死ぬという動詞の活用

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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梯實圓和上は、

何の爲に生まれてきたのか知らない。死が何であるか了解する事が出来ない。その死を必然の事として受けていかなければならないのが人間なのです。当然、悲劇的な存在なのです。死が何であるかという事は絶対に理解出来ない事なのですから。経験として持つ事が出来ないのですから。
私がよく申しますように、他の事ならば動詞は過去形と現在形と未来形と言う事は出来るけれども、「死ぬ」という動詞は、主語を「私」にした時には絶対に現在形と過去形はとりません。「私が死んだ」そんな事ありません。言っている本人は生きているのですから。「私は今死んでいます」そんな事も言えません。判断の主体が生きているのですから。判断の主体が無かったら判断は成立しない。従って死は未来形としてしか捕らえようが無いのです。自分の経験内容としては入らない言葉なのです。従って私の死に就いて我々は述語する事は出来ない。それを述語出来るというのは、述語出来ない死を述語するのですから、いい加減な事です。そういう事です。
そういう私には生が何であるか、死が何であるか全く了解不可能なのです。そういう領域がある訳です。弘法大師が『秘蔵宝鑰』の序分の所に「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の初めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し」(*)と言っています。あの天才をもってしても生の何たるか、死の何たるかを説き明かす術(すべ)は無かった訳です。皆が解ったような顔しているから私も解ったような顔しているけれども本当は何にも解っていない訳です。
「お前は誰だ」と言われても知らない。「何をする為に生きているのだ」と言われても知らない。「死んで何処に行くのだ」と言われても、それも知らない。そういう自分の生きる事の意味と方向を規定していくのが本願の言葉なのです。いや、本願の言葉に依って自らの生存の意味と方向を聞き定め、見定めていこうとされたのが親鸞聖人なのです。

と、よくいわれていた。
あるとき、梯實圓和上を車の後席にお乗せしていた時に、そもそも宗教ちゃあ何でしょうねとお聞きしたら、即座に、存在理解の枠組みでしょうね、という言葉が返ってきた。ちょっと震えた。林遊の問いを越えた、実に的確な答えだったからである。やっぱり和上さんやなあと思ったものである。
宗教とは、生きる意味と死ぬ意味を、それぞれの教義の枠組みで説き、その存在の意味付けをするのである。詳しくは知らないが、ユダヤ教であれキリスト教であれイスラム教であれ、宗教ならば、存在である生と死の意味付けを提示する意では同じであろう。
ともあれ、浄土真宗は御開山聖人が示して下さった言葉に依って、自らの生と死の意味を聞きひらいていくご法義である。浄土真宗の先達は、「聴聞に極まる」という言葉を残して下さった。自らの眼で見て「眼見」して認知するのではなく、聞いて知る「聞見」ということを、「聴聞に極まる」という言葉で示して下さったのであった。生きることに意味があるように死ぬることにも意味があると、
(71)
念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ

の、往生即成仏の、なんまんだぶ(念仏成仏)の真宗の浄土のご法義であった。死ぬのは嫌だけど、死の意味を、なんまんだぶと称えてなんまんだぶと聞こえる中に味わえるのはありがたいことであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

しとはこの時西にむかふへからす

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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深川倫雄和上の仰せに、

西の方角を大事にしたほうがええ、せめて五年、いや三年、西の方角を大事にするように心がけるがええ。父も往った、母も往った、友達も往った、そう思ふて西の方を大事にするようにすると西の方角がありがとうなるけぇの。

と、あった。夕日の沈む西方に、阿弥陀仏のいますお浄土があるなんてジジババの迷信の極みだと思っていた。仰せであるから方向コンパスを持って確かめるほどではないが、西のほうへ足を向けて寝るようなときは少しく足をずらしたり、立小便は西に向わないよう気をつけ、西の方角を大事にするうち西の方角がありがとうなった。
御開山は『安楽集』にある曇鸞大師の記述p.247を元にして、

