信の一念とは

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「無上の功徳を具足するなり」の記事で、行一念釈について書いたのだが、信の一念について、梯和上の『教行信証』信巻から窺ってみる。御開山は、第十八願成就文の「一念」を「専心」であるとされ、それを経・論・釈によって十九句をあげて釈しておられる。このような信は、とても凡夫の発起できるような信ではない。(なお、御開山は発起の発は、「むかしよりありしことをおこすを発といふ。いまはじめておこすを起といふ」とされておられる。)(*)
本願回向によって恵まれるご信心の徳をあらわすために、いろいろな信心の異名をあげ転釈されておられるのである。信心獲得という言葉があるが、もしこのような信を自己によって確立するとするならば全く不可能であるということは自明であろう。しこうして、その阿弥陀如来の選択本願のご信心は、なんまんだぶという一句に乗せられて愚昧な林遊の口先に度出して下さるのであった。

なお、信一念転釈とは、信巻末の「一念転釈」の、

しかれば願成就(第十八願成就文)の「一念」はすなはちこれ「専心」なり。(『註釈版聖典』二五二頁)

である。原文は漢文なので参考としてあげておく。

専心 即是深心。
深心 即是深信。
深信 即是堅固深信。
堅固深信 即是決定心。
決定心 即是無上上心。
無上上心 即是真心。
真心 即是相続心。
相続心 即是淳心。
淳心 即是憶念。
憶念 即是真実一心。
真実一心 即是大慶喜心。
大慶喜心 即是真実信心。
真実信心 即是金剛心。
金剛心 即是願作仏心。
願作仏心 即是度衆生心。
度衆生心 即是摂取衆生 生安楽浄土心。
是心 即是大菩堤心。
是心 即是大慈悲心。
是心 即是由無量光明慧生故。
願海平等故発心等。発心 等故道等。
道等 故大慈悲等。大慈悲者 是仏道正因故。

 

(1)専心とは、専一の心という意味で一心のことであり、無二心、すなわち無疑心であることを示されたものです。

(2)深心とは、『観無量寿経』に説かれた三心の第二心ですが、他力の三心は深心に帰一し、本願の信楽と同じ無疑の一心であることを示されたものです。

(3)深信とは、「散善義」の深心釈に「深心といふはすなはちこれ深く信ずる心なり」(『註釈版聖典』七祖篇四五七頁)といわれたように、深心は、機と法の真実を疑いなく聞き受けて深く信じている心であることを顕しています。

(4)堅固深信とは、「散善義」に「この心深信せること金剛のごとくなるによりて、一切の異見・異学・別解・別行の人等のために動乱破壊せられず」(『註釈版聖典』七祖篇四六四頁)といわれているように、何ものにも破壊されることのない堅固な信心であることをいいます。

(5)決定心とは、二種深信を表すときに、機法ともに「決定して深く信ず」といわれているように、深心の相を決定心として表されていたからです。

(6)無上上心とは、『般舟讃』に「われらが無上の信心を発起せしめたまふ」(『註釈版聖典』七祖篇七一五頁)といわれたものや、「玄義分」に「おのおの無上心を発せ」(『註釈版聖典』七祖篇二九七頁)といわれたものによって、造語されたもので、信心を「無上にして殊勝(上心)なる心」という意味で無上上心といわれたものです。

(7)真心とは、無上上心であるような信心は、如来より回向された真実心であるということを表したもので、言葉は「序分義」(『註釈版聖典』七祖篇三七四頁)や、『往生礼讃』の後述(『註釈版聖典』七祖篇七0七頁)に「真心徹到」といわれているものによられたものでしょう。

(8)相続心とは、真実の信心は、余念(自力のはからい)がまじわらないから、生涯、間断することなく相続するというので、信心の異名とされています。次の淳心とともに、『往生論註』下(『註釈版聖典』七祖篇一0三頁)の讃嘆門釈に不如実修行を表す三不信のなかに不相続心として表されていました。相続心といわれたのは、『安楽集』上(『註釈版聖典』七祖篇二三二頁)です。

(9)淳心とは、自力の虚飾のまじわらない淳朴な心ということであり、浅薄な自力の心に対して、淳厚な他力の信心を表す名称です。『往生論註』では、不如実の心として、信心不淳といわれていますが、『安楽集』では、如実の信心を表す言葉として淳心といわれています。

(10)憶念とは、一般には、心にとどめて忘れないことですが、『一念多念文意』には、「念は如来の御ちかひをふたこごろなく信ずるをいふなり」(『註釈版聖典』六九二頁)といわれており、『唯信紗文意』には、「憶念とは、信をえたるひとは疑いなきゆゑに本願ををつねにおもひいづるころのたえぬをいふなり」(『註釈版聖典』七0五頁)といわれています。すなわち憶念とは、本願を疑いなく受け容れ、思い浮かべている信心のこととみなされています。

(11)真実の一心とは、「化身土文類」に、『阿弥陀経』の一心を釈して、「一の言は無二に名づくるの言(みこと)なり。心の言は真実に名づくるなり」(『註釈版聖典』三九八頁)といわれていました。すなわち『阿弥陀経』に顕の義で説かれた一心は自力の信心ですが、隠彰の意味で読み取れば、他力真実の一心であると顕されたわけです。親鸞聖人は、信心が一心であるということを『浄土論』によって論述されています。しかし『阿弥陀経』を隠彰の義で拝読すれば、信心を一心と説かれている一面のあることを示されたものです。

