凡夫の定義に「畏怖心の去らぬ者」という言葉がある。
生きることに怯え、びくびくおどおどとして生きる者を凡夫というのである。
ようするに、あり得べき生き方の方向が見出せないから不安にさいなまれ、畏怖するのであろう。
法然聖人は、そのような「畏怖心の去らぬ者」に対して、
ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなえば、こゑについて決定往生のおもひをなすべし。『和語灯録』「往生大要鈔」
と、「こゑについて決定往生のおもひをなすべし」と示して下さった。
なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この自らの耳に、なんまんだぶと聞こえる声について往生が決定したとおもえということである。凡夫は、自らの力では、生きることの意味や死ぬことの意味が判らない。その凡夫に対して、お前の人生は仏陀のさとりの世界である浄土へ往生する為の生であるというのである。
梯實圓和上は、この「こゑについて決定往生のおもひをなすべし」の法語を引いて、なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この耳に聞こえる なんまんだぶは、阿弥陀様が大丈夫だいじょうぶと仰っている仏のみ言葉なのですよ、とお示しくださったものだ。
日本語の、事(こと)は言(こと)に通じるのだが、念仏(なんまんだぶ)は、まこと〔言〕に、大丈夫のこと〔言〕ではあったな。なんまんだぶと称えるなかには、無畏施という恐れなき心を施すという意味も内包している南無阿弥陀仏ちゃあ、ありがたいこっちゃな。
と、いうわけでWikiArcの→「怖畏」に追記をした。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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