(23)
世俗の君子幸臨し
勅して浄土のゆゑをとふ
十方仏国浄土なり
なにによりてか西にある

(24)
鸞師こたへてのたまはく
わが身は智慧あさくして
いまだ地位にいらざれば
念力ひとしくおよばれず

という和讃を作っておられる。 リンク「凡情を遮せず」
「証巻」や「真仏土巻」での曇鸞大師の引文の仕方を窺えば、「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」p.737という御開山の覚りを目指す、大乗菩薩道としての本道の仏教理解が窺える。
しかし、決して善導大師、法然聖人が説かれた、娑婆と穢土という、被救済者としての凡夫の立場を崩されなかったのが御開山であった。
ともあれ「義なきを義とす」とか、「故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひし」p.771と、凡夫を強調した御開山ではあるが、『教行証文類』という、恐ろしく難解な書も著されたのも、御開山であった。
古来、「凡情を遮せず」といい、浄土真宗は愚者のご法義ということを強調してきたのだが、それは、聖道門仏教の体系を見据えて、その上で「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」p.839という意を、なんまんだぶ一つという「誓願一仏乗」p.195である聖道・浄土を超える一仏乗なのであった。
日本の産んだ宗教的天才とは、法然聖人に冠せられる称号である。明治以来西欧の思想の導入に汲々としてきた日本であるから、教科書などで学ぶ「宗教改革と」いう言葉で想起されるのはドイツのマルティン・ルター(1483年-1546)であろう。しかし、日本では承安5年(1175年)、法然聖人43歳の時のシナの善導大師の『観経疏』の一文「一心專念彌陀名號 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故(一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥、時節の久近を問はず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑに)」の、「かの仏願に順ずるがゆゑに」の、なんまんだぶを称える一心一行に依って驚天動地の仏教理解を示されたことが「宗教改革」であった。いわゆる鎌倉仏教の宗教改革運動の嚆矢は法然聖人であり、日本の仏教史上で僧侶が死刑にされるというほどの弾圧を受けたのが法然聖人の説かれた日本浄土教であった。現代に残る日本の有力な仏教諸派(法華・禅)は、その後塵を拝しているといっても過言ではないだろう。
御開山親鸞聖人は、法然聖人の説ききられなかった処を『教行証文類』という教・行・信・証・真仏土という体系であらわして下さったのである。
「西の方角を大事にしたほうがええ」。ありがたいご教授であった。

一。しとはこの時西にむかふへからす、又西をうしろにすへからす、きた・みなみにむかふへし。おほかたうちうちゐたらんにも、うちふさんにも、かならす西にむかふへし。 もしゆゆしく便宜あしき事ありて、西をうしろにする事あらは、心のうちにわがうしろは西也、阿弥陀ほとけのおはしますかた也とおもへ。
たたいまあしざまにてむかはねとも、心をたにも西方へやりつれは、そそろに西にむかはて、極楽をおもはぬ人にくらふれは、それにまさる也。『示或人詞』

深川倫雄和上も梯實圓和上も、御開山を理解する為には、法然聖人を学ぶべきと仰っておられたが、真宗坊主は、いま少しく『西方指南鈔』や『和語灯録』にある豊かな浄土思想を学ぶべべきだと思っていたりする。どうでもいいけど。(林遊の悪口はこういうところから出ているかもであり(笑 )

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お聴聞とご聴聞

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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越前では法話を聴くことを、おちょもんという。これはお聴聞の訛ったもので、明日は○○さんとこでおちょもんやけど参らんけ、などと使われていた。ほぼ死語と化しているのが寂しい。
この「お」と「御(ご)」の使い分けは、訓読みの和語なら「お」、音読みの漢語なら「ご」と発音するそうだが、お返事、お礼状、お食事などのように日常語になっている語では和語と同じように「お」を付けるそうだ。また美称化する場合にも「お」が使われる事が多いとのことである。

報恩講の通夜布教──この通夜という表現が好かん、越前では夜伽(よとぎ)といい、夜寝ないで付き添うことをいうのだが、今まさに目を落とした御開山の枕辺で、御開山からお聞きしたご法義を讃嘆するのだから夜伽という表現が親しい──で、会場進行役がご聴聞と発語していたのだが少しく耳障りではあった←わがままやなあ。

