中国撰述説もある『観経』だが、善導大師の『観経疏』によってその様相が一変している。善導大師は、この『観経』を解釈するについてあらかじめ経の要義を「玄義分」(*)一帖に著されておられる。まさに奥深い玄妙な義意を開いて見せて下さるのであった。
『観経疏』は『観経』の注釈の疏であるが、善導大師は『無量寿経』の四十八願に立って『観経』を解釈され、「玄義分」で七門に分けて、その釈意を述べておられる。
これは、一見観仏を説くようにみえる『観経』だが、その源底は『観経』の流通分に「汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」(*)(なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり)とある文によって、『観経』は阿弥陀如来の四十八願をあらわす経典であると見られたからであった。
なお、善導大師は、四十八願の一つひとつに第十八願があるとみられていた。ゆえに「深信釈」では「二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず」(*)と、四十八願によって第十八願をあらわしておられた。このことは「玄義分」の次の文で判る。
一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」と。 いますでに成仏したまへり。 (*)
そして、『観経』は釈尊の教と、阿弥陀仏の救いをあらわす二尊の意図をあらわす経典であると見られたのである。たまたま提婆達多と阿闍世の逆害によって、悶絶号泣する韋提希の致請によって釈尊は、韋提希にも理解できるような衆生の上での因果である行じて証するという要門の教えを開かれたのであった。
しかるにその玄底には、衆生の理解するような因果を超えた、阿弥陀仏の別意の弘願があるとされたのである。これは、玄義分の以下の文で判る。
たまたま韋提、請を致して、「われいま安楽に往生せんと楽欲す。 ただ願はくは如来、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ」
といふによりて、しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。(*)
この衆生の因果を超えた救いの、阿弥陀如来の救済については、当ブログの「自業自得の救済論」(*)でも少しく述べたが、詳細は梯實圓和上の「真仮論の救済論的意義」(*)に詳しいので参照されたい。
なお、御開山は林遊の管窺によれば『教行証文類』では『観経』の文を三箇所で引文(信巻1、化巻2)されておられるだけで、ほとんどが善導大師の『観経疏』からの引文である。その引文も訓点を替えて引文されて、全く新しい御開山独自の世界を拓いておられるので、めちゃくちゃややこしい。まさに信心の智慧によって拓かれた世界であるとしかいえないのである。
そんなこんなで漢文の『観経』を読んでいるのだが(*)、『観経』の科文を『観経疏』の科文にリンクしてみた。ほとんど利用する人はいないだろうけど、自分の学びの手段としてだから、まあいいとしよう。
往生之業 念仏為本。なんまんだぶ、なんまんだぶである。