(12)大慶喜心とは、『無量寿経』の「東方偈」には、「法を聞きてよく忘れず、見て敬ひ得て大きに慶ばば」(『註釈版聖典』四七頁)と説かれており、その意によって「正信偈」には「獲信見敬大慶喜」(『註釈版聖典』二0四頁)といわれています。その「大慶」について『尊号真像銘文』には、「大慶は、おほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり」(『註釈版聖典』六七三頁)といわれています。すなわち、聞くべきことを聞き受け、疑いなく信じていることを大いに喜ぶ心が信心でもあることを示された言葉です。そのような慶喜心は、人間の心から出てくるものではなく、如来から与えられた信心に自ずから具わっている喜びだったのです。

(13)真実信心とは、『往生礼讃』に深心を釈して、「すなはちこれ真実の信心なり」(『註釈版聖典』七祖篇六五四頁)といわれたものがそれです。その真実とは、如来の悲智円満の真実心をいい、そのような仏心が衆生に回向された信心であるから、真実信心といわれるというのが親鸞聖人の領解です。

(14)金剛心の金剛について、『六要妙』第一に、「金剛というは、他力の信楽堅固にして動ぜざること瞼えを金剛に仮る、これ不壊の義なり」(『真聖全』二、二一0頁)といわれています。すなわち本願力回向の信楽は、仏智であるような心ですから、堅固であって、何ものにも破壊されることがない、不破、不変、不動の徳を持っていることを金剛に喩えたといわれるのです。もともと金剛とは金剛石、ダイヤモンドですが、武器でいえば武神であるインドラの持っている金剛杵です。金剛石は最高の硬度をもっている堅固な宝石であり、ほかの何ものにも破壊されることがなく、反対にどんなものでも切ることができる鋭利なはたらきを持っています。金剛杵も鋭利な武器で、どんなに堅固な鎧でも刺し貫くはたらきを持っているといわれています。信心も、自力発起の信ならば、かならず「異学、異見、別解、別行の人等」によって動乱、破壊せられることがあります。しかし、仏智を体としている信楽は堅固であって、何ものにも破壊されないから金剛に瞼えられたわけです。

(15)願作仏心とは、仏になろうと願う心で、自利の成就を期する心です。

(16)度衆生心とは、衆生を済度しようと願う心ですから、利他の成就を期する心です。願作仏心と度衆生心は、自利と利他の成就を誓願する菩提心の両面を表したものです。

(17)衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心とは、度衆生心を説明されたものです。衆生を済度するということは、妄念煩悩を断ち切って解脱せしめ、安らかな涅槃の領域に到達させていくことです。 その涅槃の境界こそ、阿弥陀仏が大智大悲をこめて成就された安楽浄土です。五濁無仏の世界で、煩悩にまつわられている苦悩の衆生を救う道は、安楽浄土に往生せしめていくほかに道はありません。それゆえ衆生を済度するとは安楽浄土に生まれしめることであるといわねばなりません。曇鸞大師が、「かの仏国はすなはちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり」(『註釈版聖典』七祖篇一四五頁)といわれたゆえんです。

(18)大菩提心とは、願作仏心、度衆生心、摂取衆生生安楽浄土心という三種の心が、要するに自利と利他の完成を願う大菩提心の内容であるということです。とくに度衆生心を具体化した心は、衆生を安楽浄土に往生せしめようと願う心であるといわれているところに、浄土の大菩提心の特色が示されています。

これらは『往生論註』の善巧摂化章によった釈です。そこには、『無量寿経』の三輩段の無上菩提心を釈して、「この無上菩提心とは、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり。度衆生心とは、すなはち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。このゆゑにかの安楽浄土に生ぜんと願ずるものは、かならず無上菩提心を発すなり」(『註釈版聖典』七祖篇一四四頁)といわれていました。

(19)大慈悲心とは、一切衆生の苦悩を取り除いて(悲)、真実の安楽を与えよう(慈)と願う心です。それは自他一如をさとる智慧の必然としておこる心であって、大菩提心の根源となる心です。曇鸞大師は、「大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆゑに」(『註釈版聖典』七祖篇六一頁)と仰せられています。阿弥陀仏は、大慈悲心を具体化して衆生救済の本願をおこされましたが、この本願こそ阿弥陀仏の大菩提心の表現だったのです。阿弥陀仏の本願、すなわち大菩提心は、「衆生を決定して摂取する」という信楽の言葉(南無阿弥陀仏)として、私たち一人ひとりに届き、その本願招喚の勅命をはからいなく受け容れる私の信楽(信心)となって、私のうえに実現していきます。ですから、信心は大菩提心であり、大悲心でもあるのです。すでに述べたように、親鸞聖人が信楽釈で「この心(信楽)はすなはち如来の大悲心なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる」(『註釈版聖典』二三五頁)と仰せられたとおりです。

こうして最後に、「この心すなはちこれ無量光明慧によりて生ずるがゆゑに」(『註釈版聖典』二五二頁)といわれた「この心」とは、遠くは転釈のはじめの一念から、近くは大慈悲心まで、すべてを承けた言葉であって、要するに大慈悲心であり、大菩提心であるような信心は、凡夫の心から出てくるものではなくて、阿弥陀仏の「無量光明慧」によって生じてきた心であって、その本体は不可思議の仏智であるような信心であると結論づけられるのです。なお「無量光明慧」という言葉は、龍樹菩薩の「易行品」(『註釈版聖典』七祖篇一五頁)から採られたものです。