そんなこんなで、聴聞という漢語が一般化し和語になっていない本山と違って、越前では、聴聞という言葉が一般化しており、日常語になっているので聴聞という行為を美化して、お聴聞という表現になったのであろうと我田引水しておく。ご法義はお法義って言わないのと云われると少しく困る(笑

越前の先輩の門徒は、よく「聴聞に極まるんにゃぞ」と言っていた。子供の頃は言葉を漢字化出来ないので何のこっちゃと思っていた。聴も聞も「きく」ということであるが御開山は「化巻」の『平等覚経』p.401の引文の聴聞の左訓に「ゆるされてきく、信じてきく」とされておられる。
ゆるされて聴くということは、己の意思を働かせてきくことであり、信じて聞くとは、聞こえるままが私の信であるような聞き方を仰りたかったのであろうか。聞は聞こえるという受動態で表現することが出来るが、聴はきこえるという受動態表現はしないと聞いた事があった。
ともあれ、越前の門徒は、聴聞を語句分解して「聴くと聞こえる」と示し、聞こえることが極まっているから「聴聞に極まる」と言っていた。いわゆる聞即信である。聴いているままが聞こえる本願力が働いている相(すがた)なのだが、信のない芸能として法を語る(騙る)坊さんが多いのは困ったものではある。
『蓮如上人御一代記聞書』に、

(93)
一 信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われは物をもたずして人に物をとらすべきといふの心なり。人、承引あるべからずと、前住上人(蓮如)申さると順誓に仰せられ候ひき。「自信教人信」(礼讃 六七六)と候ふ時は、まづわが信心決定して、人にも教へて仏恩になるとのことに候ふ。自身の安心決定して教ふるは、すなはち「大悲伝普化」(同)の道理なるよし、おなじく仰せられ候ふ。(*)

と、あるのだが、坊主の信なきことは、まことに困ったものではある。

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お聴聞という語を使っている例。

如来選択の願心より発起す

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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信巻別序の冒頭で、

それおもんみれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。(*)

と、あるのだが不思議な表現だな。
如来選択の本願より発起す、なら、信楽は本願から発起するのだが、願心より発起すという表現は不思議である。
因位の法蔵菩薩の願心(菩提心)から発起するというのであるから、まさに法蔵菩薩の願心と等しいところから発起する信楽(信心)であると御開山は仰りたいのであろう。
御開山は、第十八願成就文の聞を釈して、

「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(*)

と、されるのだが、何故(ゆえ)に本願が建てられなければならなかったという仏願の生起のところから考察しろとのお示しであろう。
深川倫雄和上は、出来上がった本願を見ても阿弥陀さまのお心は解りません、何故このような願をお建てになったかというところが大切です、と常々仰っておられた。因位の法蔵菩薩である阿弥陀さまの願心のところが大切ですとのお示しであった。本願があるから信ずるのではない、わたくしという煩悩具足の衆生がいるから、林遊の煩悩を材料にして建てられたのが五劫思惟の本願であった。
浄土真宗の布教使は、出来上がった本願を、信じなさい信じなさいと煩いのだが、これでは「アナタハ神ヲシンジマスカ」というキリスト教の信と同じではないか。世俗における信とは未だ実現していないことをまえもって確信することをいうのだが、これは浄土真宗でいうご信心とは雲泥の差がある。
御開山は、讃阿弥陀仏偈を和讃して、

(3)
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり

いまに十劫とされたのだが、なんまんだぶと称え耳に聞こえる時、仏願の生起と本末がわたくしのものになるのであった。こういう論理展開は賢い真宗坊主には意味不明だろうけど、莫迦の林遊には整合性が取れているので、ありがたいこっちゃになるのであった。いまめがはしく、帰命尽十方無碍光如来、ありがたいこっちゃ。

(82)
信は願より生ずれば
念仏成仏自然なり
自然はすなはち報土なり
証大涅槃うたがはず

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寺と教会

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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FBの杉生 値さんの投稿に、元旦会のあとかたずけをしていると、境内で寺の建物に入り参詣する方法が判らず迷っていた家族に声をかけ、本堂へ招じ入れた話があった。
キリスト教では教会は信仰の証(あかし)であると言われる。いわゆる神の存在と神への信仰のリアリティ(証)として教会の存在を認識把握しているのであろう。クリスチャンにとっては、市井に存在する教会が神の救いのリアリティとして受け容れられてきた歴史があるのであろう。
ともあれ、FBの投稿によってかってSNSで記した日記を想起したので転載してみる。

