臨終について自らの身にひきかえて、

まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。(*)

と、仰る所以である。
しかるに、それでもなお、自らの臨終をあんずる人がいるならば、毎夜毎夜死んでみることである。法然聖人は、

阿弥陀仏と十こゑとなへてまどろまん
ながきねむりになりもこそすれ (*)

と詠われたが、布団の中でこしかたの一日の出来事を思案するとともに、後生の一大事を、なんまんだぶ、なんまんだぶと十声称えて、頭のてっぺんから足の先まで、この一大事を阿弥陀如来にお任せすればいいのである。
朝、目が開いて、蓮の華が見えたら、はやお浄土であり、出門の菩薩行が楽しめるのである。見慣れた寝室の風景が見えたら、何じゃ、ここはまだ娑婆かと思えばいいのである。

これが、信も行も、なんまんだぶの一句に納めて下さった、念仏成仏の真宗であった。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…… これが仏道の正因である。