言葉は長い間使われているうちに意味の拡散が起こり、本来の意味とはかけ離れた意味で使用されることがあります。浄土真宗で阿弥陀如来の救済力をあ らわす他力本願という用語もこのような言葉の一つです。
本来的には他力という言葉は、主体(仏:救済する者)と客体(衆生:救済される者)を自と他に分け、仏である自から衆生を他とした言葉で す。
自である阿弥陀如来の救済力が、如来からみて他である衆生を救済し続ける本願力を他力と表現したのです。阿弥 陀如来を中心とした秩序のある世界観を表わす言葉だったわけです。
他力の他は私なのです。自他が逆転しているのです。仏から汝と喚(よ)び続けられる存在が他なのです。このような意味で親鸞聖人は 「他力というは如来の本願力なり」と仰られたのです。
これは親鸞聖人の「本願力=利他力=他力」という思想の根幹である『浄土論註』覈求其本釈によっています。