資料としての本文はWikiArcの「一念転釈」(*)にある。

襟巻の あたたかそうな黒坊主

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口の悪い一休宗純師が、御開山のお木像を見ての、

襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり。

との、句があるそうである。
信疑未詳の句だが、いわゆる襟巻きとは帽子(もうす)である。御開山の肖像の場合は、ほぼ襟巻きであるように見える。
で、家内が、酔っ払ってついつい炬燵で転寝して朝になる林遊に、襟足が寒いと風邪ひくわよ、とのことで御開山みたいでしょ、と首巻きを買ってきてくれた。
素材はたぶんポリエステル系なのだろうけど、肌ざわりがぴったりくるので愛用している。御開山の帽子はたぶん真綿という絹由来だと思うけど、起毛の肌触りだけは御開山に勝ったかもなと思ふ(笑

ちなみに画像は、御開山が熊皮を敷いておられることから熊皮のご影と呼称されている。
面白いのは、珠数をつまぐっておられるところである。そもそも珠数とは念仏の数を計算する加算器であって、念仏の数を親指でつまぐって念珠の数を数える道具である。珠数を一巡したら、珠数の下部にある珠を一つ下げ、珠数の数x下部の珠だけ、なんまんだぶを称えたことを知る加算器であろう。
法然聖人は、『一百四十五箇条問答』で、一日に称える、なんまんだぶの数を定めるのは善いことでしょうかという問いに、数を定めなかったら懈怠になるから数を定めるのは善いことですよと仰っておられる。
もちろん、一声の、なんまんだぶで往生決定なのであるが、「信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはけむ」(*)のが、なんまんだぶであろう。御開山は信を強調されるが決して、なんまんだぶを称えるという行を軽視したのではなかった。
後年、後継者が鎮西浄土宗との差別化をはかるために、あの阿弥陀如来の覚りの世界から回向される救済の教法である、なんまんだぶを受け容れることの信心を強調して、行無き仏教を説くから浄土真宗は衰退したのであろう。
あまつさえ、大谷派の莫迦坊主どもは、御開山の仰る往生浄土の真宗の往生を現世にとるから莫迦である。汝らは宗祖の描いておられる、あの不可称、不可説、不可思議の覚りの世界である浄土を、凡愚の思義の世界に引きずり降ろしているのだが、莫迦は莫迦だから如何ともしがたい。多分真宗を呼称して宗名に浄土の文が欠けているからであろう。

 

無上の功徳を具足するなり

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林遊は読経坊主ではないので、『無量寿経』を読誦すると約一時間半ほどかかる。もちろん最近の坊さんが読誦する中抜きの経ではない。
そしていつも思うのだが、自分だけで味わって読む場合は、発起序の五徳瑞現と第十八願と中ほどの本願成就文、そして流通分の『無量寿経』の結論である、乃至一念の念仏大利を読むだけでいいのではないかと思ふ。

五徳瑞現とは、釈尊の侍者である阿難尊者が、ある日釈尊が通常と違うお姿を示されたので、いぶかしく思い、その理由を釈尊に尋ねられた一節である。

「〈今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍々とましますこと、あきらかなる鏡の浄き影、表裏に暢るがごとし。威容顕曜にして超絶したまへること無量なり。いまだかつて瞻覩せず、殊妙なること今のごとくましますをば。
ややしかなり。大聖、わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり。去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なんがゆゑぞ威神の光、光いまししかる〉と。
ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。
仏ののたまはく、〈善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、真妙の弁才を発して、衆生を愍念せんとしてこの慧義を問へり。如来無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。無量億劫に値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほし霊瑞華の時ありて時にいまし出づるがごとし。いま問へるところは饒益するところ多し、一切の諸天・人民を開化す。阿難まさに知るべし、如来の正覚は、その智量りがたくして、導御したまふところ多し。慧見無碍にしてよく遏絶することなし〉」と。(*)

いわゆる、「去来現仏 仏仏相念」と、過去・現在・未来の仏と相念じたまう釈尊の姿を拝謁した阿難尊者の問いが無量寿経の説かれた縁由である。御開山は「正信念仏偈」で「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と讃詠されておられる。

ここで釈尊は、「如来無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。」と、仏陀が世に出興する所以(理由)は、「真実の利をもつてせんと欲してなり」であると述べられる。以下長々と阿弥陀仏についての説教があるのだが、要をいえば、『無量寿経』とは、真実の利を説くということである。

この真実の利益(りやく)とは何かということは、『無量寿経』の教説を後世に伝えるエッセンスである「流通分」を見れば判る。
『無量寿経』の主題の教旨を釈尊の教説を、未来の衆生に告げる役割の弥勒菩薩に付属されるのが以下の文である。

 仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。
このゆゑに弥勒、たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて歓喜信楽し、受持読誦して説のごとく修行すべし。(*)

『無量寿経』の当初(五徳瑞現)で釈尊が「群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり」と仰った真実の利(大利)とは、阿弥陀如来の<み名>、なんまんだぶを称え、そして聞くことであったのである。それが、真実の利である「大利を得」ということなのである。無明の闇に閉ざされた心に、声と言葉になって顕現してくださるのが、なんまんだぶの一声・一声である。