ホテルのカフェから、下の道路を見下ろしている。
ティーカップを前に、気だるいウイークデーの午後。

ふと、向こうから若い男女が歩いてくるのが視界に入る。
恋人どうしなのだろうか。
二人はうつむきかげんで、ゆっくりと歩いている。
まるで、行き交う人々の流れに逆らうように、ゆっくりと歩いて来る。

二人が立ち止まった。
それは、ホテルの前にある、小さな教会。
カソリック教会であろうか、正面にはクリスチャンのシンボルが掲げられている。

二人は、教会の前で、何か話あっている。
やがて、女の方がこくりとうなずいて、二人は教会の中に消えた。

まるで、そこだけは、時間が止まった世界のように見える空間。
喧騒とした街の中にある、ひっそりとした教会。
ふたりは、教会に何を求めて入ったのだろう。

静かな、ホテルの午後のティールーム。
ガラス一枚を隔てた、小さなチャーチを眺めながら、ふと、若いふたりに興味を覚える。
なにか、辛いことや悩みごとがあったのであろうか。
教会に、若いふたりの求めるものがあることを願う、私がいた。

二杯目のティーを飲み干したとき、さきほどの男女が教会から出てきた。

何かが、ふっきれたのか、ふたりの足取りは軽い。
やがて雑遝に中に、手をつないだふたりは消えていった。

教会の中で、何があったのだろう。
それは、ふたりと、十字架上のキリストのみが知ることであろう。

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だいぶ昔だが、このような内容のエッセイを読んだ記憶を思い出した。
たぶん、筆者の外国旅行中のワンシーンであろうが、キリスト教の教会の存在と、日本の仏教寺院との差異を考えさせられるエッセイだった。

キリスト教には、「神との対話」という言葉があるが、仏教では「仏との対話」という語はあまり聞かない。
仏や神との対話はモノローグであり、自己の内面を吐露する自己自身との対話であろう。
神は人格神であり仏教では人格神を否定しているから、モノローグが成立しにくいという事情もあるのかも知れない。

昔の女性は、御仏壇の前で泣いた。
もう少したってからは、女性は三面鏡の前で泣いた。
現在は、さしずめノートパソコンの前で泣くのだろう。
いや、携帯電話の文字を眺めしながら泣くのかも知れない。
人は、何かを前にして、泣き、泣けるのである。

ひょとすると、人間関係が複雑になっている現代では、泣くという行為そのものが出来なくなってきているのかも知れない。「十分に悲しみ」、そして「充分に泣ける」場所は、安全でなければならない。
人が安心して泣ける場所、そして、悲しみを生きる力に変換にできる場所。

いま、仏教に、本当に求められているのは、このような寺院の役割かも知れないと、思っていたりする。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

「2011年06月27日」

だいぶ前だが、門徒会館を建てた寺が告知するキャッチフレーズを頼まれたことがある。
3種類ほど考えたのだが「みなさんの信仰が形になりました」というコピーを住職が気に入って採用したことがあった。
歴史的にみれば浄土真宗の寺院とは、親鸞聖人御消息に「聖人(源空)の二十五日の御念仏も」p.808とあるように、門徒が法然聖人をしのんで、なんまんだぶを称える場所(道場)が濫觴(らんしょう)であった。
その意味に於いては、御開山が「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり」p.474と示しておられるように、なんまんだぶの声がこだまする空間こそが、本願の行を行ずる「証道いま盛んなり」の道場であった。一人ひとりの、生き方や思いや経てきた苦悩を論ずるのではなく「同一念仏無別道故(同一に念仏して別の道なきがゆゑに)」p.309が浄土真宗という宗教である。
浄土真宗の寺院が、念仏の道場であった頃は門徒にとっては「遠通夫四海之内皆為兄弟也(遠く通ずるにそれ四海のうちみな兄弟たり)」p.309という想いであったから、寺が私の宗教上の家であったのである。門徒の表現では「阿弥陀さまの親さまの家」であった。ゆえに、寺の輪灯が傷んでいるからウラが銭(ぜん)出すさけ、親様にご不自由させんようにと懇志を提供したのであった。
そのような意味に於いては、浄土真宗の寺は、なんまんだぶの道場であり、なんまんだぶを証(あかし)するロケーションであった。
知愚の毒に毒された左巻きの、一声のなんまんだぶも称えない坊主には想像も出来ない世界なのであった(笑

