死の帰する処、生の依って立つ処。

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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蓮如さんは、後生の一大事、後生の一大事とうるさい。
そこで阿弥陀仏に帰依することになるのであるが、大谷派の金子大栄師に帰依を説明するいい文章があるので、WikiArcの「帰依」の項に追記しておいた。

死の帰する処、生の依って立つ処。(金子大栄)

死の帰するところを浄土におく

我々をしてその不安の世の中におりながら今日一日を落着き、今日一日を不安なるがゆえに、却ってそれを介して念仏申させて貰うことによって、有り難いという感覚をおこさせるものは一体何だろうかと、そういうような場として、私には後の世というものがあるのであります。死ねばお浄土へ行けるのであると。
人間の生涯の終わりには浄土へ行けるのであり、死の帰するところを浄土におくことによって、それが生の依るところとなって、浄土を憶う心があると、その心から光がでてきて、私達に不安の只中にありながら、そこに安住の地を与えられるのであります。つまり意識はどれほど不安を感じていても、どこかその底に安らかに安住させて頂く力があり、それが本願他力であり、それが浄土の教えであるといってよいのでありましょう。(曽我量深・金子大栄著『往生と成仏』法蔵館から)

死ぬることの解決ができてこそ、この生をより深く味わうことができるのであろう。ありがたいこっちゃ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
WikiArc「帰依」

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