この一声を御開山は行の一念と仰るのである。以下の「行一念釈」は、あきらかに「信一念釈」と対応しているのが判る。

 おほよそ往相回向の行信について、行にすなはち一念あり、また信に一念あり。行の一念といふは、いはく、称名の遍数について選択易行の至極を顕開す。(*)

最近は、僧俗ともに「信心正因」の語に幻惑されてからか、信一念ばかりを論じ、『無量寿経』流通分の弥勒付属の一声を軽視しているように思ふ。

御開山は、この行の一念を釈して、

 『経』(大経)に「乃至」といひ、釈(散善義)に「下至」といへり。乃下その言異なりといへども、その意これ一つなり。また乃至とは一多包容の言なり。

大利といふは小利に対せるの言なり。無上といふは有上に対せるの言なり。まことに知んぬ、大利無上は一乗真実の利益なり。小利有上はすなはちこれ八万四千の仮門なり。
釈(散善義)に「専心」といへるはすなはち一心なり、二心なきことを形すなり。「専念」といへるはすなはち一行なり、二行なきことを形(あらわ)すなり。いま弥勒付属の一念はすなはちこれ一声なり。一声すなはちこれ一念なり。一念すなはちこれ一行なり。一行すなはちこれ正行なり。正行すなはちこれ正業なり。正業すなはちこれ正念なり。正念すなはちこれ念仏なり。すなはちこれ南無阿弥陀仏なり。(*)

と仰っておられる。
もちろん御開山の仰るように、本願力回向のご信心とは、因としての仏心であり、「願作仏心 度衆生心」の他力の菩提心であり、信心仏性でもあるから、信一発の時、往生成仏は定まるのである。

しこうして、その信の本体とは、本願力回向のなんまんだぶである。
御開山が、「無量寿経」の宗を本願であるとし、名号がその体であると示された所以である(*)。この「無量寿経」の体であるなんまんだぶを称えさせ聞かしめようというのが本願である。これが「大利無上は一乗真実の利益なり」であった。

なんまんだぶを称える人生は、まさに御開山がなんまんだぶを讃嘆しておられるように、

 しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。(*)

なのである。
ほぼ無限といわれる阿僧祇劫の時を経て仏になる道ではなく、すみやかに、往生成仏の大般涅槃を証し、還相の菩薩として普賢の徳を行ぜしめる本願の大道であった。「還相の利益は利他の正意を顕すなり」(*)とされる所以である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

 

親鸞思想 不当に拡大

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親鸞思想不当に拡大

 

梅原猛氏の浄土教に対する考察には、ちょっと?の部分があるのだが、若い頃は「梅原猛著作集」のシリーズの配本を受けてたりした。大谷派の坊主が常に機の深信の話をするので「地獄の思想」というものに興味があったからである。
もっとも内容は、ほぼ完璧に忘れていたりする(笑

明治以降の近代化という波のなかで、世間の死生観が変化したこともあり、それに対応するため、言葉を変えて世俗に迎合するために近代教学というものが生まれたのであろう。中学生の頃、爺さんの本箱から、清沢満之師の「我が心念」という小著を引っ張り出して読み少しく感動し、我が家のなんまんだぶの御開山って宗教は、あまり莫迦には出来んなと思ったこともある。

しこうして、色々紆余曲折はあったのだが、俵山の和上の梵声猶雷震という驚くべきご法義の規矩に出遇って、一人の愚か者として落居したとき、なんまんだぶを称え仏陀になるという教説を領解することが出来た。
爾来、暇つぶしでお聖教を拝読し、これはこれはと、よく組んであるなと御開山の「教行証」を披いて浄土教の綱格を学んでいたりする。

そんなこんなで、近代教学や現代教学を論ずる前に、御開山聖人や、なんまんだぶを称えて生死を超えてきた名も無き群萌に、自らの想いを同値する道もあるのであろう。
林遊が坊主を嫌いで攻撃する訳は、本願に選択摂取して下さった、なんまんだぶを称える門徒を坊主が揶揄し軽侮するからである。林遊が在家の身でありながら、せめて坊主程度にはお聖教を拝読し、浄土真宗のご法義はなんまんだぶを称える御宗旨ですと、ありもしない信心に狂っている坊主に、なんまんだぶに乗せられた本物のご信心をぶつけるためでもあった。

坊主ほど、なんまんだぶを称えない奴はいないのだが、特に大谷派の近代教学とやらに毒された莫迦坊主は始末のしようがないな。

念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ

坊主が、口角泡をとばして信心を論ずるまえに、お前は、なんまんだぶせぇやと思ふ日々ではある。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

汝一心正念にして直ちに来れ

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良寛さんの漢詩を味わっててふと思ふ。

漢文に比べて現代語とか読み下し文は、判り易い。しかし漢字という文字の個々の意味に対しての考察が足りなくなるように思ふ。もちろん情緒的な詩文と宗教言語と表現形式の違いはあるのだが、漢文は単純な分だけ意味の深さを探れるように思ふ。
と、いうわけで『愚禿鈔』(*)から二河譬の「汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん」の漢字の意味を窺ってみる。
この一文は林遊に対して、汝と呼びかれられるところが好きなので時々暗誦していたりする。いわゆる、汝としての自己の発見である。