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『教行信証』の思想と内容

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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サイトでプライベートになっていた星野元豊師の論文を公開。
浄土真宗では行信論を主題として論じることが多いのだが、その行と信の源泉を考察する論文である。星野師は、「仏教に全く無関係な人たちにも理解できるような解説を試みたいと思う」とされておられるのだが、仏教用語無しに仏教を論ずることは、竹刀無しで剣道を学ぶようなものであるから、幾分の仏教用語をや哲学用語を使用されている。そこで掲載サイトでは用語をドラッグすれば、WikiArcなどの対応する用語に対して適切と思われるサイトを選択して検索できるようにしてある。
以下の文章は、同論文に対する覚書である。

 

20数年ほど前に読んだ『親鸞 教行信証』──原典日本仏教の思想──の、星野元豊師の同書の解説から抜粋。たまたま、なんまんだぶのご法義に出遇って、 もっと知らしてもらおうと、慣れない漢文読み下し文と格闘しながら、あちこち『教行証文類』を対校しながら読んでいた頃に読んだ本。当時はさっぱり解らな かったのだが、お育てのおかげで少しく解るようになった。解説は哲学的な視点で記され宗学とは少しく違った観点から考察しているので御開山の意図を窺う思 考の補助線の一つとして有用であろう。なお、この本は坂東本を底本としているので、WikiArcで依用している本願寺派の「聖典」と少々文句の異同があ る。参考の頁番号は同書の頁であるが、利便の為に対応するWikiArcの文にリンクした。なお文中のリファレンス(脚注)は私において付したもので、同 書中にはない。また文字の強調やライン、フリガナ等も自分の学びのために私において附したものであり、原著の意図と違う場合もあるので注意されたし。

『教行信証』の思想と内容

FBのとあるメッセに対する反応

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗は、実にシンプルなご法義である。シンプルであるから非常に領解しにくいご法義でもある。
そのせいか、後生願いの両親の下で育ったので、小学生の頃から法話を聴かされ──爺さん(父親)が、当時珍しいテープレコーダーを買い込んで聴聞を録音してあるいたのでリソースは豊富──るし、小学校5年生の頃には正信念仏偈は暗記していた。
爺さんは、「若いうちに信心もらわなあかん」とか「この世はわが身にあいに来たとこやぞ」と口喧しく言っていた。なにしろ、ご信心を頂くには3000の聴聞がいるという真宗坊主の言葉を実践していた明治生まれの爺さんであったから、林遊は理屈は立つのだが実践の前には抵抗は出来ない。
もっとも「今晩聴いて今晩助かるのが御開山の教えやぞ」が晩年の爺さんの口癖ではあった。
爺さんの言う「わが身にあう」ということは、今にして思えば、真実を目指す生き方であるが、真実なるものを持たない林遊には意味不明の言葉だった。
当時は、お文(御文章二帖)p.1110の「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。」の文に懊悩した人が、よく爺さんを訪ねて来ていた。ある意味において林遊が「信心正因」というドグマ(教条主義)に反撥を感じるのは、爺さんがどれだけ本願の慈悲を言っても、領解できずに肩を落として玄関の戸を閉める婆ちゃんたちを見たせいでもある。
越前の俚諺では、「他力の中の自力とは、いつも御恩が喜べてびくとも動かぬ信心が、私の腹にあるという、凡夫の力みを申すなり」という言葉があるのだが、思い込みと、ご信心の違いめが判らず苦悩している人も多かった。
そんなこんなで、林遊が本物のなんまんだぶに出あったのは43の歳である。若い頃から、歴史上の人物の年齢に自分の年齢を重ねて時間や歴史を考察してきたのだが、思わず法然聖人の帰浄に間に合ったと思ったものであった。「順彼仏願故(かの仏願に順ずるが故に)」である。
爾来、慈海さんに言わせれば、現在の林遊は、信心デストロイヤーなのだが、私が拵えたわたくしの信心は妄想でしかないのであった。

