『教行証文類』行巻 大行釈引文に、『無量寿経』を引文し、
其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転
(その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に至る)(*)
と、ある。
この文から、ふと法然聖人の仰った以下のエピソードを思い出した。
其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転
といふ文あり。漢朝の玄通律師というものあり、小乗戒をたもつものなり。遠行して野に宿したりけるに隣坊に人ありて此文を誦しけり。玄通これをきゝて、一両遍誦してのちに、おもいいづることもなくしてわすれにき。
そのゝち玄通律師戒をやぶりて、そのつみによりて閻魔の庭にいたれる。
そのときに閻魔法王ののたまわく、なむぢ仏法流布のところにむまれたりき。所学の法あらば、すみやかにとくべしと高座においのほせられしきときに、玄通高座にのほりておもひまわすに、すべてこころにおほゆることなし。
むかし野宿にてきゝし文ありき。これを誦してむとおもひいでて、「其仏本願力」と云ふ文を誦したりしかば、閻魔王たまのかぶりをかたぶけて、こは西方極楽の弥陀如来の功徳をとく文なりといひて礼拝したまふと云々。
願力不思議なること、この文にみえたり。仏語弥勒、其有得聞、彼仏名号、歓喜踊躍、乃至一念、当知、此人為得大利、則是具足無上功徳といへり。
弥勒菩薩にこの経を付属したまふには、乃至一念するをもちて大利旡上の功徳とのたまえり経の大意この文にあきらかなるものか。『三部経大意』
「往覲偈」(東方偈)(*)中の文と、釈尊が『無量寿経』流通分(*)で、弥勒に、大利無常の功徳である、なんまんだぶの一念(一声)を付属される文である。
其仏本願力の文は、昔は「破地獄の文」といい納棺の時に棺桶に入れてたものだが、最近は納棺勤行そのものを見る機会がないな。なんまんだぶが無上の功徳であるという事の意味を知らない人が増えたせいかもなあ。
こんなこと書いてると、谷派の近代教学の曽我至上主義者や、本派の現代教学の信楽一辺倒の坊さんから苛められるかもな(笑
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