今日は福井大震災から67年目だ。ふと思いついて十数年前に記した「聴聞雑記」から以下を転載する。
見知らぬじいさんやばあさんは、普段何を考えているのかよくわからないので、会話の糸口を見つける事に苦労することがある。
しかし、越前ではじいさんやばあさんと会話を成立させるひとつの方法がある。
「ばあちゃんヨ、昭和23年の6月28日は何処にいたんじゃぃのぉ」
「ありゃぁ、地震ん時ケ。ウラあん時は田んぼにいて二番草(田植えから二回目の除草作業)取ってたんじゃ。ほらもう娑婆がひっくり返るかと思て、たんぼ道まで這うて上がったんじゃが腰抜けてもて、なまんだぶ、なまんだぶと言うだけやった」
「地震やのぉ、ウラんとこはオババが家(ウチ)の下んなって死んだんじゃ。いかい(大きい)梁が胸んとこへ落ってのぉ。惨いもんじゃった」
「ウラんとこの近所では五人死んでのぉ。筵を並べて寝かいておいたが、サンマイ(火葬場)も潰れてもたで、割木で野焼きしたもんじゃ」
アポロ宇宙船が月に着陸した日は知らずとも、昭和23年6月28日の事は、昨日のように覚えている、じいさんやばあさんである。
今日はそれから50回目の6月28日である。小生の家でも顔も見たことのない兄二人が震災で死んでいった。
じいさんとばあさんはよく二人の思いで話をするが、西方浄土の住人となった兄弟は、いつもいい子なので親不孝の小生は少し頭が痛い。
それにしても何故年寄りは、昭和23年の6月28日という日付を覚えているのだろうか。
きっと自分の事だからハッキリ覚えているのかも知れない。人間が月に行こうがどうしようが、そんな事はどうでもよい事である。
自分自身がどうなるか、有縁の人がどうなったかが凡夫の最大の関心事である。社会を論じ他者を論じる事も、このご法義には用意がされているのかもしれないが、自分のことしか考えられない浅ましい小生である。
しかし顔さえ知らない地震で死んだ兄弟であっても、西方仏国に往生して、仏様に成ったと思い取らせて下さることは出来そうである。
やがて小生も往生していく西方仏国、なんまんだぶつの仏様の国であるお浄土である。
六月二十八日は、越前の数千人の人が浄土へ往き生まれた誕生日である。
さて、今晩は下手くそながら、お仏壇の前で大無量寿経を読誦して、お浄土の先輩達と楽しませてもらうことにしよう。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、称名相続...
なんまんだぶを称えて西方仏国へ生まれて往くのですよ、ということを「お聖教」開いてあれこれ学ばせて下さるのだが、いつも、なんまんだぶがご一緒して下さったから、愚直に称え聞かせて下さることである。 ありがたいこっちゃなあ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