本願名号正定業 至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。
その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする。
信を得て如来と等しい徳をいただき、涅槃のさとりに至るのは、第十一願の功である。

ソクラテスは「無知の知」ということを論じたが、知っているものがあるからこそ、「無知の知」ということを言いえたのである。知らないと言い切ることが出来るのは、知っているものがあるから言えるのであって、べたに凡夫とか無知という言葉を使う真宗坊主の逃避の言葉ではないのであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだだぶ

丸岡の城の石垣

願作仏心

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗では「信心」について煩いのだが、その信心の根源について論じられることは少ない。
御開山は『教行証文類』の教巻の冒頭で、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(*)

と、浄土真宗は往相と還相を回向されるご法義である、とされてれおられる。また『浄土文類聚鈔』では、

しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また浄信あり。(*)

と、され『教行証文類』では浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』は本願力回向という法義であらわしておられる。つまり浄土真宗とは本願力の回向という宗教であるということである。
この本願力による回向の二種の相が、往相(この世から浄土へ往くことで浄土に往生する相状)と還相(浄土へ往生した者が、他者を救済するためにこの世へ還ってくる相状)である。
その往相と還相を説くのが証巻──その淵源は無量光明土である智慧の顕現する浄土をを説く真仏土巻である──である。
仏教の目的は成仏であって覚りを得る事である。仏教とは、仏説教(仏が説く教え)、説仏教(仏を説く教え)、成仏教(仏に成る教え)であり、仏が、仏について説く教えを拠り所として、自らが仏になる教えである。
そのような仏教の本義について、まるで金魚すくいのような救いを説く浄土真宗の布教使が多いのは困ったことではある。たしかに『十住毘婆沙論』でいう易行道である「信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至る」ご法義なのだが「信心」を強調するがゆえに、「願作仏心 度衆生心」という御開山が示して下さった大乗仏教の本義が等閑(物事を軽くみて、いいかげんに扱うこと)に付されているのはないかと思ふ。
もちろん「凡情を遮せず」という「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」というシンプルなご法義であるから、あれこれ論ずることは、法然聖人や御開山の本意を誤解する恐れもある。しかし、『教行証文類』という信心の形而上学を論じられた御開山を、真宗坊主が門徒に言うところの「信心正因」というタームを利用していう、まるで反知性主義としての愚者(凡夫)になれという言説には、少しく抵抗を感ずるのではあった。浄土真宗に於けるすくいとは「生死出づべき道」であり、伝説によれば釈尊の四門出遊もまた死の問題の解決であった。
ともあれ、往相と還相を説く「証巻」を考察された、星野元豊師の著述から証巻についての一文を窺ってみる。

証巻について

標挙には「必至滅度の願、難思議往生」と記されている。従来の浄土教では、浄土に往生して、そこで正定聚に住し、その後成仏すると解せられている。ところが親鸞では上述のように現生正定聚が主張され、この現実で、信を獲たときすでに正定聚に入るのであって、往生は成仏である。この証巻はそれで、獲信の結果の証がどのようなものかをまず示している。この証を得ることについての願は第十一願である。それは、「たとひわれ仏を得たらむに、国の中の人天、定聚に住し、必ず滅度に至らずは、正覚を取らじ」と誓われている。親鸞は必至滅度の願、証大涅槃の願とよんだ。ではその証とは何かといえば、「謹んで真実の証を顕はさば、則ちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり」(一三九頁)といい、さらに「しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するが故に、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは即ちこれ常楽なり、常楽は即ちこれ畢竟寂滅なり、寂滅は即ちこれ無上涅槃なり、無上涅槃は即ちこれ無為法身なり、無為法身は即ちこれ実相なり、実相は即ちこれ法性なり、法性は即ちこれ真如なり、真如は即ちこれ一如なり。しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種種の身を示し現じたまふなり」(一三九頁)といっている。信の必然的な究極は仏教の究極の証である涅槃、真如そのものである。証とか滅度とかいえば、いかにも静的なものに考えられよう。しかし本来、滅度は静的なものではなくして、全く動的にこの現実に働き続けている活動体なのである。それゆえに親鸞は「真如は一如なり」といい、それに続いて「しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化、種種の身を示し現じたまふなり」というのである。如来はこの現実にその時、その場、その対象に応じて変現自在に働くのである。そして実は私の往生するところ、そこから如来が生まれてきたのである。従って如来の働きはいわゆる還相廻向の働きとして活動しているといってよかろう。いや如来の働きこそ同時にそれは還相廻向の働きなのである。証巻は、証とは何であるか、それは動的な大悲の働きそのものであり、従って如来の救済の働きであるとともに還相の働きであることを示したものである。
親鸞は『往生論註』を引用して還相廻向の論理を展開しているが、それはまさしく真宗の救済成立の根拠の論証である。従って証巻こそは『教行信証』の中心をなすものといえるであろう。読者は心をひそめて、この点に注目して読んで頂きたいと思う。筆者の内面的な解説もここから説き起こしてゆきたいと思う。