汝一心 正念直来 我能護

「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」といふは、

「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。

」の言は行者なり、これすなはち必定の菩薩と名づく。

龍樹大士『十住毘婆沙論』にいはく、「即時入必定」(*)となり。
曇鸞菩薩の『論』には、「入正定聚之数」(*)といへり。
善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」(*)といへり。

一心」の言は、真実の信心なり。

正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行(*)なり、金剛不壊の心なり。

」の言は、回に対し迂に対するなり。
また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。

」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。

」の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり。

」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。

」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなはちこれ現生護念なり。

浄土真宗のなんまんだぶのご法義は、本願力回向の宗義であるから求道ということはあり得ないのである。ところが『観経疏』散善義の回向発願心釈に二河白道の譬えがあるので、これを求道と勘違いする輩が時々いる。こういうと、それでは聴聞は求道ではないのかと時々問う輩がいる。浄土真宗の聴聞は因位の阿弥陀如来(法蔵菩薩)が五劫兆載永劫かかって選択摂取して下さった願心を聴くのである。これを素直に聴けば聞えるのであるが、自らが求道という蟻地獄に嵌っている人には聞えないのであろう。
そもそも聴聞とは、法蔵から弥陀へという仏願の生起本末を聞くのである。この聞が信である。浄土真宗というご法義は、私の側の話ではなく、私の思いと無関係に、阿弥陀仏が一方的に願心荘厳と浄土を建立して、「汝一心正念にして直ちに来れ」というのである。
汝の生き方や思想・信条・善悪・賢愚・老少等々を問わず、唯々なんまんだぶを称えて来いというのである。
御開山は正念を、「第一希有の行」とお示しなのは、なんまんだぶを称えて本願の大道を歩んで来いということである。「第一希有の行」と菩薩や声聞や縁覚まして凡夫の修す行ではなく、第十七願の諸仏の行である南無阿弥陀仏を行じるから希有の行と仰せなのである。これが大行なのである。

この諸仏の行である、なんまんだぶが私の上で行じられる受け心を、選択摂取の本願と言い、一心とも金剛不壊の心ともいうのである。声となった、なんまんだぶは救いの行法であり、それを受け容れて、「念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」(*)である。この摂取不捨のゆえに「即時入必定」とも「入正定聚之数」ともいい、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」と讃じてくださるのである。

それにしても、利他力のご法義をお伝えする僧分が、二河譬をよく理解していないから、「凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近」(おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず)(*)という絶対平等の救いを説ききらず、二河白道の道の言葉に拘泥して求道という概念を二河譬に導入したのかもと思っていたりする。いわゆる近代教学に毒されて自らを啓蒙する指導者であると誤解したからなのであろう。

二河譬は、乗彼願力之道(かの願力の道に乗ず)る譬喩であり、求道を表現している譬えではないのである。

本尊は、なんまんだぶです

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林遊は名号フェチではないのだが、一部で

「コピー&ペースト正本尊」(*)とか「本物の六字名号」(*)とかで迷う者がいるので、

文字としての名号本尊論を揶揄してきたものである。
批判の対象は、蓮師の「木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり」の名号を誤解して、南无阿弥陀仏という字に拘泥する輩に、汝らは口業の、なんまんだぶの救済を知らざるやという意味であった。
本願を信じ、念仏を申して、仏になるという、本願力回向のご法義が浄土真宗というご法義である。この原則を受け容れた者に開顕される救いが、回向された仏心である信心のご法義である。頭の悪そうな真宗坊主が信心正因と説いて僧俗を迷わせているが、御当流は、なんまんだぶを称えるご宗旨である。
そんなこんなで、暇なので御開山の揮毫された名号をUPしてみた。

名号画像

 

廻因向果から廻思向道へ

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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本願寺派の『註釈版聖典』二版では二河譬の合譬で、

ただちに西に向かふ〉といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。(*)

の、回しての脚注は「ここでの「回」は、回転、回捨の意。 ひるがえし捨てて。」となっている。この「回諸行業」とはもろもろの雑行をひるがえし捨てる、という意味である。

しかして、この回(え)す、という言葉の意味が判りにくい。回(廻)ということは方向を転換するという意味である。これについて『親鸞の世界』(東本願寺出版部)という本の説明が判りやすいのでUPしてみた。
この本は、御開山の七百回忌を記念して、鈴木大拙師、曾我量深師、金子大榮師の鼎談を西谷啓治師が司会されたものである。二十代の頃、じいさん(父親)の本箱から引っ張り出して読んだものだ。当時は、なんまんだぶを称えるご法義の凄さが解らずに、この本を縁として禅に興味を持って、もっぱら鈴木大拙師の禅関係の本を読んでいたものである(笑

二河の譬

西谷 そこでさっきの曽我先生のお話で自利・利他ということですが、そのまえに、廻向といふうなことには二つの意味があると言われましたですね。廻因向果、それから廻思向道ですね。これはやはり衆生の側の廻向ということに……。

曾我 はあ。自力を捨てるということでですね。廻思向道ということは「二河讐」のところから出てきてますね。「二河讐」のはじめには、やはり廻因向果の道しかわからないですわね。廻因向果の道しかわからぬともがらは、ただ経文を読むべからずですね。

