法然教学の研究

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、おっしゃっている。
御開山は「仏願の生起本末」ということをおっしゃったが、出来上がったものだけを聞くだけでは真意はつかめませんという意であろう。そのような意味では法然聖人のご法語を拝見することも意味あることである。とくに醍醐本『法然聖人伝記』や『三部経大意』等は大正時代に明らかになった書であるから、法然聖人の思想を学ぶには大事な意味があると思ふ。また『西方指南抄』などももっと読まれてよいだろう。
深川和上は、御開山は法然聖人の弟子であるから『教行証文類』は法然聖人の言葉で埋め尽くされてもよいのである。しかるに「行巻」で、『選択本願念仏集』の冒頭の「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」の標宗の文と結論である「三選の文」だけしか引かれておられない。これは『選択集』の最初と最後をあげることによって『選択集』を全文引文する御開山のおこころである。だから『選択集』はもちろん、七祖のお聖教にも目を通しておきなさい、とおっしゃったものである。林遊は漢文も解らず、仏教学も真宗学も無縁な田舎の一門徒だが、さいわい西本願寺が出版した注釈版の聖教を手にしてから、なんまんだぶの味わいが深くなったように思ふ。

ともあれ、「法然聖人による回心の構造」については前述の『法然教学の研究』からの抜粋をUPしてある。法然聖人を回心せしめた「順彼仏願故(かの仏願に順ずるが故に)」の考察である。
この「順彼仏願故」とは、なんまんだぶを称える行業は、阿弥陀如来が本願によって選択したもうた行という意味である。阿弥陀如来が選択摂取した本願の行であるならば、行者のがわからは何も付け加える必要はない。その付け加える必要のないことを『選択本願念仏集』では不回向といい、御開山は『教行証文類』で、七組や他宗の祖師方の文をも引文し、結論として『選択本願念仏集』引文のニ文におさめて、「あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし」p.186と、決釈されたのであった。

この法然聖人の示された、不回向ということは、実は阿弥陀如来の本願力回向ということであると領解し展開されたのが御開山であった。それを示唆したのが、御開山の思想遍歴の悪戦苦闘の末に出あった、曇鸞大師の『浄土論註』の「今将談仏力(今まさに仏力を談ず)」の文であった。この文によって法然聖人の「たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」p.1197とは、実は、阿弥陀如来の本願力の躍動する世界を表現している言葉なのだと御開山は領解されたのであった。

そのようなわけで、御開山の本願力回向という思想の淵源となった、法然聖人の「不回向」を論じている梯和上の『法然教学の研究』から、UPしてある「正雑二行の得失」への抜き書へリンクしておく。

→「正雑二行の得失」

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