なんまんだぶのご法義は慈悲を強調するから、まるで、阿弥陀如来と衆生のむすびつけを対人関係のように表現することが多い。その故であろうか近頃の真宗坊主は情念に訴える「節談説教」や「仏教社会主義」を論ずる輩がもてはやされているきらいがある。このような傾向は、法然聖人や御開山聖人のお示しと違い、芸能化する一途ではないかと、少しく思量する。どうでもいいけど。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

願生偈から論註の解説へのリンク

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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「願生偈」の漢文を眺めながら、はて、どういう意味だったかなと思ふことがある。
そこで、WikiArcに「願生偈」の偈文から『論註』の対応部分へのリンクを作成したみた。

以下、説明。

「願生偈」とは、天親菩薩ご自身が無量寿経(浄土三部経)によって浄土を願生する旨を述べた『浄土論』の冒頭の偈頌である。偈頌は五字一句、四句一行で全部で24行になっている。国土十七種、仏八種、菩薩四種の荘厳を説くので三厳二十九種といいならわしている。 偈頌とは、広博な仏教の意を総摂して短い偈のなかにおさめて記憶し忘れないように保つためのものである。『浄土論』にもこの偈頌の解説(長行)がある。 曇鸞大師の『浄土論』は、この『浄土論』の偈頌と長行部分の注釈書であり上巻は偈頌について、下巻は長行部分の解説になっている。この対応を判りやすく把握できるように「願生偈」の偈頌の文から、それに対応する『浄土論註』の、それれぞれの釈へリンクしてある。
なお、『浄土論註』の上巻は、「仏本(もと)なんがゆゑぞこの荘厳を起したまへる」と、仏が何故にこの浄土の荘厳を起こさねばならなかったかという因の所以を尋ねる形式になっており、下巻は因である本願によって成就せられた浄土を「これいかんが不思議なる」という浄土の果徳そのものの不可思議性を顕わしておられる。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

願生偈から論註の解説へのリンク

浄肉文

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗では、肉食妻帯が許容されているのだが、我が家では、有縁の人の命日には精進と称して肉食を忌避していた。
幼い頃に、このまま往生する人が増えると、将来には肉を食べることは出来なくなるのではないかと子供心にも心配したものである。
戒には性戒(しょうかい)と遮戒(しゃかい)があるそうだが、本来、乞食(こつじき)によって命をつなぐ僧侶ならば、他者の食の布施に対して文句は言えないということもあるのであろう。

ともあれ、御開山の肉食に関する資料として、『浄土真宗聖典全書』二に「浄肉文」という文章があったので、資料としてhongwanriki.wikidharma.orgにUPしておいた。

浄肉文

『涅槃経』言、
「人・蛇・象・馬・師子・狗・猪・狐・獼猴・驢」十種不浄肉食

又言、「三種浄肉。」
見・聞・疑。見というは、わがめのまへにて殺肉食。
聞といふは、わがれうにとりたるを食するをいふ。
疑といふは、わがれうかとうたがいながら肉食するをいふなり。この三つの肉食を不浄といふ。この三つのようをはなれたるを、三種のきよき肉食といふなり。

リンク→「浄肉文」