西谷 しかし、普通の、つまり人間……。

曾我 そうです。普通の人間相互の関係ですね、そのいろいろの関係を、人間と仏との関係に応用してきた。それが廻因向果であります。その廻因向果という道を歩こうとすると、まったくもう、「ただこれ自力にして他力の持(たも)つなし」という、本当の孤独というものになるですね。ところが、だんだんその孤独というところに徹してくる。
『二河譬」(『観経疏』散善義)でいいますと、はじめには道は近くて、彼岸はもう目の前にありますけれども、火の河・水の河がおそろしいと、その中間に道があるけれどもその道は狭小であって、とても渡ることができない。それは廻因向果の道では狭いんです。果はすぐ目の前にあるわげですわね。その目の前に果が見えるもんだからして、因を廻らして果に向かおうとするのだけれども、そこに火の河・水の河が道を湿おし、道を焼いて、そうして、さなきだに狭い四、五寸の道が、一寸一分にもおよばん狭いものになる。廻因向果の道としてみるときになれば、まったくそれはもう、行かれませんですよ。一足先へも行くことができない。それをさらに徹していくんでししょう。それでまったく行きづまってしまう。

で、「我いま廻(かえ)らばまた死せん、住(とど)まらばまた死ぜん、去かばまた死せん」、三定死といいます。とどまっても定んで死すると、前に進んでも定んで死すると、左右へ逃げても定んで死すると、死ぬということが決定していると。どっちにしても決定している。つまり廻因向果でもってまったく行きづまったと。その行きづまったときに、いわゆる窮して通ずるという、そういうことが出てくるんでありましょう。それでこの、
「一種として死を免れざれば、我むしろこの道を尋ねて、前に向うて去(い)かん」と。どうせ死ぬのであれば、死を覚悟して、この道をたずねていこうと、こう自分が決心した。その決心を、それを廻思向道というのでありましょう。廻因向果から廻思向道へ転じた。そういうんですね。廻因向果の廻向心から廻思向道の廻向心に転じた。つまり自力の廻向心から他力の廻向心に転じた。そういうんであります。

三定死をくぐって、そうして死ぬということが決定するならば、逃げて死んだり、横向きになって避けて死んだりするよりは、前向きになって死んだ方がいいと。同じ屍をさらすものならば、前向きになって屍をさらしたいと、こう覚悟したんでありましょう。そのように覚悟したら、そのときに「東の岸に忽ち人の勧むる声を聞く、なんぢただ決定してこの道を尋ねて行け、かならず死の難無けん」と、東の岸の発遣の命令。それと同時にまた「西岸の上に人有って喚んでいわく、汝一心正念にして直ちに来たれ、我よく汝を護らん、すべて水火の難に堕することを畏れざれ」と。この人すでにここに遣わし、かしこに喚ぼうを聞いて、水火二河を畏れず、そうして西に向かってすすんでいったと。それをつまり廻思向道というんです。廻因向果の道から廻思向道という、白道四、五寸の道がそのままその本願の大道になった。そういうんでありまして、「二河譬」に出ているんです。同じ屍をさらすなら、横向きや後向きは恥をさらすだけだと。そうでなくして、前向きにすすんだら、おなじ死んでもとにかく正しい死に方である。ですから死を覚悟して、すすんでいこうと決心した。そうですわね。そうすれば『歎異抄』の第二章とおなじでありましょう。「いずれの行もおよび難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」と、そして「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず」と転じてきます。弥陀と釈迦と出てきますね。二尊の勅命を聞いて、そうして水火二河をかえりみない。おそれもせず後退もしないと。まっすぐに一心一向に進むと。ふりかえることはもちろんのこと、横も、右も左も向かずに、まっすぐに行くと。まっすぐに行けば、もうその道は狭い道じゃなくて、本願の大道である。それを廻思向道というのであります。

西谷 そこではじめて、如来の声を聞くという……。

曾我 ええ、如来の本当の声を聞くと。いままでは、ただお経にそういう文字があるということだけ考えている。ところがその経文の文字が生きた声、生きた言葉になった。廻思向道というところに生きた声になった。廻因向果のところではただ死んだ文字でありましょう。それは経文が死んでいるんでありましょう。ところが千年も二千年も昔の経典でありますけれども、その経典が生きてくるんでありましょう。

西谷 それはつまり如来の大悲に触れたというふうにいってもいいわけでしょうか。

曾我 それは「聞其名号信心歓喜」(『大経』下巻)といいます。南無阿弥陀仏といいます。経の体、南無阿弥陀仏であると。
「是を以て、如来の本願を説くを経の宗致と為す、即ち仏の名号を以て経の体とするなり。」と、「教の巻」には釈遡・弥陀二尊について、『大無量寿経』の大意というものを述べております。「この経の大意は」と、それから「是を以て」と、経の大意から推していくんです。推していくならば、「是を以て、如来の本願を説くを経の宗致と為す」と。
その本願を以て経の宗致とするならば、「即ち」と、即ちで抑さえたんですね。「即ち」と宗を抑さえて、「即ち仏の名号を以て経の体とする」のであると。ですからいままではただ、お経を読んでもお経の言葉というものが死んだ言葉であった。その死んだ文字が生きた言葉になる。廻因向果などというときは、どうしても「ただ是れ自力にして他力の持つなし」(『論註』上巻)ということになりますが、廻思向道へくると、はじめて本願他力の大道というものを発見する。大道を発見したということは、「如来の本願を説くを経の宗致と為す、即ち仏の名号を以て経の体とする」という、そういうことに目を開いた。

