浄土教の開宗

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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天台大師智顗は、仏国土を四土に分類され四種浄土説を建てられた。(*)
いわゆる仏国土を、行者の修行の階梯に応じて、凡聖同居土・方便有余土・実報無障碍土・常寂光土の四種を措定し、阿弥陀仏の極楽(浄土という表現は一般名詞であり、極楽という語は、阿弥陀如来の居ます仏国を指し示す固有名詞)は、凡夫と聖者が同居する劣なる凡聖同居土であるとされた。凡聖同居土とは、この娑婆世界のように、釈尊や龍樹菩薩のような聖者も居られれば林遊のような凡夫も同居する土のことである。聖者と凡夫が同居する土であるから凡聖同居土という。
ただし、浄土の凡夫は、煩悩があってもそれを外にあらわさないので内凡の凡夫であり、煩悩を外へ垂れ流しの外凡の凡夫のことではない。

さて、阿弥陀仏の浄土が、なぜ凡聖同居土なのかの理由に、『無量寿経』で説かれる浄土には、人・天・声聞・菩薩・仏が同じく居るからであるとする。

たとえば『無量寿経』の第十一願に、「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ。」とある。この「国中の人・天」というのはあきらかに凡夫であり、凡夫が居るような浄土は卑しくて劣っている、というのが凡聖同居土説であった。このような考え方に対して、『無量寿経』で説かれる、人・天・声聞・菩薩という呼称は、往生者が元々居た国土での名前を依用しているという反論はある。いわゆる、「昔の名前で出ています」論だが、詳細は『論註』(*)等を参照されたい。

さて、法然聖人は天台の学僧であったから、このような天台における浄土観についてよくご存知であった。そして、この天台の教説の論理の枠内にいる限り、善導大師が力説され、善導大師の教学の根本である「凡夫入報説(*)の真意はあきらかにされないと考えられたのであった。偏依善導一師(偏に善導一師に依る)の主体的決断から、どうしても既存の仏教論理のほかに往生浄土を宗とする仏教の必然性を考えられたのであった。ちなみに、浄土宗は往生浄土宗の略であり、浄土真宗は、往生浄土の真宗の略である。
以下、『拾遺漢語灯録』(原漢文)から、そのおこころを窺ってみよう。

また一時、師(法然聖人)語りていわく。
我、浄土宗を立てる元意は、凡夫、報土に往生することを顯示せんが為なり。
しばらく天台宗のごときは、凡夫往生を許すといえども、その判ずる浄土は卑淺なり。法相宗のごときは、その浄土を判ずることまた高深なりといえども、凡夫往生を許さず。おおよそ諸宗の所談その趣、異なるといえども、すべてこれを論ずるに凡夫報土に往生することを許さず。
このゆえに、我、善導の釋義に依って宗門を建立し、以って凡夫報土に生まるの義を明かすなり。然るに人多く誹謗して云く、念仏往生を勧進するに、何ぞ必ず別して宗門を開かん、豈、勝他の為にあらずや。此の如きの人は未だ旨を知らざる也。若し別に宗門を開かずんば、何ぞ凡夫報土に生まる之義を顕さんや。
且つそれ人、言わゆる念仏往生は是れ何れの教何れの師に依るやと問はば、既に天台・法相にあらず、又三論・華厳にあらず、知らず何を以てか之を答えん。是れ故に道綽・善導の意に依って浄土宗を立つ、全く勝他の為には非ずと也。『拾遺漢語灯録』

天台宗とか法相宗でいわれる浄土の理解では、凡夫が往生する浄土は卑淺であるか、あるいは、凡夫には手の届かない高次の菩薩が感得する浄土であった。このような既存の仏教体系の中にあっては凡夫は往生の道を絶たれるだけであったのである。
ここに、仏願に順ずる全く新しい仏教があると、仏の本願に立って開宗されたのが法然浄土教であった。自己の救いを、阿弥陀如来の本願の中に生死出ずべき道として発見されたのであった。
法然聖人を論難する『興福寺奏状』(*)には「新宗を立つる失」の一条があるが、順彼仏願故の文によって本願によって、仏から汝と呼ばれる自己を発見された立場での開宗であった。旧来の八宗の成立根拠とは全く意味が異なる浄土教の開宗であったのである。

親鸞聖人が、『教行証文類』の行巻で、『選択本願念仏集』にいはく、「南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本とす」と、された所以である。

 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

 

順彼仏願故

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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法然聖人の回心(*)を記したことがあったが、『和語灯録』から少しく引用してみる。

もし無漏の智釼なくば、いかでか悪業煩悩のきづなをたたむや。悪業煩悩の絆を断ぜずば、何ぞ生死繫縛の身を解脱する事をえんや。かなしきかな、かなしきかな、いかがせんいかがせん。ここにわがごときは、すでに戒・定・恵の三学のうつはものにあらず、この三学の外にわが心に相応する法門ありや。わが身にたへたる修行やあると、よろづの智者にもとめ、もろもろの学者にとぶらひしに、おしゆる人もなく、しめすともがらもなし。
しかるあひだ、なげきなげき経蔵にいり、かなしみかなしみ聖教にむかひて、てづから身づからひらきて見しに、善導和尚の『観経の疏』{散善義}にいはく、「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」といふ文を見得て後、われらがごときの無智の身は、ひとへにこの文をあふぎ、もはらこのことはりをたのみて、念念不捨の称名を修して、决定往生の業因にそなふべし。
ただ善導の遺教を信ずるのみにあらず、又あつく弥陀の弘願に順ぜり。
「順彼仏願故」の文ふかくたましゐにそみ、心にととめたる也。『諸人伝説の詞』(*)

法然聖人は、よろずの知者・学者の善知識を尋ねたが、だれ一人として、生死繫縛の身を解脱する道を教え示す者は、いなかったと述懐されている。
戒・定・恵の三学無分の者であるという自覚の上に立つ者には、信がないからであるとか、修行が未熟であるとかいう応答は、何の意味もないのである。そこで、なげきなげき、ひたすら聖教に向かわれた法然聖人が目にされたのが、『観無量寿経』の注釈書である『観経疏』の一文であった。「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」(*)の文の「順彼仏願故」の文である。
自己が選択し回向する行業ならば、自己の選択の過失はとりかえしのつかない事になる。しかし、仏が本願によって選択してある行業であるならば、回向の主体が仏になるのであり、衆生の側からは不回向の行業であるのが、なんまんだぶの一行であった。

「順彼仏願故」と、あるように、仏願に順する行が一心専念の、なんまんだぶであった。この「順彼仏願故」の文によって私から仏へというベクトルから、仏から私へという方向転換の教説によって回心なされたのが法然聖人であった。口に、なんまんだぶと称える行為(行業)は、私が賢しらに選択するような行ではなく、阿弥陀如来の本願の中にすでに選択されてあった行であったという驚きであった。私が選んだ行であるならば、私の選ぶという行為の禍愚に左右され、決定の行ではない。しかし、阿弥陀仏が本願に選択して下さった行業であるならば、その行を行ずる者は、本願に随って往生せしめられる決定の行であった。これが法然聖人の教学の根本である選択本願念仏の教えであった。

称えたから救われるのではなく、称えた者を救うという、阿弥陀如来の利他の本願があるから救われるのである。この利他のはたらきを他力というのであった。他力の他は阿弥陀仏ではなく、阿弥陀仏の、他を利益する利他の本願に随順する者を他であるというのであった。他力の他は私であったのである。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、彼の仏願に順ずるがゆえに。