不可以少善根福徳因縁得生彼国

林遊@なんまんだぶつ Posted in 管窺録
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不可以少善根福徳因縁得生彼国
(少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。)(*)
(現代語:わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生れることはできない。)

『阿弥陀経』にある言葉である。高森会の言う善のすすめという呪縛にあえいでいる人に、この言葉を知って欲しい。『阿弥陀経』は小部の経典であるから、さほど苦労せずに読めるから是非一度読んで欲しいものだ。
さて、御開山のおこころに依れば、『観無量寿経』に説かれる、

① 世福(せふく)(世俗の善)。父母に孝行を尽し、師長(師や先輩)によく仕え、慈悲心をもち、善行を修めること。

② 戒福(かいふく)(小乗の善)。仏・法・僧の三宝(さんぼう)に帰依し、すべての戒を守って威儀(いぎ)を正すこと。

③ 行福(ぎょうふく)(大乗の善)。菩提心をおこし、大乗経典を読誦(どくじゅ)して浄土往生を願うこと。

の三福は、少善根であり、大願清浄の報土に往生する善ではないとされる。それは、『阿弥陀経』に、少善根福徳因縁では往生できないとあるからである。往生浄土ほどの一大事が、高森会の言う善のすすめなどでは成就する筈がないからである。高森会の会長は言うであろう。難信金剛の信心は30年や40年聞いても得られるものではない、と。しかれば、汝に問いたい。寺に生まれながら仏とも法とも知らず、青春の覇気に促がされ華光会に於いて18歳で信心獲得したという汝の体験は嘘であったのか。(*)
一時の感情の爆発を獲信と妄想したのであろうが、「細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をなが」(*)すことを怠った ゆえに、今晩聞いて今晩助かるご法義を無限遠点の救いであると会員を騙すようになったのであろう。

なにはともあれ、三願転入という名目に騙され出来もしない善に迷っている会員に、我だけが救われたいというような凡夫の有漏の善では往生浄土は100%無理であると言おう。本願名号正定業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。)とあるように、なんまんだぶを称えることが往生を決定する行業(おこない)である。
なぜなら、なんまんだぶは、阿弥陀如来が選択摂取して下さった私の行であるからである。私が選び私が決定するなら私の選択は間違えることもあるが、如来が選択して下さった行であるなら間違いはない。

御開山は、なんまんだぶが、多功徳・多善根・多福徳因縁であることを、元照律師の『弥陀経の義疏』を引文して、重ねて阿弥陀如来の名を称えることをお勧めである。(*)

泣きながら、もうお金がないんです、親鸞会では必堕無間と言いますが、お金を出せない私は地獄へ真ッさかさまに堕ちるのでしょうか、と訴えてきた高森会の会員である老婆がいた。
堕地獄の恐怖をあおり、本物のあらゆる衆生を摂取する阿弥陀さまの第十八願への道を遮蔽してきた高森会の指導者および会員の罪は深い。真実のご法義を妨げることは、誹謗正法であるのだが、浄土真宗の回向される行も信もいっぺんも考えてみたことのない高森顕徹氏には理解不能だろうな。痛むべし悲しむべし。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