ここで曾我師が述べておられるのは、廻因向果(因をめぐらして果に向かう)と、廻思向道(思いをめぐらして道に向かう)ということの違いについてである。
なんまんだぶのご法義は、本願力回向のご法義であって、善根を積むという因をめぐらして果に向かうようなご法義ではない。二河の譬喩によってあらわされる、廻因向果から廻思向道へということは行為の主体が転換するするということである。
人間の世界は、因を修して果へ向かうという、いわゆる因果の法則の支配する世界である。 曾我師が仰るように、このような人間世界の対人関係性の論理を阿弥陀如来の救済に関連づけるから、凡夫の口先に称えられている仏智の顕現としての、なんまんだぶつを見失うのであろう。

御開山は、浄土真宗の宗体を決示して、

ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。(*)

と、『無量寿経』の体(本体)は、なんまんだぶであるとお示しである。阿弥陀如来の救済の法は、なんまんだぶなのである。念仏成仏これ真宗である。
この、なんまんだぶの成仏の法は、いつでも、どこでも、だれにでもという無始無終の救済法であり、この永遠の救いの法が、たまたま私に中(あた)る<>を信心というのである。
永遠には時間は存在しないのであるが、その永遠の救いの法が、有限な時間的存在である私と接点を結んだときには時間が立つ。御開山が、「信一念釈」で、「信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕」(*)すと仰った所以である。

浅原才市さんが、「ねんぶつの、ほうから、わしのこころにあたる、ねんぶつ。」と言われたように、なんまんだぶの救いの法が、私の心に中(あた)る時、「すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」(*)なのである。

御開山が、『行巻』「大行釈」で、

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。(*)

と、仰っているのは、自らの行為によって拵えた因によって果を獲ようとする「廻因向果」ではなく、阿弥陀如来の選択摂取して下さった、なんまんだぶの本願に思いをめぐらして大道に向かうという「廻思向道」という主体の転換をあらわす言葉だったのである。本願によって選択摂取された、なんまんだぶを称える行こそが「往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなり」(*)である。御開山が自らの主著を『教行証』と呼ばれた所以である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

煩悩や なにかつかまな さみしいか

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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前川五郎松っあん。
ばあちゃん(母親)が懇意にしていたので、自宅へ来て頂いたり訪問したりのときに運転手役をさせられたものだ。
飄々とした爺さんだったが、偽者のこしらえた信心を見分けるのが得意であり、優しさの中にありながら厳しい人だった記憶がある。
以下の詩には題名がないのだが、文中の一文を採って「煩悩や なにかつかまな さみしいか」としておく

夕立や 降りよが足らんで あがらんぞ
よろこびや どこまでつづく 狸爺々
ありがたや ありがたいのを どうするの
ありがたや ありがたいのが いのちとり

煩悩や なにかつかまな さみしいか
狸爺々 なにかつかむと うれしいか
弥陀仏を あてにしてると はずれるぞ
おたすけや われが力きむと つな切きれる

そのままや わがまま気ままと まちがうな
わがままを このまま救いと たわけるな

なあ爺々や 聞こえたつもりが あぶないぞ
わが心 知れた思いが 買いかぶり
凡夫とは わが身を許いて 高いびき
知れたとは わが身にこわくて 泣く人を言う

青空に たこはあがれど ひもつきじゃ
こら爺々 爺々の安心 ひもつきじゃ
この爺々は 頭さげれど ひもつきじゃ

これほどに よろこばれるのが 危ないぞ
これほどに よろこばれるのが いのちとり
これほどに これまでつかんで すわりこむ

念仏は 聞けよ聞けよの 誘いだし
誘われて 断りするのに いそがしい
阿弥陀さん 呼ばずに 居れん業なひと
この爺々は 呼べど こがせど 逃げまわる
つまずきは 忘れ心に ごさいそく
悲しみは 親に賜る知恵袋  「一息が仏力さま」より

 なんまんだぶのご法義は、自己のこしらえた固く堅く思い固めた信心から開放するご法義なのだが、 自我の確立という視点で信を考えるととたんに判らなくなるんだろうな。とはいえ、他力の語に騙されて能称のなんまんだぶをを否定する輩にも困ったものだ(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

光明と名号と信心

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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法然聖人の語録を拝見していると、御開山が仰っていることは法然聖人が述べられたことを敷衍して整理発展してなさるんじゃなと思ふ。
御開山は、五願立法といって、根本の第十八願を、第十一願、第十二願、第十三願、第十七願、そして本願力による還相の第二十二願を釈されておられる。
このうち、第十八願の念仏往生の願は当然として、第十二願、第十三願、そして諸仏称揚の願の第十七願をあげておられるのは法然聖人が先駆であった。法然聖人が『三部経大意』(*)に明かされる願の意図を御開山が正確に相承された結果であろう。

さて、浄土真宗における救いは何であるかであるが、それは名号(なんまんだぶ)である。時々「信心正因」の語に幻惑されて、ありもしない信心なるものを自らの心に問うのであるが、これは間違いである。救いの法(なんまんだぶ)を抜きにして信心を論ずるから訳が判らなくなるのである。「以光明名号 摂化十方 但使信心求念」(礼讃)であって浄土真宗の信心とは、名号(なんまんだぶ)が私のものになったところを論ずるのである。古人が、「名号の機にあるのを信心という」と示される所以である。
と、いうわけで、法然聖人の『三部経大意』から、御開山の「両重因縁釈」の元になった文章を引用してみる。

