『和語灯録』に「往生大要抄」という法然聖人の法語がある。
この法語の中で、法然聖人は信心の様相を示し、信心とは感情の妄想爆発ではないとお示しである。
おほかた此信心の様を、人の意(こころ)えわかぬとおぼゆる也。心のぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申すはひが事にてある也。それは歓喜・随喜・悲喜とぞ申べき。
信といは、うたがひに対する意にて、うたがひをのぞくを信とは申すべき也。みる事につけても、きく事につけても、その事一定さぞとおもひとりつる事は、人いかに申せども、不定におもひなす事はなきぞかし。これをこそ物を信ずるとは申せ。その信のうへに歓喜・随喜などもをこらんは、すぐれたるにてこそあるべけれ。『往生大要抄』(*)
信心が生ずれば、天にも地にも躍りあがりたいような踊躍歓喜の感激が発るのが信であり、そのような喜びが生じないようであれば信心とはいえないというのが法然聖人在世当時の信に対する考え方であったのであろう。
『歎異抄』における「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらん」(*)という唯円房の疑問もそのような時代背景からの問いである。
いや、現代においても、『無量寿経』の本願成就文の「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」の一念を曲解して、「真に手の舞い足の踏むところのない大歓喜が起るのだ。」(*)という歓喜正因を説く輩がいる。
いわゆる、本願成就文の信一念釈の「時剋釈」と「信相釈」を混同し、「心のぞみぞみと身のけもいよだち、なみだもおつるをのみ信のおこると申す」を、信心であると誤解・錯覚した立場なのだが、まさに自らの心の上に信を建てようとする歓喜正因の異義である。
このような、心理的にとびぬけた感慨や感動が信心であるという誤解を戒めるのが前掲の法然上人の法語である。
さて、法然聖人は『選択本願念仏集』で、『観経』の深心とは深信であり、「生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす。」(*)と「信疑決判」によって迷・悟を明かにして下さった。御開山が、『正信念仏偈』で、
迷いの境界にとどまり、輪廻を繰り返して離れることができないのは、本願を疑って受けいれないからであり、すみやかに煩悩の寂滅したさとりの領域に入ることができるのは、善悪平等に救いたまう本願を疑いなく受けいれる信心を因とすると決着された。「還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入」とされているように、浄土教における信は疑に対するものだとされるのである。
信と疑
そもそも仏教における信に対する語は不信であって疑ではない。
信とは不確定なものに対する衆生の思い込みを信というのである。信ずるとか信心するというような、信を自己を主体として信+動詞で語るのが信心というものである。
しかるに、浄土真宗では、賜りたる信心というように、自己を主体として信を論じないのであり、これを本願力回向の信心というのである。
疑いをのぞくとは、阿弥陀如来が本願によって選択摂取したもうた、本願念仏を往生の行業であると疑いの蓋を除き、なんまんだぶと称える行業が浄土教の信心なのである。(*)
これが御開山が比叡山上で、悩み苦しんだ「生死出づべき道」であり、法然聖人によって示された「往生極楽の道」であった。御開山の奥さんである恵信尼公の『恵信尼消息』には、生死出づべき道を尋ねて、雨の日も晴れの日も、どのような支障があって、もひたすら法然聖人の語られる浄土の法門を聞かれたとある。
異文化との遭遇というか未知との遭遇というか、多分御開山はカルチャーショックを受けられたのであろうと思ふ。(*)
法然聖人から、私が大切なのではない、私を必ず仏にするという阿弥陀如来の本願に随順することが仏道の本道であると示されたのが御開山ではあった。
信心とは、私が拵えるものではないのである。私の思いを超えた世界から私を仏にするという本願に対する疑いの蓋を取り除き、第十八願に代表されるような菩提心に共感することを信心であるとされたのであった。
なんまんだぶと称えることが、往生浄土の正因であると疑いの蓋を除く時、阿弥陀如来の菩提心包まれている自己を見出すのであろう。酔っ払っていて知らんけど、そういうことである(笑
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