つぎに名号をもて因として、衆生を引摂せむがために、念仏往生の願をたてたまへり。第十八願の願これなり。その名を往生の因としたまへることを、一切衆生にあまねくきかしめむがために諸仏称揚の願をたてたまへり、第十七の願これなり。
このゆへに釈迦如来のこの土にしてときたまふがごとく、十方におのおの恒河沙の仏ましまして、おなじくこれをしめしたまへるなり。しかれば光明の縁あまねく十方世界をてらしてもらすことなく、名号の因は十方諸仏称讃したまひてきこへずといふことなし。
「我至成仏道、名声超十方、究竟靡所聞、誓不成正覚」{大経巻上}とちかひたまひし、このゆへなり。しかればすなわち、光明の縁と名号の因と和合せば、摂取不捨の益をかぶらむことうたがふべからず。
このゆへに『往生礼讃』の序にいはく、「諸仏の所証は平等にして、これひとつなれども、もし願行をもてきたしおさむれば、因縁なきにあらず。しかも弥陀世尊もと深重の誓願をおこして、光明・名号をもて十方を摂取したまふ」といへり。

この法然聖人の『三部経大意』の意を正確に相承されたのが、以下の御開山の両重因縁釈」(*)である。

 まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしといへども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。
真実信の業識、これすなはち内因とす。光明名の父母、これすなはち外縁とす。内外の因縁和合して報土の真身を得証す。ゆゑに宗師(善導)は、「光明名号をもつて十方を摂化したまふ、ただ信心をして求念せしむ」(礼讃 六五九)とのたまへり。
また「念仏成仏これ真宗」(五会法事讃)といへり。また「真宗遇ひがたし」(散善義 五〇一)といへるをや、知るべしと。
現代語:
(阿弥陀仏という名は、念仏の衆生を摂取して捨てないといういわれを顕しているということによって)次のような事柄を知ることができました。阿弥陀仏の徳のすべてがこもっている慈父に譬えられるような名号がましまさなかったならば、往生を可能にする因が欠けるでしょう。また念仏の衆生を摂取して護りたまう悲母に譬えられるような光明がましまさなかったならば、往生を可能にする縁がないことになりましょう。

 しかしこれらの因と緑とが揃っていたとしても、もし念仏の衆生を摂取して捨てないという光明・名号のいわれを疑いなく信受するという信心がなければ、さとりの境界である光明無量の浄土に到ることはできません。信心は個体発生の根元である業識に譬えられるようなものです。それゆえ、往生の真因を機のうえで的示するならば、真実の信心を業識のように内に開ける因とし、母なる光明と父なる名号とは、外から加わる法縁とみなすべきです。これら内外の因縁がそろって、真実の報土に往生し、仏と同体のさとりを得るのです。

 それゆえ善導大師は『往生礼讃』の前序に、「阿弥陀仏は、光明と名号をもって十方の世界のあらゆる衆生を育て導いてくださいます。そのお陰で私たちは、その救いのまことであることを疑いなく信受して往生一定と浄土を期するばかりです」といわれ、また『五会法事讃』には、「念仏して成仏することこそ真実の仏法である」といわれ、また『観経疏』には、「真実のみ教えには、私のはからいで遇うことは決してできない」といわれています。よく知るべきです。

浄土真宗は、念仏抜きの「信心成仏是真宗」の御法義ではないのである。
私の口先に、なんまんだぶ、なんまんだぶと称える/称えられる行業が、
「安養浄土の往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。正因といふは、浄土に生れて仏にかならず成るたねと申すなり。」(*)であったのである。ちなみに御開山が信心正因とおっしゃるのは、大乗仏教の結論である『涅槃経』の教説によって、悉有仏性を信心仏性と言いたいためであった。(*)

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

和語灯録あれこれ

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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法然聖人の語録『和語灯録』を編集中。

当時は文章を読むという行為は声に出すということだったそうだが、自らが発した言葉を自らが聞くということを大事にしたのであろう。そもそも、人類が文字を使い始めたのは5千年ほど前からとされ、人は眼から入った文字情報を脳内で音に変換して認識しているといわれる。
この眼からの文字情報を、音に変換する機能がうまく働かない人を指して識字障害というそうだが、言葉とは本来、耳で聞くものであって眼で認識するものではないのであろう。
ただ、漢字は象形文字であるから眼で表象情報を得るのだが、それを言葉の領域に導入して概念化するには音に変換する必要があるのだと思ふ。小学生の頃に朗読の宿題というものがあったが、言葉は音であるということを知らしめる意味もあったのであろうと思ふ。
そのような意味では、法要で坊主が自分自身で意味も判らずに経典を音読するという行為にも意味があるのであろう。

と、いうわけで800年ほど前の法然聖人の語録であるが、声に出して読むと耳底に響くものがあると思案していたりする。聞其名号の「梵声悟深遠 微妙聞十方」(浄土論)の、なんまんだぶではあるな。

ちゅう訳で『和語灯録』の三部経釈は、「三部経大意」と少しく趣旨が違うので、御誓言の書(いわゆる一枚起請文)以下をリンクしておく。

御誓言の書